8.帰宅
疲れた。
放課後になり、菜切と鳥彦と別れた俺は思わずそんな言葉を思い浮かべて息を吐いた。きゃっきゃきゃっきゃと疑り深く聞いてきやがってあの二人。いないの一点張りで押し通したが、それでも信用してなかったような目を二人してやってきたし。いっそのこと言ってやるべきか。いいや、絶対面白がって色々聞いてくるだろうからやっぱ駄目だ。
こういう時にはどっかで誰かが暴れてるとこを野次馬で見に行きたいのだが、さっぱりそんなことを話し合わずにみんな笑って路地を歩いている。今回は誰も大暴れしてないってことなのか、やや残念ではある。
いや、そりゃあ暴れないことが一番なのは知っている。それでもそういう連中が戦うってのは中々燃えるものがあるのだ。力と力のぶつかり合い。見ていてわかりやすいぐらいに清清しいし、心を魅了してやまないもの。胸の奥底が燃えたぎるってもんである。死んだらどうにもならんってのも、また事実なのだが。
だから無いのなら無いで仕方ないとも割り切れる。それだけのものを毎度見れるなんて滅多にないものなのだから。……いや、まぁ、そりゃ見れた方がいいけど。
ともかく、家に戻って漫画でも読むか。まだ読んでない漫画がある。……っと、そういえばまだアイツは部屋の中にいるんだろうか。ロトナ・プレグリンスは。
一応、使ってないシャツやズボンの着替えを使っていいやら机に置いてあるパンを食っていいと置き手紙しておいたのだが、案外とっくの昔に家から出て行ってるかもしれないな。突然記憶を思い出したのなんだのーって感じでな。
何のかんの考えているうちに、カンオケマンション到着。相変わらず真っ黒で見栄えが悪いくせによく目立つ。管理人さんがどうしてこんな悪趣味な色にしたのか、今もわかっていない。
エレベーターを待つのも面倒なので、階段から歩いて四階へと向かう。一階から二階、二階から三階と昇る昇る。上がっていく合間に見える外の風景は相変わらず薄暗く、夜の方がライトで明るくなるのは今更な話。
そして四階に到着。鍵は開けっ放しにしてたし、何よりロトナの奴が出て行ってる可能性もあるので、どちらにせよ開いているだろう。ちなみに扉は昨日のうちに修理してもらった。修理屋さんのあの接合技術、修復技術は見事の一言であり、見ていた俺達は感嘆していたほどだ。
ドアノブに手をかける。そしていつも通り気だるくドアを開く。
そんで、いつものように最初に目に映るのは漫画の山――じゃなく、漫画のお色気シーン。
だってそうとしか有り得ない。扉を開けた瞬間――下着姿の銀髪少女が洋服を持って着替えようとしていたのだ。
俺個人の評価としては、小柄な体格のわりに案外出るとこが出ていてお色気シーンとしては十分機能していると言えるだろう。衣服を最低限にしか包んで無いということで、それがよくわかる。
視線があったまま硬直しているたれ目の銀髪少女の顔が心なしかほんのりと赤くなっていっているような気がする。さてと、もう現実逃避なんか出来そうにないな。ああ、うん。せーの。
「だからなんでお前はそこで着替えてるんだよーっ!」
バタンと一気に扉を閉めなおした。何を冷静に見つめて分析してしまってんだよ俺は! 変態かよ! 何をまじまじと見つめちまってんだ俺! もし正気に戻らなかったら多分もっとじっくりみてたぞ! もしかして鳥彦か、アイツの呪いで俺はおかしくなったのか!
頭の中でパニックが発生している。そんな時に、扉ががちゃりと開く。
「……も、もう、大丈夫……」
ドアに身を隠しながらどこか照れくさそうに言ってきた。既に俺の用意していたシャツとズボンを着けている。
「……そ、そうか」
そんなロトナに俺は声を上ずらせて返答した。まともに顔を見るのがどこか恥ずかしい。
沈黙のまま、俺とロトナは机の前に座って対面する。
…………気まずい。何か、言わないとまずい、よな。流石に俺だってそんぐらいはわかる。だが、どうしろって言うのだ。何を話せばいい。まずは謝るべきか、いやけれどそれはなんか言いづらいっつうか、なんというか。
「……え、っと」
沈黙を破るように、ロトナが言葉を小さく発声させる。
「な、なんだ?」
「……その、見た、の……?」
「……な、何をだ?」
「……わ、わたしの……はだ、か……」
か細い声で見事に返しづらい話題を一直線で聞いてきたロトナ。ロトナ本人も顔をうつむかせてどっか恥ずかしそうだ。ど、どう答えるべきなんだこれ、今までこんなこと起きたことなんてないからどうすりゃいいのかさっぱりわからない。
お、落ち着け、見たままのことを話そう。この月裏はなんでもアリな場所。なら、こんな事態だってありうると想定すべきだったんだ。ちゃんと正直に話せばいい。
「み、見てない。そりゃ体の一部は見てしまったのは事実だけど、まずいところは持っていた洋服とかであまり見えなかったから結果的にほとんど見えてなかった」
「……ほんと?」
「ああ、本当だ。……そりゃ、ちょっとは見えちゃったとこはあるにはあるんだが」
「……おなか、とか?」
「……えっと――胸とか、パンツとか」
……沈黙が、再び場に現れる。
……わかっている。女の子の裸体を覗いた人間の末路は、往々にして決まっている。……自分で言うのはどうにも憚るが、このまま沈黙が続くのは耐えられないので言うしかあるまい。
「……ロトナ」
「…………」
「……俺を殴れ」
「……えっ……?」
「いいから」
「……うん」
次の瞬間。ぐしゃりと、拳が顔面に突き刺さった。
++++++
「……鍵ぐらいかけてから着替えろよなお前も」
「……ごめん」
いいパンチを貰って数分後、俺の言葉を聞いてロトナは頭を下げた。よくよく考えたら俺はべつにそんなに悪くないというのに何故殴られようと思ってしまったのか。……完全に悪くないって訳でもないのだが。
……まあ、罪悪感が払拭できたってことでいいとしよう。随分と手痛い一発で首がもげるかと思ったが。おかげでまだ少し首が痛い。
「疲れの方は大分取れたのか?」
「うん、もう大丈夫」
「そうか。んで、記憶の方は」
それを聞くとロトナは首を横に振る。そりゃ一晩寝ただけじゃ戻るわけないか。
「だけど、こうしているだけでも、色々と新鮮」
「寝て起きただけでか?」
「うん。……さっきも、弥京に……その、からだ見られたとき、ちゃんと……恥ずかしいって、思った」
「……そりゃ恥ずかしいに決まってるだろ」
さっきのロトナの身体を思い出してしまい、思わず顔を逸らして返答。そして頭の中で絶賛かき消し中。なんで思い出してしまってんだ俺は。そりゃ、華奢だなーとか結構あるなーとか一瞬のうちで駆け巡ったが……ってだから思い出そうとすんな俺。自重しろ俺。
「うん、そうだよね……。でも――その感情すら、いままで忘れちゃってたような気分、だったから」
どこか嬉しそうに、ロトナは言った。最初の頃のような、抑揚の無さは変わらない。けれど、そんな風に感じ取れるぐらいには表情を緩ませていたのだ。
「……ふーん、記憶喪失ってのはそんなのまで新鮮に感じるもんなんだな」
「うん、そうなの、かも」
「もしくは、ロトナが見られるのに興奮するような奴だったのかもな」
からかうように言ってみる。すると、頬を赤らめるロトナ。
「ち、違う……っ! や、弥京の……へ、へんたい……!」
どこか照れ混じりの声でそんなことを言われてしまう俺。茶化すように笑うつもりだったのだが……どうしようか、可愛いなぁコイツとか思ってしまった。それも変態とか言ってきた辺りで。……俺は割りとマジで変になってきてるのでは。
「わ、悪かった。冗談だから変態扱いは止めろ。それよりも何か記憶の手がかりとかはないのか? その、首輪とかに」
とりあえず話題を切り替えるように、ロトナの首辺りを指して言う。出会った時から着けていた、軽い金属製の蒼い首輪を。
「……わからない。外そうとしても、外れない。鏡で見ても、何もかかれてなかった」
髪を手でどかして、首輪の隠れていた部分を見せる。……確かに、見たところ何も書かれていない。
「手がかりは無しってことか……」
「うん……」
ロトナはどかしていた手を下ろす。銀色の髪が揺れる。
「でも、そんなに心配してない。きのうもいったけれど、ちゃんと生きているから。それに、そのうち戻ると思うから」
そう言ってゆるやかに微笑む。ふっ、まったく……楽観的と言うべきか、強かと言うべきか。
「案外前向きなんだな、お前。そんな眠たそうな顔して」
「……顔は、関係ない」
ムッとした表情でそう言い放ってくるロトナ。そんな顔を見て思わず口を緩ませてしまう。どうにも、こういう奴は嫌いになりきれない。
「――なあロトナ、なんか買いたいものとかあるか?」
「……とつぜん、どうしたの……?」
「さっきの謝罪も含めて、何か買ってやるって言ってるんだよ」
そう言うと、ロトナは表情を曇らせる。罪悪感をつのらせたような表情だ。
「でも……あれは、わたしも……」
「気にするなって。どうせ当分家に泊まるんだろ? だからそれで必要になりそうなものを買ってやるって言ってるんだ。心配しなくても、ちゃんと後で金ならとってやるからさ」
「……ほんとに、いいの?」
「ああ、車だのマンションだのじゃなきゃなんだって買ってやるよ。最新ゲーム機とかもかんべんな」
そう言うと、嬉しそうな顔をさせるロトナ――だったが、いきなり顔を逸らし、手を後ろにしてそわそわし始める。
「……どうした?」
「……なんでも、いいんだよね……?」
どこか羞恥を持つように発言するロトナ。もしかしてぬいぐるみとかだろうか。べつにそのぐらいで恥ずかしがることなんかないだろうに。
「ああ、なんでもいいって。もしかしてファンシーなぬいぐるみか?」
「ううん、その………………ツが、欲しい……な、って、思って……」
「ん?」
「……パンツが、欲しい、の」
かああ、という効果音が聞こえそうなぐらいに、ロトナの顔がみるみると赤くなっている。対する俺は、その発言でまたもさっきのお色気シーンを思い出してしまう。白い、純白のパンツを。
そして即座にその回想を霧散させる。そして、こほんと咳払い。
「……わかった」
と、一言呟いた。
――なんだか、それを承諾してしまっただけだというのに異様に恥ずかしい気分になった。