16.約束
『弥京、貴方じゃあ私には勝てないのよ』
幼い頃だ、そう言われたのは。
『お兄ちゃんじゃあ、どうしようもないの』
それも幼い頃だ、言われたのは。
二人の最低な姉妹に言われたのは、両方とも幼い頃なのだ。
『お兄ちゃんはね、力不足なの。なーんにも出来ないし、なーんにも守れない。お兄ちゃんは、私達がいないと生きて行けないんだよ?』
『弥京。貴方の家族は私達だけでいいの。お父さんもお母さんもいらない、不要。だってゴミなのだから』
ニタニタケタケタと、そいつらは笑う。何も面白くないことで、笑う。
『弥京は弱いから、私達が一生守ってあげるわ。大好きよ弥京、この世界で貴方以外の人は要らない』
『お兄ちゃんは世界で一番いらない子。でもね、私だけは守ってあげるよ? お兄ちゃんはいらない子だから、私がずっと所持してあげる』
うるさい。お前達に何がわかるんだ。俺の何がわかるんだ。
『好きよ弥京、愛してる』
『お兄ちゃんって本当どうしようもないね。だから、愛してあげる』
寄るな、寄り添おうとするな。俺の、俺の大切な人たちを奪ったくせに。
『弥京』
『お兄ちゃん』
「黙れぇぇぇぇぇっ!」
+++++
「……はっ……」
…………目を覚ますと、辺りは白かった。
ああ、いや違うな。白いベッドに白いシーツ、白い壁と白いものが多かったからそう思っただけだ。実際はテレビやら花なども置いてある。どうやらここは、病院のようだ。
……さっきのは、夢だったみたいだな。ろくでもない夢だった、もう一生見たくもない。
……ああ、そういや、もう一つろくでもないことがあったな――そっちは残念ながら、夢じゃないらしいが。
自分の腕や肩に巻かれた包帯を見て、それを実感する。そして、事実を確認してしまう。
俺は、負けてしまったのだと。
「起きたのね」
「!」
バッと、声のした方を振り向く。そこには、缶コーヒーを持ちながらいつものようにレディーススーツを着けて座っている優音さんがいた。
「妙に反応良いわね、もしかして神経過敏になってたの」
「……そういう訳じゃないですよ」
俺は目を伏せながら言う。……実のところ、図星だ。
「それにしてもアレだけボロボロになっておきながら傷も治ってもう元気だなんて、相変わらず化け物じみた能力ね、その自己再生能力」
優音さんは俺を疎ましそうに見ながら言う。
自己再生能力。この世界にいる、人がたまに持っている特異体質。
これは紫光のような俺だけの特異性ではなく、世界中からその力を持っている人がある程度確認されている。再生速度も人それぞれで、俺の再生能力は普通の人よりも傷口を再生させる速度が速い程度だが、稀に即死するレベルの攻撃だろうと超再生して蘇ると言ったレベルの奴もいる。……少なくとも、俺はそういう奴を一人は知っている。
「そんなことよりも、なんで優音さんここにいるんですか」
「暇つぶしよ。サボるには最適でしょ」
「……怒られますよ」
「怒られないのが警者よ」
「……そういう怠慢を見て民衆が敵になるんですよ」
「力こそが正義って言葉があったわね」
……ほんとろくでもない。いつか警察はこの人を引き入れたことに後悔するんだろうな。
「それで、何があったの」
突然すぎる本題に、俺は顔をしかめてしまう。……やっぱり、聞いてくるか。
優音さんは鋭い目つきで俺を見据えてくる。……その真っ直ぐすぎる瞳は、今の俺には辛くて、思わず目を背けてしまう。
「……別に、何もなかったよ」
大ウソを吐く。
何もなかった、だとさ。
そんな訳がないのに。ここにいるってことは俺は結局、あの時のように守れなかったのだ。
それどころか、ロトナに庇ってもらって生き延びたなんて、どうしようも無さ過ぎる。格好悪いな、本当に。
「何も無かったなんて、嘘ね」
けれど、優音さんは抉ってくる。俺の心を。
「身体がハチの巣だったのよアンタ。それで何もなかっただなんて、子供の嘘つき以下で嘘にすらなってないわね」
そう言って、優音さんはベットの横にあった台の上に置いてあったものを俺のところに置く。……これは。
「コレ、あの銀髪の女の子が持ってた洋服でしょ。アンタが倒れていた場所に置いてあったそうよ」
「……そうっすか」
「だから、危険人物として手配しようと考えてるわ」
「……なんだと?」
思わず、声を荒げる。ロトナは、アイツは何もしてないんだぞ。なのに、危険人物だと。
「アンタも一応人だからね、そんな人を再起不能寸前にまで陥らせた危険人物は手配しとくに限るでしょ。証拠からしても一番怪しいのあの子だし」
「ふ、ふざけんなっ! アイツは、アイツは何もしてねぇ! むしろ俺を庇っ――ぐはっ!」
優音さんの拳が鼻っ面に当たる。い、いてぇ。
「病院内では静かにしなさい」
「……すみません」
いつもは非常識なことばかり言うのに変なとこで常識的だこの人は。
「それより――危険人物として手配だなんて、そんなんしたら俺はアンタでも許さないぞ……!」
「許されなくても構わないけど」
そう言って、落ち着きはらってコーヒーを飲む。なんだよ、冗談とでも思ってんのかコイツは、ふざけやがって……!
そう考えた時には、俺は拳を振るっていた。――けれど、その拳は優音さんの空いていた手であっさりと止められた。
「鬱陶しい子供の駄々を、私にぶつけないで欲しいわね」
「っ……!」
その言葉に俺は言い返すことも出来ず、おずおずと拳を下げる。
「それで、アンタはどうする気」
「……え」
「あの銀髪の子と仲直りするかどうか聞いてるのよ」
「仲直りって……別に喧嘩したわけじゃ……」
「そう。じゃあやっぱり彼女を危険人物と断定するわよ。それとも、他にアンタをボロボロにした犯人がいるのかしら」
「あ、ああ、そうだよ。俺をやったのはロトナじゃなくて――」
と言い掛けて、俺は声を止める。
……いいのか、これで。
……いいや、良くなかったな。俺が勝手に口出しして、勝手にボロボロになっただけのことなんだ。全部俺の全部自業自得、非は全て俺にある。生きてただけ儲けモノだったのだ俺は。
俺じゃ勝てなかった、俺じゃ成し得なかった。それに、アイツは家に戻っただけだ。アイツの家の問題だっただけの話。
だから、何もなかったと突き通して言ってやればいい。それで、俺の日常は元通りになる。なあに、賞金稼ぎになんてしてる時だって軽い怪我はあった。ガラにもないことしたから起こったツケだと思えばなんてことはない。
――その、はずなんだけどな。
「どうしたの、知ってるならさっさと言いなさい」
優音さんは相変わらずの鋭く、真っ直ぐとした目で催促してくる。――どうしてそんな真っ直ぐに、自分の心に正直に生きられるんだよアンタは。
最初に会った時だってそうだった。どこまでも、俺を叩き潰すことしか考えてなくて、真っ直ぐだった。逸らす瞳なんてありはしないと言わんばかりに。
「……なあ、優音さん」
「何」
「……優音さんは、間違ってるとわかりながらも、突き通したことはありますか」
「さあ、間違ってることなんてした記憶がないからわからないわね」
優音さんは悩むこともなく言ってくる。ああ、そうだよな、間違ってると思うことすらしなさそうだこの人は。
「……じゃあ、納得の行かないこととかありましたか」
「それは当たり前ね。納得行くことしかない人生なんて送ってる奴いたら後ろから蹴り入れてるわ」
「それじゃあ――」
「ウダウダとうっさいわね」
優音さんは俺の目の前に指を突き立てて来る。俺は驚いて、少したじろいでしまう。
「何をアンタが迷ってるのかは私にはわからないけど、やりたいならやってくればいいでしょう」
「……え」
「死ぬまで後悔しないって言い切れるなら、どうでもいいけど」
そう言ったあと、こちらへ伸ばした手を引いてグビグビと缶コーヒーを飲む優音さん。……アドバイスの、つもりだったのだろうか。
……死ぬまで、後悔しない、か。
あんな顔を見せられて、後悔しないでアイツのいなかった日常に帰るってか。のうのうと帰るって言うのか俺は。
せっかく、アイツは菜切とも鳥彦とも仲良くなってくれたってのに。あの時は楽しそうにしてくれてたのに。人様の理由だから泣かれたって仕方ない、それで納得できるほど俺は理性的な奴か。
……そんな訳、あるか。
俺は思ったはずだ。アイツらは気に食わないと。それなのに一度負けたぐらいでその認識を改めるだなんて、どうして自分の心を敗北から守ろうとしてるんだ。逃げようとしてるんだ。
アイツを、ロトナ・プレグリンスを悲しそうにさせたままじゃいられないってわかってるだろ。それなのに行かないだなんて思えば――
本当に、アイツらの言うとおりの何も出来ない奴になっちまうだろうが――!
「……優音さん」
「……何よ」
いい加減鬱陶しそうに返答してくる。でも、これで最後だから聞いてくれよ。
「最後にさ、一つだけ良いかな」
「……言ってみなさい、内容次第では返答してあげるわ」
「ありがとう。んじゃあ、聞くよ――」
あの時と同じことを、俺は聞く。
「――どうして、アンタはそんなに強いんだ」
優音さんは、それに対して一拍も置かずに返答した。
「――アンタが、弱いからよ」
――あの時と。初めて会って、俺が負けた時と全く同じことを言い返してきたのだ。
それが、なんだか嬉しくて。
「は、はははっ」
俺は思わず、笑ってしまった。
この人のことだ、昔の話なんて全然覚えてないだろう。なのに一言一句、それも態度まで全部同じように言うだなんて、この人はさっぱり自分を曲げないよな本当――がしっ。
「人の発言で笑うなんて不愉快極まりないわね、殺すわよ」
笑っている途中で、優音さんは突然人の顔を掴んでアイアンクローをしてくる。痛い、いやマジで痛い。指が顔の肉にめり込んですごく痛い。
「ちょっ、謝るんでその手をどけてください! いでででっ!」
そう言うと、優音さんは手を放してくれる。その表情は険しいまんま。漫画とかなら照れていてもおかしくはないってのに。まあ、そんなの優音さんらしくないのだが。
「それで、どうなの。いい加減話し逸らさず教えなさい」
優音さんは、もう一度聞いてくる。
そうだ、俺は弱かった。今だって、残念ながらそうだろうよ。
けれど、弱いと認めちゃ俺はあの姉妹の思惑通りに生きてしまうだろう。
だから、負けっぱなしじゃ居られない。負けっぱなしで、守れなかっただなんてそれこそあの二人の望んでいたことだ。それだけは、絶対に許されない。
それに、何よりも――
『また、みんなで遊ぼうね』
そんな、アイツが笑顔で言った約束を蔑ろにさせるわけには行かないだろ。
「…………はあ、流石優音さんだぜ。恥ずかしいから言いたくなかったんだけど、根負けです」
だから、俺はもう一度行かなきゃならない。
「――頑張って、仲直りしてきます」
アイツも一緒にいる、日常の為にも。
「……そっ、ならさっさと行ってきなさい。女は待たせる男は嫌うらしいわよ」
優音さんは足を組みながら、いつも通りの涼しげな口調で言う。
でもその表情はどこか穏やか――いや、やっぱそうでもない。なんとなく、吹っ切れたからそう見えてしまったのかもしれない。
「曖昧な言い方ですね、珍しく」
「そう聞いたのよ。私は待つこと自体しないからわからないことね」
この人らしい言い分だ。どこまでも唯我を独尊してる。
けれど、だから俺はこの人に惹かれた。憧れた。そして、超えたいと思った。
台の上に置いてあった着替えを着ける。傷口は再生能力のおかげでもう塞がっているし、体力も休んで全快している。何の問題もない。
壁に設置されているアナログ時計を見る。10時27分。もう日にちが経っていたのか。急がないとな。
「優音さん、ドクターRの研究所ってどこにあったかわかりますか」
「ドクターR? ……ああ、アンタのマンションの後ろを真っ直ぐいったら森があるでしょ、あの中にあったらしいわよ」
あの町外れの森か。よくもまああんな年中真っ暗なとこにいれたもんだ。……いや、そんなのどうでもいいか。
「ありがとうございます。そんじゃ、行ってきます」
俺の言葉に優音さんはぞんざいに手をヒラヒラさせる。いつもは何の反応もしないくせに。やっぱいい人だよ、この人。
……さてと、気を引き締めていくとしますか。
気持ちを震え立たせながら、病室から出た。