第8話 白昼の襲撃者
あてもなく歩き回り、ふと気付くと人通りの少ない裏路地に立っていた。
思わず不安になりきょろきょろと辺りを見回すが、当然のようにノアの姿はない。
「―――っ」
急激な不安が胸を襲う。
もう怒っているのか苛ついているのか恥ずかしいのか、頭の中がぐちゃぐちゃで自分でも訳がわからなくなっていた。
(……私いったい、何してるんだろ……)
心細くなり来た道を戻ろうとすると、向こうから丈の長い外套を羽織り、フードを目深に被った長身の男が歩いてきた。
「…………」
何となく嫌な予感がし、顔を伏せて脇を通り過ぎようとする。
しかしすれ違った瞬間
「ヴァージニア・メリッサ・エストレアだな?」
「え、―――っ」
低い声で囁かれ、ぎくりと身体が硬直する。
―――ガキィイン!
次の瞬間、喉元で鋭い金属音がし、視界が暗くなった。
「え、な、なに……っ」
全く頭が回らないまま困惑の声を上げると、誰かに強引に抱き寄せられた。
押さえ付けられた頭を無理やり上げると、
「ノ、ノア……?」
いつの間に追いついていたのだろう。
そこには険しい顔のノアがいた。
「ノア?」
恐る恐る再度名前を呼ぶと、ノアは目の前の男から視線を逸らさずにヴァージニアを抱え込んだ右腕にさらに力を込める。
状況が掴めずに抱き込まれるままになりながら横目で地面に目を落とすと、そこには折れた短剣の先が垂直に刺さっていた。
ノアの左手には抜刀された剣が握られており、対する男の右手には先の折れた短剣の柄。
「――――っ」
状況を理解し背筋が凍りつき、思わずノアの衣服をぎゅっと掴んだ。
「……ヴァージニア・メリッサ・エストレアだな?」
「人違いですよ」
先程と全く同じ台詞を同じ調子で繰り返した男に対し、ノアが柔らかに微笑んで首を振った。
一見いつもと同じ表情だが、ヴァージニアにはわかる。
眼鏡の奥のノアの眼にいつもの優しい光は欠片も見えない。
ただただ冷たく酷薄に澄んでいた。
「…………」
フードの下の蛇のような眼が、ひたりとノアに据えられた。
男は無言で折れた短剣を捨て、腰を低く落とし隙なく構える。
「……お前のことは知っている。ノア・エヴァン・グレイソン。先代王に拾われ、そのコネだけで王室師団長にまで登り詰めた腰抜けだそうだな。秀でているのは軍師の才のみ、剣の腕も人望も、歴代団長には遠く及ばない。そんな者しか護衛に付けずに一国の姫が市井を歩き回るなど、暢気にも程がある。平和過ぎるのも考えものだな」
「なによ!あんたにそんなこと言われる筋合いは……むぅっ」
淡々とした侮辱に頭に血の上ったヴァージニアが恐怖も忘れ噛み付く。
しかしすかさず後頭部を強く押さえつけられ、ノアの胸に顔を埋められ否応無しに口を噤んだ。
「姫ではないと言ったでしょう。先程も申し上げましたが、人違いです」
白々しいにも程があったが、ノアは涼しい顔で断言した。
「……ですが、いきなり殺されそうになったのですから理由くらい知りたいですね。あなたは一体、何者ですか?」
「そう訊かれて名乗る馬鹿はいない」
「そうですか……。……先程の突きと今のあなたの構え、察するに隣国レスランカの方ですね。5年前、我が陛下の援軍によって国外追放に処されたレスランカ女王伯父派の刺客……でしょうか」
「……っ、お前……」
これまで全く変わらなかった表情が初めて崩れ、ノアの言葉が正確に男の身分を言い当てたことを証明していた。
「さて、素手と長物で少々公平を欠くかもしれませんが、私が本当にあなたが仰ったとおりの腰抜けの王室師団長か、それとも別人か。あなたと私、どちらが正しいのか、試してみませんか?」
穏やかな微笑を崩さぬままノアが左手で剣を構える。
(……どうしよう……)
強く抱きすくめられながら、ヴァージニアは絶望的な気持ちになった。
ノアの言ったことが本当ならば、この男は隣国からの暗殺者だ。
文字通り、殺すことだけに特化した訓練を受けた者。
いくら多少腕が立つとはいえ、ノアが敵うはずがない。
加えて今は自分がいる。
ヴァージニアを庇いながらでは、とてもではないが勝負にならない。
「ノ、ノア。私なら大丈夫だから、離して。心配しないで、隙を見て逃げるから」
卑怯だと思ったが、ここで共倒れよりはお互いにとって良い選択に思える。
自分を抱き込む男を見上げ早口で囁くと、驚いたような翡翠の瞳に見下ろされた。
そしてそこに先程まではなかった温かな光が灯る。
(……あ)
いつものノアの目だ。
無意識に肩の力が抜けた。
「ありがとうございます。でも、このままでいてもらえますか?今あなたを手放したら、逆に気になってうまく動けません。出来るだけ早く終わらせますから、目を瞑って少しだけ我慢していて下さいね」
「……わかったわ」
耳元で囁き返され、ヴァージニアはもう何も考えずに素直に瞼を閉じた。