第7話 わがまま
「いい天気ね、ノア!」
城下町の活気に溢れる空気を胸いっぱいに吸い込んで、ヴァージニアは斜め後ろを歩くノアを振り向いた。
先程の憂鬱な気分は外に出て陽の光に当たると霧散してしまった。
我ながら単純だとヴァージニアは思う。
大陸から集められたアクセサリー類を扱う店を上機嫌で覗くヴァージニアの背中にノアが小声でぼやく。
「……これは視察とは言えないと思いますが……」
護衛はノアのみ、ヴァージニアは普段のドレス姿ではなくデザインもシンプルで丈も膝ほどのワンピース姿だ。
ノアも腰の長剣のみを残し、地味な色味の服装に着替えていた。
王室師団の白地に青の制服は目立ち過ぎる。
「あら、そんなこと一言も言っていないでしょ?気分転換よ、気分転換。ずっと閉じこもってあんたの顔ばかり見ていると気が滅入るもの」
「そうですか……」
耳聡く聞きつけたヴァージニアが手に取ったネックレスを光にかざしながら、ノアに一瞥もくれず楽しげに笑って店の奥へ入っていった。
「……はー……」
ノアは諦めた顔で溜息を吐くと、もう何も言わずに店の入り口付近の壁に軽くもたれた。
確認したところ店内に客はヴァージニアと恋人同士であろう男女が二組、立ち振る舞いを見ても民間人と見て間違いない。
ここならば、入店する客も通りを歩く人々も良く見える。
「お兄さん、彼女の家の使用人?わがままなお嬢様を持つと苦労するわね」
同情の眼差しで店の売り子が寄ってきた。
ノアと同じ年くらいの整った顔立ちのその娘に微苦笑を返し、やんわりと首を横に振る。
「そんなことはありませんよ。お嬢様は勝気に見えますが、本当は人の心を誰よりも慮ることのできる優しいお方です」
娘は面食らったように目を丸くし、やがて片口角をにやりと上げた。
そしてノアとの間合いを半歩ほどに詰めると、長い前髪の下の眼鏡の奥を覗き込んだ。
「……あんた、髪と眼鏡で隠れてるけど、すっごく綺麗な目をしてるのね。緑ってだけでも珍しいけど、うちにある最高級のエメラルドよりもずっと深い色合い。……ね、もっと近くで見てもいい?」
「え、えっと……」
突然間近で顔を覗きこまれ、ノアが動揺している間に彼女の両手がそっと眼鏡に掛かる。
頬にひんやりとした細い指の感触を感じて心臓が跳ねた。
「そこまでよ。あなた、私の下僕にちょっかい出さないでくれるかしら?」
高飛車で冷えた声が響く。
2人が視線を向けると、そこには腕を組んだヴァージニアが仁王立ちしていた。
「す、すみません……」
反射的に謝罪したノアとは対照的に、売り子の娘は余裕の笑みを浮かべてヴァージニアを見下ろす。
「ごめんなさいね、お嬢様。でも私は子供のお守りで疲れていた彼の話し相手をしていただけよ」
「……誰が子供よ」
「忠告してあげるわ。傍若無人な振る舞い、幼稚な独占欲。そんなんじゃ、いつかみんな離れていくわよ。……彼だって、例外じゃないかもしれないわ」
「……っ」
ヴァージニアは一瞬苦しげに顔を歪め、何かを言おうとして口を開き、……唇を噛み締めて目を逸らした。
「……余計なお世話よ。あなたに何がわかるの。……ノア、行くわよ」
「はい。どうも、お邪魔しました」
大股で外へ歩き出たヴァージニアを追いかけ、ノアも慌てて一礼を残し通りへ出る。
「…………」
二人が消えた方向をじっと見つめる売り子の背中に穏やかで掠れた声が掛けられた。
「ユリア、どうしたんだい?珍しくいやに突っ掛かっていたじゃないか」
売り子が振り向くと、杖をついた老婆が立っている。いつの間にか二階から降りてきていたらしい。
「……なんでもないわ、お祖母ちゃん。ただ、あんなにわがままなのにあんな優しそうな目で見てくれる人がいるなんて、ずるいって思っただけよ」
***
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
歩くのもままならない人混みの中を、ヴァージニアは早足で歩く。
身体の小さい彼女なら何とかすり抜けられる隙間も、長身で剣を腰に差したノアには難しい。
二人の距離は徐々に離れていく。
「待ってください、ヴァー……っ、お嬢様!」
うっかり名前で呼び掛けそうになり、すんでで言い換えたノアの声がもうだいぶ遠い。
「…………」
彼のことがいつも以上に煩わしく感じられる。
軽率だとわかっていても一人になりたくて、ヴァージニアは下を向いたまま足を速めた。