第6話 安堵と落胆
「もうっ!もう!なんなのあいつ!ああいうこといって、私がうろたえるのを見て面白がって!」
王宮の裏手の庭園に出ると心地よい風が頬を撫でて、ヴァージニアは少しだけ心が落ち着いた。
胸がどきどきする。赤くなった頬を手のひらで包んで冷やした。
その火照りを怒りのせいだと言い聞かせながら、ヴァージニアは考える。
思い返せばノアとのやり取りはこういうことが多い。
一方的にヴァージニアが命令して、ノアが従い、しかし何故かいつもヴァージニア一人が喚いて会話が終了する。
(要するに、私はいつだってあいつに苛々させられてるってことなのよね)
幼いあの日、ノアを臆病者だと叫んだあの日から、彼のことを召使として使ってきた。
それに反抗するどころか困ったように笑いながらも諾々と従うノアを見て、ヴァージニアの態度はさらにエスカレートした。
ヴァージニアのノアに対する扱いを見て、新しく近衛隊に入隊した者がノアに尊敬の念を抱けるはずもなく。
だから今の王室師団でのノアの位置は、ヴァージニアにも多少の責任はあるのだった。
(……でも、今更どうしろっていうのよ)
自分も悪いな、という自覚は薄々ある。
しかしそれを素直に認めて今までの所業を謝り、これからは接し方を改めるなど、王女の矜持が許さない。
十数年張り続けた意地は、もう自分ではどうにもできなかった。
(……それに、へらへらしてるノアを見ていらつくのも事実だもの)
罪悪感を拭い去るため、心の中で言い訳を一人ごちてみる。
自分で言うのもなんだけれど、あんなに理不尽にこき使われて、少しは怒ったっていいのに。
師団の上官や同期、部下に対してだってそうだ。
ヴァージニアの態度に倣ってノア自身を見ようともせずに見下している奴ら、彼らにだって媚びることはないのだ。
身分や出生など関係ない、実力さえあれば何も恥じることはないのだと、堂々としていればいいのに。
そこまで考えた時、向こうから二人組の兵士が歩いてくるのが見えた。
制服から王室師団員だとわかる。
(まずい、一人で出歩いていたなんて知れたら、また兄様に怒られちゃうわ!)
ヴァージニアはドレスをたくし上げると脇の植え込みの影にしゃがみ込んだ。
息を殺す彼女の背後を、巡回の兵士が通り過ぎる。
「……納得いかないよな」
「…………?」
漏れ聞こえた低い声に、ヴァージニアは耳をそばだてた。
「なぜあいつが団長になれるのか、理解できない。殿下の幼馴染というコネのおかげか?」
どうやらノアが新団長になったことへの不満らしい。
(…………何よ)
何故か悔しくなった。
確かにあいつは弱虫で、いつもへらへら笑ってるけど!
でも実力はあるんだから!
あの性格のせいで自分の方が彼よりも強いと思い込んでいる団員も多いけれど、決してそんなことはない。
そりゃあ師団の中で一番ではないけれど、間違いなく五指には入る。
セフィ兄様と戦っても負けたことは数えるほどだ。
兄様が隊長に就任してからは二人が剣を交えたことはないから、きっとあの二人は知らない。
(一度師団員全員で武術大会でもやってみればいいのに。そうすれば誰もノアのこと見下したりしないのに)
ふと我に返った。
ノアを一番見下し、こき使っているのは自分ではないか。
むぅっと唇を噛み締める。
(……私は、いいのよ)
先程までの自分は棚に上げ、ヴァージニアは心の中で呟いた。
何故だろう。
他人にノアを馬鹿にされると、こんなにも腹が立つ。
「……だよなー。……げ、ノア!?」
(…………え!?)
何と間に悪いことに、彼らの進行方向にノアが立っていた。
「……あー」
ノアが困ったように前髪を掻き揚げ、そして苦笑して言った。
「昨日から、隊長になったので……出来ればそっちで呼んでくれるとありがたいんですが……」
(……そこじゃないでしょう!?)
腹の底から怒りが更に沸々と湧いてくる。
どうして、怒らないの。
どうして、そんなに弱気なの。
「しょ、承知しました、隊長!それでは、失礼します!」
聞かれたかな、やべー、などと言いながら兵士が走り去る。
「……さてと」
一直線に迷いなく近づいてくる足音、そして。
蹲っているヴァージニアの頭上から、ノアがひょこりと顔を出した。
「見つけましたよ、ヴァージニア様」
そう言って嬉しそうに、まるで何もなかったかのような穏やかな顔で微笑まれた。
その笑顔を見上げ、ヴァージニアはふいに泣きたくなった。
気付かれてた。
あんなに近づいても、あの兵士たちは私の存在に全く気付かなかったのに。
「…………」
何故か高鳴り始める胸を押さえ俯きながら、ヴァージニアはノアの手を取り立ち上がった。
いらいらする。
「……ノア」
「はい?」
低い声で話し掛ければ、柔らかく声が返る。
(……いらいらする)
「ノア、城下へ出るわよ!」
「えーっ!?今からですか?」
情けない声を出す彼を上目遣いに睨み付けると、
「……わかりました、それではもう2、3人護衛の者と馬車を用意いたしますので、しばしお待ちを」
3秒と経たないうちにノアが折れた。
覇気なく紡がれた言葉を高らかに遮る。
「馬車なんて必要ないわ!護衛だってあんただけで充分でしょ?まさか私一人守ることもできないなんて言うんじゃないでしょうね!それでセフィ兄様の後任が務まると思うの!?」
「しかし……」
困惑した顔で口篭るノアにますます苛立ちが募る。
頭に血が上り、苛立ちに任せて怒鳴った。
「ぐだぐだうるさいわね!そんなだから部下にも馬鹿にされるのよ!この臆病者!」
「…………」
驚いたようなノアが小さく息を呑むのが見えた。
(……あ)
待って、今のは。
言い過ぎた。
どうしよう、怒るかしら。
咄嗟の後悔に顔がこわばるのがわかった。
「……っ」
さらに言い募ることも、かといって謝ることも出来ずに硬直していると、頭上から小さな溜息が聞こえ、ヴァージニアはびくりと肩を竦めた。
「……わかりました。それでは、行きましょうか」
「……っ……」
いつもと変わらない優しい声音。
恐る恐る顔を上げると、小さく苦笑を浮かべたノアと目が合った。
(あ……)
安堵すると同時に、何故だろう。
(……怒らないのね……)
―――ひどく落胆した。