第48話 溢れ出す想い
「ヴァージニア様、顔、見せてください」
「い、嫌よ。……ひどい顔、してるもの」
返された涙声に、ノアは溜息を吐く。
と、ヴァージニアの身体が僅かに強張った。
またいらないことを言った、困らせた。
ノアの腕の中で丸められた華奢な背中が、そう言っているように見えた。
(……まったく)
何でこんなに、可愛いんだろう。
高飛車な口調とは裏腹に透けて見える彼女の内面は、常に自分の一挙一動に左右される。
本心が丸見えなのを知らないのは本人ばかりで、強気に自分を見上げる瞳はいつも不安に揺れていた。
私の今の言葉は、あなたを傷つけてしまった?
私のこと、もう嫌になった?
……ねえ、あなたは私を、どう思ってる?
今までずっと、彼女の好意を拒絶してきた。
でも、もしも。
これから溺愛して、どろどろに甘やかしたら。
追われる側から、追う側に転身したら。
強気な彼女はどんな反応をするだろう?
考えただけで、心臓がずくんと疼いた。
「……ああ。そういえば、ヴァージニア様には寝込みを襲われたことがありましたね」
唐突な話題転換にヴァージニアは思わず顔を上げた。
数秒間停止し、ついで大きく瞳を見開く。
「え?……え、えええ!?お、起きてたの?ひどい!卑怯だわ!今まで黙ってるなんて!」
真っ赤な顔で喚くヴァージニアを見つめ、ノアはため息を吐いた。
「まあ、いいですけどね。ほぼ何もされていませんし」
途端にヴァージニアの瞳が弱気に揺らめく。
「え?だ、だって、私、あの、キス……」
「されていませんが」
「え、えぇ……?」
混乱したように視線を泳がせ、ほんの少し傷付いた顔で再び涙目になるヴァージニア。
(…………ああもう)
普段強気なくせに、ふとしたときに見せるこういう頼りなげな表情にどれだけの破壊力があるのか、おそらく本人に自覚は全くない。
蓋をしてきた想いが溢れ出す。
何度も機会はあったのに、それでも離れていかなかった、彼女が全部悪い。
ノアは勝手に頭の中でそう結論付けると、
「キスというのは」
左手でヴァージニアの身体を固定し、右手で彼女の顎を軽く持ち上げると、驚く間も与えず唇を塞ぐ。
「ん?んんっ」
反射的に胸を押してくるヴァージニアの手の動きを封じるように身体を密着させ、強く抱きしめる。
「……っ、ふぁ……」
わずかに開いた隙間から舌を侵入させ、歯列、上顎を撫で上げるとヴァージニアの身体がぴくりと震えたが、さらに深く口付けると次第に抵抗が弱まり、身体から力が抜けていった。
薄目を開けてヴァージニアの顔を観察すると、いつの間にか彼女は気持ちよさそうに目を閉じ、躊躇いながらも頬を上気させてノアの舌の動きに応えようとしている。
「……っ」
その様子に更に煽られ、一段と深く貪った。
「……ん……、は、ん、はぁ……っ」
たっぷりとヴァージニアの口内を隅々まで堪能し、数分の後ノアはようやく彼女を解放した。
全く様子の変わらないノアとは対照的に、ヴァージニアは唇が離された途端に大きく息を吐いた。
瞳は先程とは別の原因で零れ落ちそうな程に潤み、頬は真っ赤に上気している。
「これが、キスですよ」
息も絶え絶えなヴァージニアの様子に再び唇を奪いたい衝動を抑えつつ、ノアは淡々と告げた。
「な、なによ……私のあれだって、立派な、キスらったもの……」
散々嬲られたせいで些か回転が悪い舌を動かして、ヴァージニアは必死で反撃した。
腰が甘く痺れて、身体にに力が入らない。
ノアの支えがなければ、身を起こしていることすら難しかった。
そんな彼女の様子に、ノアの口角が満足気に上がった。
***
翌日から、フォルセラト孤児院での二人の新しい生活が始まった。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい、ノア」
夜遅くに帰って来たノアは、手早く寝支度をすると寝台に横になり、無造作にヴァージニアに向かって手を差し伸べた。
「ヴァージニア様、こちらへ来てください」
「―――っ」
まただ、と思った。
以前の態度が嘘のような熱の篭った視線と甘い声音に、勝手に体温が上昇する。
城を出て孤児院に居を移してから、ノアは変わった。
こういうことを、何でもないことのように言ったり、やったりするようになった。
想いを受け入れてくれただけで満足していたヴァージニアは、ノアのこの変化に未だついていけず、うろたえてばかりだ。
「だ、駄目よ!疲れてるんだから、休まないと」
「いいから、来てください」
有無を言わさない口調で請われ、渋々ながら寝台に近付く。
惚れた弱みだ。結局、彼のお願いには逆らえない。
「……なによ」
可愛くない、と、自分でも思うが、ノアのように器用ではないのだ。
そんなすぐには、態度を変えることなどできない。
軽く自己嫌悪を感じていると、腕を引かれて無理矢理布団の中に引き込まれた。
「ちょ、ちょっと……っ」
突然の事態に、ヴァージニアの顔は真っ赤に沸騰する。
じたばたと暴れる身体をノアはぎゅっと抱き締めると、満足気に溜息を漏らした。
「やっ……」
ノアの吐息が耳を掠め、ヴァージニアはくすぐったさに肩を竦める。
そんな彼女に優しく微笑むと、ノアは気持ちよさそうに目を閉じた。
「ノア!あんたまさか、このまま眠る気……!?」
「はい」
「じょ、冗談じゃないわよ!離しなさい!」
「嫌です。ヴァージニア様を抱いていると、とても安心するのです。よく眠れる気がします」
「馬鹿なこと言わないで!私が寝られないわよ!だいたい、こんな体勢で眠って疲れが取れるわけないでしょ!」
「取れますよ」
「もうっ!いいから、離し―――」
「ジーナ」
「……っ!」
突然耳元で低く囁かれ、びくりと身体が硬直した。
「……っ、ひ、卑怯だわ……っ」
脳に直接媚薬を流し込まれたように、動悸は激しくなり全身が火照る。身体全体がじんと痺れ、力が抜けた。
耳まで真っ赤になっていることが自分でもわかり、悔しいことこの上ない。
「…………」
途端に大人しくなってしまったヴァージニアの髪を梳きながら、ノアは思わず苦笑した。
「……私に名前を呼ばれただけでこんなになってしまうあなたの方が、余程卑怯だと思いますけどね……」
「な、なにいってるのよ……」
返す声にも覇気はない。
「いえ、何でもありませんよ。さ、もう寝ましょう。今夜は良い夢を見られる気がします」
「……今夜だけよ。一生懸命働いてきて、疲れてるだろうから、だから、特別なんだからね」
「はい、わかってますよ。……おやすみなさい、ヴァージニア様」
「……おやすみ、ノア」
目を閉じ、ノアの鼓動と体温を感じていると、存外にすぐに眠気が襲ってきた。
自分で感じているよりも、疲れていたのだ、きっと。
誰にも訊かれていないのに、ヴァージニアは胸中で必死で弁解する。
決して、ノアの腕の中が心地良いとか、安心できるとか、そういうことではないのだ。……きっと。
「…………」
緩やかに押し寄せる睡魔に身を任せながら、ヴァージニアは祈った。
明日は、今日より少しだけ、素直になれますように。




