第46話 覚悟を決める時
「……は?今、なんて」
ヴァージニア誘拐事件から数週間が経ち、王宮は落ち着きを取り戻しつつあった。
王室師団長のメイソンは、ノアに連れられて無事帰城したヴァージニアに跪いて謝罪すると、その足でザフィエルの元を訪れ師団長の地位を返上し、現在は自主謹慎中だ。
またジャクリーンは、自分の出身国であるレスランカの者が引き起こした騒動に蒼白になって涙を流しながら、何度もヴァージニアに詫びた。
事件の次の日にはジャクリーンの実姉であるレスランカ女王も、自ら謝罪のためエストレア王宮を訪れた。
しかし早期解決になったことで、この件について知っているのは王族と側近、参謀本部と王室師団の者のみに留まったため、それ程大事にならずに済んだ。
単独で勝手な行動を取ったノアに対する処分は、結果的にヴァージニアを救出した功績と相殺され不問になった。
苦虫を噛み潰したような顔の参謀長の説教と仲間からの素直な賞賛を連日受け続けながらも通常通りの職務に戻っていたノアは、深夜その日の勤務を終えたところをセルフィエルに呼び出された。
事件の報せを受け一時的に帰都しているセルフィエルは、神妙な顔で眉を寄せて先程告げた内容を繰り返した。
「だから。籍を抜いてくれって。エストレア王室から」
「ど……して」
「さぁな。本人に聞けよ」
思ってもいなかった事態にノアは絶句した。
今朝早く、ヴァージニアはザフィエルの元を訪れ、エストレア王室からの除籍を申し出たらしい。
「そ、それで……陛下は許可したのか?」
「いや、随分長いこと話し合っていたが、一応保留ということで終わった。だけど……たぶん、最終的には受け入れると思うよ。ジーナの決意は固そうだったし、兄上はあいつに甘いから」
「そんな……」
二の句が告げず呆然と佇む幼馴染に、セルフィエルは何でもないことのようにさらりと付け加えた。
「で、あいつ、明日から城じゃなくてフォルセラト孤児院で暮らすって言うんだ。院長も高齢で跡継ぎもいないし、ここを出てあそこに住んで、ゆくゆくは院長になりたいらしい」
「なっ……!」
何を馬鹿なことを。ノアは頭に血が上るのを感じた。わがままにも程がある。
「そんなこと、できるわけないだろう!あんなことがあった後なのに……エル、兄である君にこんなことを言いたくはないけど、ヴァージニア様にここまで分別がないとは思わなかった」
頭を抱えるノアに、しかしセルフィエルは肩を竦めてみせただけだった。
「しょうがないだろ、あいつが一度言い出したら聞かないのは、お前が一番良く知っているはずだ。このまま王族として漫然と日々を過ごすより、孤児になった子供たちのために、一生尽くしたいんだと」
「…………」
「ついては、ノア、お前に頼みがあるんだ。孤児院に移るヴァージニアの警護を王室師団員の中でも腕の立つ者を選んで任せるが、団長のメイソンが謹慎中の今彼らだけでは非常に心許ない。そこで提案だが、お前、ヴァージニアと一緒にフォルセラト孤児院に住んでくれないか?お前がいれば、俺たちの心配もぐっと減るんだが」
呆けた顔でセルフィエルを見返したノアは、ぐっと目を細めて目の前の男を睨んだ。
「……エル」
……そういうことか。
非難と怒りが凝縮された低い声音に、セルフィエルは予想通りの反応とばかりに飄々と返した。
「頼むよ。本格的に人手不足なんだ。どうしても嫌だというんなら他を探すけど、お前の精神衛生上のためにもこれが最善の案だと思うよ。お前、他の人間がジーナの警護に就いたとしても、不安で心配で夜も眠れないだろ?だったら自分でやればいい」
「……っ」
……それは、その通りかもしれないが。
「……ヴァージニア様が嫌がるよ」
口の中でもごもごと呟いたノアに、セルフィエルは心底呆れたように溜息を吐いた。
「馬鹿か。あのなあ、ノア。口では嫌がっても、もしそうなったら、内心嬉しいに決まってるだろ。……あいつはお前に惚れてるんだから」
あけすけな物言いに、肩の力が抜けた。
「……つくづく妹に甘いね。エルも、ザフィエル陛下も」
セルフィエルは満足気な笑みを浮かべて頷いた。
「ああ。妹には、幸せになって欲しいからな」
朝早くにザフィエルの部屋を訪ねたヴァージニアは、強い光を金色の瞳に宿し深々と頭を下げて言った。
『兄様、今回のことでわかったわ。私きっと一生、ノアのことが忘れられない。他の人と結婚して子供を授かっても、きっと彼のことを想い続ける。そんな不誠実なことはしたくないの。でも王女のまま、独身でいることはできない。だったら……一人のエストレア国民として、この国の子供たちのために生きたい。……お願い、兄様。これが、最後のわがまま。私を、エストレア王室から除籍させてください』
ジーナ。―――これは、言わないでいておいてやる。
複雑な表情で俯くノアを眺めながら、セルフィエルは心の中でヴァージニアに告げた。
だから、二人の兄からの最後のおせっかいも、許してくれ。
「……決まりだな。このことはヴァージニアにはまだ話してないから、お前から言っておいてくれ。今自分の部屋で、荷造りをしているから」
そう言い置いて、セルフィエルは去っていった。
「…………」
ノアの脳裏に、最後に言葉を交わしたときの、ヴァージニアの謝罪、笑顔がよぎる。
彼女はどんどん成長していく。自分で選んで、決めて、進んでいく。
それに比べて、自分はどうだ。
ただ、逃げているだけではないか。
ヴァージニアは、覚悟を決めた。自分に正直に、生きると決めた。
ノアは静かに深呼吸をして、空を見上げた。
生まれたときから変わらない、星空の色。
両親とともに眺めた、一人で仰いで涙した、そして眠るヴァージニアを抱きながら見上げた、夜空の色だ。
ノアも腹を括って、ヴァージニアの覚悟に応えるべき時が来たのかもしれなかった。




