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わがまま姫の専属騎士  作者: RINA
本編
46/50

第45話 決壊


一睡もしないまま一夜を訓練場で過ごすと、日の出と共にノアは王室師団副団長のメイソンの部屋の扉を叩いた。


「団長。おはようございます」


身支度を整え、今まさに朝の訓練に向かおうとしたという風情のメイソンが、軽く目を瞠って頭を下げた。


「おはよう、メイソン。……急で悪いんだけど。今日から、ヴァージニア様の護衛についてくれないかな。俺は、騎士団員の指導に回るから」


「……本当に急ですね」


ただでさえ厳つい人相が、眉を僅かに顰めただけでさらに厳しく見える。


「うん。……ごめんね」


自分よりも頭一つ分大きい腹心の部下を見上げて、ノアは微笑った。

メイソンは渋面を引っ込め、代わりにいつもの鉄仮面に戻った。


「謝ることはありません。あなたは、いつも簡単に頭を下げ過ぎです。……承知致しました。メイソン・エレンス、本日より、王女殿下護衛の任に就かせて頂きます」


敬礼するメイソンに、ノアは黙ってただ笑みを深くした。

メイソンと別れ、訓練場に戻る。

もうこれで、必要な時意外、ヴァージニアの顔を見ることはなくなる。


「……はー」


深く息を吸って、吐いた。

残ったのは、荷を下ろして少し軽くなった肩と、ぽっかりと胸に穴が空いた感覚と、そして少しの、罪悪感。

本当は、もう少しだけ長く、傍にいたかった。

隣で彼女の笑顔を見ていたかった。

でも、もう限界だった。

ノアにとっても、ヴァージニアにとっても。


―――こんな時間がいつまでも続くわけはない。

―――そんなことはわかっていたが、期限付きの幸せでも良かった。

―――いつか彼女が離れていっても、彼女と過ごしたこの時間が放つ光だけで、迷わずこの先の人生を歩んでいける気がしたから。


幼い頃の思いが蘇る。

そうだ。ずっと前から、覚悟はできていた。

これからは、胸を張って、堂々と生きていくんだ。

ノアに生きる理由をくれた、ヴァージニアと、エストレア王家のために。


そして一年後、ノアは王室騎士団の団長を退任した。

退任するまで、ノアは持てる実力の全てで師団員の指導に当たった。

そのおかげで団員の実力は飛躍的に伸びたし、ノアのことを蔑む者も皆無とはいかないがほぼいなくなった。


「もともと、私は繋ぎでしたから。前師団長から課せられた役目は有望な次期師団長を育てること。……職責は、果たしたつもりです」


そう退任を申し出たノアを数秒見つめて、エストレア王ザフィエルは溜息と共に受け入れてくれた。

後任をメイソンに譲り、ノアは予定通り参謀本部で作戦参謀の役に就いた。

この人事の指図者はセルフィエルだったが、いざ勤め始めてみるとこの仕事は想像した以上に自分に合っていると感じた。セルフィエルはノアが人を見る目に優れていると言ったけれど、ノアからすればセルフィエルの鑑識眼の方が余程優秀だ。

新しい職場で、ノアは水を得た魚のように夢中になって働いた。

飛ぶように日々は流れ、さらに一年が経ったある日のこと。

一人の近衛兵が、参謀本部に飛び込んできた。


「たっ、大変です……っ!ヴァージニア殿下が、ゆ、誘拐されました……!」


一瞬、何を言っているのかわからなかった。

頭の中が真っ白になる。


「っ、おい!大丈夫か、ノア!」


ぐらりと足元が揺らいだところを、もう一人の副長の情報参謀に支えられた。

椅子に腰掛けていたはずなのに、いつの間にか立ち上がっていたらしい。

にわかに周囲が慌しくなる。地図を広げる者、動転していて要領を得ない近衛兵から、少しでも効率的に情報を聞き出そうとする者。

その全てが別の世界で起こっていることのように現実感に欠けていた。

頭の奥で耳鳴りがする。


「緊急事態だ。速やかな状況把握の後、救助作戦を練るぞ。ノア。……ノア、おい、しっかりしろ!聞いているのか!」


参謀長に強く両肩を揺す振られ、ノアはようやく我に返った。

未だ焦点の合わない碧眼で、参謀長の両目を見返す。

状況把握?救助作戦?……何を言っているんだ。

そんなことをしている間に、ヴァージニアに何かあったら。


「……助けに、行って来ます」


「は!?何を言っているんだ」


「作戦なんて……立てている暇はない。俺はこれから、フォルセラト孤児院へ向かいます」


いつものノアとは正反対の正気を欠いた様子に、参謀長の顔から血の気が引いた。


「おい……冷静になれ。自分が何を言っているのかわかっているのか!おい、ノア!」


呼び掛けてくる声は、とっくに耳に入ってはいなかった。

踵を返し、参謀本部を出る。厩舎まで走ると、愛馬に跨り、ノアは孤児院を目指した。


孤児院の前で待機していた騎士団に合流し、地に額を擦り付けんばかりに平身低頭して謝罪を繰り返すメイソンから状況を聞き、森の中を走り回った。やがて小さな小屋を見つけ踏み込むと、ヴァージニアが覆面の男に押し倒されていた。


「―――っ」


目の前が、真っ赤に染まった気がした。

一足飛びに男の傍らに立つと、その首筋に刀を突きつける。

そのまま横になぎ払い首を刎ねてやるつもりだったが、間一髪で飛び擦られた。


「……ノ……ア」


懐かしい声に視線を向けると、ヴァージニアが弱弱しくこちらを見上げており、その襟元は僅かに肌蹴られていた。


「……」


血が上っていた頭の芯が、すっと冷える。

ゆっくりと首を回し、壁を背に短刀を構えこちらを睨む男を見据えた。

ただ殺すだけでは生温い。死ぬよりも辛い苦痛を味わわせて、最期はゆっくりと止めを刺してやる。


それからのことを、ノアは実はよく覚えていない。

暗い殺意に思考が支配されて、視界が極端に狭くなっていた。

男の太腿を剣で貫き、抜かないままに捻った刀身に男が野太い悲鳴を上げる。

ヴァージニアが必死に制止を命じていたような気がするが、正直あまり聞いていなかった。

暗い苛立ちが膨れ上がる。

全く、優し過ぎるのも大概にして欲しい。

太腿から抜いた刀で今度は男の掌を貫きながら、ノアは心中で舌打ちした。

ヴァージニアは、自分が何をされかけていたのかわかっているのだろうか。

いや、きっとわかっていない。

現実とはかけ離れた甘い恋愛小説で男女の機微を勉強しているらしい純真無垢なお姫様には、今床に転がっている男の薄汚れた欲望など理解できていないに違いない。


「ノア!」


「何でしょうか。見たくないなら、ちょっと目を閉じてて下さい。すぐ終わりますから」


何度目かの呼び掛けを軽くあしらい、ノアは右足に体重を乗せて、思い切り男の胸を踏み付けた。


「やめなさいって言ってるでしょ!やめないと……っ」


きんきんと甲高く響く声。ああ、うるさい。邪魔をしないで欲しい。


「やめないと、なんですか」


うんざりと聞き返す。しかし、続いたヴァージニアの言葉にノアは絶句した。


「きっ、嫌いになるわよ!」


「…………」


身体と思考が、ぴたりと静止する。

今。

何を。

……何を、言われた?

嫌いになる?ヴァージニア様が。……俺を?


「……きらいに、なりますか」


確認する。

と、呆けたように固まっていたヴァージニアがぎゅっと両拳を握り、力強く頷いた。


「そ、そうよ!あんたが今ここでその人を殺したら、私あんたのこと嫌いになるわよ!もうどこかで会っても口もきいてあげないし、あんたのことなんか今後一切考えないし、……えーと、とにかく、私怨だけで人殺しをするような男なんて、私だいっきらい!」


だいっきらい。

今まで散々言われてきたが、自分の気持ちを自覚してから聞くと胸を抉られるような痛みを覚えた。

諦めて欲しいくせに、嫌われるのは嫌だなんて。

随分勝手だと、自分でも思うけれど。


「…………わかりました」


気絶した男の上から足をどけ、ヴァージニアの元に歩み寄る。

縄を解くと、白い手首が赤く擦れ血が滲んでいた。

痛々しい光景にぐっと眉を寄せたノアに、ヴァージニアが微笑んだ。


「大丈夫よ、何もされていないわ。……一度は覚悟、決めたけど」


これで、平静を装っているつもりだろうか。

こんな、今にも壊れそうな、青ざめた顔で。

こんな―――こんな笑顔が見たくて、離れたわけじゃない。


「よ、良かった。だって、わ、私」


ノアの碧眼に、ヴァージニアの頬を伝う一筋の雫が映った。


「は、初めては、ノアが、良かっ……」


「―――っ!」


理性が飛んだ。

気が付くと、ノアは、ヴァージニアを思い切り抱き締めていた。

それから、抵抗するヴァージニアの自由を封じて無理矢理唇を奪った。

忠義も、決意も、頭から吹き飛んでいた。

細い身体を抱きすくめて口付けを味わいながら、ただヴァージニアを愛しく思う気持ちだけが全身を満たしていた。

今ここに、王女はいない。

いるのはヴァージニアという一人の少女と、ただの男である自分だけだ。

目の前のこの少女を、ノアの一生をかけて、愛し、守り抜く。

そんな忠義の形も、あるのではないか。

段々と理性を取り戻しつつある頭で、ノアはぼんやりと考えた。


唇を解放したあと、蒼白だった頬をほんのり上気させたヴァージニアは、ノアに対する想いをひとしきり告白して、眠りに落ちた。

穏やかな寝顔を見下ろし、小さな唇に再び口付ける。

しかし、無理矢理唇を奪われておきながら、「最後まで好きになってもらうことはできなかった」とは、どういうことか。

あれだけはっきりと行動で示しても、ノアがヴァージニアのことを好きだという結論には至らないらしい。

……まあ、そんな淡い期待が全く持てなくなるまで、彼女の心を痛めつけたのはノア自身だが。

徐々に近付いてくる馬の蹄の音を聞きながら、ノアは静かにヴァージニアを抱え直した。





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