第43話 自覚
翌日から、あからさまにヴァージニアのノアに対する態度が変わった。
どうやら本当に、ノアに恋心を抱いているらしかった。
(一体何故、何がきっかけで)
どういう心境の変化があれば、昔から下僕扱いをしてきた幼馴染を好きになるのだろう。
真っ赤になって不審な挙動を繰り返すヴァージニアを眺めながら考えるが、皆目見当が付かない。
だが、自覚したからといって短絡的に想いを告げるほどヴァージニアは愚かではない。
ノアはそう読んでいた。
彼女は自身の王女という立場を正しく認識していたし、ノアがヴァージニアに恋愛感情を抱いていないということも充分に承知していたはずだ。
しかし幼い頃から懐いてくれていた女の子が自分に対する淡い恋心を自覚し、自分の一言に頬を染めて動揺する様を見るのは楽しく、つい調子に乗ってしまうことがあったことについては反省している。
「この間の街娘の格好も可愛らしかったですが、今日のお姿も凛とされていて素敵ですよ」
「……ありがと」
そういった発言も、ヴァージニアは決して想いを口には出さないだろうという油断と思い込みがあったからだ。
打ち明けはしないだろうと、高をくくっていたのである。
だから。
「ノアのことが、好きだからよ!」
ささいなことで言い合いになり、泣きながら半ば怒鳴られる形で想いを告白された時、純粋にそれを嬉しいと思った自分に気付いたノアは、
―――思い切り、狼狽した。
「……何よ。……びっくりした?」
「…………しました」
こんな形で気付くことになった、自分の本心に。
何ということか。本当に、この間から、計算が狂いっぱなしだ。
顔を真っ赤にして潤んだ瞳で見下ろしてくるヴァージニア。
「―――っ」
急激に、今までとは違う愛しさが込み上げる。緊張と羞恥で足が震えている彼女を、今すぐ抱き締めたい。
きっと今、衝動に任せてそうしたところで、彼女は怒りはしない。
だが。
(駄目だ)
驚愕し、混乱する頭で、それでもノアは冷静に思考した。
ずっと、彼女の幸せを願ってきた。
そして彼女を幸せにできるのは、間違っても自分のような暗い過去を持った地位も財力もないような男ではなく、それなりの身分と後ろ盾、紳士的な包容力を持った貴族階級以上の男性だ。
ここで安易にノアがヴァージニアの想いに応えれば、ヴァージニアが幸せになる道は永久に断たれる。
それだけは、絶対に駄目だ。
彼女の恋心をわかっていながら からかうことをやめなかった報いを痛いほどに感じつつ、ノアは悠然と微笑んだ。
「おんな、というには、まだ少し可愛らしすぎるような気がしますが」
わざと馬鹿にしたような口調で言うと、ヴァージニアの顔がぐ、と歪んだ。
あ、傷つけた。そう思うと同時に、泣きそうな顔で問い詰められる。
「私はあなたにとって、女性として魅力的?かわいい?色っぽい?恋人にしたい?奥さんにしたい?キスしたい?抱きたい?」
愚問だ。
叩きつけるように早口で捲くし立てるヴァージニアに、ノアは内心で返答する。
想いを自覚した今。……問いの答えは、全て肯定に決まっている。
だが、問題はそんなことではないのだ。
「何で、ちゃんと答えてくれないの。私が王女だから?仕えるべき主だから?」
それも理由の一つだった。
ノアの考えがどうであれ、何も持っていないノアと想いを通わせてもヴァージニアにとって良いことなど何もない。
何故それがわからないのか。段々と苛立ちが湧き上がる。
目先の恋に囚われて、人生を棒に振るのか。
もっと賢明だと思っていたのに。
だから、言葉を選ぶ余裕もなく、よく聞こえるように顔を近付け、可愛らしく染まった耳元に噛み付きたい衝動を抑えながら囁いた。
「あなたの想いは、迷惑です」
その言葉を皮切りに、ノアは俯くヴァージニアを訥々と諭した。
ヴァージニアが、自分にとって絶対に恋愛の対象になり得ないということ。
そしてそれは身分差とは関係がなく、彼女の人格、性格に原因があるということ。
自分でも、よくもこう正反対の言葉が口から出てくるものだと感心した。
ヴァージニアの人格を、出来るだけひどい言葉で否定した。
好みの女性を聞かれたら、ヴァージニアと正反対のタイプを答えた。
一言一句、ヴァージニアを最大限に傷つけるために発する。
しかし、
「ノア・エヴァン・グレイソン!」
それでも彼女は諦めなかった。
「そんなことで嫌いになるなんて思ったら、大間違いよ!むしろ絶対に振り向かせてやるって気持ちがさらに強くなったわ!」
瞳を潤ませ、しかしそれでも毅然した笑みを浮かべて言い放ったヴァージニアに改めて魅了される。
動揺を悟られないように、視線を逸らす。
長期戦になりそうだ。
そう思ったノアの予感は的中した。
次の日から、あの手この手で好意を示してくるヴァージニアに対し、ノアは頑なな態度を取り続けた。
暖かく微笑みかけるのをやめ、名前で呼ぶのをやめ、主人に対するものにしては不適当な暴言を吐き続けた。
たまに顔を合わせ会話をするメイドとの関係を尋ねられた際には、好機とばかりに名前も覚えていないメイドへの好意を口にした。
「そうですね……好きかもしれません。彼女といると癒されて落ち着きます。実は告白されたんです。まだ返事は返していませんが、身分的に釣り合いも取れていますし、もしこのままうまくいけば結婚、なんてこともあるかもしれませんね」
嘘だった。
告白されたのは本当だが、その場で断った。
この発言は相当堪えたらしく、ヴァージニアは蒼白になり唇を噛んだ。
(……ああ)
抱き締めたい。
震える彼女を今すぐこの腕の中に囲い込んで、嘘です、あなたしか見えていませんと囁きたかったが、ぐっと拳を握って自制する。
ここで欲望のまま行動してしまえば、今までの努力が全て水の泡になる。
幸いヴァージニアはすぐに踵を返し、駆け出した。
自室に戻って泣くのだろうと見当はついたが、あとを追うことはしなかった。
これで諦めてくれればいい。
ノアは俯き、胸の痛みを少しでも軽減するために苦い溜息を吐いた。




