第41話 懐古
下僕といっても、二人の関係が劇的に変化したわけではなかった。
それからも城に戻ったヴァージニアは真っ先にノアの部屋を訪れ、彼を遊びに誘った。
以前と違うことはといえば、誘い文句の最後に必ず「めいれいよ!」が付くようになった事くらいだが、もともとノアにとってヴァージニアの誘いは任務を除いての最優先事項だったので、全く問題はなかった。
そうして季節が過ぎ、ヴァージニアが4歳の誕生日を迎えてから数日経った真冬の夜、事件は起こった。
ノアがいつも通り明け方頃に任務を終えて帰城すると、王宮内は騒然となっていた。
夜更けにエストレア王グリエルが、王の乳母によって殺害されたというのだ。
王の死因、また乳母の孫娘の存在が城から消えていることから、ノアには孫娘のやったことだとすぐに察しがついた。彼女は生まれてすぐに王宮に引き取られ、ノアと同様に暗殺者になるための訓練を受けていたが、その存在を知る者は限られていた。素直で明るい娘で、ノアと同等かあるいはそれ以上に、盲目的とも言えるほどにグリエルのことを心から尊敬し、敬い、慕っていた。なのに。
何故こんなことになったのか、全く理由がわからない。心に大きな空洞が出来たような無力感に襲われたが、真っ先にノアの脳裏に浮かんだのはヴァージニアの顔だった。
王妃付きの女官を何とか掴まえて所在を聞き出し、今は母親のメイシーラと共に城内の厳重に警備された部屋で休んでいると聞き、心底安堵した。
国中が混乱する中、ノアは冷静に考えた。
もう、自分を拾って育ててくれた王はいない。これからどのような形で、エストレア王家のために生きていくのか。今まで通り、王の治世を陰で支える暗殺者か。
しかし、王位を継ぐであろう第一王子のザフィエルは、父王のグリエルとは違う。
少ししか言葉を交わしたことはないが、実直で暖かい目をした少年だった。
(彼の創っていく国には、謀略と血に濡れた暗殺などという手段ではなく、もっと別の形で貢献したい)
完全なる闇の世界から、少しでも陽の当たる場所へ出て、正々堂々胸を張って、ザフィエルの新しい世を、ヴァージニアを、エストレア王家を守りたい。
程なく、偉大なる武王崩御の混乱を収めるため第一王子ザフィエル・ステファン・エストレアが国王に即位した。
時を同じくして、ノアは正式に王立騎士団の入団試験を受け無事合格、王室直属の近衛隊、王室師団の団員となった。
騎士団に入り、訓練尽くしの日々が始まった。
ノアが暗殺者として王宮にいたことを知っている者はごくわずかで、そのほとんどがグリエル崩御と共に城を去ったためノアの顔を覚えている者は王族を除いていないはずだったが、用心のため前髪を伸ばして顔を隠して過ごした。
貴族の多い騎士団ではよく難癖をつけられ勝負を持ち掛けられたが、適度に負け、適度に勝つことで、目立つことを避けた。使い走りも意外と良い鍛錬になったので、逆らうことなく引き受けた。何をされても微笑を絶やさず極力個性を出さず、剣技では師団内で中の上程の位置づけを確保した。
一方、ヴァージニアの身体は、成長するにつれて丈夫になっていき、それにつれて城で過ごす時間も増えていった。
それでも昔に比べると会話をする機会は減ったが、たまに顔を合わせると容赦なく用事を言い付けられた。幼馴染相手故に遠慮のないヴァージニアと、王女直々の命令に苦笑しながら諾々と従うノアを見てさらに周囲からの嫉妬は加速したが、以前と同じようにヴァージニアと話ができるだけで嬉しいノアには全く気にならなかった。
そして7年後、第二王子セルフィエルが王室師団長に就任したその日に、ノアは副団長に指名された。
「殿下。どういうおつもりですか」
その日の夜、騎士団に入ってから一度も訪れたことのなかったセルフィエルの自室を訪れた。ソファで寛いだままグラスを傾けたセルフィエルは、紅茶色の瞳でノアをちらりと一瞥した。
「喋り方」
ノアは ぐ、と詰まり、ますます渋面を作ったが、言うことを聞かない限り耳を傾ける気のない幼馴染に溜息を吐いて言い直す。
「……エル。何で、俺なの」
諦めたような声音を受け、セルフィエルは顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。
「決まってるだろ。有能だからだよ」
ゆるゆると首を振る。長い前髪が揺れた。
「そんなことないよ。俺は身分も皆より劣るし、人を惹きつけるものもない。剣だって、俺より腕の立つ者はたくさんいる」
「それはお前が上手く実力を隠しているからだろう」
セルフィエルが立ち上がり、正面からノアの顔を覗き込んだ。
「なあ、ノア。お前が師団内の誰よりも優れていることが三つある。人を見る目、剣の腕、そして、―――エストレア王家への、絶対の忠誠心」
「……」
「父が死に、兄が王位についてから、7年経った。もう、あの頃お前が父の元で何をしていたかを知る者は、俺と兄しかいない。そろそろ、実力に見合った場所で、俺たちの力になってもいい頃だ」
「……エル」
「不満や希望は聞こう。でも、この決定は覆らない。お前は今日から、エストレア王室師団の副団長だ」
自室に戻り、寝台の上で仰向けに寝転ぶと、ノアはぼんやりと天井を眺めた。
そろそろ、実力に見合った場所で、俺たちの力に―――。
落ち着いてセルフィエルの言葉を思い返すと、それも悪くない気がしてきた。
副団長の主な仕事は、王と王妃の警護だ。
一番身近で、確かな手応えを実感しながら、エストレア王家を護れる。
願ってもないことだった。
セルフィエルは、その機会をくれようとしているのだ。
「……でもね、エル」
暗闇の中、ノアは一人苦笑した。
「確かに今、王室師団の中で一番腕が立つのは俺かもしれないけど……でも、あの子の方が、俺より強かったよ」
脳裏に、黒髪の少女の笑顔が浮かぶ。
ノアよりも才能と実力があって、先王の一番の気に入りで。
素直で明るい、妹のような存在だった娘。
7年前のあの日、王の死と共に王宮から姿を消した。
「今、どこにいるんだろう」
生きているのだろうか。
それすらわからない。
どこかで元気に暮らしていてくれれば、いいのだけれど。
「……アリーシャ……」
懐かしい名を呟くと、ノアは眠るために瞳を閉じた。




