第32話 野外授業と秋の空
それからさらに一年が過ぎ、ヴァージニアは16歳になった。
その間に何人か兄の選んだ男性と会ったが、惹かれる相手はいなかった。
どの男性も紳士的で優しく、皆一定以上の家柄に整った容姿だ。ザフィエルの設けた基準の厳しさが窺える。
彼らが投げかけてくれる話題は教育や今流行りの作家についてなどヴァージニアが関心のある分野のものばかりで、よく調べたものだと逆に申し訳なくなるほどだった。
きっとこの中の誰と結婚しても幸せになれると思うのに、ヴァージニアには彼らとの未来がどうしても現実感を伴って実感できないのだった。
話題自体には興味を持てたが、ほとんど喜怒哀楽の感情は刺激されなかったため、対応はとても穏やかなものになった。すると今までのヴァージニアの評判と本人の性格が異なることに驚いた相手方から、もう一度会ってもらえないかと申し込みが来た。
一度目の申し入れよりも数段熱心なそれに、しかし心動かされたような様子もなく、ザフィエルに意思を確認されたヴァージニアは丁重に断った。
その気もないのに期待を持たせるのは失礼だ。
辞退の返事を重ねるたび、ヴァージニアはなぜ今回の相手では駄目だったのかを考えた。
しかしすぐにそれが無意味なことだと悟り、小さく肩をすくめる。
何も駄目なことなどない。ただ単に、惹かれないだけだった。
だって。
(…………彼らは、ノアじゃ、ないもの)
そんな風に、そんな基準で考えるのは、間違っている。
頭ではわかっているのに、どうしてももう一歩を踏み出せないのだった。
「……ま、姫様!」
自分を呼ぶ澄んだ声に、ヴァージニアは はっと顔を上げた。
視線の先には、心配そうにヴァージニアを見上げる深い紫色の瞳。
妖精を思わせる儚げな美貌を備え始めた、12歳になったばかりのカーヤだ。
背後では、直立不動の姿勢を取ったメイソンも怪訝そうに眉を顰めてヴァージニアを見つめている。
「ああ……ごめんなさい。ぼーっとしてしまったわね。カーヤ、できたの?見せてみて」
慌てて笑顔を作り、イーゼルの前で椅子に座り筆を握る銀髪の少女の肩に軽く手を置いて促した。
いけない。今はフォルセルト孤児院で美術の指導の最中だ。集中しなければ。
今日は天気が良いので野外授業だ。孤児院の裏手にある丘で、子供たちは皆思い思いの場所に画材を広げて絵を描いている。……一部の男子を除いて。
「おーい、何か変な虫がいるぞ!ほれほれ!」
「きゃああ、ちょっと、やめてよ!近づけないで!」
「もう、ルウェリンてば……」
丘の反対側で画用紙も広げずに近くの女子を怯えさせる悪戯っ子の集団を眺めて、カーヤが溜息を吐いた。もう子供じゃないのに仕方がないなあ、という表情だ。
その様子にヴァージニアの口元が僅かに緩んだ。
同い年でも、女の子の方が成熟は早い。
ちょっと気弱で泣き虫な性格は相変わらずだが、確実に大人の女性へと成長している。
ヴァージニアと彼女の年は四つしか違わないが、母のような気持ちである。
「ふふ、いいわよ、あとであの子たちには強制補習授業を受けさせちゃうから。さ、見せて。……素敵じゃない、ここのエヴァーグリーンなんかとても良いわ」
「ありがとうございます。でも、この花の花びらの先から茎に向かう色の変化がうまく表現できないんです」
「そうね、だったら……カナリーに、シュベーフェルを少しずつ混ぜていって……」
丁寧に絵の具を指差して説明し、礼を言って筆を取るカーヤに笑みを返し、丘をぐるりと見渡してから、ヴァージニアは空を見上げた。
少しの雲が浮かぶ、爽やかな秋晴れだった。
先程正午と日没のちょうど中間に教会が鳴らす鐘が僅かに聞こえた。
まもなく他の兵士たちが戻ってくる時間だ。
時折頬を撫ぜる風は冷たい。もう、冬がそこまで迫っている。
(……元気、かしら)
油断をすれば、すぐに頭に浮かぶのは彼のことだ。
最後に姿を見てから、もう1年が過ぎたというのに。
諦めが悪いと、彼にも言われたけれど。
本当に自分でも嫌になるほど、往生際が悪く未練がましい。
(作戦参謀って……聞くだけで性格が悪くなりそうな肩書きだわ。敵の裏の裏の裏をかいたりして作戦を立てるのよね。兵全員の命を背負って……。そんな大役が彼に務まるのかしら。……まあ、腹黒なあいつには、お似合いの仕事なのかもしれないけれど)
お給料も、きっと騎士団長よりは良いに違いない。
職務内容だって、ヴァージニアの護衛とお守りとは比べようもない程やりがいがあるだろう。
(ふん、良かったわね。今頃さぞ生き生きと働いていることでしょうね)
「ヴァージニア様。馬車にお乗りください。帰城致しますよ」
子供たちに別れを告げ、心の中で皮肉を言いながら建物を出たところで、メイソンに呼ばれた。
「今行くわ。……あ」
返事をしてから気付く。
「どうしました?」
「忘れ物しちゃったわ。すぐに取ってくるから、ちょっとだけ待ってて」
「では自分も」
「大丈夫よ。どこにあるかはわかっているの。すぐ戻るから、ね」
「……承知致しました」
付き従おうとする騎士団長に微笑むと、ヴァージニアは踵を返し孤児院の中へ戻っていった。




