第30話 専属騎士の交代
翌朝、一睡も出来ずに夜を明かしたヴァージニアの部屋の扉をノックしたのはノアではなく、真面目で融通の利かなさそうな顔をした王室師団副団長のメイソンだった。
「おはようございます、ヴァージニア殿下」
「……おはよう、メイソン。……あの、ノアは?」
扉が開くと同時に直立不動で挨拶をされ、戸惑いながらヴァージニアは尋ねた。
メイソンは視線を王女に合わせ、無表情に淡々と述べた。
「団長はいらっしゃいません。昨日まで団員の武術指導は自分が担当し、団長はヴァージニア殿下の護衛を主な任務としておられましたが、本日より自分が殿下の警護を任されることになりました」
「……そうなの。……ずいぶん、突然ね」
返した口調は自分でもわかるほどに平坦だった。事実、落胆も驚きもしなかった。
理由など、心当たりがあり過ぎる。
「自分は今朝、団長から命を受けただけですので」
そっけなくそう告げるメイソンの表情からは、ヴァージニアの様子に気付いているのかいないのか窺うことはできない。
(そういえば昨日、ノアは部屋に戻ったのかしら……)
夜遅く見回りから帰ってきて疲れていただろうに、可哀想なことをしたものだ。
朝食を済ませると、ヴァージニアは鉄仮面を崩さず一歩後ろに控える副団長に声を掛けた。
「でも団員の指導には、あなたの方が向いているんじゃない?」
メイソンの方が家柄も人望も、ノアより圧倒的に上だ。
剣の腕は知らないが、副団長であるからにはその技量は相当なものだろう。
性格も実直真面目を絵に描いたような男で、その人柄に惚れこんでいる団員は多いと聞いている。
その彼に稽古をつけ続けてもらった方が団員の士気は高まり、より効率的なのではないだろうか。
素朴な疑問にメイソンは表情を崩さないまま、静かに首を振った。
「……そんなことはありません。おそらく団長は、最初からこうするつもりだったのでしょう。それが少し早まっただけです」
「……どういうこと?」
「団長は、ご自身の力量、また周りからご自分がどう思われているかを正確に理解していらっしゃいます。……ご覧下さい」
そう言って窓の外を示す。そういえば何だか騒がしい。
指された先を見下ろすと、団員たちが必死の形相で剣を手にし、ノアに挑みかかっているのが見えた。
「な、なにあれ……」
呆然と呟くと、淡々と答えが返る。
「短期間でもっとも効率よく近衛隊の武力向上を図るための訓練です。好きなように切りかかって、倒してみろと命じる。日頃から団長への不満が溜まっている団員は喜んで飛び付きます。あとはただひたすら迎え撃つだけです。彼らは団長の力量をあまりにも過小評価し過ぎている。今まで見てきたものとの差異に焦り、倒せないわけがないとやっきになっています。それが狙いです」
確かに何人もに同時に斬りかかられているが、ノアは苦もなく全てを受け流している。
団員の顔には明らかな動揺が浮かんでいた。
ヴァージニアには彼らの心の声が聞こえてくるようだった。こんなはずがない、と。
メイソンが抑揚なく続ける。
「あの方は確かに自分など足元にも及ばぬほどにお強いですが、本来は身体よりも頭を使う方が合っているのでしょう。どちらの能力も高くていらっしゃいますが……単に好き嫌いというか……意欲の問題で」
そうかもしれない。ヴァージニアは口の端を僅かに上げ、傍らの副団長を見上げた。
「……よく、わかっているのね。ノアのこと」
自分とは、まるで違って。
メイソンはヴァージニアをちらりと見遣ると目を伏せて呟いた。
「……いろいろなことを言う者が大勢おりますが。……自分は団長を尊敬していますから」
「良い部下を持って、ノアは幸せね」
「どうでしょうか」
軽く肩を竦める大柄な騎士を見上げ、ヴァージニアは笑った。
「……これから、よろしくね、メイソン」
***
それからノアとヴァージニアは、ぱったりと顔を合わせなくなった。
普通に生活していても接点はなかったが、廊下ですれ違うことすら稀になったのは、お互いが無意識に避け合っていたからかもしれなかった。
時たま行き違うことがあっても、ノアは他の臣下同様会釈をし、ヴァージニアも他の臣下に対するのと同様に目礼のみを返した。
アリーシャとは定期的に手紙を交換していた。恐らくセルフィエルに言われたのだろう。たまに兄からの言葉も同封されていた。
アリーシャの手紙は最初は単調に短い文が連なっているだけだったが、一ヶ月も経つと目に見えて文章に表現力が増した。自分より5つも年上の女性に失礼かもしれないが、孤児院の子供たちの成長を目にしたときと似た高揚感が込み上げた。
手紙の中でアリーシャとセルフィエルは、一度もノアについて尋ねてこなかった。
毎日顔を合わせている長兄のザフィエルもだ。
義姉のジャクリーンは一度だけ、ヴァージニアの専属騎士がメイソンに交代になったその日の夜、ヴァージニアの部屋を訪ねてきた。
ノックの音に扉を開けると、間髪入れずに柔らかな腕に抱き締められた。
この上なく優しいその抱擁は無言だったが、ジャクリーンの腕の中でヴァージニアは胸の中から暖かいものがじわりと溢れるのを感じ、目を閉じてほんの少し、その口元に笑みを浮かべた。




