第26話 涙と一緒に零れ落ちたもの
ヴァージニアは悩んでいた。
どうやったらノアに女性として好意を持ってもらえるのか。
部屋の前で待っているなと言われたから、翌日からは彼が居間に現れる時に間に合うように飲み物を用意し、自分は自室で彼が来るのを待つようになった。
顔を見合わせればお礼を言われる。毎日残さず飲み干してくれる。
しかし、それだけだった。
その後距離が縮まるわけではなく、淡々と日々が過ぎていった。
城の中、周りに誰もいない時、時折想いを口にした。
毎回、ありったけの勇気を振り絞って、思い切り気持ちを込めて。
「ノア、好きよ」
その度ノアは一拍置いて、困ったように笑う。
最初の頃は告白すれば、彼は困惑したような表情は見せたもののお礼を返してくれていた。しかし最近ではそれもない。
どうしたらいいかわからない、というように、ぎこちない微苦笑が返るだけ。
初めてノアに告白してから半月。
二人の間の会話は減った。
ノアはヴァージニアを名前ではなく、「姫」としか呼ばなくなった。
一度、思い切ってノアの背中に抱きついたことがある。
「ノア。……大好きよ」
彼の腹に腕を回し、身体を密着させる。
「…………?」
数秒経っても何の反応もない騎士に不審を覚え、抱きついたまま首を伸ばして、俯いた彼の顔を窺うと。
そこには、見たこともない程の苦悶と苛立ちの感情が浮かんでいた。
驚いてすぐに腕をほどき、彼から一、二歩距離を置いた。
それからは身体的接触は避けている。
お菓子を作っていったこともある。
ちゃんと二人きりのときに渡したのに、彼はそれをヴァージニアの前で部下たちに全てあげてしまった。
「姫から、騎士団に差し入れです」
ご丁寧に、そんな言葉まで添えて。
団員たちからはお礼を言われたが、うまく笑顔を作れていたかどうかわからない。
夜別れるとき、ヴァージニアは動揺を隠しどうにか不敵な笑みを顔に貼り付けた。
「まったくひどい男ね!まあいいわ、作り方は覚えたから、また持ってくるわよ。今度はあんたが絶対食べたくなるくらい美味しそうに作ってくるから、覚悟しなさいよ!」
「ありがとうございます。団員も喜びます」
裏表を全く感じさせない平和な微笑で紡がれた残酷な言葉に、ヴァージニアは扉を閉めてから堪え切れずに少し泣いた。
それでも毎朝早起きしてノアのために飲み物を作るのは楽しかった。
決して美味しいものではないから、できるだけ毎日違う材料を使うように心がける。
すると自然と野菜や果物の知識が増えた。
わからなかったことがわかるようになるのは楽しい。
厨房へもよく足を運ぶようになり、シェフやコックと随分親しくなった。
ある日、ふとメイドと思しき服装の女性と一緒にいるノアを見た。
年の頃はノアと同じくらい。
彼女は頬を染め、潤んだ眼でノアを見上げている。
彼の方も、最近ヴァージニアの前では見せることが少なくなった温かみに満ちた笑みを浮かべていた。
ノアが何か言い、二人が笑う。
その光景に、胸がぞわりとざわめいた。
嫌な感覚だった。
「見たわよ。メイドと仲良さそうにしてたじゃない」
平静を装うヴァージニアとは対照的に、ノアは上機嫌に笑った。
「そうなんですよ、彼女とは話もよく合って、今度一緒に食事に行く予定なんです」
一緒に食事。それって。
頭が真っ白になり血の気が引いた。
汗ばむ掌を握り締め、混乱した頭のまま口を開く。
「へ、へえ。それって、デートじゃない。あの子のこと、好きなの?」
数秒の考えるような間の後。
「そうですね……好きかもしれません。彼女といると癒されて落ち着きます。実は告白されたんです。まだ返事は返していませんが、身分的に釣り合いも取れていますし、もしこのままうまくいけば結婚、なんてこともあるかもしれませんね」
朗らかで軽く、明るい声音。
けれどすでにたくさんのヒビやキズが入っていたヴァージニアの心を粉々に砕くには充分な威力だった。
「――――っ」
言葉を発する余裕などない。
口を開いたら、泣いてしまう。
唇を引き結び、奥歯を噛み締めて、踵を返し全力で駆け出した。
自室に走りこみ扉を後ろ手で閉めると、ヴァージニアはその場にずるずると座り込んだ。
息が出来ない。
鼻の奥がツンとし、じわりと視界が歪む。
一度緩めば、あとは堰を切ったように溢れ出した。
気持ちが届くどころではない。
どんどん、どんどん離れていく。
ジャクリーン義姉様のうそつき。
筋違いとわかっていても、心の中で義姉を責めた。
恋愛なんて、苦しいだけ。全然、楽しくない。
こんなだったら、前の方が良かった。
ただの姫と、専属騎士の方が良かった。
……想いなんか、伝えなければ。
「好きになんか、ならなきゃよかった……」
この一言だけは、口にしないと決めていたのに。
涙と一緒に、何か大切なものが零れ落ちた気がした。




