第1話 新団長
「……ふう」
溜息を吐いて本を閉じる。
一瞬で夢の世界は消え現実が戻ってくるが、頭はまだふわふわと宙を漂っているようだ。
ジャクリーン義姉様にお借りした本。
その中に出てくる姫と騎士の物語に、すぐに虜になった。
控えめで優しくて、慈悲に満ち溢れた美しい姫。
国中の誰よりも強く賢い、姫に永遠の忠誠を誓った騎士。
幾多の困難や身分差を乗り越えて、彼らは想いを通じ合わせ共に生きることを選んだ。
ヴァージニア自身もエストレア国王女として生まれ、今は王妹の身分にある。
自分と同じ立場にありながら、めくるめく恋愛に翻弄される姫に強烈に憧れる。
身分差恋愛を貫くことがどれほどに大変か知っているヴァージニアは、彼女に強い共感を抱いた。
そして思わず考えてしまうのだ。
自分もこんな風に、騎士と熱烈な恋愛がしてみたい。
永遠の忠誠と愛を誓われるとは、一体どんな気持ちなのだろう?
(……でも、小説は小説、現実はそんなにうまくいきっこないんだわ)
姫と身分や立場は同じだが、逆に言えば彼女との共通点はそれだけ。
ヴァージニアの性格はじゃじゃ馬を絵に描いたようなお転婆、生意気、我儘で気が強い。
自分でも重々承知している。
数々の男たちがヴァージニアの容姿と身分に引き寄せられて近づこうとしたが、その性格に悉く閉口し離れていった。
二人の兄は、いよいよ彼女と近づきたいという男性が途絶えた今嫁の貰い手に頭を抱えているが、ヴァージニア本人にしてみればようやく周りが静かになって清々しているところだった。
(それに、問題は私だけじゃないわ。……肝心の騎士が、あれだもの)
王族直属の騎士は、慣例として王室師団団長が兼任する。
明日その地位に就く男の眉尻を下げた情けない笑顔を思い浮かべ、ヴァージニアは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
2年間王室師団長を務めた兄のセルフィエルは、シェットクライド州の知事に就任するため、昨夜ドーラムへ旅立った。
彼女を王都へ呼べばいい、と長兄と自分は勧めたが、彼女には出来るだけ長く今の生活をさせてやりたい、とセルフィエルは自分が動くことを選んだ。
今まで誰にも本気になることがなかった兄のセルフィエルが、一人の女性のためだけに職を辞し王都での生活を捨てた。
(……馬鹿みたい)
多少特殊な経緯があるとはいえ、ただの女性一人にそこまで溺れて形振り構わなくなるなんて格好悪い。器用で常に余裕があったセフィ兄様はどこに行ってしまったんだろう。
(…………)
しかし反面、ほんの少し羨ましいと思う自分がいるのも事実だった。
そこまで盲目的に愛されるというのは、どういう気分がするのだろう。
彼女に会ったことはない。
だから、もし近い将来に会うことがあったなら尋ねてみたいと思う。
彼女が過去に何をしたかを聞いても、恨みや憎しみの感情は湧いてこなかった。
今はただ純粋に、気の多かった兄を本気にさせた唯一の女性として興味がある。
(きっと絶世の美女で、聖母のように優しい方なんだわ)
きっと、自分とは正反対の。
溜息を吐き、凭れた窓辺から夜空を見上げる。
明日の新団長の叙任式。
団長の証である暁の剣を王から下賜されるのは、いつも気弱な笑みを浮かべている黒髪碧眼のあの男。
(まったく、彼に副団長が務まっていただけでも奇跡だというのに)
団長ですって?冗談じゃない。
彼に守ってもらう位なら、自分で自分の身を守った方がよほど安全だわ。
心の中で毒づくと、ヴァージニアは寝台に身を横たえ静かに瞳を閉じた。