第15話 孤児院視察
ガラガラと車輪が土の上を回る音が響く。
騎士団の制服に身を包み馬上の人となったノアが、馬車と併走しながら馬車の小窓に向かってふわりと微笑んだ。
「助かりますよ、今回はおとなしく馬車で移動してくださって」
「今日は、もともと予定されていた公式の視察だからよ」
薄い空色の訪問用のドレスに揃いの帽子を被ったヴァージニアが、馬車の中からちらりと視線を外に投げて決まり悪げに返事をする。
そんな彼女に、ノアは一層目を細めて告げた。
「この間の街娘の格好も可愛らしかったですが、今日のお姿も凛とされていて素敵ですよ」
「…………ありがと」
ヴァージニアは繊細な刺繍が施された白い絹の手袋をはめた手で扇を持ち、赤くなった顔を隠す。
今日はいつもよりも早く起き、きちんと支度をし、ノアと他数名の騎士を連れて馬車で城を出た。
王都郊外に建設中の図書館と、その隣の孤児院の訪問という れっきとした公務だ。
エストレア王国の首都ベルファールには5つの王立孤児院があるが、今から向かう場所もそのうちの一つだった。
フォルセラト王立孤児院。
5つの中で一番規模は小さいが、居住者の9割がエストレア国民という他の施設に比べ、大陸にある4ヶ国の出身者がほぼ同割に生活しているという珍しい孤児院である。
住む子供たちそれぞれが自分の文化を守りながら、しかし無意識に相手を敬い調和を保って暮らしている、外界とは異なる独特の価値観で成り立つ空間。
世界の縮図のようなその雰囲気が好きで、この月に一度の定期訪問をヴァージニアはとても楽しみにしていた。
都の喧騒が遠ざかってしばらくののち、馬の嘶きと共に馬車は停車した。
「どうぞ、着きましたよ、姫」
馬車の入り口に踏み台が置かれる音がし、次いで開かれた扉の外でノアが手を差し出している。
ドレスの裾を右手でまとめると、ヴァージニアは深呼吸をし、左手をノアの掌に重ねた。
そして優雅に口角を上げわずかに顎を引くと、背筋を伸ばして一歩を踏み出す。
「ようこそお越しくださいました、ヴァージニア殿下」
門の前に並んで一斉にお辞儀をする孤児院の職員を見渡し、ヴァージニアは微笑んで頷いた。
「久しぶりね、みんな。変わりはないかしら、レアルナ院長?」
その問いに、列の先頭にいた年配の女性が顔を上げて答える。
「ええ、姫様のお心遣いのおかげで つつがなく。……ああ、でもウルヴァラに良い縁組先が見つかりまして、先日院を出ていきましたわ」
それを聞き、ヴァージニアの顔がわずかに曇ったが、すぐに笑顔になる。
「そうなの……寂しくなったわね。でも、あの子の幸せのためだものね。少しわんぱくが過ぎたけれど頭が良くて優しい子だったから、きっと新しい家族とも仲良くなれるわね」
「ええ、必ず、幸せになりますわ」
「ふふ、あなたがそう言うのなら間違いないわね……さてと」
ヴァージニアは馬車と共に背後に控える騎士団を振り返り、通る声で告げた。
「あなたたち、鐘が4つ鳴る頃に戻っていらっしゃい。そうすれば、日没前には城に戻れるわ。……団長は、引き続き私の警護を」
「は、え、ヴァージニア様?」
「御意」
ぎょっと目を見開き狼狽えたのはノアだけで、残りの団員は心得たように一斉に礼をすると、それぞれの馬に跨り都の方へと戻っていった。
「……ヴァージニア様?」
わけがわからずにやや眉根を寄せて自分を見下ろすノアの視線を無視し、ヴァージニアはじっと耳を澄ませる。
そして馬車の音が完全に聞こえなくなると両腕を上げ、
「……あー、肩が凝ったわ!」
うーん、と、思い切り伸びをした。
「…………」
先程の毅然とした姿との差異に言葉も出ないノアを見上げ、
「あはは、ノア、何て顔してるのよ。びっくりした?ふふ、そんな顔してると間抜けな顔がますます情けなく見えるわよ!」
悪戯っぽくそう言うと、楽しそうに笑う。
その笑い声合図だったかのように、しんとしていた建物から子供たちが飛び出してきた。
厳粛といっていいほどだった雰囲気が、一瞬にして賑やかな歓声に包まれる。
「姫様、久しぶりー!」
「久しぶりね、元気だった?」
「ねえお土産は?新しい本、持って来てくれた?」
「持ってきたわよ。馬車に積んであるから、あとで下ろすわね」
「あはは、さっき、ひめさま、本当にひめさまみたいだったー!」
「失礼ね、本当に姫様なのよ!」
次々に容赦なく飛び付いてくる子供たちを膝を付いて両手で受け止めながら、ヴァージニアも一緒になって歓声を上げた。
ノアは押し寄せる子供たちの波に思わずヴァージニアの傍から離れ、その様子を遠巻きに見つめた。
「すごい人気でしょう?」
「ええ、そう、ですね……」
斜め下から柔らかく話し掛けられ、まだやや呆然としながらノアは小さく頷いた。
「あなたが、新しい団長さんね?」
問われ、改めて姿勢を正す。
「はい、グレイソンといいます」
「私はここの孤児院の院長で、レアルナと申します。騎士団の団長様は前任の方の指名だと伺ったわ。セルフィエル王子殿下のご指名であれば、あなたはきっと立派な騎士様なのでしょうね」
慈愛に満ちた眼差しに、ノアは思わず口ごもった。
「……いえ、そんなことは……。姫にはいつも叱られてばかりで……」
「まあ」
目を丸くして口元に手をやる院長に、ノアは慌てて両手を振った。
「あ、いや、叱るというか、私が至らないものですから、注意を受けるというか」
ヴァージニアの心証を悪くしては大変とばかりに必死に言葉を選ぶノアの姿に、レアルナは笑顔で首を振る。
「いえいえ、そういうことではなくて。そうなの、では、ヴァージニア様はあなたをよほど信頼されていらっしゃるのね」
「信頼……?」
「そうですよ。多少思う通りに物を言っても、あなたが変わらず尽くしてくれると信頼していらっしゃるのね。……先程も、随分と嬉しそうな顔であなたとお話されていましたわ」
少し勘のいい者が見れば、もしかして、と思うこともあるかもしれない。
先日までその任に就いていた実の兄に向けるものか、もしくはそれ以上の。
王女が一介の騎士に向けるには、やや気を許しすぎた表情。
それを知ってか知らずか、ノアは苦笑して肩をすくめた。
「うーん、どうでしょうね……。別に嫌われても構わない、どう思われても気にしない、という気持ち故ということの可能性の方が大きいと思いますが」
「あら。まさか本気で仰っているわけではないのでしょう?」
「本気ですよ」
そう言って微笑んだノアを、レアルナ院長はじっと見つめた。
「…………」
そして数秒ののち溜息を吐いて、目線を子供たちとじゃれあっているヴァージニアに移す。
「……どちらにしても……、本気だとしても、わかっていて仰っているのだとしても、……残酷なことですね。いえ、ご存知の上でのそのご発言の方が、余程性質が悪いけれど」
最後は独り言のように呟かれたレアルナ院長の言葉に、ノアは僅かに小首を傾げる。
しかし何も言うことはなくただ笑みを深くすると、彼女に倣い自身の主に視線を戻した。




