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双煙の剣聖  作者: 黒丸
第1章
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第1章 第4節 冬の兆し

雪の季節がやってきた。

 白い息が立ちのぼり、屋根の上に積もる雪が光を反射して眩しい。

 ベルンハイムの街は寒さを笑い飛ばすように賑やかで、

 その中心――《金獅子亭》からは、今日も景気のいい声が響いていた。


 「ちょっとそこの兄さん、皿くらい運びな! 飲んで騒ぐのは手が空いてからだよ!」

 カウンターの向こうから飛んでくるのは、肝っ玉かあさんことヘザー・ハロルドの声。

 彼女の声を聞かない日は、この街では日が昇らないも同然だ。


 俺は暖炉のそばの席に腰を下ろし、ゆっくりとコーヒーを啜っていた。

 香ばしい香りとともに、焙煎の苦味が舌に落ちる。

 「……寒い日ほど、苦いもんが美味く感じるねぇ」


 「まったく、昼から優雅ね、あなた」


 振り向くと、グラスを磨きながら微笑むクラリス。

 長い睫毛と艶やかな笑み。

 どこか含みのある声で、まるで恋の罠みたいに柔らかい。


 「働く女性は眩しくてねぇ。こうして見てる方が、心が温まるんだよ」

 「まあ、口が上手いこと」

 「褒めてるのに怒られそうだねぇ」

 「怒りはしないけど……その目はずるいわ」


 クラリスがわずかに頬を染め、目を逸らす。

 その仕草一つで、胸の奥がくすぐられるようだった。

 俺は笑って煙管を取り出し、火を灯す。

 静かに煙を吐くと、クラリスが呆れたように言った。

 「まったく、昔から変わらないのね」

 「変わる必要がないと思ってるんだ。好きなもんは、好きなままでいいだろう?」

 「……ほんと、そういうところがずるいのよ」


 そこへ、帳簿を抱えたセリアが現れた。

 「また女の子を口説いてるの? あんたって人は、ほんっと懲りないわね」

 「口説いてないよ。世間話だよ、健全なねぇ」

 「その“健全”が一番危ないの」

 「こわいこわい。セリアちゃんに怒られると、心臓が冷えるねぇ」

 「いい加減にしないと、帳簿に“問題児”って書くわよ」

 「それは怖いねぇ。……名前のない俺には、余計に」


 その一言に、セリアが一瞬だけ目を伏せる。

 けれど次の瞬間には、いつもの強気な笑顔を取り戻していた。

 「まったく……あんたのそういうとこ、ずるいんだから」

 「褒め言葉として受け取っておくよ」


 カウンターの奥では、ヘザーが皿を並べながら大声で笑っている。

 「こらこら! 昼間っから口説き落とし大会かい! 働け働け!」

 「働く前に元気をもらってるんだよ」

 「そんなもんは寝てから言いな!」

 「はは、肝っ玉女将の説教は寒さより効くねぇ」

 「ありがたく思いな!」


 周囲がどっと笑いに包まれる。

 その中で、ふと見上げると――給仕に慣れたエリシアが、控えめに近づいてきていた。

 「名無しさん……コーヒー、淹れ直しますか?」

 「あぁ、お願い。君の淹れるやつは香りがいい」

 「ほ、ほんとですか……? 私、緊張してて……いつもよりちょっと苦いかも」

 「苦いのも悪くない。人生の味がするからねぇ」

 「じ、人生の味……」


 エリシアの頬がほんのり赤く染まり、湯気と一緒に照れて笑う。

 クラリスがその様子を見て、くすくすと笑った。

 「もう、あなたったら。若い子まで惑わして」

 「俺はただ、正直に褒めただけさ」

 「その“正直”が危ないのよ」

 「いやぁ、怖い世界だねぇ。嘘つく方が楽ってのは、寂しい話だ」

 「……そういう言い方、ほんとずるい」


 セリアが呆れたように腕を組む。

 「もう、この人は一生このままなんでしょうね」

 「それは困るねぇ。変わらないって、退屈だろう?」

 「……はいはい、勝手に言ってなさい」


 そんな賑やかさの中に、グレンの重い足音が響いた。

 「お前ら、浮かれてる場合じゃねぇぞ」

 「どうしたんだい、兄貴分」

 「領主が……またやらかしたらしい」


 ギルドの空気が一瞬で冷える。

 ヘザーが鍋の蓋を“ガン”と鳴らして言った。

 「まったく、あの男は懲りないねぇ! 街を守ったのが誰か、忘れたのかい!」

 「忘れたくて仕方ないんだろうな」

 俺は煙管の火を消しながらつぶやく。

 「自分より強いもの、自分より真っすぐなもんを、見たくない人間ってのは多い」

 「だからって、街にちょっかい出すのは違うだろ」

 「そうだねぇ。でも――世の中、間違いを正すより、放っといた方が楽な時もある」

 「……お前、やっぱ変なとこで大人だな」


 窓の外を見ると、風が強まっていた。

 白い雪が舞い、空が重たく沈んでいる。

 ――嫌な風だ。何かが、変わる前触れ。


 ヘザーが大声を上げて空気を戻す。

 「ほらほら! 暗い顔してんじゃないよ! 腹が減ってちゃ文句も言えないだろ! スープお代わりするかい!」

 「ありがとねぇ、女将。……こういう時のあんたが、一番頼もしいよ」

 「当たり前だろ! 肝っ玉かあさんは伊達じゃないよ!」


 笑いと声が、また金獅子亭を満たした。

 外では雪が降り続いている。

 ――だが、このぬくもりの裏で、確かに“何か”が動き始めていた。


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