第2章 第5節《鉄槌と影》
吹雪が唸り、砦の外壁を叩いた。
北の荒野に取り残された石の塊――
そこが黒獣連合《鉄槌》の根城だ。
焚き火の赤が荒くれどもの影を揺らす。
肉の焦げる匂い、酒と血の臭いが入り混じり、
そこは人ならざる獣の巣窟。
中央、岩のような体躯を投げ出しているのは
熊の獣人――ドルガ・バロウズ。
「……チッ、寒ぃ夜だ。火の粉と悲鳴がなきゃ、眠れねぇなァ」
鉄槌を横に置き、酒瓶を豪快にあおる。
その下卑た笑みの脇に、静かに一人の男が立つ。
淡々とした瞳、もらす声だけが冷えた空気をさらに冷やす。
――ガルザ・クライン。
「ご報告いたします。
輸送は完了。女および子供――概ね十五名、無事搬入を確認しております」
ドルガは鼻で笑って頷く。
「ほォ……いい骨が揃ったか?」
「ええ、使い道には困りません。
欲しがる場所はいくらでもございますので」
肉をかじりながら、ドルガは獣のように笑う。
だが次の言葉で、その口が止まった。
「――ロート・グラッドが、帰還しておりません」
焚き火が爆ぜる音が、やけに大きく響く。
「ロートが? 馬鹿が……どこで油売ってやがる」
苛立つドルガに、ガルザは淡々と補足する。
「輸送隊の証言によれば、
“途中で護衛を交代し、自身が戻る”と告げたとのこと。
しかし、目的地に戻っていないまま行方が不明です」
「……はっ。気まぐれか、女でも見つけたか」
「――どうやら、“それだけ”ではないようです」
ガルザは焚き火の影に目を落としながら続ける。
「生還者数名が戻りましたが、
皆、怯え切っており、何が起きたか語れませんでした。
どの者も“道中で、何かを見た”とだけ……」
ドルガの目がようやく細まる。
「何か、ね……?」
「確認の必要がございます。
既に三名選出し、状況視察へ向かわせました。
ロートが死んでいれば回収、
生きていれば連行――
いずれにしても、事実だけは把握せねばなりません」
焚き火のそばで、三人の男が立ち上がり、
粗末な革鎧を鳴らして雪の闇へ消えていく。
ドルガは豪快に笑い、鉄槌を抱え込む。
「ったく、手のかかるガキだ。
生きてりゃ殴り殺してやる」
すると、ガルザがさも当然といった調子で言った。
「――ついでに、報告をひとつ。
“影牙”のミルダ・シェランですが……
近ごろ、口を閉ざすことが増えております。
腕は立ちますが、独断専行の可能性もありますので――」
ガルザの言葉が終わるより早く、
ドルガは下卑た笑いを上げた。
「ミルダか……
あの娘はいい女だ。
リドのバカ真面目が死んだなら、
俺の女にしてやってもいいなァ」
周囲の荒くれ者がどっと笑い、
酒を煽りながらいやらしい声を上げる。
ガルザの瞳は――しかし、冷えたままだ。
「彼女は剣士です。
不必要に触れれば反発を生み、
連合に軋みが生じます。
現状、利用価値がございますので――
無用な行動はお控えいただければ」
ドルガは豪快に肩をすくめる。
「利用価値があるなら、壊す前に使い潰しゃいい。
邪魔なら、潰すだけだ」
ガルザはわずかに頷く。
「判断はお任せします。
ただ、“状況証拠”は集めておきますので」
その言葉は、丁寧でありながら
刃のような冷たさを帯びていた。
吹雪が一瞬やみ、砦の外界が静まり返る。
風が凪ぎ、闇だけが濃くなる。
――三名の斥候が向かった、その先。
夜の雪原に、何かが潜む。
剣の匂いが、冷気より鋭く乗ってくる。
だがドルガには、
そんな気配など知ったことではなかった。
焚き火の赤、血の匂い、
女の泣き声だけが、彼の興味のすべて。
焚き火は燃え続ける。
その炎の色は、どこか――
血の赤に近かった。




