主人公
人生ってのは自分が主人公でなきゃいけねぇ。
そう思った理由はもう覚えていない。
漫画か特撮かドラマか、そこら辺から感化されたんだろう。
とりあえず、俺は主人公になりたかった。
目標があって、それに向かって一直線で、最後には勝つような主人公。
幸いなことに体格には恵まれていたから、スポーツで困るようなことは何もなかった。
野球をやれば誰よりも遠くに球を飛ばせたし、バスケでもサッカーでも俺のドリブルを止められる奴はいなかった。
そんな俺が自分という物語の舞台に選んだのは陸上競技だった。
きっかけは小学校のマラソン大会だった。
先頭を走る。
たったそれだけのことで、周りから黄色い声援が飛び交うのだ。
幼いころの自尊心を満たすには十分すぎた。
100mじゃ声援を浴びるには短すぎる。
かといって長距離は走る方も応援する方も気持ちがだれる。
そんなわけで選んだのは、800mという中距離種目だった。
リレーや駅伝と違ってあまり話題になる頻度は少ない種目であったが、俺には逆にそれが良かった。
だって、そんなマイナーな種目で圧倒的な存在になるのは主人公っぽいだろ?
小学生では負けなし、中学校も二年生で全国大会出場と順風満帆な滑り出しだった。
県内で800mと言えば、俺の名前が三年生を差し置いて挙がるような存在。
何もかもが上手くいくはずだった。
あいつに出会うまでは。
「あれ、初めて見る顔だな」
「......」
「あー、そういえばリザルトに知らない名前があったな。鍋島肇だっけ? 鍋ちゃんって呼んでもいいか?」
「どうでもいい」
「おっと、素っ気ないね。まぁいいよ。決勝、よろしくね鍋ちゃん」
中学最後の県大会、その招集場にあいつがいた。
三年生にもなると決勝に上がってる選手は大体が友人か顔見知り程度の仲にはなっている。
その中に全く知らない相手がいたから、つい声をかけたのだ。
肌は陸上部らしく日焼けしているが、骨格が細く頼りない姿はとても同い年とは思えない貧相な少年だった。
愛想も悪くずっと無言でベンチに座っている姿を見て、俺はそいつが緊張しているんだと思った。
大舞台に慣れた俺と、決勝直前に縮こまっているような奴。
主人公の俺からしたら、路傍の石のような相手のはずだった。
そのレースが終わるまでは、ずっとそう思っていた。
「………………え、俺、2位? 全国でもない、県大会で、2位?」
トラックに立ち尽くし、ずっとずっと電光掲示板を見つめ続ける。
何回見ても、目を擦っても、一番上に表示されている名前は俺の名前ではなかった。
いつも通りの、完璧なレースをしたはずだ。
先頭でペースを作って、ラスト200mからスパート勝負。
自分の走りたいように展開を作れたし、体調も万全にしてきた。
県で躓くようなことはない。
そう思っていたのに、2位?
最後の最後、フィニッシュの直前に差し切られて、2位?
しかも1位があの緊張していた細っちい少年?
その事実を受け入れられなくて、ベンチの方に目をやった。
俺よりいい結果だったそいつは、何にも面白くなさそうに帰り支度を始めていた。
まるで、この大会の1位には興味がなかったかのように冷めたツラが、頭からこびりついて離れなかった。
(まぐれだ! たまたま俺の調子が悪くて、あいつがベストを叩き出しただけだ!)
そんなわけがないと気がついていたのに、俺はそう思い込んだ。
悪い夢でも見てしまったのだとその日をなかったことにしてしまった。
そんなことをする人間が、主人公に相応しいわけがないのに。
「うわ、また名前載ってるよ」
高校に上がってからは、鍋島と大会で走る機会が増えてきた。
俺が足踏みをしている間も、鍋島はめきめきと頭角を現してきたようだ。
地方の記録会、県の決勝、ブロック大会、全国大会、どこに行ってもあのしけたツラを拝むようになってきた。
勝っても負けても全く動かない表情を見るたびに、俺はどんどんと鍋島のことを嫌いになっていった。
俺が1位になれる回数が減ってきたことも関係していたかもしれない。
高校から新しく陸上を始めたやつ、中学校では結果が出なかったのに高校で覚醒したやつ、違う種目からやってきたやつ。
色んな奴が800mには集まってきて、段々と俺より速いやつが増えてきた。
練習をいくら積んでも思うように伸びない自分のタイムと、そんなことはお構いなしに結果を残していくやつら。
その時に気がついた。
自分は主人公なんて大それた存在ではなくて、どこにでもいるような村人Aのような存在なんだって。
俺の前の表彰台には4って数字が書かれていて、相も変わらず冷めた表情を浮かべた鍋島が1と書かれた表彰台に立っている。
(あー、つまんね)
はしゃいでた自分が馬鹿みたいで、心はすっかり冷え切っていた。
俺がどれだけ頑張ったって、あいつが勝つんだろう?
あんな面白くもなさそうに走るあいつの方が速いのは納得がいかなかった。
そうやって不貞腐れていたから、高校最後のインターハイは予選で落ちるなんて過去最低の結果も残しちまった。
せっかくのインターハイが地元開催だっていうのに、ろくに見せ場もなく終わった。
しかもよりによって同じ組に鍋島がいて、あいつは何の苦戦もなく決勝まで抜けていった。
(面白くねぇ)
一刻も早く家に帰って寝たい気分だったけれど、無邪気にはしゃいでる妹がいた手前帰るとは言い出しにくかった。
なんでも、『私も陸上やってみたい』らしい。
予選で1位で走り抜けた鍋島の姿が印象的だったらしい。
そこは俺じゃないのかと言いかけたが、負け犬に過ぎないので『そんないいもんじゃない』と負け惜しみだけ吐いて黙って大会を見続けた。
惰性で居続けて、とうとう800mの決勝の時間がやってきた。
太陽がカンカンに照りつけて、夏の青空がどこまでも広がっていた。
摩那は会場の屋根の下から飛び出して、観客席の最前で食い入るようにトラックを見つめていた。
ゴールラインがよく見える位置を陣取って、こっちこっちとはしゃぎながら俺に向かって手を振っている。
お袋に促されて、妹を一人にしないように夏の日差しの下で二人でレースを眺めていた。
瞳を輝かせて見つめる妹は楽しそうで微笑ましい光景のはずが、それ以上に自分が走っていない舞台を見るのがしんどくて仕方がなかった。
俺なんてもう眼中にない鍋島が、顔を苦痛の表情に歪ませながら2番手でホームストレートに入ってきた。
そういえばいつも一緒に走っているから表情を見る機会はなかったな。
(そんな必死な顔をして走るんだな、お前も)
初めて見る表情に、俺は少し悲しい気分になった。
俺が鍋島より速く走れたなら、先頭でゴールした後に表情を見ることができただろうに。
ただの村人にしか過ぎない俺が、こんな大舞台で輝くあいつの前を走りたいと思うのは傲慢だろうか。
自己嫌悪と嫉妬が心を濁らせる。
(辞めっか、十分頑張ったしな)
1位でゴールした選手が歓喜のガッツポーズを掲げ、観客席が熱気で沸き立った。
日本新記録樹立。
速報タイムで0.5秒近くも更新したそのタイムから、僅差で敗れた鍋島も日本新記録で走ったことが分かる。
つまりだ。
観客席でただ眺めている俺は何にもなれなくて、あいつは日本史上で2番目に速い人間になっちまったってことだ。
これが、主人公と端役の差か。
まぁ、いい思い出にはなったか。
勝てなかったとはいえ、全国大会まで出られているのだ。
その上で日本新記録が出る瞬間まで目撃できた。
それ以上、何も望むべきではないだろう。
そう思って立ち去ろうとしたときに、摩那が俺の袖を引っ張った。
「んだよ、さっさと日陰行こうぜ」
「お兄ちゃん、あの人動かないけど、大丈夫かな?」
「あぁ? レース直後はよくあることだろ──」
言いかけた言葉を飲み込んだのは、動かないでタータンに寝転んでいるのが鍋島だったからだ。
どんなことがあろうとさっさとベンチに引き上げるあいつが、全く動かずに仰向けになっている。
眉間にしわを寄せてきつく空を睨んでいるようだ。
それほど消耗するレースだったんだろう。
その考えが間違いで、自分がいかに浅はかだったかはすぐに思い知った。
鍋島の頬に光る何かが伝っていく。
それを誤魔化すためか、鍋島は手のひらで顔を覆い隠し始めた。
泣いている。
初めて一緒に走ってから一度も表情を大きく動かさなかった鍋島が、泣いている。
その姿を見てようやく俺は気がついた。
あいつは、必死に走ってきたんだって。
何かに焦がされるように、あの舞台に臨んでいたんだって。
主人公だろうが村人だろうが関係なく、選手としてただただ1位を渇望していたんだろう。
俺は、自分が恥ずかしくて恥ずかしくて死にたい気分になった。
どうして俺は、観客席で見ているだけなんだ?
どうして俺は、この足でタータンの上に立っていないんだ?
どうして俺は、負けたというのに泣くことすらできていないんだ?
薄っぺらい自分の願望だけしか見てこなかったんだ。
だから、俺はあっさりと陸上を辞めるなんて発想ができるんだ。
負けっていうのは、そんなにあっさりと受け入れられることなのか?
俺が思い浮かべていた主人公は、そんなにカッコ悪くはないはずだったのに。
補助員に促されるまで動けずにいる鍋島を、脳裏に焼き付ける。
あの姿は、やり切った一人の人間の姿だ。
俺は、それを越えないと自分の怠慢を許せない。
「お兄ちゃん?」
心配そうにこちらを見上げている摩那を無言で撫でて、俺はずっと鍋島を見つめていた。
鍋島が陸上を続けるかどうかは分からない。
これから先、一緒に走る機会があるとは限らない。
それでももし勝負できるタイミングが来たのなら、今度こそ俺は胸を張って走るよ。
主人公でも村人でもないただの上條岳として、鍋島肇に挑むよ。
妹と二人、歓声に応えている1位の選手には目もくれずに、倒れ伏した男を見ていた。
***
「......ははっ!」
カランカランと、ラスト一周を告げる鐘の音で我に返る。
あまりのペースの速さに意識が飛びかけていた。
自分から仕掛けたペースだが、少しやりすぎたかもしれない。
テンションが上がるのは仕方がない。
噂で鍋ちゃんが陸上を辞めたって聞いていたから、一緒に走ることはできないんだって思っていたから。
それがどうだ、俺が再起を誓ったこの場所で、お互いに1位を狙って並走している。
本気になって欲しくて出会ったときには煽ってしまったけれど、結果としては成功だった。
待ち望んでいたシチュエーションに否が応でも心が奮い立つ。
何回目になるか分からない接触が起きる。
お互いの肘がぶつかりあい、もはや自分の左腕の感覚はない。
きっと鍋ちゃんの右腕も同じだろう。
ペースを上げて少しでも前に行こうとする俺と、それをキッチリブロックし続ける鍋ちゃん。
(やるね! 高校の時の俺なら絶対に諦めてたよ!)
接触しようがペースアップを何度仕掛けようがインレーンを譲らない走りに、魂が震える。
これが俺が勝てなかった鍋島肇だ。
どんなレース展開になろうと、対応をし続けて1位を勝ち取る男だ。
あの日脳裏に焼き付けた光景がフラッシュバックする。
あれからずっと努力を続けてきた。
勝ったら喜べるように、負けたら泣けるように、本気で走り続けてきた。
その結果を見せるときだ。
(鍋ちゃんはどうかな、っと!)
今度は意図的に接触を起こす。
雨と汗で湿った肌がぶつかり合って、お互いの体から軋んだ音が鳴る。
「っらぁぁ!」
「っ!」
ぶつかった衝撃のせいか、反応が少し鈍いタイミングをついて仕掛ける。
ラスト200m、最後のコーナーでようやく鍋ちゃんの前に立つ。
先頭がいて、その後ろを必死に鍋ちゃんが追いかけている。
まるで、あの夏のインターハイの再現だ。
先頭は生憎と日本記録保持者ではないけれど、一応今年の大学王者だ。
格としては問題ないだろう。
(さぁ! 最後まで行こうか!)
インターハイでは観客席で見ているだけだった。
今日は違う。
自分の足で、ゴールラインを目指して無我夢中で走っている。
二人の荒い息遣いだけが視界の悪い大雨の中聞こえてくる。
ホームストレートが見えてきて、このレースの終わりを感じさせるところまできてしまった。
今度こそ俺は、俺が。
「ああぁぁぁぁぁああああぁ!!」
裂帛の気合を上げる。
この直線の終わりに、何があろうとも後悔しないように。
評価、感想、誤字指摘等していただけると嬉しいです。
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