いつも通りに
「あの、コーチ……私たち、これでいいんでしょうか?」
「摩那さんにしては言葉のキレが悪いですね。何がいけないと言うんでしょうか?」
「明日ってレースなんですよね」
「ええ」
「大会自体は今日から開催ですよね」
「ええ。日程的には今日明日で合ってますよ」
「......それなのに、私たちは家でゲームなんてしていていいんですか?」
「逆にダメな理由がありませんよ......くそ、一勝もできないな」
倒れ伏した自分のキャラクターを見つめながらコントローラーを机に置く。
忍者の末裔という設定の割には露出が過剰なキャラクターが、激しく胸を上下させながら天を仰ぎ見ている。
少し離れたところでは半裸のむさくるしい大男が呵呵大笑しており、勝者と敗者の立場がハッキリとしていた。
二時間ぐらいは遊んだだろうか。
モニターを見つめすぎて疲れた目を指先で揉みながら、ソファに深くもたれかかる。
キャラクター性能はこちらの方が高いという評価なのに、一回も勝ちを拾えないとは。
太一も言っていたが、やはり摩那は格闘ゲームにおいて無類の強さを誇っているようだった。
摩那の膝の上にはノートパソコンほどの大きさの板が乗っている。
スティックもレバーもない特徴的なコントローラーをいじりながら摩那は複雑そうな顔をしている。
「ダメというかなんというか、こう、雰囲気があまりにもなさすぎませんか?」
「雰囲気ってなんですか?」
「ほら、ライバルとどっちが一位を取るか宣言したり初めて会うのに嫌味っぽいことを言われたり、大会らしいものってあるじゃないですか」
「漫画の読み過ぎですよ。摩那さんにはそもそもライバルがいませんし、初対面で嫌味を言うような人間はリアルにはそうそういません」
「ライバルはいますよ! 姫井ちゃんはライバルです!」
「自称なだけじゃないですか。それに姫井さんは再来週インターハイなので県選手権は棄権です」
「それでも、こんなの絶対に前日にすることじゃないですよ! ゲームばっかして、練習もしてないじゃないですか!」
勢いよく口を動かし、摩那はコントローラーを机の上に置いてから立ち上がった。
白い肌が赤みを帯びており、相当に我慢をしていたようだった。
大会前日ということもあり、気が立っている様子でもあった。
自分のゲームの腕前では摩那の意識を大会から逸らすことはできなかったようだ。
鍋島は諦めて、言葉にして説明することにした。
「そりゃそうですよ。練習をしないように見張りに来たんですからね。刺激はしっかり金曜日に入れたのに、今日走られたら調整の意味がなくなりますからね」
「その意図は分かりますけど、せめて現地に行くとかするべきことはあると思うんです。何もいつものような休日を送らなくたっていいと思うんです」
「現地に行って何をするんですか? 出場する種目があるわけでもない、場所取りが必要なほど大人数なわけでもない、サブトラックで練習するにしても人が多すぎて非効率だ。行ったところで時間の無駄になるだけです」
「でも大会の雰囲気には慣れますよ? 私はまだ一回しか競技場で走ったことないんですから、場慣れは大事ですよ」
摩那の言いたいことは分かる。
レースというものには魔物が潜んでおり、有力な選手が緊張で早々に消えるということは珍しくない。
練習でできないことは本番でもできないと言われるが、本番には本番でしか味わえない空気というものがある。
その雰囲気を間近で感じるというのは、確かに学びがあるだろう。
ただそれは、今の摩那には必要のないものである。
「場慣れしてどうするんですか?」
「慣れておけば本番緊張しなくなるかもしれないじゃないですか!」
「本当にそう思いますか? トラックに立つ感覚を、傍から見ているだけ理解できると思いますか? この大会が引退になると覚悟して走る上級生のプレッシャーを、外から見ているだけで感じることができますか?」
「うっ......できない、と思います......」
「雰囲気だけで得られるものなんてほんの少ししかありません。それなら家でゆっくりと休んで、本番に備えた方がマシというものです」
それにと鍋島は言葉を続ける。
「慣れたところでどうせ摩那さんは緊張しますよ」
「あっ! 私が成長しない人間だと思っていますよねその発言!」
「そういうわけではありません。緊張というものは慣れでどうにかなるものではないんです。競技歴の長い姫井さんだって、少しの不調であれだけ走りとメンタルが乱れるんです。緊張がゼロなんてレースは何をしても勝てるレースしかありません。そしてそんなレースはほとんどの人間にはありません」
「むぅ。そうかもしれませんけど、私だって自然体でレースできるように成長したいですよ」
先ほどよりは落ち着いてきたのか、摩那の言葉の勢いが段々となくなってきた。
顔色からも赤みが消えて、浮かせていた腰をソファに下ろした。
表情は納得とはかけ離れていたが、少なくとも今日は家で大人しくしていてくれそうだ。
ふてくされるいる声色で、摩那が言葉を発した。
「コーチみたいに緊張しないで走れるようになりたいなー」
「私だって緊張しますよ」
「え、だって前回はあんな自信満々に勝つ宣言までしてたじゃないですか。あれで緊張してたんですか?」
「自分で自分を鼓舞をしていただけです。明日のレースも正直に言えば、緊張していますよ」
目を閉じて明日のことを思い描く。
自分より格上な岳の存在、高校ぶりの順位を競い合う大会、衰えているレース勘。
不安材料は探せば探すほど出てきて、それを考えると自然と肩に力が入る。
ただ、それを悪いことだとは思わない。
緊張している、それさえ自覚していれば問題はない。
「真剣に取り組めば取り組むほど、失敗を恐れるようになります。あれだけ練習したんだから、勝てるはず。そう思うのは自然のことで、勝ちたいという想いに比例して緊張は増していきます」
「コーチもそうなんですか?」
「ええ。特に今回は相当気合を入れましたからね。それだけ恐怖や不安もあります。大事なのは、それを否定しないことです。否定しようとすると、失敗を恐れるような縮こまった走りになりますからね」
努力が報われてほしいと思うのは当然のことだ。
それはいくらレースに慣れたところで変わらない。
むしろ、その思いは経験を積めば積むほど強くなる。
あれほど走ったのだから、あれほど負けてきたのだから、あれほど頑張ってきたのだから──
経験と努力を高く積み上げれば、それが崩れ去ることに怯え体が上手く動かなくなる。
そのときに、緊張している自分を受け入れられるかどうか。
それが選手としての力量につながってくる。
恐怖と不安を飲み込んで、普段の練習通りに本番も走るだけ。
それが一流というものだ。
「摩那さんには変に場慣れしてほしくなかったんです。ちゃんと緊張して、ちゃんと不安になって、それでもレースに臨む姿勢を作ってほしい。だから、今日はお休みの日です。メリハリは大事ですよ」
「......はい、分かりました! 」
摩那は納得してくれたのか、ようやくむすっとした表情が崩れ明るいものになった。
この様子であれば、今日はしっかりと休んでくれるだろう。
勝てもしないゲームに付き合った甲斐があったというものだ。
「コーチ、もうちょっとだけゲームしましょうよ。そうしたら少しだけお喋りして、明日の大会に備えましょう!」
「いいですけど、私とゲームしていて面白いですか? 大人と赤子のような腕前の差があるんですけど」
「ゲームは勝てればなんだって楽しいですよ! 私が上手いのは私の努力の結果でもありますからね!」
「……その得意げな顔を、絶対に捻じ曲げてやります」
「ふっふーん、私がコーチの上に立てる数少ないジャンルですからね。目一杯楽しませてもらいますよ!」
不安は消えない。
恐怖は拭えない。
ただ今は、何もかも忘れてリラックスすることだけに集中していた。
レースになれば嫌というほど味わうのだ。
二人はそうして、ただただゲームに没頭し始めていった。
「......摩那さん、投げハメだけはやめてくれませんか?」
「これはハメじゃないですよ! ちゃんと抜けられるタイミングがありますよ」
「いや、どっちにしろ初見殺し......あぁ、死んだ」
「知識も重要、コーチが陸上で私に教えてくれたことですね!」
画面ではまた、むさくるしい大男が笑い転げていた。
結局この日は、一度たりとも摩那に勝てないままであった。
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