最善を尽くす
「ずいぶんと、制服姿の生徒が増えてきましたね」
「もうそろそろ七月になる。大半の三年生は引退だからな、クラスを受け持ってる先生は大変だ」
「野村先生は担任は受け持っていないんですか?」
「ああ。俺はもう年だからな。出世も興味ないし、のびのびと部活にだけ専念させてもらっているよ」
芳志高校のグラウンドで、生徒たちが走る姿を横目に野村と雑談を交わす。
段々と蒸し暑い日が増えてきて、気の早いセミは地面から抜け出して鳴きだす時期になってきた。
グラウンドは日々の練習で踏み固められた地面以外から雑草が顔を覗かせており、麦わら帽子を被ったマネージャーが草刈り鎌で懸命に整備をしている。
そのグラウンドの奥、学校の昇降口から出てくる生徒の姿は多くが制服に身を包んでおり、手には英単語帳らしきものを持った人も少なくはない。
「先生、アップ終わりました!」
「ああ。それじゃあ、各ブロックに分かれて本練習の開始だ。水分補給だけはしっかりしろよ」
「はい!」
野村の前に並んだ生徒達は、少し前と比べて人数がだいぶ減っていた。
比較的大人びていた顔つきの生徒はあまりおらず、若々しい顔つきの生徒が多かった。
野村に向かって声をあげた少女はまだ慣れていないのか、声が上ずっており顔を赤くしている。
肇によく話しかけてくれていた、坊主頭の少年の姿も見ることはできない。
県総体で、勝ち残れなかったのだろう。
まだ冬に駅伝が残っている長距離以外の三年生は、夏の総体で負けてしまえば引退になる。
悲しいことだが、勝負の世界では全員が満足して終わることなどできはしない。
引退するそのときまでにどれだけ悔いを残さないように努力できるか、部活ではそれが全てだ。
今いる一年生や二年生は、その姿を先輩から引き継ぐことができたのだろうか。
グラウンドに散っていく背中を見ると、少ししんみりとした気分になった。
「あのー、それで私はどうすればいいんでしょうか?」
「......おい、なんでこの女がここにいる?」
感傷に浸る間もなく、二人の少女の声が肇の耳に届く。
姫井は嫌そうに、摩那は困惑した顔で鍋島と野村の前に立っている。
今日は練習に混ざるつもりではなく、野村への相談があって芳志高校に足を運んでいた。
それを前日に電話で野村に伝えると、摩那と一緒に練習に混ざればいいと言われたのでお言葉に甘えることにしたのだ。
「今日は摩那さんには、陸上部で姫井さんと同じメニューを消化してもらいます」
「ええ! 私、混ざっていいんですか!?」
「僕の意思は無視なのかい?」
「霧子、お前は前から並走相手欲しがっていただろ。上條はうってつけの存在だと思うが」
「それはそうだけど、鍋島さんでいいじゃないか。わざわざこいつじゃなくても」
「肇に毎日学校に来てもらうわけにもいかんだろ。同い年のライバルが部内にいることはいい刺激になるだろ」
「え、ちょっと待ってください。私、陸上部に入れるんですか?」
「今すぐというわけではありませんよ。今日は様子を見てもらうだけです。入部はあくまで、県選手権で結果を残せばの話です」
「うーん、嬉しいような、コーチの元で教わっていたいような......」
「そもそも、体験入部で追い出されたのが家庭教師に頼るきっかけですよね? それが解消されるに越したことはないはずです。指導力でいえば野村先生の方が上ですし、たまに私も顔を出すつもりですからね」
「それなら、まぁ......でもなぁ......」
摩那は出会ったときと比べ、ずいぶんと走れるようになった。
どれだけ厳しい練習でも音を上げることなく、鍋島が作ったメニューを消化しつづけてきた。
元々のフィジカルもあり、練習だけなら姫井の相手にもなるレベルにはなっている。
ドリルや複雑な動きはまだできないが、単調な動きなら今は問題ない。
体験入部のときのようにハードルを蹴り壊すようなことはもうしないだろう。多分。
ちゃんとした場所で、よりよい指導者に見てもらえるのならばその方がいいだろう。
本当ならば県選手権で野村に摩那のレースを見てもらいその上で判断してもらうつもりだったが、少し前倒しになってしまった。
ただそれは決して悪いことではない。
(同年代のトップの実力を肌で味わういい機会だ)
姫井は先週の地区大会を無事一位抜けでインターハイ出場を決め、今や優勝候補の一角になるほどの選手になっている。
そのレベルの選手と並走できる機会というのは非常にレアなことである。
一応県記録保持者である鍋島と走ってはいるが、やはり同年齢同性の相手と練習した方が学びは多いだろう。
「なぁ、なんで僕がわざわざ練習に付き合わなきゃいけないんだ?」
「霧子、お前今週は疲労抜き用のメニューだから余裕あるだろう。来年は三年生、部活を引っ張っていく立場にもなる。指導する側にも慣れていかないと困る」
「他の部員にやらせればいいだろ。僕より適任はいるだろ」
「そういう他人任せの姿勢のことを言っているんだ。選手としては一皮むけたが、人間性はまだまだだなぁ」
「陸上に人間性って必要なのか?」
「人格者であれと押し付けるつもりはないが、学校教育の一環としての部活なのだ。人間性の成長を求めるのは当然のことだ」
「それでタイムが速くなるとは思えないんだが?」
「はぁ、レースでのメンタルは落ち着くようになったのに、噛みつく癖は抜けんなぁ」
肩をすくめて苦笑いを浮かべる野村と、顔を背けて不機嫌を隠そうとしない姫井。
この二人は、というよりも姫井はいつもこういった態度を野村に取っているのだからこれが普通なのだろう。
それを見ていた摩那が、鍋島の元に忍び足で寄ってくる。
折角の部活動に混ざれるというのに、その顔はどこか浮かない様子であった。
「もし、私が陸上部に入れるってなったら、コーチはどうなるんですか」
「家庭教師の契約は終わりです。無料で教わる環境があるのに、わざわざ金を払う必要はないでしょう」
「でも、コーチにしか教えてもらえないようなこととか──」
「そんなものはありませんよ。私が教えた練習方法は一般に普及しているものしかありません。常に競技の最前線に身を置いている野村先生は最新の知識をもって、適切に摩那さんを導けるでしょう」
「むぅ、それはそうかもしれませんけど」
摩那はジャージの裾を握って俯いている。
言いたいことは分かる。
短い期間ではあるがマンツーマンで頑張ってきたのだ、名残惜しさはあるだろう。
鍋島も摩那がどこまで伸ばすことができるか見てみたい欲はある。
それでも、指導者として摩那を独占するつもりはなかった。
より良い環境があるのだから、そちらを勧めるのは当然のことだ。
摩那がプロを目指すような人間であれば部活動ではなく個人コーチを雇うのは問題ないが、そもそもの家庭教師のスタートが入部拒否からなのだ。
現状がイレギュラーなだけであって、それは改善されるべきだ。
向上心のある摩那が、総体などの大会に出場できないのはマイナスでしかない。
摩那の可能性を感じるだけに、それを伸ばすために自分ができることはするつもりだ。
それに、もしも野村の指導方法や陸上部の人間と反りが合わないなどの問題があればまた家庭教師の形に戻ればいい。
そう摩那に声をかける前に、姫井がこちらに向かって話しかけてきた。
「はぁ。本当は鍋島さんと並走したいんだけど、今日一日は僕がこいつの面倒を見なきゃいけないらしい」
「こいつって何ですか。姫井ちゃんは失礼ですねー」
「お前は馴れ馴れしすぎる! ちゃん付けをやめろ気持ち悪い!」
「友達なのに......」
「友達だと思ったこともない!」
「でも、最近は教室でも話しかけてくれるじゃないですか」
「お前から絡んでくるからだろ!」
「あー、仲が良いのは構わんが、そろそろ練習に入ってもらっていいか?」
野村が二人のやり取りを中断させて練習メニューを告げる。
「6㎞のビルドアップ走、上條はその後に余裕がありそうなら400mの流しを入れてくれ」
「ビルドアップ走って、なんですか?」
「段階的にペースを上げてくんだ。今回は一キロごとにペースを上げてもらうことになる。タイム管理は霧子がしてくれるだろうから、後ろについて走ってくれ。ロードワークになるから、脱水にだけは気を付けろよ」
「分かりました! 行こう、姫井ちゃん」
「なんでお前が仕切るんだ......」
二人は会話をしながらベンチの方に向かって歩いて行く。
ビルドアップ走は普段はやっていないトレーニングであるが、体力のある摩那ならば問題はない。
普段から5㎞は走っているのだ。
設定タイムも今日は霧子の調整用のタイムのため、ついていくことは簡単だろう。
二人から視線を切り、改めて野村と向き合う。
「それじゃあ、肇の相談を聞こうか。そういえば、君から頼ってくれるのは珍しいな」
「そうですね。もし部活の迷惑のようならば大丈夫なんですが......」
「別に嫌味というわけではない。単純に気になっただけだ。高校のときは相談なんてしてくれなかったからな。それで、内容は?」
「フォームへのアドバイスが欲しいんです。タイムトライアルの感触は悪くないんですけど、どこかぎこちない感覚がして」
現在鍋島は県選手権に向けて強度の高い練習を増やしている。
設定タイムの基準は過去の自分を参考にしているのだが、どうしても違和感を拭えない走りになっている。
ブランクが空きすぎて、過去の自分のタイムに追いつけないというわけではない。
むしろ、短い距離であれば過去と何ら遜色のないタイムを出すことはできる。
成長期のタイミングが遅かったのか、高校三年の冬から大学一年生の間に急速に身長が伸びた。
肉体的な全盛期は今になるのだろう。
100mや200mならば今の自分の方が速く走れる自信がある。
ただ距離が伸びると、その成長した体と長年身に付けたフォームのズレがどうしても拭いきれずに違和感として付きまとっている。
その修正に、野村の力を借りようと思ったのだ。
「フォームか。身長が伸びた分、ストライドに問題があるのかな」
「そうですね。ジョギングは問題ないんですけど、全力疾走になると少しぎこちなさを感じまして。その辺りを第三者に見てもらって意見が欲しいと思いまして」
「いいよ、見よう。アップやドリルが終わったら声をかけてくれ。そうだな、グラウンド一周のレぺでもするか」
「ありがとうございます。それでお願いします」
野村の返事を聞き、鍋島は胸を撫でおろす。
無下に拒否されるとは思っていないが、それでも本人から了承の言葉を貰えると気が楽になる。
軽装になり、トントンと首を叩く。
わざわざ時間を割いてもらう以上、無様な走りを見せることはできない。
本来は部員の指導に当たる時間なのだ。
その時間を無駄にすることは野村にも部員にも申し訳がない。
鍋島は靴紐を固く結び、ウォーミングアップのためにグラウンドに走り出した。
***
(ふむ......モチベーションは予想以上にあるな)
短距離ブロックの練習を見ながら、ちらりと視線をグラウンドの方に向ける。
黙々とウォーミングアップに勤しむ肇の姿が視界に映る。
汗をかきながら体の調子を確認する肇の顔つきは、まるで彼が高校時代のときのように熱を覗かせていた。
淡々とした表情の下に押し込められていた負けん気が、すでに顔からにじみ出ている。
それは彼がレース直前に見せる顔であり、ただの練習で見せるものではなかった。
明らかに、五月の記録会のときと雰囲気が違う。
合間合間に部活に来ては姫井の練習を見ていたときとも違う真剣さだ。
(はてさて、何があったのやら......)
肇が学生時代ですら、直接教えを請われたことはあまりなかった。
自分が管轄の国体選抜合宿の時にはメニューを与えたりアドバイスを与えることはあれど、肇自身から指導を求めてくることはなかった。
決して肇が怠惰で向上心が無かったわけではない。
他人の指導を必要とするレベルではなかったのだ。
肇は真っ当な指導者がいない環境で陸上競技に取り組んでいたからか、自分一人で練習と反省が完結する完成度を有していた。
速くなるために他人の力を必要とすることをあまり好まなかったのだ。
そのスタイルでインターハイで2位の座を勝ち取っており、野村としても特に言うことはなかった。
もし、このまま成長してくれれば大学では面白いことになる。
そう思っていたのに、肇は大学では陸上と距離を置いていたのか大会で会うことはなかった。
長く指導を続けていれば、才能は有るが競技を諦める人間も珍しくはない。
残念ではあったが、その選択を責めるつもりは毛頭ない。
それが今学期に入り、見知った学生と競技場で見かけたときは自分自身の目を疑った。
昔目をかけていた人、同じ学校でありながら指導することができなかった人。
その二人が今は野村の声が届く範囲にいる。
思わぬ嬉しい誤算に野村はひげをいじりながら頬を緩めた。
「短距離はペアでスターティングブロックを使って練習。最初の三歩目で加速しきる感覚を意識しろ」
「はい!」
「集中して指先まで感覚を研ぎ澄ませ。練習でできないことは本番もできないぞ」
「はい!」
他の部員も良い影響を受けている。
間近で全国大会出場者の走りを見ることはいい刺激になっている。
上條もそうだ。
部員の耳に入っていることは肇の教え子であること、つい最近陸上デビューしたということだ。
初心者に対して負けたくないと思うのは人間の心理らしく、教えてる人間がどれだけ実績を持っていようが関係ないらしい。
実際には中学時代から練習をしているのだが、それは大半の部員が知らない。
対抗心というには薄暗い何かを心に宿している部員も何名かいるが、それは県選手権で上條が晴らしてくれることだろう。
「野村先生、行けます」
「そうか、合図は?」
「自分のタイミングでいいですか」
「いいよ。フォームだけ確認しよう」
軽装になった肇が目の前に立っている。
アップにあまり時間をかけない彼はジョギングと数本の流しで準備が整う。
日本人にしては珍しい気質だが、そういうタイプもいないわけではない。
ストップウォッチをポケットから取り出しながら、肇の体を観察する。
脚は無駄を極限まで削ぎ落したかのように細く、ふくらはぎには血管が浮かび上がっている。
引き絞られた体は風が吹けば飛びそうな印象を与えるが、鍛え上げられた体幹は安定感のある姿勢を生み出している。
見た目だけではブランクを微塵にも感じない姿だ。
(ふーむ。今年は男子は岳で決まりだと思っていたが、分からなくなってきたな......)
岳に声を掛けたのは、インターカレッジで優勝した実績を打ち立てたからだ。
今年のベストタイムは県で断トツの一位であり、国体の選手選抜を任さられている身として声をかけないわけにはいかない。
そんな岳と肇が同じ大会に出るように仕組んだのは、自分だ。
一緒に走ったことのある相手、しかも教え子の兄と競争することでかつてのモチベーションを取り戻してくれればいい。
そう考え肇も県選手権に誘ったのだが、すでに現役時代と変わらない闘争心を滾らせている。
いや、それ以上か。
何があったのかは知らないが、自分に教えを乞うぐらいだ。
本人にしかわからない何かがあったのだろう。
グラウンドに引いた白線のスタートラインに肇が立つ。
その顔には表情がなく、レース直前の集中した際に見せる顔があった。
肇の異様な集中力は部員たちにも伝わったのか、困惑と期待の雰囲気が漂い始めていた。
「鍋島さん、今日レペ? 全力で走るの初めて見るな」
「すごい集中してるね……周りの私たちに、一切目もくれない」
当の本人はさして気にすることもなく、軽くジャンプをして体をほぐし、首筋をトントンと叩いてる。
肇が本気で走る前のルーティンのようなものだ。
肇はルーティンを意識したことはないと言っていたが、長年の経験から無意識のうちに根付いた様式なのだろう。
それが出たということは、レースと遜色ない走りを見ることができるということだ。
少しの間佇んでいた肇は大きく息を吐いてから、右手をスッと高く掲げた。
スタートする準備ができたのだろう。
ストップウォッチにかかる指に力が入る。
高校のグラウンドは一周300m、それを肇はどのようなタイムで駆け抜けるのか、単純に野村は気になった。
「よーい……はい!」
手を振り下ろすと同時に、低い前傾姿勢の肇の体がグングンと加速していった。
身長を手に入れた彼は力強く、ダイナミックな走りでどんどんとスタート地点から離れていく。
「……速っ」
ポツリと練習を見ていた誰かが漏らした。
短距離専門の部員から見ても、そのスピードが尋常ではないことがわかる。
腕や脚は豪快に振り切っているのに頭から骨盤にかけたラインは一切ぶれることはない。
食いしばるような力みがあると顔周りは硬直するのだが、脱力はできているようで、一歩一歩踏み出す度に頬が大きく揺れる。
(記録会から二か月足らずでこの完成度か。凄まじいな)
記録会で見た走りとは比較にはならない走者がそこにはいた。
あの日はレース展開に意識が割かれていたのかブランクのせいか、今のような迫力のある走りではなかった。
たまに来てグラウンドで走る時も生徒に合わせて走っているため、セーブして縮こまったフォームになっていた。
全てのしがらみを解き放ち、成長した肉体を十全に使った肇の走り。
「......面白くなってきたな」
一周し、白線を走り抜けるタイミングで反射的にストップウォッチを止める。
34.9秒。
土のグラウンド、スパイク未着用、未調整と考えれば驚異的なタイムだ。
このタイムを出せる部員はうちにはいない。
スピード感覚は完全に取り戻している。
むしろ、より速くなっている。
これをレース中持続させる体力があるかどうかが問題になるだろう。
もしその問題が解決されるのならば。
来月に迫った県選手権に思いを馳せる。
(インカレ優勝者と県記録保持者の真っ向勝負だ)
膝に手をついて呼吸を整えていた肇が近づいてくる。
まだ肩は上下しているが、足取りはしっかりとしており肉体に問題はなさそうだ。
「どうでしたか?」
「タイムは悪くない。フォームも大きな問題はないな。終盤に疲れてきたとき若干肩が上がるぐらいだ。そのせいでピッチが落ちている。肘を心持ち下に置く感覚の方がいいな」
「分かりました。接地の足はどうでしょうか」
「踵接地になり気味だな。これはまぁ高校からのフォームだから特に言うほどではないかな。ピッチの感覚が掴めれば気にならなくなるだろう。この後はどうする?」
「もう一本、見てもらっていいですか?」
「いいとも。気が済むまでやればいい」
「ありがとうございます」
肇は一口だけスポーツドリンクを口に含んで、体の乳酸を取るためにフォームを確認しながらゆっくりとグラウンドを歩き始めた。
その後ろ姿を見ながら、ゆっくりと自分の顎髭を触る。
自制しようと思っても、どうしても口が歪む。
才能がある人間が、向上心に取りつかれ、心を燃やす様は指導者にとって一番見ていて面白いのだ。
部員は悪くない。
各々の目標に向かって努力する様は指導のし甲斐があると感じる。
霧子も、まぁいい。
ムラっけはあるが才能は間違いなくあり、噛みつきはするが練習は人一倍熱心だ。
ただそれでも、肇は別格なのだ。
淡々と与えられた練習をハイレベルでこなし、決して現在地点で満足することなく、狂っているほどの練習量をこなす熱意を無表情の下に隠している。
生徒として、文句なしの逸材だ。
この逸材が、どこまで伸びるのかこの目で見ていたい。
一度手放してしまった手前、より強くそう感じる。
顧問としては失格だろう。
部員よりもただの部外者に強く心を惹かれているのだから。
「二本目、行けます」
「ああ」
スタートラインから肇が声を掛けてくる。
ストップウォッチを構えて、瞳は彼の一挙手一投足に釘付けになる。
蝉の鳴き声が、やたらと遠くから聞こえるような気がした。
評価、感想、誤字指摘等していただけると嬉しいです。
X→https://x.com/asutoro_narou




