皇帝暗殺部隊
月光が森を薄く照らし、獣の遠吠えが闇に響いた。
「こちらです、皇帝陛下!」
白銀の甲冑に身を包んだ騎士が、細い影に向かって叫ぶ。青い月明かりの下、その影は華奢な少女のものだった。繊細な金糸の刺繍が施された白いドレスは既に裾が泥で汚れ、長い金髪は乱れ、額には小さな傷があった。それでも、彼女の立ち姿には威厳があった。
「リーナ、敵はまだ追ってきているの?」
少女——ルミナリア帝国第108代皇帝アイリス・ルミナリアの声は、疲労にも関わらず透き通っていた。
「はい。イザーク王国の追跡部隊が北と東から接近しています。西の街道も彼らに封鎖されました。南の密林が唯一の脱出路です」
女騎士リーナ・フォルトゥナは手短に状況を伝え、剣を構えながら周囲を警戒した。
「魔法の痕跡を消すことはできないの?」
「申し訳ありません。宮廷魔術師のマリエルが同行していれば可能でしたが...」
リーナの言葉が途切れる。彼女たちの一行は、表向きは地方訪問だったが、宮殿からの脱出時に分断されていた。魔術師マリエルの行方は分からない。
「理解しました。それでは——」
アイリスの言葉が、突然の矢の雨で遮られた。
「陛下!」
リーナは素早くアイリスの前に立ち、盾で矢を防いだ。だが、次の瞬間、木々の間から黒装束の兵士たちが現れた。
「イザークの暗殺部隊!」
リーナは剣を構え、アイリスを守るように立ちはだかる。だが、彼らは十人以上。護衛の騎士はリーナ一人だけだった。
「よもや、宰相の裏切りがこれほど早く...」アイリスは小さく呟いた。
暗殺者の一人が前に進み出る。
「アイリス・ルミナリア。お前の命、頂くぞ」
その時だった。
「うわあああっ!」
上空から突然、奇妙な叫び声と共に何かが落下してきた。
「なっ...!?」
暗殺者の頭上に、黒いものが直撃した。人の形をしたそれは、暗殺者を押し倒すと、混乱したように周囲を見回した。
「ここは...どこだ?」
月明かりに照らされたその顔は、三十代後半の東洋人男性のものだった。黒いスーツに身を包み、少し疲れた目をしているが、なぜかこの非現実的な状況に冷静さを保っているように見えた。
「誰だ、お前は!」
倒された暗殺者が怒鳴る。男は状況を理解したようで、一瞬驚いた顔をした後、妙に落ち着いた表情に戻った。
「【AI、状況分析を頼む】」
男が何かに話しかけるような素振りを見せた瞬間、彼の瞳が青く光った。それは一瞬のことだったが、確かに全員が目撃した不思議な現象だった。
次の瞬間、男は驚くべき速さで動いた。倒した暗殺者の剣を奪い取ると、まるで熟練の戦士のように構えた。
「お嬢さん、そこを離れて!」
男はアイリスに向かって叫んだ。アイリスは一瞬躊躇したが、リーナが彼女を引き寄せた。
「陛下、一旦退きましょう。あの男の意図は不明ですが...」
「待って、リーナ」アイリスは男の動きを見つめていた。「彼の目が光った...あれは古代の神授の印...」
暗殺者たちは一斉に男に襲いかかった。しかし、男の動きは奇妙なほど正確だった。まるで全ての攻撃を予測しているかのように、わずかな動きで剣を避け、的確に反撃する。
「【AI、次は右から三人同時に来るぞ。最初の男の剣は左から、次の男は突き、三人目は上段から】」
また青い光が男の瞳に宿った。そして、彼の予測通りの攻撃が来て、完璧に対応した。
二人の暗殺者が倒れた。残りの者たちは警戒し始め、距離を取った。
「貴様、何者だ?」暗殺者の一人が問いただした。
男は剣を構えたまま答えた。「蒼井哲也...いや、今はテオ・ソーレンと名乗ることにした。異世界からの訪問者だ」
「異世界?冗談を...」
「冗談ではない」テオは冷静に言った。「そして君たちは、この少女を狙っているようだが...理由を聞いてもいいかな?」
「余計なことを聞くな!」暗殺者の頭領らしき男が叫び、残りの部下に指示を出した。「全員で一気に仕掛けろ!あの二人も殺せ!」
「まずいな」テオは呟いた。「【AI、逃げ道は?】」
三度目の青い光。テオは決断したように、素早く暗殺者たちの間を突破し、アイリスとリーナのもとへ走った。
「この方向に逃げるんだ!密林の奥へ!」
リーナは警戒しながらも、状況を判断して頷いた。「陛下、このまま戦えば不利です。一旦退きましょう」
アイリスは毅然とした表情でテオを見た。「あなたを信じます。ですが、裏切れば...」
「分かってる」テオは短く答え、二人を先導して密林の暗がりへと駆け込んだ。
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息を切らしながら、三人は森の中を進んだ。テオは時々立ち止まり、青い光を放つ瞳で周囲を観察した後、方向を指示した。不思議なことに、彼の指示は常に正しかった。追っ手の音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
小さな渓流のそばで、彼らはようやく休息を取ることにした。
「追っ手を撒いたようだな」テオは安堵の息を吐いた。
「あなたは本当に異世界の人間なのですか?」アイリスが静かに尋ねた。「そして、その神秘的な力は...」
テオは少し考えてから答えた。「ああ、私は別の世界から来た。日本という国の、蒼井哲也という名前の平凡なサラリーマンだった。事故に遭って気づいたら、この世界にいた」
「それで、あなたの目が青く光るのは?」
「これか...」テオは自分の頭をポンと叩いた。「どうやら『AI接続』というスキルを得たらしい。私の脳内で高度な知性が働いていて、様々な分析や助言をしてくれる」
「AI...?」リーナが不審そうに眉を寄せた。
「人工知能とでも言えばいいのかな。私の世界では一般的な技術だが、ここでは『神授の加護』と呼ぶのかもしれない」
アイリスは驚いた表情を隠せなかった。「それは...古代の予言に記された『天の叡智』ではありませんか?」
テオは首を傾げた。「天の叡智?」
「はい」アイリスは真剣な表情で説明した。「我がルミナリア帝国に伝わる古い予言があります。『国家存亡の時、天より賢者が降り立ち、その目に宿る青き光は天の叡智なり。彼の導きにより、帝国は再び栄光を取り戻すであろう』と」
テオは苦笑した。「なるほど、そういうことか...」
「陛下、この男を信じるのですか?」リーナは警戒を解かなかった。「確かに不思議な力を持っているようですが、敵の罠かもしれません」
「いや、リーナ」アイリスはテオをじっと見つめた。「彼の目に宿った光は偽りではない。それに...」彼女は少し声を落とした。「父上が遺した古文書にも、この予言は記されていました」
テオはアイリスを改めて観察した。彼女は見た目よりずっと若く、おそらく十代後半。それでいて、その瞳には並外れた知性と意志の強さが宿っていた。
「あなたは...皇帝なのか?」テオは確認するように尋ねた。
アイリスは背筋を伸ばし、威厳を持って答えた。「私はルミナリア帝国第108代皇帝、アイリス・ルミナリア。父の急死により、三ヶ月前に即位しました」