36話
翡翠の鳥は魔人を捉えたまま天へ向かう。
魔人は絞り出した瘴気を固めギリギリのところでその嘴を防ぐが、大嵐の勢いを完全には抑えきれずに体のヒビは広がっていく。
「ガァァァァア―――」
雲をぬけ、太陽が近づいた頃、風はついにその胸の中心に風穴を開け、満足気に姿を崩していく。
「核、ガ……ッ」
魔人にとっての角とは魔物の魔石と同義である。核を砕かれればそこからのエネルギーを失い、存在を保つことは出来ない。
「マダ、だ。修復ヲ……ッ、魔力ヲッ……!!」
「いいや。終わりだよ」
うつ伏せの状態で空へ打ち上がったゆえにその距離感は分からない。
だがおかしい。いくら世界が違うとはいえ、まだ雲はそこにある。こんな近くに太陽があるはずがない……!?
「キ、サマ……!!」
背後に感じるその存在感。
まるで本物の太陽と見間違うほど巨大。大気すら焦がすその熱はまさに天体そのもの。
見えなくてもその存在感に圧倒される。
「『白き、子』……!」
白髪は炎のように揺らぎ、瞳のルビーはほのかに金に輝く。
足元には足場になるようなものはなく、されどそこに立てるのは途方もない量の魔力を贅沢に使い、見えない足場を作り出しているからか。
「その少ない瘴気じゃ、これは防げない」
神の使徒と言わんばかりの存在感を解放し、炎の使者は言葉を告げる。
その言葉が、その存在が、背中を焦がす熱が、魔人の存在を否定する。
「神ノ焰」
太陽が―――墜ちる
「――――――」
◇◆◇
「……空が、燃えている」
まるで夕焼けのように雲の上を照らした朱は、爆風を伴い白雲を吹き飛ばす。
ぽっかりと空いた青空の中心には、米粒よりも小さいが、白い人影が微かに見える。
「……終わった」
魔人は死んだ。翠風と黒雷、白き焔によって跡形もなく消え去った。
母の仇であることには変わりわない。復讐心が無くなった訳では無いが、この光景をみて最初に浮かぶのは達成感でも満足感でもなく。
「綺麗……『お母さん』。とても、綺麗です」
二人の母へ向け、心の内を告げる。
翡翠の剣が薄く輝き、銀の髪飾りへ姿を変える。手のひらで確かな温もりを感じながら、耳に掛る髪をそれで留める。
クラりと頭が揺れ、バランスを崩す。これが魔力の不足する感覚かと考えながら、ドサリと音を立てて倒れ込んだ。
暖かい風に吹かれて、達成感に浸りながら、私は心地よい眠りへ入っていった。
◇◆◇
「任務は終わった。総員、撤退する」
すり鉢の上で戦場を眺めていた騎士たちが隊長の号令で引いていく。
仕事らしい仕事はしていないが、溢れた魔物は漏れなく殲滅していたので、公爵は隊長に労いの言葉をかけた。
「魔物の殲滅、大変助かった。後日改めて城へ伺うが、陛下やメルヴィス様には感謝を伝えてくれるとありがたい」
「ふん。奴らがやったことです。俺ではなくアイツに言うといいでしょう」
隊長はそれだけいうと、部下を連れて背を向けた。
確かに、今回の戦い、間違いなく彼らがいなければ悲惨なことになっていた。それこそ9年前とは比較にならないほどに。
「動けるものは彼らを。回復薬と魔法薬の準備も忘れるな」
「はっ」
1人は魔力不足で倒れ、1人は大技を使った反動か気を失い、そして1人は意識こそあるが、腕の傷は3人で1番の重症だろう。
何よりも娘が心配という思いをなんとか押し込め、公爵として仕事を果たす。
ふと風が吹き、隣で誰かの気配を感じる。
「……私の判断は正しかったのだろうか」
風は答えない。けれど小さく笑ったような気がした。
「あの子から魔法を代償にあの日の記憶を奪ったせいで、ルシェルには余計に辛い思いをさせてしまった。無茶な契約でシルフィも弱り、最後には……」
後悔の念は絶えない。今でもあの判断が正しかったのかは分からないが、1つ確かなことは、今日我が子は全ての苦難を乗り越えたということだ。
「今はただ、あの子の笑顔を見守ろう。君たちと一緒に、私の命が終わるまで」
公爵領に風が吹く。
かつての風はもう彼方で、今は若い風が吹く。
どこまでも自由に。檻を破った若鳥は、理想の夢を追いかける。




