32話
記憶を遡っていく。
学園での記憶の次は公爵領の屋敷での記憶だった。
学園への入学は義務ではないから、私は当初入学するつもりはなかった。魔術の国と呼ばれる隣国ベニムスに行って魔法が使えない原因を探そうとしていたのだ。
それで執拗に入学を勧める父と少し揉め、喧嘩別れのように王都の屋敷に住むようになった。
その次は有名な魔法使いの冒険者を公爵家で講師として雇った時。
彼は苦笑いしながらも優しく教えてくれるのに、一向に魔法のまの字も使える様子がない私自身が情けなくてしょうがなかった。
その次は……
宙に散らばるガラスの破片は中心に進むほどに銀の輝きが増していき、そうやって記憶を遡っていくごとにその中の私の姿はどんどん幼くなっていった。
再び視点が変わり、今度の私は部屋の中のベットで眠っていた。目元の腫れ具合から、これは母が死んだ日の夜か。
「この子はきっと母親を殺したあの鬼を一生かけて追いかけるだろう」
私が眠るベットの傍には私の手を握ったお父さんがいた。久しぶりに見る父の姿は妻の死の直後ということもあり、凄くやつれて見える。
「私は、この子には復讐にとらわれず、戦いからも身を引いて幸せになってほしい。たとえそれが、この子の大事な物を奪うことになっても復讐なんて考えないでほしい」
それは切実な父としての想い。この日から私は強くなることに夢中であまり父と話すことは無かったから、この人の心情など全く知らなかった。
「シルフィ。偉大なる風の大精霊よ。お願いだ。この子の記憶を奪ってほしい。今日起きたすべてを封印してほしいのだ」
眠る私の体の上に小さな風の小鳥が現れる。翡翠の輝きは薄く、どこか弱々しくみえる。
『それは契約ということかしら』
「あぁ。対価は私の魔力と、この子の『魔法』」
『残酷ね。母を失ったこの子から、最後の繋がりまで奪うなんて』
「たとえ愛娘と大精霊の恨みを買ったとしても、我が子の幸せを願うのが親というものだ」
『……そう』
小鳥は私の頭に乗ると頬に優しく口づけをすると、風を解き私の体へ消えていった。
『ルシェル。あたしはあなたを抱きしめることはできないけれど、ずっとここにいるわ。貴方が暗い道ではない、幸せな道を見つけるその時まで、私はあなたの傍にいる』
残されたのは娘の手を握り祈るように額につける父親の姿と、もう一人の母親の声だった。
そして、その記憶がやってきた。
アルカード領の地面に空いた大蛇の巣穴と、その周囲に広がるすり鉢状の戦場の中で、母が戦っている。
風を纏い宙を駆ける母の姿は翡翠の姫の名にふさわしく、冒険者たちとともに穴から出てきた魔物を駆逐していた。
魔物の勢いが衰えて、今回の魔物災害はこれで終いだと、誰もが思った。
あの鬼が現れるまでは。
黒い穴から現れた東洋の武者のような魔物は開口一番拙い言葉でこういった。
「一番の強者は誰だ」と。
それに応えるように母は一歩踏み出して二人の戦いが始まった。
その結末は私の知っている通りで、母の剣と鬼武者の刀が互いの腹を貫き、そして母は命を失ったのだ。
母はその最期、その場にはいなかったはずの私へ手を伸ばして何か呟いたが、その口から音が出ることは無く、何を伝えようとしたのかは分からなかった。
「母さん……」
見たことが無いはずの記憶の中で母が伸ばした手に重ねるように手を伸ばす。
だが記憶はそこで途切れてしまい、伸ばした手は空を切った。
おそらく一番強い思い出が詰まったガラスの破片は儚くも砕け散り光の粒子になって暗闇を照らす。
「……」
目の前に残ったのは泡の核らしきガラスの塊。その内からは優しい銀の光が溢れており、これまでの破片が輝いて見えたのはこの光を反射していたかららしい。
「……これが私の本当の想い?母さんの死よりも大切なもの……?」
これ以上、いったい何があるというのか。想像もつかない。
滲んだ涙をぬぐい、私はガラスの塊へ手を伸ばした。
気付けば私は母の胸に抱かれて空を飛んでいた。その隣には大きな翡翠色の鳥もいて一緒になって空を飛んでいた。
「ふふ。ルシェルも空を飛ぶのが好きみたいね。将来は私みたいに散歩好きになるのかな」
『性格まで似てしまったら大変だわ。こんなやんちゃ娘が二人も増えたら、面倒見るのが大変だもの』
「だれがやんちゃ娘よ!!」
母は翡翠の鳥と楽しそうに談笑して、それを私は意味は分からないが楽しそうに笑っていた。
『それよりも、ルシェルはこの前魔法を使ったのよね。人間にしてはだいぶ時期が早いけれど、しっかり教えてあげなさい。魔法は繊細で危ないんだから』
「そうね。でも大丈夫。なんたってルシェルは私とあの人の子供だもの。きっと天才で最強な魔法使いになるわ!!それにシルフィもいるしね!!」
『……まったく』
あぁ思い出した。これは初めて母さんの魔法を見て、「綺麗」だと思った。その魔法に一目ぼれして、自分も母のような魔法使いになりたいと、こんな魔法を使いたいと最初に思った日だ。
この時から母に戦う術を乞うようになったのだ。魔法はまだ早いからと簡単な魔力トレーニングだけで、ほとんどが剣技だった。
そうだ。どうして忘れてたんだろう。このとき、私はもう魔法が使えていたのに。
魔法が使えないのは生まれつきだと思っていたけど、そうじゃなかった。原因は別にあったのだ。
◆◇◆
「……そうだ。そうだったんだ」
記憶のフラッシュバックが終わり、元の暗闇に戻ってきた。
記憶から得たものは多く過ぎて頭の整理が追いつかない。父の真意。もう一人の母。そして使えていたはずの魔法。
頭の中は?マークでいっぱいで、その手にあるものに気づかなかった。
「これは……母さんの髪飾り?」
ガラスの塊に触れたはずの右手の中には、生前母が使っていた銀色の髪留めが握られていた。
『思い出したかしら。貴方の過去は』
その髪留めの上にあの小鳥が現れる。
「……うん。まだ分からないことはある、けど」
留まることを知らない涙を流しながら、左手で小鳥と髪飾りを撫でる。
「ずっと……ずっと、見守ってくれてたのね。私のもう一人のお母さん」




