29話
「この気配、覚えがある。9年前、この戦場で合間見えた風使いの女。その気配に似ている」
白の鎧に青いマントを許されたこの国の守り手である騎士たちに囲まれたことに意を返すことなく、ただ1人自らの前に立つ少女を観察する。
「⋯⋯この時を待っていました。やっと復讐を果たせる」
少女は瞳に怨嗟の焔を宿らせ、長年の相棒である細身の長剣を構える。
(⋯⋯騎士が来たのは予定通り。けど、どうしてルシェルさんが⋯⋯それに、やっばりこの鬼がルシェルさんのお母さんを殺した魔物だったのか)
いや、そんなこと考えている暇は無い。今の鬼武者相手ではただ剣の腕が立つだけでは戦力として数えられない。
僕が動かなければ彼女は死ぬ。だが胸骨は砕かれ、右腕も粉砕され剣を持つことも出来ない。頼みの白炎も煌剣無しでは彼女を巻き込んでしまう……!
「……く、そ」
呼吸すら十分に出来ない状況で、ハルカはただ見ることしかできなかった。
◇
9年前からよく夢に見る光景がある。
ここに似た戦場で胸から三日月が生えた武者のような魔物と嵐を纏い空を駆ける母がぶつかり合っている。
武者の速度にかろうじて母はついていくが、徐々に遅れをとりはじめ、その剣戟を鈍らせていく。
体に多くの切り傷を作りいよいよ後がない場面で、母の剣に見たことが無いほどの風が宿る。地面をめくりあげるほどの嵐は武者の胸を貫きその角を粉砕した。
そして武者の刀もまた、母の胸を貫いていた。
気付けば夢と同じように、私の体にできた多くの傷から血が流れている
果たしてあれは夢でも母の姿でもなく、予知夢の中の自分の姿だったのか。
(あぁ、でもやっぱり夢ですね……だって私は風を使えない。剣だけではこの鬼に傷をつけることすらできないのだから)
「確かに気配は似ている。だが、強者の子が常に強者であるとは限らない」
剣戟がさらに速度を上がる。
「……ッ!」
一度刀を振れば、次の一刀はさらに速くなっている。
防戦一方。このままではジリ貧だ。せめてもの抵抗で猛攻の隙を狙った一撃も気づいた時にはすでに撃ち落とされており、剣はあまりの威力に耐えられず刃が砕かれる。
「弱者は我が眼前に立つ資格すらない。驕った自信とともに死ぬがいい」
刀が瘴気を吸収しその圧力で体がすくむ。
死ぬと、本能で悟る。
魔法の代わりに磨き上げた剣術も歯が立たず、母の仇に一矢報いることもできずに。
驕り……そうだ、驕っていた。復讐にすべてを捧げた自分ならきっとこの魔物を殺せると、思いあがっていたのだ。
命の危機に頭は目の前の光景をスローモーションに映す。
鬼武者の動きも、今再び溢れ出した他の魔物も、すべてがスローに映る。
実力差を思い知り最後の瞬間を受け入れようとした彼女は、視界の端で一瞬、何かが光るのを感じ取った。
いや光では無い。光を纏う黒い男だ。
穴から出てきた魔物の中心にいる黒い男は、最小限の動きで魔物を避け、ほぼ一直線でここへ到達する。
他のすべてがスローの視界で、その光だけは速度を落とさずほんの一瞬で私と鬼武者の間に到達し止まる。
黒い男は今まさに私の胸に突き刺さろうとする刀を、左手で武者の腕を弾き外に逸らす。
「―――何ッ!?」
「―――」
男が何か呟くと同時に右腕を武者に突き出す。
外套から出した右手の先には紫電が集まり、そして爆発する。
◇
蛇頭を倒し、ようやく地上へ戻ったかと思えば、何故かいる瀕死のルシェルが武者のような鬼と戦っていたので、とりあえず2人を引き離し、ルシェルを抱えてハルの所まで避難する。
「どういう状況だ……?」
ようやく来た様子の騎士たちは戦闘に加わらず、外から魔法で雑魚を散らしている。
それは分かる。どうせ俺たちが任務をしくじるのを期待しているんだろう。そういう奴らだ。
だが、なんでルシェルがいる?
「ごめん、兄さん。僕があの鬼を抑えなくちゃいけないのに」
ハルは右の腕の骨を折られたのか上手く力が入らないようだ。
俺が地下に行っている間、地上はハルが制圧する。そういう役割だった。
俺もハルが簡単にやられると思っていなかったが、どうやらこっちに来た鬼は強敵だったらしい。
「あの鬼、魔物を喰ったんだ。瀕死まで追い込んだはずなのに回復された。それに強くなってる」
「魔物を喰らって回復……?」
地下で見たぼろ布の鬼は力を得るのではなく瘴気を分け与えていた。
蛇頭に残る魔力を瘴気で汚染した、と言った方が正しいか。おそらく魔力と瘴気は似たエネルギーなのだろう。だとしたら死骸に残った魔力を操ったり、回復・強化したりできるのも納得できる。
(瘴気を注がれた蛇頭は口の中に巨大な角が出来ていた……魔力と瘴気、魔物と魔人。共通点は……)
「……魔石、か?」
「それとあの鬼武者、9年前にもここに現れてたらしいよ」
「⋯⋯なるほど」
ルシェルが来たのはそういう事か。
復讐心からか、お節介な誰かが教えてくれたのか。今回の異常に復讐相手が絡んでいると踏んで、騎士団に無理言って着いてきたのだろう。
「⋯⋯」
地面に座り込むルシェルは、復讐相手に歯が立たなかったのがショックなのか、呆然と吹き飛んだ鬼武者の方を見ていた。
こいつは今のままじゃ戦力にならない。まぁ万全な状態でも歯が立たないことは身に染みただろうが。
「……シロ。最後はお前頼りだ。隙は作る。跡形もなく消し飛ばせ」
さっき接触した感じ、俺ではあの鬼武者に致命傷は与えられない。濃すぎる瘴気をどうにか散らせれば勝算はあるが、それよりハルに頼った方が手っ取り早い。
「了解。煌剣無しでもそれくらいなら出来るよ」
土埃が晴れ、鬼武者が姿を現す。
体は俺の倍以上大きく、纏う瘴気で辺りは淀んで見える。
外套の中から腰に差した短剣をとり逆手に握る。
「……まだ諦めてないのなら、さっさと思い出したほうがいいぜ」
最後にへたり込むルシェルへちょっとした助言を授け、雷を纏い直した俺は走り出した。




