そのような事実はございませんが?―晴れの舞台でアホが勝手に自滅しました
小さなころ、なぜ姉のステラリスばかり優遇されているのか、アナスタシアは理解できなかった。姉には流行のドレスが与えられ、一流の家庭教師が何人もついている。一方のアナスタシアには、流行遅れとまではいかないが姉のお下がりばかり。家庭教師も姉の授業の合間に教えてくれるくらい。両親に差別されているとは思わなかったが、姉にとくに期待しているだろうことはアナスタシアが見ても明らかだった。
物心がついてくると、なんとなく姉と自分の違いがわかってきた。ステラリスは美人で、人目をよく引いた。サンドレア家はぱっとしない伯爵家で、政略のメリットはあまりないが、ステラリスは高位の子息が懸想してもおかしくない令嬢に育っていたのである。
ステラリスとの違いを知れば知るほど、両親がステラリスに並々ならぬ期待を注いでいるのだと理解した。そして、自分は両親の期待すら背負うことが許されないのだと、そうさみしくも思っていた。
そんなアナスタシアの気持ちを敏感に感じ取ったのは、母のアンである。
「……アナスタシア、ごめんなさい。あなたにはきっといらぬ心労を与えているわね」
「謝らないでください、お母様」
これはアナスタシアの本心であった。たしかにさみしくはあったけれど、だからと言ってステラリスのようになりたいと思ったことはない。
「あのね、アナスタシア。実は……サンドレア家は……すっごく貧乏なの」
「……えっと……?」
「本当はあなたにも平等にしたいんだけど、そうもいかないくらい家計は火の車。娘を道具にしているようで申し訳ないけど、ステラリスには侯爵家以上に嫁いでほしいのよ」
はあ、と重いため息をつくアンを見て、アナスタシアはぱちぱちと目を瞬かせる。たしかにサンドレア家がそこまで豊かではないことは、アナスタシアもなんとなく感じてはいたけれど……。
「ステラリスにはしっかり話して、あの子も納得の上よ。いくらお金がなくても、ステラリスを売るような真似をするつもりはないわ。でもね、我が家の再興はステラリスにかかっていると言っても過言ではないの」
「……お姉様は、そんなご苦労を……」
「あなたのお姉様は本当に立派よ。……もちろん、アナスタシアもね」
「わたくしには、何もありません」
「いいえ、そんなことないわ。ステラリスは最終的に三カ国語を話せるように勉強しているけれど、アナスタシアなら五カ国を話せるようになるとお母様は思っているの。アナスタシア、あなたはステラリス以上の頭脳を持っているわ」
「わたしが……?」
アンは優しくほほ笑み、アナスタシアの頭を撫でる。
「ステラリスは本当に美しい娘だわ。たしかに見た目だけで言えば、アナスタシア以上ね。わたくしにとっては二人ともかわいい娘だけど、客観的に見ればステラリスのほうが人目を引いている」
アナスタシアは、いつも人に囲まれているステラリスを思い出し、小さく頷く。
「でもね、残酷だけど、美しさは永遠ではないの」
「え?」
「美しさはいずれピークを迎えたらあとは落ちるだけ。一時のものよ。だから美しさが衰えてもステラリスが困らないよう教育を施しているの。でもアナスタシアはステラリス以上の才女になるわ。そして、あなたの賢さは磨けば磨くほど長く続くし、あなたを必ず助ける」
「賢さ……」
「そうよ。それにね、あなたはステラリスが姉ですごくラッキーなのよ」
「どうして?」
「覚えておきなさい。ステラリスの美しさだけを見て愛を囁くのは、アホよ」
「……アホ」
アンの強い口調に、アナスタシアはぽかんと口を開ける。
「そう、アホよ。人の外見しか見ていないアホ。そして、自分の見たものではなく、噂を信じるのもアホね。アナスタシアはステラリスのおかげで、アホを見抜く目も同時に養えるの。いい、アナスタシア。いくらあなた自身が賢くても、周りにアホを置いてはだめ」
「わかりました、お母様」
アナスタシアの力強い返事に満足したのか、アンはアナスタシアをぎゅっと抱きしめる。
「……でもお母様、どうして我が家は貧乏なの?お母様がいるのに」
アンは大きなため息をつくと、こめかみをおさえた。何かいけないことを聞いたのかとアナスタシアはびくりと震える。
「ごめんなさい、アナスタシア。怒っているわけでは……いいえ、怒ってはいるんだけど。そうね、簡単に言えば、スチュアート……あなたのお父様のせいね」
「え!?もしかして、お父様はアホなの!?」
「……ふふっ、そうね、ある意味ではそうかも。でもね、スチュアートはとても優しいのよ」
「お父様は、わたくしにも優しいです!」
「ええそうよ。お父様は優しいから、目の前で困っている人をほうっておけないの。だからすぐ借金をしてしまってサンドレア家は火の車!おかげでステラリスにもアナスタシアにもいらぬ苦労をかけて……本当に申し訳なく思っているわ」
「わたくし、お父様もお母様もお姉様も大好きです!」
そう言うと、アンは再びアナスタシアを抱きしめる。
「ありがとう、わたくしも大好きよ」
「……お母様、お父様のこと嫌いにならない?」
「ならないわ」
母はきっぱりと即答した。
「だって、わたくしはそんなスチュアートを愛したのだから。……これ、お父様には内緒ね?」
アンのいたずらっぽい笑みに、アナスタシアも笑う。
この話を聞いてから、アナスタシアは自分の気持ちに区切りをつけ、いっそう姉のステラリスを尊敬するようになった。たしかに、自分と姉は明確に区別されている。だからと言って、それは、アナスタシアを虐げるためでも、ステラリスを家のための道具としているからでもない。両親は家のことや子どもたちのことを考え、尊重してくれている。
そう思えばアナスタシアはさみしくなかったし、勉強にもより真剣に取り組めるようになった。
――アホにならない。アホに侮らせない。
そして、ステラリスが貶められることがないように、自分自身を高めるために、アナスタシアはどんな知識も吸収した。
アナスタシアが十六になるころ、貴族が通う学園に入学が決まった。ステラリスもすでに学園に通っており、アナスタシアが入学するときにステラリスは最高学年となる。そろそろステラリスも嫁ぎ先を決めなくてはならない。ステラリスは美しさだけでなく知性も兼ね備えており、同学年の王太子殿下の側妃候補の一人にまでのし上がっている。正妃筆頭候補との関係も良好で、このままいけば、卒業と同時に側妃として指名があるはずだ。
だからこそ、アナスタシア自身も慎重に行動する必要があった。あのステラリスの妹として、自分は良くも悪くも注目されるだろう。ステラリスに近づくためにアナスタシアに声をかけてくる人間もいるはずである。しかし、アンの話から、アナスタシアは「アホ」をちゃんと見極める方法を身につけていた。容易にアナスタシアに取り入ることはできない。
さらにアナスタシアは、ステラリスの名声に一役買おうと必死で勉強し、入学試験もトップで通過した。両親やステラリスが大喜びしたのは言うまでもない。
そうして慎重に、足元をすくわれないように行動していたのだが、やはりアホはどこにでもいるものである。
「おい、お前、ステラリス嬢の妹なんだろう?」
また変なのがきたと思い、アナスタシアは軽く頭痛を覚える。多少好奇の目にさらされるのは仕方ないとは思っていたが、トップ入学の自分に気軽に声をかけていいものか周囲が慎重に探っていたというのに。
「申し訳ございませんが、急いでおりますので」
そもそも名乗りもしない、初対面の相手に「お前」と言うような礼儀知らずを相手にする必要はない。アナスタシアは礼を取り、そのまま通り過ぎようとした。
「おい、待て!」
ところがその無礼な男は、アナスタシアの肩を許可もなくつかみ引き寄せた。バランスを崩したアナスタシアの手から教科書やノートが落ちる。
「この俺が声をかけているというのに、無視するとは何事だ!」
アナスタシアがまじまじと無礼な男の顔を見ると、驚いたことにそこにいたのは同学年の第三王子であった。第三王子は側妃腹の王子で、継承権はあるものの、自由にのびのび育ったと聞く。たしかに、かなり「のびのび」育ったようだ。
そしてこの第三王子は、どんな教育を受けたのか、自分こそが王太子になるべき人間だと吹聴して回っているらしい。もちろん第三王子は人生をやり直したって王太子になれないことを周囲は理解しているので聞き流しているのだが、第三王子ということもありどう扱うべきか困惑しているようだった。
ところが周囲が何も言わないのをいいことに、「他の人間も自分が王太子になるべきだと思っている」と自分のいいように解釈しているようだ。アホは死んでも治らないとはこういうことか。
「……はあ、大変失礼いたしました、第三王子殿下」
仕方がないので臣下の礼を取ると、第三王子は満足したように鼻を鳴らす。
「ふん、それでいい。で、お前がステラリス嬢の妹だろう?」
「……はい、わたくしはステラリスの妹、アナスタシアと申します」
「へえ、そうか。あまり似てないな」
馬鹿にしたように笑う第三王子に、アナスタシアは「はいはいそのパターンね」としか思っていなかった。美しいステラリスと比べれば、自分の容姿が平凡なことは事実だ。だからと言って、それを理由に他人に侮られる理由はない。
「何かご用でしょうか、第三王子殿下」
「ああ。お前、ステラリス嬢にずいぶん虐げられているらしいな?生家でも苦労しているんだろう?」
「……はあ」
「どうだ、俺のほうにつかないか?俺が王太子になったら、そうだな……側妃にしてやらんこともない」
「はあ……」
アナスタシアは呆れ果て、言葉を失う。まさかとは思うがステラリスが自分を虐げていると断罪し、王太子の資質を問題にするつもりだろうか。そんなバカげた計画がうまくいくわけないのに、どうやら理解できていないらしい。
そうだわ、とアナスタシアは考える。このアホは仮にも第三王子だ。うまく利用すれば、ステラリスの基盤を盤石にできるかもしれない。
「第三王子殿下、くわしいお話は授業のあとにできればと存じます」
「ああ、そうか。わかった」
第三王子が去ると、アナスタシアは授業へは向かわず、姉と王太子、さらに筆頭王妃候補がいるであろう生徒会室へと向かった。
「ステラリス・サンドレア!」
学園の卒業パーティーの日、そんなめでたい日にふさわしくない大声を上げたのは第三王子である。周囲は何事かと遠巻きに第三王子を見ている。
名を呼ばれたステラリスは優雅に振り返り、周囲が息を呑むような魅惑の笑みを浮かべた。本日の卒業パーティーの陛下のあいさつでステラリスの側妃決定が発表されることになっており、ステラリスは王太子殿下の瞳の色をまとっている。
ステラリスの美しさに一瞬見とれた第三王子だが、なんとか持ち直し、ステラリスをじろりとにらみつけた。
「貴様は、側妃にはふさわしくない!」
「……おっしゃっている意味がよくわかりませんわ。わたくしが王太子殿下の側にお仕えすることは、陛下ならびに王妃陛下がお決めになることでしょう?」
こてんと首をかしげるステラリスに、多くの令嬢子息が息を呑む。ちょっとした仕草でも人を魅了するステラリスの美貌に、アナスタシアは遠くから見つめながら「本当に美貌は衰えるものなのかしら」と他人事のように考えていた。
「ふん、貴様のような罪人が王家に入るべきではないと言っているのだ。もちろん、このような罪人を側妃に迎えようとする兄上も、王太子にふさわしくない!」
第三王子の発言に、全員がしんと静まり返る。周囲の目が冷たいことにも気づかず、第三王子は言ってやったとばかりに得意げだ。
アホもここまで極まると、伝統芸能のごとき趣があるものである。
「わたくしが罪人とは?」
ステラリスはあくまで悠然と第三王子に投げかける。もちろん、「十分な証拠があって言ってるのかコラ」という意味だ。
「いいだろう、証人を呼んでやる。アナスタシア・サンドレア伯爵令嬢、ここへ!」
なんとなく名前を呼ばれるだろうと思っていたアナスタシアは、軽くため息をついて第三王子に近づく。ステラリスと目が合うと、姉妹はこくりと小さく頷いた。
「お呼びでしょうか、第三王子殿下」
「アナスタシア嬢は長年実の姉に虐げられていた!さあ、アナスタシア嬢、ここで姉の罪を洗いざらい話してやれ」
鼻をふくらませて唾を飛ばす第三王子に、アナスタシアは一瞬顔をしかめた。
――自分の見たものでなく噂を信じるのもアホ。
アナスタシアは母の言葉を思い出す。そして母の言うことは真理だったとアナスタシアは考えた。
「第三王子殿下が何をおっしゃっているのか、わたくしにはわかりません」
「アナスタシア嬢?何を……ステラリスに虐げられていたのだろう!?」
「そのような事実はございません」
アナスタシアの言葉に、第三王子はぽかんと大口を開ける。情けないその顔に思わず笑ってしまいそうだ。
「そんな……虐げられていると、俺に話してくれたではないか!?」
「第三王子殿下がわたくしに真偽不明な噂をお話しになっていたことは事実ですが、わたくしはただそのお話を聞いていただけですわ」
あの日、第三王子に無礼に声をかけられたアナスタシアは、すぐさまステラリスや王太子に相談した。そうして、次のことを提案したのである。
第三王子に王家の影をつけてほしいこと。第三王子とアナスタシアの会話を細かく記録してほしいこと。第三王子の話を自分は黙って聞くだけに徹するので、手を出さないでほしいこと。
ステラリスは最初アナスタシアを危険な目にあわせたくないと反対したが、アナスタシアはきっぱりと断った。ステラリスが王太子の側妃になることは、サンドレア家の悲願である。であれば、第三王子の接近はチャンスになると。
「お姉様、サンドレア家のため、賢明な判断をお願いいたします」
アナスタシアの意思の強さ、何より「サンドレア家のため」と言われれば、ステラリスにはそれ以上反対することはできない。王太子も、ステラリスのためになるならと協力してくれることとなった。
第三王子は、必ず「アナスタシアがステラリスに虐げられている」ことを理由に、何かしら動くはずだと確信した。そのためにアナスタシアを利用する気が満々なことは、誰の目から見ても明らかだ。
なのでアナスタシアも、周囲の人間も、第三王子に対して何もしなかったし言わなかった。第三王子が一方的にアナスタシアに話しかけ、アナスタシアは第三王子が満足するまで黙って話を聞く。周囲には正しく認識されていたが、第三王子だけは自分の都合のいいように解釈した。しかし、誰も第三王子を諌めなかったのだ。それが、周囲の第三王子に対する評価でもあったのである。
「そんな……そんなはず……いや、アナスタシア嬢は虐げられていた!他の者もそう言っていただろう!?」
第三王子が周りを見渡すが、誰も目を合わせようとしない。
たしかに、サンドレア家の姉妹に格差があることは事実であった。しかし、格差があることと、虐げられていたことはイコールではない。噂好きの貴族がおもしろおかしく話していることも知っていたが、誰もそんな噂を信じている者はいないだろう。ましてこの場で、第三王子の味方をする者がいるはずがない。
「恐れ入りますが、噂はしょせん噂でございます」
「だが、だが……俺に話してくれただろう?」
「わたくしはお話を聞いていただけです。王家の影のみなさまが証明してくださるかと」
アナスタシアが言うと、王太子が一歩前に出る。
「ここに、影からの報告書がある。アナスタシア嬢がステラリスに虐げられたと訴えた事実はない。もちろん、そもそも虐げたということ自体、ただの噂だ」
王家の影は、その報告で必ず虚偽をしてはならないという契約を結んでいる。それがたとえ王族に不利な内容であったとしても、だ。
さすがの第三王子もそのことを理解しているのか、がくりと膝から崩れ落ちた。
「ただの噂で私の大切な側妃候補を貶め、その妹のアナスタシア嬢まで迷惑をかけたんだ。ごめんで済むと思わないように」
王太子に冷たく言われ、第三王子はそのまま衛兵に連れられ会場をあとにする。最後まで王族とは思えない情けない男であった。
「アナスタシア」
ステラリスに声をかけられ、アナスタシアはにっこりと姉に向き合う。姉はいつでも美しいが、今日はとびきりきれいだった。
「お姉様、本当にお美しいです。お姉様はわたくしの誇りです」
「……アナスタシア」
ふだんはあまり感情を出さないステラリスが、めずらしく涙を浮かべてアナスタシアを抱きしめる。
ステラリスも、アナスタシアが自分の陰で何を言われているか、胸を痛めていないはずがなかった。それでも自分の役目を理解していたし、自分がしっかり務めを果たせば、アナスタシアの幸いにもなる。そう信じてどんなときも誰よりも美しく、強くあろうとしたのだ。
「お姉様……大好きです」
「わたくしも大好きよ、アナスタシア」
抱き合う姉妹に、王太子が「そろそろ時間だ」と声をかける。ステラリスはアナスタシアを離すと、いつもの優雅な笑みをたたえて、背筋を伸ばし王太子のあとに続く。
卒業パーティーの余興のあと、卒業生代表としてしっかりあいさつをこなした王太子を優しく見つめるステラリスは、最後に入場された両陛下により側妃指名が発表され、それはそれは美しくほほ笑んだ。両陛下も思わず見とれたほどである。
そんな姉の勇姿を、アナスタシアは瞬きを忘れて目に焼き付け、心からの拍手を送るのだった。




