レク・ホーランの新たなる悩み
澄男たちが支部を出ていった頃。本家邸へ帰る彼らを見送ったレク・ホーランとブルー・ペグランタンは、夕食で腹を満たすために未だ支部に残っていた。
支部は二十四時間営業なので、深夜帯だろうと任務は受けられる。支部内において夕食時というのは、昼勤の人々が家に帰る前にその疲れを少しでも癒す時間帯であり、夜勤の人々が深夜の任務に赴く前に、少しでも腹を満たして万全な状態にしておく時間帯でもある。
二人は状況に応じてオールラウンダーに化けるが、通常は昼勤勢。彼らの意味する夕食時とは、まさしく前者であった。
「アイツらも一緒に誘えばよかったかな」
サクッと簡素に、カレーを食すレクは少し前に話した澄男たちを思い浮かべる。
「べーつにいーんじゃない? そこまでしたしーわけじゃねーしさ」
ペットにしてテイムモンスター、百足のむーちゃんにフォークを持たせ、レクの向かい側に座るブルーは、フォークに突き刺さった瑞々しいシャキシャキレタスをもきゅもきゅと食べながら、レクの呟きに割り込む。
「いや、新人監督としてよ。まだ研修も受けてやってねぇし、あの態度からしてまたなんかやらかしそうなんだよなぁ。あの新人」
キレられた澄男の顔を思い出す。
レク・ホーランは請負人としてベテランである。ブルーが支部に勤め始めて早一年が経つが、レクはブルーが現れるよりもずっと前から、この北支部で働き続けてきた。
周りの請負人からは「もうお前本部に行けるだろ、いつまで支部で燻ってるつもりだよ」と聞き飽きるほど言われてきたが、実を言うとブルーがこなければ本部昇進も視野には入れていたのだ。
目の前の少女には職務怠慢の悪癖がある。新人監督になって早数年、ベテランとしての矜持が彼女の怠慢を容認できないのである。
世話焼きともいうのか、自分でもつくづく厄介と思ってしまう性格なのだが、その厄介な性格と、長年の新人指導のノウハウが警鐘を鳴らしている。
澄男。あの新人は、例年稀に見る厄介な新人だと。
今までたくさんの新人指導に携わってきたレクだが、ただ単に喧嘩っ早いだけのチンピラのような連中は、腐るほど面倒を見てきた。
どれだけ喧嘩っ早い奴でも、人並みに慈悲の心を持ち合わせていたものだ。喧嘩で殴り合ったり、罵り合ったりすることはあっても、出会い頭に殺し合いになることはまずない。そもそも喧嘩っ早いだけの奴に禁忌もクソもなく、気に入らないから殴る、罵る。ただそれだけのシンプルな尺度しかない。
だがあの新人はなんの躊躇いもなく、その請負人たちを殺そうとしていた。
彼が気絶している間、その請負人二人から話を聞こうとしたが、酷く怯えていてあまり話にならなかった。気絶して寝こけている澄男を見るや否や、そそくさと逃げてしまったくらいだ。おそらく何かしなくとも、澄男とその連れに二度と関わろうとはしないだろう。
それだけの恐怖を刻むだけでは飽き足らず、話し合いの場でまだ殺意をむき出しにしていたのだ。
明らかに過剰な加害意志。あの新人には、おそらく何か抱えているものがある。それも酷く強い、感情的な何かが。
「だがそれ以前に、だ。アイツらの身体能力……普通じゃねぇ。ブルー、お前も見たろ?」
食事中のリスの頬のようにぷくぷくと膨らませ、もぎゅもぎゅと咀嚼するブルーは、レクの問いかけに頷きで答えた。
六月二十三日、巫市で起こった妖精王襲撃事件の余波を受け、武市を絶賛襲っている魔生物のスタンピート。
支部の代表として任務に明け暮れていたため、新人の世話が全くできなかったことは悔やまれるが、緊急事態で任務に忙殺されている中でも、全能度の測定だけは決して怠らない。それは討伐する目標の魔生物に限らず、請負人だろうと例外はないのだ。
彼らもその例に漏れず、レクはきちんと身体能力の把握を済ませていた。
「驚いたぜ。奴の前では素知らぬフリを通してやったが、あの異常なキレ性を度外視しても、完全にワケありなのは間違いねぇ」
任務請負証を開き、全能度の測定履歴を参照する。
澄男の身体能力は物理攻能度、霊的攻能度ともに百十、物理抗能度百五、霊的抗能度百、敏捷能度百十五、回避能度百二十。そして驚くべきことに、霊的ポテンシャルが二百五十プラス。
全能度は破格の九百十プラス。支部勤め、いや本部勤めの請負人でもありえない数値だった。人類の身体能力の種族的限界が全能度七百なので、もはや人間なのかどうかも疑わしいレベルである。
今から三十年前の大戦時代は、七百を超える連中が普通に戦場を跋扈していたと母親からは聞かされていたが、それはあくまで大戦時代の話。現代では、全能度七百はおろか、六百台も数えられるほどしかいない。
そのほんのひと握りの連中すらも超越した新人。ある意味、就職当時からむーさんという破格のテイムモンスターを引き連れていたブルーと同等の厄介さである。そういうワケありな奴など、そうそういないものだと思っていたのだが。
「そーゆーのもいてもふつーじゃねー? むーちゃんだって八百あるし?」
ブルーの隣で、人間じゃ絶対に食べきれないであろう量の焼肉をむしゃむしゃと貪るように食う巨大百足を見つめる。
確かにむーさんは霊的ポテンシャル二百、それ以外の全てのパラメータが百、全能度八百の怪物だが、それはむーさんが魔生物だからであって、人間とは身体能力の基準が違う。
事実、使役者たるブルーの全能度は二百程度、それもむーさんのサポートなしでは霊的ポテンシャル以外一般人より多少強い程度しかないほどだ。したがって、決して普通ではないのである。
「俺だって限界突破するのに今日までの人生費やして死ぬ気で生きてようやくだぞ? それなのにあの連中ときたら、全パラメータ平均百以上ときた。明らか普通じゃねぇんだよ。あのぬいぐるみみたいなやつらだってそうだし」
カレールーをスプーンでよそいながら、いつになく不満げかつ気怠い表情でスプーンを口に持っていく。
各パラメータ数値百を超える。それすなわち人類の種族的限界を突破して、人外に至るということを意味する。死ぬ気で努力しても到達できる可能性の極めて低い、一つの高みのようなものだ。
レクが到達できたのは努力だけでなく、身に置いてきた環境も作用している。幼い頃から年がら年中、命を賭して魔生物と死闘を繰り広げて生き延びてきたのだから、ただ筋トレして鍛えていたのとは、次元が違う。
まさに死と瀬戸際にずっと立って生きてきて、ようやく辿り着けるかどうかの境地。それを易々とクリアしている連中となると、もはやある種の脅威と言える。例えるなら大国など一瞬で蹂躙できる天災級の魔生物軍団。唯一救いがあるとしたら、俺たち人間と同じ知能を持ち、対等に意思疎通ができることぐらいだろう。
敵に回せば、確実に災禍になる。できればあの新人の性格が、喧嘩っ早くなく、隣のメイドくらい理性的なら、まだ厄介というレッテルを貼らずに済んだのだが。
「ブルー、むーさん。もしもアイツらが敵対してきたら……いけるか?」
真剣な眼差しでブルーとむーさんを交互に見る。
現状、北支部内でいざというときに対抗できる戦力は、レクを除くとブルーとむーさんしかいない。他では蹂躙されるだけだ。
唯一、澄男に迫る身体能力を持つむーさんが要だが、むーさんが敵わないなら、抑え込むのは厳しくなってくる。
むーさんはブルーに擦り寄るように寄り添い、ブルーは一人何度も何度も頷く。巨大百足と頭を並べ、一人黙って頷く仕草は、相変わらずどういう仕組みで会話が成り立っているのか皆目分からないが、いつも見ていると異様な会話風景にも慣れてくるものだ。
「むーちゃんならあいしょーてきに、あのすみおってひととならたたかえそーだって」
「マジでか、流石むーさんだ。つーこたぁあの新人は火属性主体か」
「かたほーの、がんめんくろこげのうけおいにんのおっさんいたじゃん? あれすみおってやつがやったんじゃねーの?」
「なる。だとすりゃあ、俺とむーさんのタッグで固められるか?」
「んー……むこーがほんきだしてきたらむりかもって」
「んあ? どういうこったむーさん」
「えっと……あのすみおってやつからは、にくきどらごんのけはい? がするって。ほんきだしたらしんたいのーりょくちょーぜつしんかしちゃって、だれもとめらんない?」
「嘘だろむーさん。ここにきて冗談キツイぜ」
思わずこめかみを親指で押さえる。頭は痛くないが、痛くなってくるような事実にため息をついた。
ブルーがテイムしている百足ことむーさんは、ドラゴンイーターという聞いたこともない種族の魔生物。詳しいことは教えてくれないのだが、分かっていることは竜を食べる魔生物だということだ。
魔生物の生態は研究が進み、徐々にその謎めいた生態が詳らかになっていっているが、そのわかっていることの一つに、竜という大陸の外からやってくる強大な害獣には、決して敵対しないということである。
魔生物というのは、基本的に同族以外の生命体には敵対的な生き物だ。だからこそ運悪く人里にまで降りてくると異種族である人間を襲うのだが、何故か竜にだけは絶対に敵対しない。攻撃されれば反撃せず逃亡するし、攻撃されなくても察知すれば逃げるという謎の例外判定がなされている。
この生態に関して、請負機関は``魔生物は生存本能のみの生き物だから、その生存本能が竜を自然界の圧倒的上位種であると認めているのでは?``という仮説を提唱している。
しかしながらむーさんは、その魔生物の中でも特異な存在だ。
人間と同等の知能を持ち、竜にも果敢に敵対するほか、竜と同じく他の魔生物にも敵対されない。一緒に魔生物討伐任務に赴くと、むーさんがいるだけで他の魔生物はそそくさと逃げてしまう。
人間だけだと狂ったように襲いかかってくる連中が、嘘のようにその攻撃性を見せない光景は異質であるが、そんな魔生物たちを存在するだけで黙らせてしまうむーさんが、``どらごんのけはい``とやらを感じて、注意喚起してくれている。
つまり澄男という新人が何らかの竜の力を秘めていて、いざとなればその竜の力で手に負えないほど強くなり、むーさんすら圧倒する可能性が冗談などではなく本当にあるということだ。
何の前触れもなく大陸の外からやってきては、本能の赴くまま破壊と殺戮をばら撒く蜥蜴に加護だの能力だの、そんな大層なものを人間に授けるとは到底思えないが、現実目の前に竜の気配を漂わせる新人がいるのだから、否定したって仕方がない。
「でもほんきをだすまえにしまつをつけることはできそうだって」
ブルーの言葉で、思考の渦から引き摺り出される。
「おひるんとき、あのしんじんのからだにふれてだいたいりかいしたって。ほんきさえだすひまをあたえなければ、かんぷーするのにそんなにてまはかかんないらしーよ?」
「つーことは、いざとなれば俺とむーさんのタッグで死力を尽くせば、なんとかなるって感じか。毎度のことながら、アンタの知識と洞察には世話になってばっかだぜ。ありがとうな、むーさん」
巨大黒百足は皿をレクに近づける。感謝は物で示せということだろう。魔生物のくせにちゃっかりした奴である。
「じゃあ他の連中はどうだ? あの侍女の方は俺だけでも戦えそうか?」
任務請負証でむーさんの分と自分の分を追加注文しつつ、むーさんに視線を投げる。むーさんは細長い身体を無数の足を器用に使ってよじり、ブルーに向かって何度か頷く。
「みれーっておんなのこのほーは、れくひとりでもだいじょーぶそう。あのぬいぐるみみたいなのには、まちがってもこっちからてだしすんなってさ」
「さっきも言ってたが、あのぬいぐるみたち、そんなにヤバいのか? いやまあ確かにぬいぐるみが生きて喋ってるわけだしヤバいっちゃヤバいが」
突然、むーさんがキリキリと口元の触覚を打ち鳴らし、巨大な体を持ち上げて威嚇のポーズをとり始めた。巨大な身体に上から見下ろされると、やはり威圧感が凄まじい。心臓の拍動が一瞬だけ急速に速くなった。
何故むーさんが突然威嚇したのか。それはむーさんが、俺の態度や言動で機嫌を損ねたからだ。
むーさんは滅多なことでは怒らないが、一度カチキレると強すぎて手に負えない。戦えばサンドバックにされるので、とりあえず落ち着かせるように温和な口調で話しかける。
「わ、悪い。でもイマイチ危機感が伝わらねぇんだ。知ってるんだったら色々教えてくれよ」
基本的に温厚でブルーに敵対しない限りカチキレることなどないむーさんが、この程度で機嫌を損ねるということは、あのぬいぐるみたちに敵対することによって、最悪ブルーにも危害が加わりうることを意味する。
むーさんは支部の連中にも気をかけてくれるし、可能なら守ってくれる優しい奴だが、究極的にはブルー至上主義者である。ブルーに危害が加わりうる脅威を軽視するようなことは、たとえ相手が新人監督にして恩人だろうと許されない。
「がいけんにまどわされるとは、れくぼうもまだまだわかいな……れくー? いわれてるよー?」
「だぁー! 悪かったってむーさん。確かによくよく思い出してみれば全能度千の奴もいたし、誰もがあの新人と同等の身体能力をしてやがったしな。ちと舐めてたわ、マジですまんって、このとーり!」
両手を合わせて頭を下げる。むーさんは長い胴体を器用に使い、皿を近づけてきた。抜かりなく、そして容赦なく的確な打撃を与えてくる。ただ謝るだけでは許してくれない、それがむーさんというマスコットの実態だ。
「あの新人のことばっかりで忘れてたが、全能度四桁がいるんだよな……マジでなにもんなんだ、あのぬいぐるみは」
「ほっぽーにすまうまじん? じゃないかって」
「マジン? なんだそりゃ」
「あーしにきかんでよー。しらねーし」
「いやむーさんに聞いてるよ」
「このたいりく、ひゅーまのりあにある``きたのまきょー``ってとこ、あそこにすんでるげんじゅーみんぞく? それがまじん。めちゃつよつよなれんちゅーで、てきにまわしたらじんるいめつぼー?」
「待て待て待て待て……処理が追いつかない」
「おれもいみふめー。つーか、``きたのまきょー``ってじんるいみとーのまくつじゃん。そんなとこにげんじゅーみんぞくとかいんの?」
「むーさんが言うんだから、いるんだろ。確認しようがねぇけどよ」
お互い反応が困るという目でむーさんを見つめる。だがむーさんは素知らぬ顔で一瞥し、巨大骨つき肉を食らった。
むーさんの知識は、今までの経験からして外れたことはない。むしろ北支部発展に大いに貢献してきた実績がある。魔生物の理解が深まったのも、元を正せばむーさんの知識による恩恵が大きく、請負機関だけじゃ、分析用のサンプルの採取や魔生物の大まかな生息圏の把握も、果てしない時間がかかっていたことだろう。
その信頼と実績からして、むーさんの言うことがただの妄言とは思えなかった。
それに請負機関でも``北の魔境``といえば、大陸の最北端にある人類未到の自然界。請負機関が総力を結集しても敵わない天災級魔生物が跋扈する、その名に恥じない大魔境と言われている場所である。
そんな弱肉強食の世界で一定文化を築けている種族ないし民族がいるとしたら、それはそれは想像絶する強さをしていてもおかしくない。全能度四桁あると言われても、十分納得できる背景だった。
「全能度四桁なんざ、請負証の故障を疑うレベルの話だが……ともあれ、注力すべきはやっぱ澄男って奴ぐらいだな」
がんばれー、とブルーは他人事と言わんばかりにデザートに手をつける。スプーンの持ち手は、やはりむーさんだ。
澄男。ブルー以来の厄介な新人。基本的に大概の新人は、慣れてしまうと教えた恩も忘れて勝手に巣立っていくようなもので、新人監督としてはそれが最も望ましいことなのだが、ブルーのようにいつまでも巣立つ気のない者もいる。
澄男の場合は、巣立たせるまでに大量の問題を抱える羽目になるってところだろうか。少なくとも出勤三日目で同士討ち未遂の責任を負わせてくる新人なんて、今まで前例はない。
はてさてこれから澄男という新人は、どれだけ迷惑をかけてくれるのだろうか。予想するだけ頭痛がひどくなる感じがした。
「まずは``謝る``ことの大切さから教えるか……」
同士討ちの責任の一部を肩代わりさせておきながら、謝罪の一言もなかった。今はまだそれでいいが、本部に昇進したときに、その態度は自分の首を絞めることになる。
ときに集団行動を必要とされる任務請負人にとって、最低限のコミュニケーション能力がないと余計な諍いのもとになるのだ。ただでさえ血の気が多い連中に、可燃性の液体をばら撒くようなものである。
能力の高さから考えて``八大魔導師``にも目をつけられるだろうし、今回の新人は前途多難の道を歩むことになるだろう。
「もしも……いや、ないと信じたいが……お袋に目をつけられる場合を考えると……こりゃあ、ブルー以上の長丁場覚悟……かぁ……?」
予想しうる様々な未来を想像し、体から全ての活力が抜け落ちるかのような盛大なため息を漏らす。
思い浮かぶ未来の中でも最悪の未来。任務請負機関を支配する``魔女``たちに、身も心を砕かれてしまう展開を、頭によぎらせて―――。