プロローグ:最強の戦闘民族の末裔、就職する
「御玲よ」
「なんですか」
「こんなことを言うのは労働者としてダメかもしんない。でも聞いてくれ」
「はい」
「クッッッッッッソ忙しくね!?」
盛大な台パンとともに大都市を眺められるテラスで、自分の背丈よりも高い槍を隣に携える、メイド服を着た青髪の少女―――水守御玲に向かって高らかに叫んだ。
テーブルに乗っている食事や飲み物が衝撃で溢れそうになるが、そんなことは気にならない。
「そうっすよね、就職した瞬間にこの状況っすからね」
隣で大量の料理を注文すると同時、馬鹿デカいがま口へ吸い込むように一口で料理を食べていく二足歩行の暴食蛙―――カエル総隊長が、手についた油やら何やらをベロで舐め取り、また新しい皿に手をかけた。
「ったくよぉ……こんなに忙しいなんざ聞いてねぇぜ、糞する暇もねぇ」
「そうだよ、せめてオ◯ニーする時間くらいは欲しいよね。最低労働チン金としてさ」
「一応聞くけど、そのチンってどっちのチン?」
カエルの両隣で思い思いに喋りだす二体のぬいぐるみとロン毛の少年。
茶色のソースでベッタベタにしたハンバーグにかぶりつく子熊―――ナージは眉間に皺を寄せて俺を睨み、裸エプロンを着こなす小人のオッサン―――シャル、そしてどうでもいいことを問いただす空色のロン毛―――ミキティウスも口の周りをベッタベタにして、口の中に飯を頬張ったままこちらを見てきた。
汚いですね、と御玲がため息をつきながら、ハンカチでぬいぐるみどもの顔面を無造作に拭き取る。
「まったく、この程度の忙しなさで辟易していてどうするおつもりですか。あなたは流川本家の当主なのですよ? どうしてもと仰るのなら、ご自分が成すべきことを復唱させますが?」
「勘弁してくれ……何回目だよそのやりとり……お前と違って俺はマイペースなんだよ」
テーブルの上にだらしなく身体を伸ばしながら、皿に盛られていたサラダのレタスを素手で摘んで口に入れる。刹那、顔をしかめた御玲に頭をすっぱ叩かれた。強制的に身を起こされ、もはや何度目か分からない復唱をさせられる。
そう、俺は今いるこの大陸―――``人類大陸``ヒューマノリアに存在する人類の中で最強と謳われる戦闘民族``流川家``、その本家の当主。三十年前に幕を下ろした``武力統一大戦時代``において、最強の名をほしいままにした戦闘民族の末裔である。
二千年続いた``武力統一大戦時代``は俺の母親が終わらせたため、俺が抱えている最強の名なんてものは母さんの威光でしかないのだが、じゃあただの貴族のボンボンなのかと問われると、そういうわけでもない。当主としてやらないといけないことはそれなりにある。その第一歩が、就職だ。
最強の戦闘民族が何故に労働者に、と思うかもしれない。だがこれには語るのも面倒くさいぐらい、奥深くもコクのある、深くて分厚いワケがあるのだ。
俺たちがいま昼食を取っている場所―――任務請負機関北支部に就職したのは、つい三日前のこと。先代の流川の当主たち―――俺らから見て親世代にあたる、``武力統一大戦時代``を生き残ったバケモノたちによって、ひょんなことから任務請負機関とかいうギルドっぽい所で働くことになってしまった。
そのひょんなことってのがまためちゃくちゃな話で、流川家と互角の力を持つ戦闘民族―――花筏家との同盟と、俺たちが今いるこの国、武市から遥か北の方にある大国―――巫市との国交樹立という、年齢十六歳の若者には絶対似合わない大仕事を任されたことだ。
そのためには任務請負人として実績を積んで支部から本部へ昇進し、その本部の重鎮に信用してもらうというクソ高い壁が聳え立っていて、まずはその壁を越えなきゃならない。
一難去ってまた一難。三ヶ月かかった復讐がやっと終わったのに、休む暇もなく就職して労働者である。勘弁してほしいものだ。
「それにしても忙しい……就職してからずっと、討伐任務ばっかりやってる」
さっき注文したハンバーグステーキを食らう俺は、就職してから今日までの忙殺っぷりを振り返る。
任務請負人は就職したその日から働けるのだが、俺たちが就職した頃は何故か支部内が慌ただしく、俺たちはわけも分からんまま、その慌ただしい波に呑まれて流されて、ずっと討伐任務をこなしてきた。
基本的に昼と夕方の帰宅時以外は休む暇がない。「時間に余裕がある限り討伐任務に受注せよ」と支部内のアナウンスがひっきりなしに鳴り響いており、俺たちはアナウンスに急かされるように、ずっと働き詰め状態なワケだ。
「仕方ないじゃないですか。あんな事件のとばっちりを受けてるんですから」
マカロニサラダを食べ終えた御玲は、口をナプキンで拭き取ってテーブルに置く。御玲が言うあんな事件とは、六月二十三日、巫市で起こった大事件のことだ。
「妖精王襲撃事件だっけか……冗談みたいな事件だよな。なんだよ、妖精王って」
「それは分かりませんが、その妖精王とやらの霊圧により、この大陸の霊力分布が歪んでしまって魔生物のスタンピートが起こってしまった。放っておけば死傷者が出ますし、対処せよってことでしょうね」
「ったく、んなもんその妖精王? とかいうキチガイにやらせりゃいいじゃん。なんで無関係な俺らがやらなきゃならんのだか……」
「ここはプラスに考えましょう。実績を積み、昇進試験受験資格を得る好機だと。ただ漫然と任務をこなすより気持ちは軽くなるでしょう?」
「まあなぁ……当事者がスルーかましてるのは気に食わんが、そこは俺らがオトナの対応すればいいだけだもんな」
そうですそうです、と御玲が二回首を縦に降る。
任務請負機関には四つの支部と、それらを統括する本部がある。
まず請負人への就職は、必ず支部からすることとなり、本部に直接就職することはできない。本部へ異動するには、年に二度行われる``本部昇進試験``を通過する必要がある。
じゃあさっさと試験を受ければいいのでは、と思われるだろう。だがそう簡単に物事は進まない。本部に昇進するには試験に合格しなければならないように、その試験を受験するための、受験資格を獲得しなければならないのだ。
その資格は主に二つ。一つは任務をこなして実績を一定数稼ぐこと。もう一つは要求されている身体能力を十分に満たしていることである。
「受験資格の取得状況って、確か任務請負証を見れば分かるんだよな?」
御玲に問いかけながら、俺の視界に色んなオブジェクトが映り込む。
任務請負人は就職手続きをすると``任務請負証``っていう、いわゆる身分証明書みたいなものがもらえる。
それは別に書類ってわけじゃなく、カードになっているわけでもない。なんと驚き、体内に吸収させることによって発動する、一種のトリガー式魔法陣媒体になっているのだ。体内に吸収されると脳内で再構築され、意志に反応して視界に色々な情報を映し出してくれる。
当然、全部非表示にすることもできる。というか基本的に必要なとき以外は非表示にしとかないと、視界に色々なものが映り込んで前が見えなくなってしまう。
操作は頭で思い浮かべるだけでできるので、基本的には食事がてら操作したり、拠点に帰ってまったり操作したり、そんな感じで使用するものである。
「まだ出勤三日目ですよ。身体能力はともかく、実績は全然足りませんよ」
自分の身体能力を参照してみる。
身体能力を表す項目は全部で七項目がある。まずは霊的ポテンシャル。
霊的ポテンシャルってのは、体内に溜め込んでおける霊力の許容量を表す数値で、数値が高ければ高いほど、より多くの霊力を体内に貯めこむことができる。
ちなみに``霊力``ってのは、簡単に言えば魔法や魔術を使うためのエネルギーみたいなものだ。戦闘の際は、この霊力ってエネルギーを元手に、魔法や魔術とかを使って討伐任務とか、敵と戦ったりするのである。
話を戻そう。霊的ポテンシャルの支部平均数値は、三十から四十の間らしいのだが。
「おかしいよなあ、俺の霊的ポテンシャル。二百五十プラスだぜ? 支部平均が低すぎるのか?」
俺の数値は、この時点でトチ狂っていた。その飛び抜けた数値に、思わず苦笑いが溢れてしまう。
支部の平均が三十から四十だっていうのに、俺の数値ときたら二百超というアホみたいな数になっているのだ。
元々霊力の消費とか昔から気にしたことなかったし、どれだけ使っても胸の奥底からボコボコ湧いて出てくるから、``霊力が尽きる``、なんてこともほとんどなかった。仮に尽きても、ほんの数秒経てばまたバンバン使える始末である。
ちなみにプラスってのは、自然回復とは別に霊力が何かしらの能力で継続回復しますよ、って意味らしい。つまり俺は飛び抜けた霊力量に加え、自然回復とは別に霊力継続回復能力も持っているってことを意味する。
そりゃあどれだけ使っても減らないし、消費も気にならないわけだ。元からたくさんある上に、減ってもすぐ補充されるのだから。
「澄男さまは面白味のある身体能力値で良かったじゃないですか。私なんて全ての数値が百で統一されてるんですよ。つまらないったらありゃあしませんよ」
ため息をつき、水を飲む御玲。
霊的ポテンシャルのほかに物理攻撃力を表す``物理攻能度``、魔法攻撃力を表す``魔法攻能度``、物理防御力を表す``物理抗能度``、魔法防御力を表す``魔法抗能度``、敏捷能力を表す``敏捷能度``、回避行動に必要な条件反射能力を表す``回避能度``があり、それら七つ全部を合わせて、身体能力を簡単に数値化したものが``全能度``となる。
霊的ポテンシャルと同様、各項目三十から四十程度が平均なのだが、御玲は本人の言う通り全ての値が百。俺も当然百以上で、回避と敏捷に至っては百十を超えている。
つまり、御玲と俺は現時点でオーバースペック状態。その証拠に受験資格獲得に必要な身体能力は、全能度で表すと三百五十であるが、そのボーダーは任務請負証をもらった時点で、クリア済み扱いとなっていた。あとは純粋に、実績を積むだけなのだ。
「今回で実績満たせればいいんだが……」
「いやいや、無理でしょう」
天窓に映る空を見上げる俺に、御玲は鼻で笑う。
「そんなすぐに満たせてたら、ほとんどの人たち本部に行けてますよ。何度も言いますけど、私たちまだ出勤三日目ですからね? たったの」
「でも正直おんなじことの繰り返しだぜ……特に変化もないし、飽きてきたというか……」
「何言ってんですか。阿呆なこと言わないでください」
一蹴された。分かってはいたけど、本音を話すとまさに「飽きた」の一言に尽きるのだ。
さっき御玲は魔生物のスタンピートが起きていると言っていたが、そうは言っても一匹一匹は存外大したことはない。高くて全能度三百程度のザコがちょくちょく現れるようなもので、それらを倒すのは正直ただただ作業なのだ。
俺と御玲にかかれば、ワンパンで終わる連中である。これを退屈と言わずなんと言おうか。
「現状に不満があるなら黙って実績を積む。そして相応しいと思える場所に自ら行く。ただそれだけです」
「あーもうわーったよ、やりゃあいいんだろやりゃあ」
全身に気怠さが募り、今から任務に行こうというモチベが目減りする。
気がつくと全員が食べ終えていた。今の俺たちにとって昼飯を食べているときだけが昼休みだ。その休みが終わった以上、夕方までまた退屈な任務をこなさなきゃならない。
今までは自由気ままに動けていただけに、こうも同じことをさせられていると拘束されている感が身体を縛りつけてくる。
俺は最後の気休めに、いま受注している任務を確認する。
任務の受注は、基本的に任務請負証で行う。つまり頭の中で思い浮かべるだけで受注できてしまうわけだが、俺たちが就職した時期は``フレキシブル討伐任務週間``という謎のイベント期間の真っ只中だった。
この期間中は、任務の受注をする必要はない。既に全ての任務請負人が勝手に任務受注状態になっていて、暇な時はとにかく目についた魔生物を、期間が終わるまで狩り続けなければならないのだ。
別にサボっててもペナルティとかはないみたいだが、討伐数が一定数満たしていないと無報酬になってしまう。そしてその一定数というのは非公開で、受注している任務請負人からは分からないといった仕組みだ。
御玲は、その一定数だけ狩ってそれ以降仕事をしなくなる請負人が続出するのを防止するためだろうと言っていたが、やっぱり楽する道ってのは事前に潰されているものである。
「せめて北支部の最強格の連中と会えたら面白いんだがな……」
などと小声でぼそりと漏らしてみる。横で御玲が肩を竦めた。予想以上に聴覚が良くてビックリする。
俺たちが就職したのは任務請負機関北支部、正式には任務請負機関ヴェナンディグラム北支部だが、それとは別に南、東、西の三つの支部がある。
その各支部にはいわゆる四天王的な、最強格の実力を持った請負人が二人ないし一人ずついる。俺たちが就職した北支部には、``閃光のホーラン``ことレク・ホーラン、``百足使いのペグランタン``ことブルー・ペグランタンの二人が最強格として聳え立っていて、特にレク・ホーランとかいう奴は請負機関内外でも有名な存在らしく、北支部勤めの請負人でも最古参の存在だった。
御玲によると、レク・ホーランは新人研修するとき以外滅多なことでは支部におらず、個人的に会うには新人研修を狙うしかないらしい。それでもたくさんの新人を相手にするので、話す時間などないんだとか。
「ブルー・ペグランタンの方もいねぇし……話じゃ、支部のどこかしらで雑魚寝ぶっこいてるって話じゃなかったのかよ」
三日前に見せられた、黒光りする怪物の身体に包まれて昼寝している少女の写真を思い出す。
勤勉なレク・ホーランとは対極に、ブルー・ペグランタンは金が無くならない限り働かない、怠惰を絵に描いたような奴らしいのだが、そういう印象の人物は今のところ全く見かけていない。なんなら就職してから今日まで一度も見かけていないのだ。
俺が見た写真では、自分の背丈の倍以上はあるだろう怪物に身を包んですやすやと寝ている少女で映っていたが、その怪物も見当たらない。
写真から体のほとんどが見切れていたし、かなりデカい図体しているはずだから、そんなのが北支部の建物ン中にいたらすぐ分かるはずなのだが、ただただ有象無象の請負人が忙しなく建物ン中を歩き回ったり、テラスとか休憩所とかで仲良く駄弁っている様子が目まぐるしく見られるだけだ。
「縁があれば会えますよ。こっちから無理に干渉する理由もないですし、さっさと仕事しますよ」
これまたド正論。言い返す余地もなく、自分より背の高い槍を手に持つ。食べ終えたカエルたちも立ち上がると、鬱陶しくも俺の頭や肩に飛び乗る。
肩や頭の上で騒がれるとうるさいのでやめて欲しいのだが、このパリピぬいぐるみ軍団は騒ぐなと言うともっと騒ぐ厄介な天邪鬼連中なので、とりあえず放っておくことにしている。
ぬいぐるみを連れ歩きながら支部内を歩くのは、変に注目集めて恥ずかしい。なるべく目立ちたくないのに、これでは身分を隠している意味があるのかと思えてくる。
性懲りもなく無駄に注目を浴びながら、俺たちは支部を出た。今日も今日とて、終わりの見えない討伐任務、その後半戦が始まる。