補習三日目 英語
いつもより早起きをした。
髪の毛は念入りにとかして、普段より少し高めの位置で結んだ。
タダシ君の好きなポニーテールだ。
英語の辞書も入れた。
補習は三日目にして最終日。
行ってきます~。
英語の課題は「The Little Prince」(ザ リトル プリンス)だった。
「星の王子さま」の英語版を自分なりに訳そうという高度なものだった。見たことあるさし絵でどんな話か検討がつくけど、これを訳すのって難しい。
「レベル高すぎねえ」
「わかんねえ」
「これが補習なのか?」
「相談してできるようなもんでもない」
「単語だけ調べればアリにしてよ」
「もう限界!」
うん。
今日は、こいつらに賛同できる。
こんなの渡されたって無理だよ。
単語は調べたけど、訳して意味のある文章にできない。わざわざ辞書を持たせた意味が分かった。こんな翻訳、AIにやらせたらすぐ終わる。
「国語もよく分かんないのに英語もやれって、無理言うなって感じする」
「本当ですよね」
「あーあ。なんで日本にいて英語勉強しなきゃなんないのかな?」
「本当本当。ねえ先生、なんで?」
ええ、やっぱりそういう疑問から始まるんだ。
尾路先生に聞いて、また脱線させるのを狙ってるな。
「あ? ほら、もしも外国人に道聞かれて英語で答えられたらコミュニケーションできるだろう。そこから国際交流が始まるかもしれない」
先生はありがちな答えを面倒くさそうに言う。
「おれの母ちゃん、この間、駅で道聞かれてたけど、相手の方がスマホの翻訳アプリ使って日本語で聞いてきたぜ」
「そうそう、スマホでほんやくコンニャクできるんだから困らない」
テキトウな先生の回答を作間は容赦なく壊して、タダシ君が賛同する。
「それにさあ。日本人同士でも道聞く時人選ぶもんな。俺ら聞かれる確率低いよなー」
さらに山田も加勢する。
「頭悪そうだもんな」
「ほんと、ほんと」
「尾路さん、もっと気のきいたこと言ってよ」
ある意味、パータンができてるコントみたい。
「ああ、じゃあ、スマホもつながらない場所で、スタイル抜群の超美人が笑いかけてきたらどうする? 男として自信がなくとも言葉が分かれば知り合いになれるぞ。言葉は武器だ」
やる気を起こす男心とは、そういうものなのか分からないけど、先生はもっとあり得ない状況を持ってきた。
「武器?」
二逆が食いついた。
「スタイル抜群?」
「超美人?」
「おっぱいボヨヨン」
作間とタダシ君が違うところに食いつき、山田が両手で円を描きつぶやいた。
どこかで聞いたことある。
男達が一瞬黙って、嬉しそうに笑い出した。
二逆でさえ、なんか笑ってる。
多分、どうしようもない妄想をしている。
「おいお前ら、渡辺も、レディーもいるんだぞ」
一緒になって妄想してたくせに先生は一応フォローしだした。
その一応な感じが逆に恥ずかしくてわたしは冷静に返した。
「大丈夫です。家で弟も言ってますから」
そうだ。雅陽が昨日言ってたやつだ。
ガキの象徴のような言葉。
おっぱいボヨヨン。
中学生はお前と違うんだぞ、と大人目線になったのは昨日のこと。
ああ、小二男子と一緒か。
美玖や詩歩が、あの三人はガキだって見下してるの、仕方ないよね。
あはは。
タダシ君~
やっぱり、ボヨヨンするおっぱいがいいのー?
「おっぱいボヨヨンのためにと言われても、おれやっぱ無理」
作間がマジメな顔して言う。台詞と顔が合ってない。
「俺は日本語通じるおっぱい選ぶ」
山田も人生の分かれ道にでも立ったかのようにマジメに言う。
なんなのよ。まったく。
この流れにタダシ君や二逆が乗ってこないように、わたしは聞いていないふりをした。
「外国人とコミュニケーションが取れるようにするのが目的だったら、こんな難しい本を翻訳する意味あるんですか」
二逆が、本当にマジメにマジメなことを言った。
「確かに! これ訳しても役に立たないよ」
タダシ君が賛同する。
尾路先生は先生らしいことを言おうとして必死になった。
「文章で気持ちを伝える場合もあるだろ。SNSでも英語で書ければ世界中の人が見てくれるぞ」
「そういう時は、AIにおまかせ」
おまかせ?
得意げに言うタダシ君の笑顔が子犬みたいで可愛いのに、自分は同じ空間にいないような気持ちになった。つなぎとめたくて、わたしは期待するように尾路先生を見た。
「そういうのに頼ると誤解を生む可能性もあるぞ」
「誤解って?」
「AIに飯テロっていう絵を描かせると、アラブ人の食事の画像出てくるぞ。文化による言葉の認識、物によってはまだまだだ」
「先生、AIでそんな遊びしてるんだ。おれもやってみたい」
「遊びじゃねえよ。あとスマホのAIアシスタントにDo you like me?
って英語で聞いたら、もちろんですって日本語で返してきたんだ。いやいや、そこ英語使えよって言ったら、ネイティブな英語で返されてキャラ変わってるんだよ。この機械的すぎるやり取りに何か超えられない言語の壁を感じてな」
「尾路さん、そんなことしてるのか。寂しいな」
「その話はちょっと引きますね」
「やばいな」
「いや、単純な英語としてな」
期待したような解答が出ず話は逸れて、どんどん脱線していく。
作間の狙い通りか、みんな面白がって笑っている。
なんだか、よく分からないけど悲しい気持ちになった。
技術が進歩して言葉の壁なんかなくなるとわたしも思う。
けど、英語、外国語の勉強は、必要だとは思う。
なんだろう。
相手を知ろうとする過程が無駄と言われてるみたいで、寂しい。
わたしは、プリントのさし絵を見た。
きっと、わたしはこの「星の王子さま」が好きだからだ。
日本語だろうが、英語だろうが、フランス語だろうが、この物語に背を向けられているような気がしてしまった。
なぜか、タダシ君にわたしの好きなものを否定されたような気になってしまった。