脚本作成 2
翌日、家でゴロゴロするなと怒られたので、わたしは図書館で書くことにした。
外はめちゃくちゃ暑くて、セミは元気よく鳴いている。
図書館に面する大通りに出ると名前を呼ばれた。
「渡辺さん!」
数メートル先にプールバッグを提げた小学生を引き連れた坊主頭が手を振っている。
山田だ。弟妹とプールか。大変そう。
「山田君、プール?」
「そう。それぐらいしかやることなくてさ。渡辺さんは?」
「図書館で脚本書こうと思って」
「ああ、頑張ってね。俺、楽しみにしてるから」
「う、うん」
「じゃあな」
兄ちゃん誰、彼女? ちがうよ、え、ちがうの? 好きなの? ねえねえ?
と、弟妹の冷やかし混じりの質問を制しながら、山田は元気よく手を振って去って行った。
山田は勉強ができないけど、家の手伝いをよくしてて面倒見のいいお兄ちゃん。決して悪い人じゃない。旦那にしたらいい男とお母さんとかは言いそう。
中一の女子として受け入れられないのは、やっぱり見た目かな。
オヤジっぽいというか。無理~。
でも、本当にみんなに慕われてる有名人なので、わたしも、山田に知り合い認定されたのかと思うと、ちょっと嬉しくなった。
図書館に入ると、結構混んでいた。
一般図書の机は、高校生以上の大人達で埋めつくされ席は一つも空いてない。
数ヶ月前まで小学生だったので、子供図書コーナーの方を使わせてもらってもいいだろう。わたしは小学生向けのやさしい読み物エリアの近くにある席に座った。
「星の王子さまだ」だって文体だけ見れば、やさしい読み物なのかも。内容は、ものすごく難しいけど。
結局、どんな解釈をしていいという道を見つけたけど、関係ない妄想をして何も書けていない。
わたしは机に脚本用のノートを開き、家から持ってきた星の王子さまの文庫本をぼんやりと見つめていた。
どうしよう……
しばらくぼーっとしているとまた名前を呼ばれた。
「渡辺さん」
顔を上げるとタダシ君がいた。
脳内で何度も再生されてる声だったので、また自分の妄想かと思ったら、リアルタダシ君が目の前にいた。思わず、みのりが一緒じゃないか確認してしまう。
「多田君……」
タダシ君、一人だ。
「いいかげん宿題やろうと思ってさ。読書感想文、一番苦手な奴、せめて読む本でも決めておかないとね」
タダシ君はやさしい読み物の本棚の前を見ながら、自分がここにいる理由を聞いてもいないのに説明してくれた。
「そうなんだ」
タダシ君とばったり会った。
そして、わたしに話しかけている。
現実世界で。
何か、話さなきゃ。
読書感想文? ああ。ここから探すつもりなんだ。
何、読むのかな。
ここでオススメの本とか言ったら盛り上がるかな。
いや、でも、また「渡辺さんは頭いいから」とか言われて距離作られちゃうかな。
いざ、タダシ君と話すチャンスが出来ても何を話せばいいか分からない。
わたしの妄想のような会話になるはずはない。
さっきの山田みたいに普通に話せないかな。
あ、そっか。
「さっき、山田君にも会ったよ。弟と妹と一緒にプール行くみたい」
「いい兄ちゃんだな」
共通の知り合いの話、山田をネタにして続けよう。
「図書館で脚本書くって言ったら、楽しみにしてるって言われちゃった」
「へえ。あ、それ、もしかして脚本?」
「う、うん」
タダシ君は、隣の席に座りわたしのノートを覗いてきた。
おおおお。
でも、まだ登場人物しか書いていない。
「まだ何も書いてないけど。あ、でも配役は、尾路先生が書いたのと同じ予定」
「じゃあ、オレは?」
「王子さま。おじさまは出てこないから」
「ああ、そっか」
「多星人もいないから、他のキャラは三人に、何役か兼ねてもらおうかなって」
「なるほど。で、渡辺さんはバラか、それはみんな納得だね」
「そう?」
まあ、女子は一人だからね。
他に連れてくる必要がない。乃璃香で、みんな納得してもらわないと。
「オレも脚本、楽しみにしてる」
「ありがとう」
「でも、渡辺さん一人で大変だよね。丸投げしちゃって」
「大丈夫、それに、さっき山田君にも楽しみにしてるって言われて、補習メンバーの仲間意識みたいなのちょっと嬉しかったし」
「え? 渡辺さんにそんなふうに思われてたんだー。良かった。それ、山田に言っていい?」
「いいけど、なんで?」
「いや、オレら、ほんとにバカじゃん。山田もちょっと気にしてたんだよ」
え、意外。あいつそういうの気にするんだ。
え、ちょっと待って。
まさか、山田がわたしのこと好きとかそういう事じゃないよね?
そうだったとしても、そういう話、タダシ君から聞きたくない。
「ほら、渡辺さんっていつも北沢さんや広川さんといるでしょ。あの二人大人っぽいし、小学校違うからよく分からないから、正直、超見下されてるんだろうなって思ってた」
ああ、そういうこと。
「確かに、美玖や詩歩はね……」
そんなことないよとは言えない。あからさまに、ガキとかバカとか本人たちに言ってたからなあ。二人も山田にフォローしとくなんて望んでなさそうだし。
そういう意味かと安心したけど、嫌な沈黙が出来た。
山田だけの話じゃない。タダシ君のことも見下してるってこと否定してない。
話題を変えようにも、話すネタがない。
わたしが怒っているかのように見えたのか、タダシ君は申し訳なさそうに謝った。
「あ、ゴメン。オレ、邪魔しちゃったね。脚本進めて」
「あ、うん。ありがとう」
ああ、どうして、素っ気ない対応になってしまうんだろう。
見下していますって言ってるみたい。
ありがとうと言ったけど、まるで邪魔だったみたいなふうにも聞こえるし。
わたしは、もう自分で会話を続けるのは無理だと思って、星の王子さまの本を開いた。いかにも書き始めるかのように、本を開いて、本に逃げた。
数ページめくって、ウワバミに食べられたゾウのイラストを見た。
ああ、何も浮かばない。
タダシ君が横にいる。最高だけど、自分から距離作るような会話しかできない。
ああ。二人きりは嬉しいけど、キツい。
作間がいてくれたらとか、思ってしまう。
「あ、そっか!」
わたしにとって嫌な沈黙だったけど、彼にはそうでもなかったようで、何か大発見をしたみたいにタダシ君は嬉しそうに声を上げた。
「どうしたの?」
「読書感想文『星の王子さま』やればいいんだ。これなら、もう読んだしね」
「もう読んだんだ」
「うん、これと同じやつ借りて読んだよ」
わたしの文庫本を指さしてタダシ君は言った。
へえ。ホントに本気なんだ。読書感想文苦手、本読むのも面倒くさそうにしてたのに、もう読んだの。このラジオドラマって、補習受けるぐらい勉強する気なくて成績悪い奴らをも動かすスゴい力をもってるのかな。
「どうだった?」
純粋に聞きたくなった。このお話の感想。
「王子さまってさ、妖怪みたいだなって思った」
「は?」
「だって、地球を含めていろんな星に行ってるじゃん。どんだけ長い間生きてるんだろって。花とか動物とかとも話してるし、最後体だけ後に送って自分の星に帰ったんでしょ。すでに一回死んでて、そういう物体の移動を自由自在にできる存在なのかなって」
「妖怪……」
二年前に見せられた極上スマイル級に、わたしに衝撃が走った。
なんで妖怪になっちゃうのよ。って笑いながら、泣きたい気持ちになってきた。
やっぱりガキだなって見下したい気持ちじゃなくて、自分がものすごくつまらない大人の場所へ何も考えずに来てしまったよう気がしたから。
わたし、目に見えない大切なモノが見えなくなってきてる?
ウワバミに飲まれたゾウの絵が、帽子にしか見えない大人になってしまう?
わたし、すごくつまらない人間なんじゃないかって思えて悲しくなってきた。
「妖怪か」
「うん」
無邪気に笑うタダシ君が本当に、星の王子さまに見えてきた。
「あ、やっぱりオレ、バカだね。そんなわけないよな」
「そんなことない。妖怪になっちゃってもいい。それでもいい。いいんじゃないの? むしろ、今でもずっとずっと王子は生き続けているんだって想いは、近いのかもしれない」
わたしは、また謝られるのが悲しくなって、タダシ君が本当に王子さまみたいにどこかに行ってしまいそうな気がして、思ったことを口に出した。
「え。そう? 妖怪説あり?」
「うん。あと、やっぱり多田君は、最後、王子さまは自分の星に帰ったって思うんだ」
星の王子さまの最後って、どう解釈するんだろうって悩んだ。
読み方によっては、王子さまはヘビの毒で死んじゃったのかと思ったから。
そのへんは、本当に分からなかった。
「うん。だって、書いてあったよね」
タダシ君は、わたしの手から文庫本を取って思い当たる文章を探した。
「ほらここ『王子さまが、自分の星に帰ったことは、よく知っています。なぜなら、夜があけたとき、どこにもあのからだがみつからなかったからです』って。帰ったって言ってるじゃん」
書いてある。帰ったって言い切ってる。
文章のまま、そのまま受け取って感じればいい。
それも、その物語の世界だ。
読者が感じた世界だ。作者が考えたものじゃないかもしれないけど、真実だ。
星の王子さまの文章は深い。真実をそのまま書いてるわけない。
そんなふうに、昔子供だった人たちに先に言われて、自分の目で読もうとしなかった。
違う意味があるんだって思いながら、なんか分かったようなつもりになって読んでた。
本当に、大人はなんにも分かっちゃいない。
やっぱり、タダシ君は「王子さま」だ。
わたしの王子さま。
「多田君、それ、そのまま読書感想文にすればいいと思う」
「ほんとに?」
「妖怪説も面白いと思う」
「渡辺さんに言われたら、そんな気がしてくるじゃん。じゃあ今、書いちゃおう。ねえ、メモするから、今、オレ言ったこと、教えて、って、あああ、本借りるだけのつもりだったから、なんも持ってきてないや」
「貸してあげるよ。」
わたしはペンとルーズリーフを一枚出した。
「ありがとうおおおおお。渡辺さぁあああん」
「え、尾路先生?」
「似てた?」
「うん」
「マジでありがとう。で、オレ、さっきなんて言った?」
「え? 自分で言ったんだよね?」
「だからぁ」
わたしは笑った。
タダシ君も笑った。
なんか、ものすごく自然でいい感じだった。