木洩れ陽に身を隠した彼女
「木洩れ陽って、海外には匹敵する単語がない日本特有の言葉だって知ってた? こんな素敵な光景に、素敵な言葉って、本当に綺麗だと思わない?」
木洩れ陽が差し込むこの並木路を通る度に、亡き妻の言葉が再生される――あの可愛らしい澄んだ声が。
◇◇◇◇◇
妻と出会ったのは、大学生の頃。俺と彼女は同じ学年で同じ学部であり、またサークルは同じ写真部でもあった。そのため、特に写真部では一緒の行動をすることが多く、彼女に好感を持つのはそう時間は掛からなかった。
彼女は本当に写真を撮るのが大好きで、美しい写真を撮るためにあらゆる所へと出かけるのが大好きだった。そんな彼女にいつも付き合わされたのが俺だ。
俺も外に出かけるのが好きなアウトドア派でもあったこともあり、いつも快諾して彼女について行くのが、ある日何故自分をいつも誘うのか尋ねてみた時に返って来た返事がこうだった。
「だって、高橋くんと一緒に写真を撮るのが楽しいから」
なんともストレートな言葉で答えるものだから、一瞬告白されたのではないかと勘違いしてしまいそうだった。ただ、彼女が呑気な顔で言っていることから、そうではないことが分かり、一気に腑に落ちてしまったことをよく覚えている。
彼女はなんせ誰が見ても天然で、1人にしていると危なさを感じるほんわかとした人なのだ。その発言だって天然ゆえの言葉であることは読み取れた。
その時からだろうか。俺は今まで以上に彼女のことを意識するようになり、いつしか目で追うようになっていた。そして、暫くしてその事に気づき、いっそのこと彼女に告白しようと思い切って告白したら、彼女はあっさり良いよと言って付き合い始めることになった。
しかし、彼女と付き合うようになってから劇的に何かが変わったのかと言われると実はそうではなく、お互いの家を訪ねるようになったぐらいで、その後も相変わらず写真を撮りに色々な場所に出かけていたのだった。
それが10年も続き、お互いに30歳に近づいたこともあり、流れ的にそのまま結婚をして夫婦になった。しかし、俺達には子どもが出来なかったこともあってか、結婚してからも一緒に住んでいることを除いて、出会った時から同じように、休みの時は写真を撮りに色々な場所に出かけていた。そのため、俺達は友達なのか、恋人なのか、夫婦なのかという境界線がハッキリすることなく、ただのんびりとした生活を彼女と共にしていた。
そんな彼女と過ごす上でよく分かったことは、彼女は木洩れ陽の風景が大好きで、あらゆる場所でその風景をカメラに収めていたことだった。そのため、彼女はあまりデートとしては遊園地や動物園を好まず、森や山の探索を好んでいた。実は俺も落ち着いた自然の方が好きで、彼女と一緒に行くのはそういう場所ばかりだった。
そんなある日、ふと何故そこまで木洩れ陽が好きなのか不思議に思い、いつも歩く並木路で質問した答えがあれだった。
「木洩れ陽って、海外には匹敵する単語がない日本特有の言葉だって知ってた? こんな素敵な光景に、素敵な言葉って、本当に綺麗だと思わない?」
あの言葉は、彼女が心底嬉しそうな顔で、弾んだ可愛らしい澄んだ声だった。そのためか俺も納得し、それからより一層に木洩れ陽が綺麗だと思うようになった。そして、俺も彼女と共に多くの木洩れ陽の風景を自身のカメラにも収めるようになったのだ。それを家に帰った後に、それぞれ見せ合うのも楽しい一時だった。
結婚してから休みの日は相変わらず写真を撮る日々を過ごしていたが、お互いに定年退職をし、毎日の時間がフリーになると、また出会った時のように、いやそれ以上に写真に打ち込んだ。ただ写真を撮るために出かける日々。そんな周りから見たら何が楽しいのかと思われるようなことを俺達はいつも一緒に楽しんでいた。
しかし、その生活が変わったのは彼女が65歳の時。彼女は病にかかり、次第に体が弱ってしまった。そのことで外に出る頻度も減り、出かける範囲も狭まってしまった。そんな中でも彼女は嬉しそうに外に出かけていたのだ。
しかし、しまいには自分の力だけでは動くのが困難になってしまい、このままでは気力も失っていくのが目に見えていた。そのため、俺は遠くまで連れて行くことは出来ないものの、彼女を車椅子に乗せてたまに出かけることにした。普段はあまり元気がない彼女ではあったが、外に出かける時は子どものように無邪気になって、カメラをしっかりと持って相変わらず写真を取っていた。その時でもやはりお気に入りの光景は、相変わらず木洩れ陽の風景で、いつも通る並木路に差し込む木洩れ陽の風景を念入りにカメラに収めていた。
勿論自身の足で遠くまで出かけて共に写真を撮ることが出来なかったものの、それでも彼女と一緒に過ごす時間は心地良くて幸せな時間だった。
そんな彼女と共に送る生活は、俺達が出会ってから50年目という節目で終えることになってしまった。残念ながら、彼女の病は回復することなくそのまま亡くなってしまったのだ。それもあの並木路でだ。
彼女が亡くなった日は、先日が大雨であったのが嘘であるかのような快晴で、木洩れ陽の風景を撮るのは最適な日だった。
彼女は目を輝かせた反面、少し握ったら折れそうなほどの弱々しい腕でカメラを構えて、ゆっくりとシャッターを切って写真を撮っていた。その姿は木洩れ陽によって光輝いた天使のようで、肌は青白くシワを多く刻まれているもの、それすら魅力的に感じるほどであった。
そんな彼女が数枚の写真を撮り終えると、ゆっくりとカメラを膝元に置いて、俺に声を掛けてきたのだ。
「やはりこの並木路の木洩れ陽は綺麗ね。真太郎、ここに連れてきて本当にありがとう」
そう言って彼女は満面の笑み浮かべた。その笑みは何度も見たことがあるはずなのに、何故か今まで以上に眩しくて美しく感じられた――もうここまで素敵な笑顔はもう2度と見ることが出来ないのではないかと感じてしまうほどに。そんな彼女に俺は照れてしまい、オウム返しのように返事をしてしまった。
「ああ、この並木路の木洩れ陽は綺麗だよな。陽菜乃、こちらこそ綺麗だって教えてくれてありがとう」
その返事を聞いて満足したのか、彼女は頷いた後に、ゆっくりと目を瞑り、そこから彼女は動かなくなってしまった。
今まで彼女が出かけている途中でカメラを手放すことがなかったし、またお出かけ最中で眠れることもなかった。そのため、俺は不思議に思いながらも、ここ暫くは雨が続いて外に出ることが出来なかったから、疲れてしまったのかもしれないと思い、そっと車椅子を押して家まで帰っていった。
彼女が亡くなったと気づいたのは、家に着いて彼女の部屋に入った時だ。彼女を起こして、ベッドに移動してもらおうと声を掛けたところで、全く何も反応が無かったのだ。その時は暫くの間は何が起こったかは理解出来なかった。それでも、もう笑わない彼女を眺め続けて、ようやく彼女が亡くなったのだと分かり、そして彼女の死を受け入れた。
あの時に言った言葉が最後の言葉だったのだと思うと、もっと話せば良かったと思うものの、まだ最後に会話をすることが出来たので、そこは心の底から喜ばしかった。
それにしてもあの時見た彼女は、天からお迎えをされた時だったから天使のようにあそこまで輝いて見えたのだろうか。また、木洩れ陽をこよなく愛した彼女は、大好きな木洩れ陽に身を隠して亡くなったのだろうかと思わずにはいられなかった。
◇◇◇◇◇
あれからもう早5年も経過してしまった。今は何をしているかと言うと、俺のカメラと彼女のカメラで写真を撮っている。それが彼女のお願いだったからだ。彼女は亡くなる少し前にこんな風に頼んできたのだ。
「私が居なくなったら、真太郎が出かける時に1枚だけで良いからこのカメラに写真を収めてくれない? 亡くなってもカメラだけはせめていつも貴方のそばに居たいの」
最後の頼み方も何とも彼女らしかった。こんな風に言われたら実行しないわけにはいかない。だから今も彼女と共に出かけていると思いながら写真を撮る。
私も年齢的にそろそろ亡くなってしまうだろう。
それまでは、彼女の残したカメラと共に思い出を収めたいと、今も写真を撮り続けるのだ。
ああ、今日はお彼岸の最終日だ。
折角だからお墓参りして、彼女に今まで撮った写真を見せに行こうと、木洩れ陽が差し込むいつもの並木路を通った。