Ep.5前半
ある日の夜。
横浜のビル群から発せられる灯りで夜空も明るく見える。
海沿いの高層ビルの中枢の階では、豪華なドレスやタキシードに身を包んだ人々が集ってパーティーに参加していた。
鮮やかなシャンデリアがいくつも吊るされている下で、ある者は挨拶を交わしてから軽い世間話をしつつ食事をし、ある者達は高性能のスピーカーから流れるタンゴの音楽に合わせて踊っている。
このパーティーの主催者と思われる、紺の高級スーツに身を包んだ、強面の高齢な男性は、多くの参加者と談笑している。
誰もが愉快な夜を過ごしている最中、ある一人の男は、横浜の夜景の見える大判のガラスの前に立ちながら、街を見下ろしつつ、真っ白な皿に盛り付けられた料理をフォークで黙々とスローペースで食べ進めていた。
横に流れる様ななめらかな金色の髪をした、細身で高身長の若い男で、顔立ちはどこか外国人っぽく、日系人の様だ。イタリア製のオーダーメイドのグレーのスーツに身を包んでおり、左耳には補聴器にも見える、何か小さな銀色の機械が掛けられている。
このパーティーを全く楽しんでいないのか、街を見下ろす藍色の目と鋭い顔つきに映る表情は、虚無の様に暗いものだ。
食べ終えた料理の皿と使ったフォークをウェイターに渡し、白ワインが注がれた細長いワイングラスを手にしながら、また横浜の街を見下ろす。
(何が楽しくてこんなパーティーに居続けてるんだろうなぁ、僕は…あまりにも退屈だ)
そう思いながら、ワイングラスに小さく口を付け、白ワインを口に流し込む。場に馴染めない窮屈さもあるのか、あまり美味しく感じない。次に飲む口が進まなくなり、やがてまた通りかかった別のウェイターにグラスを渡した。
極太の年季の入った柱に寄りかかりながら、左耳に掛けてある機械の小さなスイッチを押した。
《こちらチームα、地上20階まで到着》と、少年の様な若々しくもキレのある男の声が聞こえてきた。
「了解…」彼は周りに居る誰にも聞こえないほど小さな声でそう応答する。
「そろそろこの退屈なパーティーにもうんざりしてきた…早く終わらせて帰ろう」
《無茶言うなよ、まだそっちの階にすら辿り着けてないのに》
「はいはい…じゃ、続き頑張ってね」
通信相手からの返事も無くそのまま切られ、彼は左耳から手を離し、ポケットに入れて、横浜の街を静かに見下ろし続けた。
深いため息を吐き、街から目線を上げて夜空を見つめる。街の灯りで星はほとんど見えない、見てて面白味も感じない空だ。
すると、
「こんばんは」
と、後ろから、程良く低く気品を感じる、クールな若い女の声が聞こえてきた。
彼はその声の主の方に振り向く。
そこには、ワインレッドの高級なドレスに身を包み、ボブカットの濃い茶色の髪、輝きを放つエメラルドの瞳と、少し丸みを帯びた愛らしい目つきの女性が、気品ある綺麗な立ち姿で佇んでいた。彼に向けて優し気な微笑を浮かべている。
彼はその女性に見覚えが無く、眉を顰めて見つめる。
「…こんばんは。何かご用ですか?」
「いえ、なにやら退屈そうにしていらしたので…」彼女はそう言いながら彼に歩み寄ってきた。
「…どこかでお会いしましたか?」
「いいえ、初めてですよ。
”四ノ宮凛子”と申します」そう言って彼女は彼に握手を促す様に右手を差し出してきた。
彼は差し出された右手を握って握手をしながら、自分も名乗ることにした。
「”ウォーレン”です。よろしく」
「ウォーレンさん…外国の方?」
「父が日本人で、母がアメリカ人です」
「そう…」
二人は握手した手を離し、四ノ宮と名乗った彼女はウォーレンの目を見つめながら言った。
「よろしければ、私と踊りませんか?」
「貴女と?」
「えぇ…丁度私も退屈していたところですし…」
ウォーレンは内心、あまり心地が良くなかった。初対面の素性の知れない女性と、この会場で共にダンスを…?
なかなか乗る気にならないが、お互い退屈している身であるなら、時間潰しに付き合ってやろうと決めた。
顰めた眉を緩め、微笑を浮かべて答える。
「いいですよ」
「ありがとうございます…」
二人は窓から離れ、会場に流れている曲に合わせて、共にタンゴを踊り始めた。
彼女のダンスは見事なモノだった。一切のブレもない、適格な身体使い。初対面のウォーレンとも自然に波長が合い、彼は美しく振舞う彼女に、次第に見惚れていった。
「ダンス、お上手ですね…」
「ウォーレンさんこそ…」
そんな話をしていると、ウォーレンが左耳に掛けている機械から、先程の少年の声が聞こえてきた。
《おい、何呑気に踊ってんだよ。誰その女?》
ウォーレンはその言葉が耳に入っていたが、今は四ノ宮とのダンスに集中したくなっていて、無視することにした。
薄っすらとその機械から流れる声が聞こえたのか、
「あら、今誰か…」とウォーレンに何かを聞こうとしたが、
「気のせいですよ。さ、続けましょう…」とウォーレンが遮ってそう促し、二人は気を取り直して踊り続ける。
それから長い間、二人はタンゴを踊り続けた。
やがて二人共動きを止め、互いに握る手を離して、笑顔で顔を向かい合わせた。
「ふふっ…楽しいダンスでしたよ」
「私も、こんなに夢中で踊り続けたのは久しぶりです」
四ノ宮は、「では、これからも良い夜を」と言ってその場を去ろうとした。
「あぁ、四ノ宮さん」
「はい?」
彼女を呼び止め、ウォーレンは懐から一枚の名刺を取り出した。
「よかったら、受け取ってください。また会えるように…」
「あら…ありがとう」
四ノ宮はウォーレンからの名刺を受け取って、彼の役職などに目を通した。
『スパイダー・ウェブ(株)代表取締役社長 ウォーレン・サンクフォード・クロサワ』と書かれており、裏面には『スパイダー・ウェブ』のマークである、蜘蛛の巣に張り付くデフォルメされた黒塗りの蜘蛛が描かれていた。
「では、またいつか…」
そう言って四ノ宮は、ウォーレンと別れ、会場の奥へと静かに歩いて行った。
その美しい後ろ姿を見つめ、ウォーレンは満足気な表情を浮かべながら、彼女の姿が見えなくなると、会場の外へと足を運ばせ始めた。
(…あ、あの人の名刺貰うの忘れてた…まぁいっか)
ふとそう思いつつ、腕時計を見ると、もう夜の二十三時だ。
通路の奥にあるエレベーターに向かう道中、左耳の機械を押してみる。
「”澪”、状況はどうなった?」
そう聞いても、応答がない。
やがてあの少年の様な声が聞こえてきた。
《…任務失敗。合流しよう》
「あれれ?失敗しちゃったの?」
エレベーターに辿り着き、1階のボタンと閉場ボタンを押して、エレベーターを下に向かわせた。
地上に居り、スーツの懐に入っていたパーティーの招待状を取り出して破り、通路にあったゴミ箱に入れる。
ロビーを経て正面の大きな出入口からビルを出て、ネクタイを緩めながら外に出る。
そこには、妖しい光沢を放つ美しい銀色のボディをしたランボルギーニ・ガヤルドが停まっており、その隣に、黒いスーツを着た一人の小柄な若者が立っていた。
滑らかなセミロングの濃い茶髪に、黄金の様に煌めく金の瞳、キレた目をしたクールな顔立ちをしている。顔だけ見ると女の子の様に見えるが、体つきは少しガッチリとしており、男とも捉えることができる。
ウォーレンがビルから出てくると、その子は彼に向かって、ドカドカと重たい足取りで歩み寄ってくる。怒っているのか、眉間に皺を寄せて彼を睨みつけ、両手の拳は固く握られている。
ネクタイを緩めてワイシャツの一番上のボタンを外すと、彼に向かってニッコリと満面の笑顔を見せ、大きく手を広げながら歩き始めた。
「澪~~!僕の”可愛い子猫く~ん”!そんなにむくれ顔しないで~、可愛いお顔が台無し__」
「むくれたくもなるわ、このっ!!」
歩み寄ってきたウォーレンの腹に、澪と呼ばれた子は固く握りしめた右拳を一発喰らわせた。
「ぐぇっ」とウォーレンの口から声が漏れても、彼はあまり痛そうにしておらず平気で立ち続けた。それが余計気に入らなかったのか、澪は額に青筋を浮かべ、更に彼の脚の脛にゲシゲシと何度も蹴りを入れ始めた。
「ふざけんな、よっ!お前が、呑気に、知らない女と、踊ってる間に、こんなことに、なったんだぞっ!」とウォーレンの足を何度も蹴りながら彼に向かって怒鳴り続ける。
「自己判断ってのも、なっ!限度って、ものが、あるんだぞっ!お前が、肝心な所で、必要な命令、寄こさなかったから、僕ら、恥さらしだ、よっ!」
怒鳴って蹴り続けていた澪だったが、途中で疲れたのかゼエゼエと息を吐きながら蹴りを止めた。
「ごめんごめん。今度一週間有給と臨時ボーナス付けるから、それで我慢してよ」
ウォーレンはそう言いながら澪の頭をゆっくりと軽く撫でた。澪は不服そうに顔を膨らませ「フンッ」とそっぽを向いてしまった。
ウォーレンはガヤルドの運転席に座り、澪は助手席に座り、上着のポケットに入れていたガヤルドの鍵を彼に手渡す。
エンジンを掛け、スーパーカー特有の甲高いエンジン音を響かせながら、ビルの敷地を抜けて街中を走り始めた。
「それで、何があったんだい?」
ずっと笑顔だったウォーレンの目つきは、その一言でガラリと変わった。氷の様に冷たく、瞳の奥に闇を据えた様な形相だ。それを見て澪も冷静を取り戻したのか真顔になり、質問に答え始める。
「お前が踊ってる間に、他の連中が一番乗りで”獲物”に接近して奪われた」
「他の連中、か…どこだろうか。当ててみようか?」
「どうせ分かり切ってるだろ…」
「PM-9、でしょ?」
「…あぁ」
「だと思った…アイツが死んでからだいぶ大人しくなってた気がするけど、また暴れまわるようになったかぁ」
ウォーレンは先程共に踊った女性、四ノ宮の顔を思い浮かべる。
「ははっ…”狐”にまんまと化かされちゃったなぁ…
でも、あの女、見たことないなぁ…新入りかな?」
「どうせ変装してたんだろうし、分かるワケないじゃん」
「いやいや、案外分かるものだよ?人の癖ってなかなか抜けないものだし、顔は変えても、身体はそう簡単に変わらない…あの手の感触は初めてだったなぁ」
「げっ…お前連中の手とか一々把握してるわけ?」
「くくくっ…」
そんな話をしている二人を乗せたガヤルドは、いつしか街の濃い影の中に消えていった。
同じ頃。
パーティー会場のビルよりやや離れた場所にある、一面コンクリートの殺風景な地下駐車場。
ウォーレンと別れた後の四ノ宮凛子…いや、天羽愛華は、ボブカットのウィッグを脱ぎ、中に納めていた黒く長い髪を解きながら靡かせ、カラーコンタクトを外しながらキビキビと歩いていく。
歩いた先には、一見清掃業者の車に見えるバンが停まっており、スライドドアを開けると、真悟達PM-9のメンバー数名が折り畳み椅子に座っていた。真悟以外はパソコンのモニターなどに囲まれており、そこにば先程のビルの防犯カメラ映像や、建物全体を3Dスキャンして作られたモデルなどが映し出されている。
真悟はぴっちりとした黒いボディスーツ姿で、頭には赤外線カメラなどの機能が付いたゴーグルが巻かれ、黒いリュックを背負っている。
愛華がバンに乗り込むと、運転席に居る男がバンを発進させ、地下駐車場を後にする。
真悟達は、ドレスを脱ごうとしている愛華から目を逸らしながら、仕事についての話を始める。愛華は用意されていた衣服に着替えを進める。
「ウォーレンとのダンスはどうでした?」
「まぁ、良い時間潰しにはなったでしょ?」愛華の声は、先程四ノ宮という架空の人物を演じていた時とは違う、普段通りの声で喋りだす。変声機などは付けてないようだ。
「そりゃぁ、彼の気を引き付けて集中力削いで、部下に命令する余裕を無くせたので、そこはバッチリなんですけど…楽しかったですか?」
「全っ然」と愛華はキッパリと答えた。
「…にしても、よく変声機も無くあんなに別人な声出せますね…」
「そんなのどうだっていいでしょ。
ところで、”目的の品物”は?」
「あぁ…」
真悟は背負っていたリュックを降ろし、中を開けて何かを取り出す。
それは赤い宝石だった。拳一つ分の大きさで、全体的にゴツゴツしつつも表面は粗も無い滑らかな状態だ。
「それ…?」
「えぇ。間違いありません」
* * *
昨日。
PM-9の本部に呼ばれた愛華達は、敷島から新しい仕事についての打ち合わせをしていた。
敷島の部屋の壁に掛けられたホワイトボードには、赤い宝石が写っている写真や、強面の高齢な男の写真が貼られている。
「今回の標的はこれだ」と、敷島は宝石の写真を指差した。
「なんですかそれ?」
「これは…60年代、ある国で発見された宝石、”女神の口づけ”だ」
「め…女神の口づけ…?」愛華はそう疑心に思いながら宝石の写真を見つめる。一体どこに女神と口づけの要素があるのだろうか。
「二年前、パリの博物館で展示するために輸送していた所を襲撃され、これが持ち去られた。
今、この男が所有している。”弦田利行”という資産家だ」と、強面の高齢な男の写真を指差す。
暮葉が前に出て、詳細が載っている資料を愛華や真悟達に渡して言う。
「半年前、ディープウェブの闇オークションでこれが出品され、この男が15億で落札した」
「じっ、15億!?」「そんなに価値のある物なんですかそれ…?」と愛華達が困惑しているのを他所に、敷島は話を続ける。
「弦田は明日、自身の所有するビルでパーティーを行う。
警備の大半がパーティーに割かれている間に潜入しこれを奪還。その後一週間以内に、この宝石の所有権を握っている博物館の館長に渡すのが、今回の任務だ」
「警察は動けないんですか?」
「弦田はなかなか裏を見せない。令状を出す名目も、逮捕に至る余罪すら無い。我々が奪い取るしか方法は無いのだ」
「…これ、他の組織も狙ってたりしません?」
「その可能性は、十分にある」暮葉はそう言いながら、ある人物の写真をホワイトボードに貼って指差して語る。
「彼は”ウォーレン・サンクフォード・クロサワ”。”スパイダー・ウェブ”の代表取締役社長を務める男」
「スパイダー・ウェブって…大企業じゃないですか!?」
スパイダー・ウェブ。各国との貿易事業を堅実にこなす、アメリカ発の大企業だ、
「弦田はこの会社の株などを所有しているから、パーティーへの招待状も容易に受け取れるでしょうね」
「そんな男が、この宝石を…?」
「コイツ、”面白そうなモノなら何でも手に入れようとする大泥棒”よ。
PM-9とも何度か衝突しあってる」
「あの修作でさえ、コイツには手を焼いていた…」
敷島のその言葉で、ウォーレンの写真を見る目つきが変わる。疑心的だった顔つきは真剣なものに変化した。
「修作さんが…?」
「逃げ足は速いし頭の回転も早い。しかも弦田と同じく、表じゃ一切悪行が公にならない。一番面倒なタイプだ。
気を引き締めてかからないと、相当振り回されることになるぞ」
「…分かりました」
そしてパーティー当日。
真悟がビルのダクトなどを伝って潜入し宝石に近づいていく間。
愛華は警備の隙を突き、四ノ宮という架空の人物を装ってパーティー会場に密かに潜入する。弦田に見つかったらマズいが、幸い彼は他の面々に囲まれながら談笑している。
そして…
《愛華さん、ウォーレンが居た。窓際に立ってる》と、駐車場のバンに居る男から無線で連絡が入る。
窓の方を向くと、写真で見たあの男、ウォーレンが立っていた。
周りの誰にも聞こえない程小さな声で応答する。
「見つけた…どうすればいいの?」
《テキトーに相手して時間稼いでくれ》
「時間稼ぐって…」
《ダンスするとかさ…》
「…分かった」
愛華は通信を切り、ウォーレンに歩み寄った…。
* * *
そして現在。
夜が明け、愛華達はPM-9の本部に揃っていた。
白い壁の一室の中央には、茶色の脚が高いテーブルがあり、白い厚手の布が敷かれ、その上に取ってきた宝石、『女神の口づけ』が置かれている。
愛華と真悟は身を少し屈めて真横から宝石を見つめる。
盗み出した時は暗くて分からなかったが、明るい場所で見ると、宝石の中の中央に、何か小さな模様か何かが入っていた。
「これが『女神の口づけ』ねぇ…」
「自然で出来た宝石の中に、こんな模様か何か入ってる…ってことある?」
「あるでしょ。琥珀とか」
「あぁ、そういえば!」
愛華はその宝石を持ち上げ、上に上げたりしてみたりしながら全体を見る。
それを見て敷島が焦り気味に駆け寄ってきた。
「おいおい、気をつけろよ?15億の値が付く代物だぞ?」
そう言われて宝石を置いた愛華だが、妙に納得ができてない様な懐疑的な眼差しを続ける。
「…敷島さん、これ…本当にそこまで価値のある物なんですかね…?」
「…どうしてそう思う?」
愛華は宝石を軽い手で触りながら答える。
「なんか…確かに綺麗で凄い物なんでしょうけど…
”あんまり心を惹かれないなぁ~”って…」
「…なんだそりゃ」
「これ、もしかして”人工物”だったりしません?」
「…そんなの俺が知るワケないだろ…」
彼女の言動に頭を悩ませ始めた敷島は、ため息を吐きながらスマホを取り出して、電話をしに部屋の奥へと歩いて行った。
愛華はまた身を屈めて、宝石の中の、模様の様な何かに注目する。しかし、いつまで凝視してもそれが何なのかは一体分からなかった。
しばらくすると、電話を終えた敷島が愛華達の方に向かって歩いてきた。
「明日はこの宝石を、成田空港で仲介人に明け渡す。ひとまず今日は休んでくれ」
「わかりました」
愛華達は解散してその場から離れ、暮葉と共に残った敷島は、愛華が言っていたことが気がかりになってきて、彼も身を屈めて宝石を見つめた。
「心を惹かれない、ねぇ…何を言ってんだか」愛華に対して呆れた様な顔で暮葉はそう呟いた。
「…まぁ、確かにそんな気もするな。心が惹かれないっていうのが…」
「え?」
一方。
東京の森ともいえるビル群の中に、真新しい灰色の高層ビルが建っている。上部には『SPIDER WEB』と赤文字の看板が設置されている。
最上階にある広い一室。入口のドアを開けてすぐに見えるのは、職場というよりマンションのリビングの様な、濃い色のフローリングに汚れの見えない純白の壁をした部屋。中央にはアルミの灰皿が置かれた黒いフレームの脚の短いガラステーブルと、それを境に向かい合うように置かれている黒革のソファがある。
窓の光が当たる内側のソファには、一人の少女が横になって、黒い布で覆われた”棒状の長い何か”を抱えながら、静かに眠っている。
頭頂部に少し長めのアホ毛が特徴的で、右目が隠れている長い銀髪をし、凛々しいであろう顔立ちは目を閉じているせいで分かりにくいが、きっと美人であろうということは窺える。
その部屋と隣接している隣の部屋は、金属のデスクで囲われその上には何台ものパソコンとモニターが設置されている。
その囲われた中に居るのは二人の男。
一人は黒人の屈強な大男で、スキンヘッドをした厳つい猛獣の様な顔立ちをしており、ピチピチの黒いシャツの下には強靭な太い筋肉が佇んでいる。
もう一人は中国人の中年男で、黒人の大男とは対照的にごく普通な体型で、白いワイシャツの上から水色のネクタイを締めており、黒縁の眼鏡の先にある顔立ちも、優し気な爽やかな雰囲気をしている。
そんな三人が居る部屋に、ウォーレンと澪が入室してきた。
「おっはよ~諸君!」とウォーレンは高らかに声を上げながらリビングに入っていく。後ろから付いてくる澪は「うるさっ…」とでも言いたげな呆れた様な表情だ。
その声で目が覚めたのか、銀髪の少女が重たい瞼を開けられないまま、フラフラかつゆっくりと起き上がった。
「ぅぉーれん…?」
「おう、おはよう”響鬼”!」
黒人の大男と中国系の男の居る部屋にウォーレンは顔を出して言う。
「”ボブさん”、”湾さん”!おはよ~」
「「おはようございます」」二人は流暢な日本語でそう返した。
「あれ?”面白そうな物”はどうしたんです?」と、湾と呼ばれた中国人の男はウォーレンの姿を上から下まで見回した。
「それが、邪魔が入っちゃってねぇ~」
リビングに居る響鬼と呼ばれた少女の隣に腰掛けてその会話を聞いていた澪は「どっかのバカが真面目に働かなかったからねぇ~」とわざと三人に聞こえるような声量で嫌味を言ってきた。
「みぃぉお~」とノロノロとした口調で響鬼が澪にぎゅ~っと抱き着いてきた。
「ひ、響鬼さん寝ぼけすぎっ!恥ずかしいって…!」と澪は照れながら、精一杯優しく彼女を引き剥がそうとする。
その光景をリビングとパソコンが置いてある部屋の境界線である柱からウォーレンが微笑みながら眺めていた。
「見ろ二人とも。天国がすぐそこに見えるぞ…」
澪はテーブルに置いてあった灰皿を手に取って「お前は黙ってろ!」と言ってウォーレンに向かって投げつけた。投げられた灰皿はウォーレンの顔面に直撃し、灰皿が歪んでウォーレンの鼻を中心に形が浮かび上がる。
何事も無かったかの様に湾がウォーレンに声を掛けてきた。
「それで、邪魔してきたというのは?」
「PM-9の連中だよ」と、ウォーレンは自分の顔の形に添って歪んだ灰皿を引き剥がしながら答える。
「また彼らですか…あ、でも衝突し合うのは4年ぶりくらいですかね?」
「だね…”駿斗くん”が死んでからかなり大人しかったから…」
そう語るウォーレンの目は、どこか悲し気な眼差しをしていた。
だがすぐに気を取り直して、ボブと湾に向き直って笑顔で言い放つ。
「ま、久しぶりに力比べといこうじゃないか!楽しくなるぞぉ~!」