Ep.4前半
快晴の下の横浜。
高級住宅街の中に紛れ込む、一軒のレンガ調の壁の家。
二階の寝室で、一人の男が着替えていた。黒髪で瘦せ型の中年男性で、整った顔立ちに浮かぶ表情からは優しさを感じさせる柔らかさをしている。
白いワイシャツの上に紺のスーツを着、濃紺のネクタイを締めて、黒革のビジネスバッグを手に取って部屋を出る。
一階のリビングに行くと、今年で六歳、小学一年生になる愛娘と、結婚して七年が経つ最愛の妻が居り、彼を待ちつつ朝食をとっていた。
娘は左右の黒髪を三つ編みにした小さめのおさげをしている愛らしい子、妻は濃い茶色の長い髪をした美しい顔立ちの女性。娘の顔立ちは母親譲りの様だ。
三人がそれぞれ朝の挨拶を交わしながら、男は朝食が並べられているテーブルの前にある椅子に腰を落ち着かせた。
朝食を終え、男は妻と娘に見送られながら家を出る。
家の前には、自身を迎えに来た黒塗りの国産高級セダン車が一台停まっており、運転席には若い男性の運転手が座っている。
男は後部座席のドアを開け乗り込もうとした。
その時、「カチッ」という音が聞こえた気がしたが、それよりも…と、寝室に忘れ物をしたことに気づいて意識がそちらに向いてしまった。
「すまない、忘れ物をした。待っててくれ」運転手にそう言って、後部座席のドアを閉めて家に向かって歩き出した。
男が車から5メートルは離れたであろうか。
家のドアノブを握ろうとしたその時、
高級車が車体の裏から火を噴き、爆音と共に炎で包み込んで、大量の火花を散らしながら爆発した。
爆風に追いやられた男はドアに胸を打ち付けて倒れ、背中には煤とガラスなどの破片が飛び掛かる。
何事かと思いながら起き上がって、高級車の方を見た。高級車を飲み込んだ炎は、運転手ごと盛大に燃え盛っている。クラクションが鳴り響き、濃い黒煙が空へと昇っていた…。
警察と消防、救急車が駆け付け、突然の事態を何とか収めることができた。
しかし、一家は安心できるはずがない。男が高級車に乗り込む際に聞こえた異音…予想が正しければ、あの爆発は人為的な物だ。
つまり、自分の命が狙われていることになる。もしかしたら、家族にも危険が及ぶかもしれない…。
その日の夜。
家の近くに一台の黒いステーションワゴンが駐車され、運転席から一人の男が降車する。グレーのスーツを着込み、縁無しの眼鏡を掛けた、セミロングの明るい茶髪をした、無表情の若い男だ。
家の中に入り、リビングに行って、ソファに座っている男と顔を合わせる。
「”鹿嶋”、来てくれたか…!」
男に鹿嶋と呼ばれた若い男は、顔色一つ変えずに彼の前に置かれている椅子に座った。
「”矢倉先生”、ご無事で何よりです…」
「無事なもんか…!運転手が死んでるんだぞ!?もしかしたら、娘と妻も狙われるかもしれない!!」
「落ち着いてください矢倉先生…
とりあえず、これを…」そう言って鹿嶋は、スーツの上着の裏ポケットから、一枚の細い茶封筒を取り出して矢倉に渡した。
中を開くと一枚の白い紙が入っており、新聞の文字を切り取って貼られた文章があった。
『神奈川県知事総選挙出馬中 矢倉龍市。
お前の悪行は知っている。
罪を覆い隠しながら県民の前に立つことは許されない。
直ちに出馬を取り止め、政界から身を退かなければ、
次は娘”実恋”、その次は妻”栄子”だ。』
「…これは?」
「先程、事務所に届いた物です。指紋などは見つかりませんでした…」
矢倉は紙をテーブルに置き、全身の力を抜いて椅子に寄りかかった。
今朝の一件からして、この文書を送ってきた者は”本気”なのだろう。
彼は今やるべきことを頭の中で整理し、再び鹿嶋に顔を向けた。
「このまま引き下がるワケにはいかない…ようやくここまで登りつめてきたんだ…!
鹿嶋、娘と妻を警護する人手、犯人を突き止め取り押さえる人手を用意してほしい。頼めるか?」
そう言われた鹿嶋は、やっと表情が変わった。(無茶言うなよ…)と言いたげな不安そうな顔つきだ。
目を閉じてしばらく頭を巡らせていると、ある組織の名が浮かび上がった。
「…一つ提案が。娘さんと奥さんを保護し、犯人確保を保証できる組織があります」
「本当か?!」
「えぇ…ただ、口外無用ですよ?」
「…裏社会の連中か?」
「それも、一部の警察と癒着して事件を揉み消しているという噂が…」
「…だが、優秀なんだろう?」
「えぇ、優秀です」
「…背に腹は代えられない。
鹿嶋、その者達にアポを取ってくれ」
「かしこまりました」
* * *
翌朝。
白い壁のマンションの一室。
愛華は起床し、軽い朝食を取ってから、リビングのテーブルと椅子をずらして、中央に厚手のマットを敷いて、白いタンクトップと黒いショートパンツ姿になり、髪を後頭部に束ねてから、筋トレを始めた。
あらゆる種目をこなし、時には、片手だけで立ちバランスを保つ特訓もした。
汗を用意していたタオルで拭き取りながら、保冷用の水筒に入れた冷水を飲み込む。
小休憩を終えてトレーニングに戻ろうとした時、壁に掛けてある固定電話が鳴り、すぐに応対した。
「もしもし、天羽です」
《私だ、敷島だ》と、受話器越しから敷島の声が流れてきた。
「仕事ですか?」
《あぁ。数日を要する任務の可能性が高い。詳細はこちらに来てから伝える》
「分かりました、すぐ準備して向かいます」
《うむ》
通話を終えて受話器を掛け、浴室に行ってシャワーを浴び、寝室に入る。
ドレッサーから白いシャツと黒革のダブルライダースジャケット、黒革のレザーパンツ、そして黒革のショルダーホルスターを取り出し、それらに着替える。
鍵付きの引き出しから1911と予備弾倉、対応のサイレンサーを取り出し、ホルスターに納める。
小さめのリュックを奥から取り出し、入る分だけの着替えなどを詰め込んで閉じ、肩に掛けて立ち上がった。
机に置かれているグロリアと部屋の鍵を手に取って、部屋全体の戸締りを確認してから、ドアに鍵を掛けて地下駐車場に向かう。
薄暗い地下駐車場に涼しいほど静かに佇む黒塗りのグロリアに乗り込み、リュックを助手席に放って、エンジンを掛ける。
轟音を響かせながら地下駐車場を出て、PM-9の日本支部の建物へと向かった。
建物に着き、グロリアを降りて入口に向かう。
警備員に向かって、革ジャンの裏ポケットに入れていた、PM-9の者と証明するためのバッジを見せ、中へ入ることを許される。
敷島の部屋のある階へとエレベーターで昇っていき、彼の部屋へと向かう。
ノックして中から応答があると、ドアを開けて部屋に入る。
既に椅子に腰を落ち着かせている敷島、その隣で静かに立ち続けていた暮葉、壁に寄りかかりながら腕を組んで立っていた真悟が居た。
愛華が来ると真悟は壁から離れ、彼女と並んで敷島の前に立つ。
敷島は既にデスクに置かれていた書類を、二人の前に差し出した。二人共それを手に取って目を通しながら、敷島の話に耳を傾ける。
「今回は”護衛”と”追跡・確保”の任務だ。
依頼者は、現在神奈川県知事総選挙に出馬中の政治家、矢倉龍市。
昨日の朝、乗る予定だった車が何者かに爆破され運転手が死亡、数時間後に彼の事務所に脅迫文が届いた」
二人が手に取った紙束を捲ると、その文書がコピーして貼り付けられていた。
「彼の娘と奥さんにも危害が及ばないよう護衛、同時に犯人を見つけ出して確保するのが今回の任務だ」
「分担は?」
「愛華くん、君は娘さんの護衛を、真悟君は奥さんを頼む。追跡と確保はまた別のメンバーでやる」
「私が娘さんの護衛ですか…」不服そうな愛華に対して、敷島は冷静に答えた。
「君の方が子供と接するのは適してると判断したまでだ。不満か?」
「…私達、一応諜報員ですよね?これも仕事の範囲ですか?」
「そうだ。不当な悪から人を守り罪人を始末する。我々の仕事の一環だ」
「…分かりました、引き受けます」
愛華は納得してなさそうにしながら、書類を読み進めた。
* * *
数時間後。
愛華はグロリア、真悟は白のミニバンを運転しながら、矢倉宅へと向かった。
近くにある駐車場の、黒いステーションワゴンの隣に駐車し、家へと向かい、愛華がインターホンを押す。
奥さんの栄子が対応して、ドアを解錠してもらって中に入った。後から入った真悟が念のため施錠し、二人は栄子に案内されながらリビングへと入った。
そこにはソファに龍市と実恋が並んで座っており、計算ドリルを広げて勉強をしていた。その向かいのソファには鹿嶋が座っており、静かにその様子を眺めている。
二人に気づくと、龍市と鹿嶋は立ち上がり近づいてきて、鹿嶋が先に口を開く。
「ようこそお越しくださいました。
内容は事前にお伝えした通りです。先生の娘さんと、奥さんの護衛、そして犯人の追跡に確保…内容は変更ありません」
「よろしく頼みます…」龍市はそう言いながら、二人に向かって深々と頭を下げた。
真悟が前に出て話し始めた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。
私は真部真悟、奥さんの警護を担当します。こちらは天羽愛華さん、娘さんの警護を担当します」そう言って真悟は愛華の方に手を差した。愛華は三人に向かって軽く頭を下げる。
「あぁ、よろしく頼むよ…」
龍市はそう言うと、娘を読んで隣に立たせた。
「実恋、このお姉さんが、少しの間守ってくれるから、安心しなさい」
「うん…わかった」
弱々しい小さな声でそう返事して、愛華のことを見つめた。愛華はそっと優しそうに微笑んで返す。
* * *
次の日の朝。
愛華は実恋をグロリアで学校に送り届け、下校時間まで近隣を散策しつつ、不審な人物が居ないかを確認した。この日は特に異常は無かった。
夕方が近づき、下校時間になった。
学校から出た実恋は、校門を抜けると、路肩に停まっている愛華のグロリアに気づいて小走りでやってきた。
愛華は後部座席のドアを開け実恋を車内に入れる。
運転席に回り込もうとした時、革ジャンのポケットに入っているスマホに着信が入った。電話に出つつ運転席に座る。
「もしもし?」
《敷島だ。
つい先程、先の爆破で使われた爆弾の詳細が判明して、内通している刑事が極秘で書類のコピーを持ち出した》
「それを受け取るんですか?」
《あぁ》
「その人、今どこにいらっしゃるんです?」
《娘さんの学校のわりと近くにある公園だ。
だが、君は先に依頼者の家に帰れ。娘さんの安全が最優先だ》
「場所が近いなら、帰宅ルートを走りつつ受け取れます」
《…分かった》
敷島はその刑事の居る公園の場所を伝えると通話を切った。
愛華は座って静かに佇んでいる実恋の方を向いた。
「ごめんね、ちょっとだけ寄り道するから」
「うん、わかった」
少しの間グロリアを走らせていくと、指定された公園の前に到着した。
公園の入り口近くには、白色の日産・スカイラインが停まっていた。恐らく刑事の車だろう。
愛華はグロリアをその車の後ろに停車させてエンジンを切り、シートベルトを外して、再び実恋の方を向いて言った。
「実恋ちゃん、もし何かあったら、このラッパのマークのとこ押してね?」と言いながら、ハンドル中央の下側にある、クラクションを意味するラッパのマークを指さした。
実恋が理解した様に頷くと、愛華は降車して公園に入っていく。
手前のベンチに、二人の男性が座っていた。
その二人は、愛華も知っている男達だった。横浜県警の伊達と山辺だ。この三年の間に顔つきが少し変わって、どこかやつれている様に見える。
「…伊達さん?」愛華がそう二人に向かって声を掛けると、彼らは愛華に気づいて驚いたような顔をした。
「天羽さん…!?奇遇ですね…」
動揺している伊達が落ち着きを取り戻そうとしながらそう聞くと、愛華は二人に歩み寄った。
「PM-9と内通している刑事って、もしかしてお二人ですか?」
それを聞いた二人は、硬直した様に無言になり、二人して顔を見合わせてから愛華の方に再び視線を向けた。
「…あぁ。
その名前を知っていて、ここに来たってことは…入隊したのか?」
「はい…」
「…そうか」
伊達は複雑そうな表情をしつつ、隣に置いていた鞄から大判の茶封筒を取り出して立ち上がり、愛華に差し出した。
「目的はこれだろう?」
「はい。先の爆破の件の…」
伊達は愛華に封筒を渡した。
「爆弾は三年前に、中華街でPM-9の仲間を吹っ飛ばしたのと同じ物だ」
「中華街で?」
「…敷島から何も聞いてないのか?」
「はい…」
「…なら、まだ君は関わるべきことじゃないってことだ」
「でも、使われた爆弾は、今回の件とは関係があるんですよね?」
それを聞いた伊達は渋そうな顔をしながら、大きくため息を吐いてから語り始めた。
「三年前、中華街でPM-9のメンバーが”ある組織”とカチ合って、銃撃でPM-9側の五人、爆破で三人が死んだ」
それを聞いて、愛華はその頃テレビのニュースで流れていた同様の事件を思い出した。
「あの時の…」
「その時三人を吹っ飛ばした爆弾と同一の物が今回使われていた」
「じゃあ同じ組織が…?」
「いや、使った人間との関連は無いだろう。”作ったやつが同じ”の可能性は非常に高い。
どっかに爆弾作りを各所から引き受けるエキスパートが居るんだろう…」
愛華はそれらの話を聞いてふと思ったことがある。
「もしこれが本当に作り手が同じで、三年前の依頼者のことを聞き出せれば、夫を殺した連中の居場所も分かるかもしれない…」
「…あんまり上の許可無しで勝手に動き回ったりしない方が良いぞ」
「…分かってます」
ベンチに座っていた山辺が立ち上がり、伊達に腕時計を見せて指差した。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ仕事に戻らないと」
伊達がそう言うと、二人はスカイラインの方に向かって歩き出そうとした。
「すみません、最後にもう少しだけ良いですか?」
愛華がそう呼び止めると、二人は立ち止まって彼女の方を向いた。
「何だ?」
「何故お二人はPM-9と繋がってるんですか?」
「…昔、君んとこのお偉いさんに大きな借り作っちまってな、未だに返せてねぇんだ。だから、やらかしたことの隠蔽とか捜査のかく乱を引き受けてんのさ。山辺は、信用できて俺の後を継げる貴重な人材だから同行させてるだけだ」
「…そうですか」
「あとは何だ?」
「あ…あと、他に警察内部でPM-9と内通してる人は…?」
「…”桐島秋人”。警視庁のキャリア組で今は警視。
若いのによくやる奴だ…」
「桐島秋人…?」
「もういいかな?サボりすぎると上司から雷が落ちる」
まだ聞きたいことはあるが、仕方なく諦め、愛華は「すみません、ありがとうございました…」と言って、二人を見送った。
矢倉宅に実恋を送り届け、真悟と合流して、借りた一室のテーブルに受け取った書類を広げる。
使用された爆弾は遠隔で起動し10秒程で爆破される時限式のプラスチック爆弾。正規で製造された物ではなく個人が作った物と判断されており、爆弾を収めるケースと内部の接続方法が三年前に使われた物とほぼ一致している。
ケースは艶が無い薄いプラスチックの板で構築された物で、散らばった破片を組み上げてみると爆弾本体と共にかなり薄く作られており、車の裏側に付ければ覗き込まないと見つけられない程と推測されている。
「車に乗る前によく見ておかないといけませんね…」真悟が頭を悩ませながらそう呟いた。
愛華は真剣な眼差しで書類を黙読し続ける。
暫くすると、矢倉宅の前に一台の紺色のトヨタ・マークX X13の後期型が停車し、運転席から暮葉が降りてくる。
愛華は書類の入った封筒を手にして矢倉宅を出て、それを暮葉に手渡した。
「ありがと。それじゃ、敷島さんにも目を通してもらうわ」そう言ってマークXに戻ろうとした暮葉を、愛華は「暮葉さん」と呼び止めた。
「…三年前、中華街での爆破…あの時の被害者の人達は、夫と…修作さんと親しかったんですか?」
「…なんでそんなこと聞くの?」
「…あの日、帰ってきた修作さんが…かなりショックを受けてたみたいで…」
あの日帰宅した修作…表情はかなり曇り、顔を下に向け肩もうなだれ、いつも向けてくる笑顔も無く、後ろ姿は非常に哀愁が漂い、とても寂し気な雰囲気を漂わせていた。
よほど親しい人の死を確信してないと、あんな様子にはなっていないだろう。
暮葉は愛華の質問に静かに答える様に語り始めた。
「…あの時、爆破された一人とは特に親しかったわ。”小摩木充”って人でね、食欲旺盛で、後輩だった修作くんの弁当のおかずをちょくちょく横取りしてた」
それを聞いた愛華は思わずクスッと笑いそうになったが、既に殺されている人の話なのだから、笑いを堪えて話を聞き続けた。
「ムードメーカーな人で、アナタと出会う前の、辛気臭かった修作くんに遠慮なく明るく接していて、冗談も良く言い合ってた…。
…あの人が殺されてから、場の雰囲気は随分変わったわ…」
暮葉は再びマークXの方に向かって歩きつつ、言葉を続けた。
「仲間の死はいつ訪れるか分からない…特に私達が今居るこの世界じゃ、ね…
アナタも、少しは覚悟しておいた方が良いわよ」
そう言い残して、暮葉はマークXに乗り込んで、PM-9の本部へと向かって走り去っていった。
* * *
翌日の朝。
二人は矢倉家の近くの駐車場に停められているグロリアとミニバンの裏側を見回した。特に何も付けられていない。
それが分かると愛華はグロリアに乗り込んで矢倉宅の玄関前に車を移動させ、実恋を迎え入れる。
支度を終えた実恋が後部座席に乗り込んでシートベルトを装着したのを確認してから、ゆっくりと発進して学校に向かう。
学校に向かっている道中、街路樹が立ち並ぶ二車線の幹線道路を走っていくと、手前の信号が赤に変わり、グロリアは停止線の手前までゆっくりと減速して停車した。
すると、隣の車線に、一台の型の古い地味な色のワゴン車が停車した。
愛華はそのワゴン車を注視しようとしたその時、後部座席から、ニット帽に穴を開けて被って顔を隠している二人の男が勢いよく降車した。
即座に「まずい…!」と判断した愛華は運転席のドアに付いてるスイッチを押して全てのドアをロックした。男達はグロリアの後部座席のドアを開けようとするがビクともしない。
「実恋ちゃん、しっかり掴まって!」
「う、うん…!」
実恋がシートベルトをギュッと握り締めると、愛華はグロリアのアクセルを踏み込んだ。一見して普通の型落ちの角ばったセダン車から、見た目とは裏腹な強い重厚感のあるエキゾーストノーズと、激しいホイールスピンの音が響き渡り、白煙と焼けたゴムの臭いを撒き散らしながら勢いよく発進した。赤信号を突っ切り、通りかかった一般車が急ブレーキを掛けて停車する。
男達はワゴン車に乗り込み、運転手はワゴン車をアクセル全開で発進させてグロリアの後を追い始めた。
愛華はグロリアを猛スピードで走らせながら、ポケットからスマホを取り出して敷島に電話した。
「敷島さん!襲撃を受けました!今学校と違う方面で走ってます!」
《何っ!?》
「このまま学校に向かわせるのはマズいです!どこかに避難を…!」
《よし分かった。襲撃犯を撒いたら、青葉区方面に向かえ。仮拠点を設置する》
「了解…!」
通話を終え、スマホを助手席に放って運転に集中する。
ルームミラーに猛スピードで追跡してくるワゴン車が映っていた。
RB26エンジンなどを搭載したグロリアでも、混雑している幹線道路ではその本領は発揮できない。
ワゴン車はグロリアの運転席側の真横に着き、勢いよく体当たりをしてきた。激しい火花が散り二台の塗装の屑が後ろに舞い落ちる。
「っ…!!」
仕事故仕方ないとはいえ、修作の形見でもあるグロリアに傷を付けられた愛華は、怒りを露わにしながらハンドルを握り続ける。
ワゴン車が再び体当たりするとグロリアは押し出され、路肩に停まっている車列の車と接触する。何台もの車のガラスが割れサイドミラーが吹き飛ぶ。
すると、少し先に十字の交差点が見えた。車列が終わると愛華はフットブレーキを踏み込んで一気に減速しつつハンドルを左に切った。交差点で後輪をスピンさせながら曲がり、再びアクセルを踏み込む。
ワゴン車は少し遅れて減速し、交差点の出口手前でサイドブレーキを引いてスピンターンし、フラつきながらも発進してグロリアの後を追い続けた。
しかし曲がった先に、グロリアの姿は無かった。
標的の姿を見失ったワゴン車の運転手は減速し、辺りを見回しながら走り続けた。
すると、通り過ぎた細い路地からグロリアがバックで飛び出し、鮮やかなスピンターンをしてワゴン車に向かって急加速する。
グロリアはワゴン車のリアバンパーに勢いよく追突した。グロリアの頑丈なバンパーは歪むことなくワゴン車のリアバンパーを固執に攻め続ける。
押し出され続けるワゴン車の運転手はどうにか逃れようとハンドルを思い切り回した。すると車体が横を向き、グロリアがアクセルを緩めることなくリアフェンダーを突いてきた。
ワゴン車はそのままスピンして、白煙を撒き散らしながら歩道に乗り上げ、色褪せてガラスも霞んでいる公衆電話ボックスに勢いよく突っ込んだ。ボンネットから濃い煙が立ち込める。
愛華はグロリアを路肩に停車させ、「すぐ戻る!」と実恋に伝えてから降車し、大破したワゴン車に駆け寄った。
近くでパトカーのサイレンが聞こえてくる。ここに来るのも時間の問題だろう。
ワゴン車の運転手の男がよろめきながら転げ落ち、愛華はその男の胸倉を掴んで持ち上げた。一見して華奢な身体から出てる力とは思えない。二年間の訓練の賜物だろう。
「アンタには聞きたいことが山程ある!来てもらうよ!」
そう言って男を連れて、グロリアのトランクを開け、男を押し込んで閉じ込めた。
すぐにグロリアの運転席に戻り、敷島が言っていた青葉区方面へと向かい始めた。