Ep.3後半
パトカーを避けながら走っていくと、やがて神奈川県に入り、横浜へと入る。
港でレガシィを停めてエンジンを掛けたまま降車し、近くにあった木製のパレットを叩き割って棒を一本作り、アクセルペダルとシートの間に挟む。
ギアをパーキングからドライブに入れ即座にレガシィから離れる。
レガシィは無人のままアクセル全開で走っていき、海に飛び込んで沈んでいった。
沈み切ったのを確認すると、愛華は走って本部へと向かった。
尾行が居ないかを随時確認しながら、ひたすら走り続けた。
深夜が終わり陽が昇ろうとした頃、ようやく本部に辿り着いた。
すぐに建物に入り、警備の男に向かい合う。
「愛華さん、よくご無事で…」と男は愛華を労わって言ってくるが、愛華は今苛ついていた。
「敷島さんは居る?」
「はい、自室にいらっしゃいます」
それを聞くと愛華はすぐにエレベーターに向かい、敷島の部屋のある階へと昇って行った。
到着してエレベーターを出ると、力強い足運びで敷島の部屋へと向かう。
道中で真悟を見つけ、彼は申し訳なさそうにしながら彼女を見る。愛華は立ち止まって、彼に声を掛けた。
彼は見た感じ、怪我などはしていない。敵に追われてると聞いたのだが…。
「…無事だったのね」
「え、えぇ…お疲れ様です…
件の詳しい話は、敷島さんから聞いてください…」弱々しい声でそう言ってきた。
愛華は再び敷島の部屋に向かって歩き出した。
彼の部屋の前に着くと、ドアを壊すんじゃないかと思われる程強い力でノックする。
「入りなさい」と中から敷島の声が聞こえた。
愛華は勢いよくドアを開け、中に入った。
敷島はデスクの前の革椅子に悠々としながら座っていた。隣に立つ暮葉は、眠たげにしており、手で口を隠しながら欠伸をしていた。
先程の真悟同様、怪我などはしていない。とても平気そうだ。
彼らも追われたはずなのだが…。
敷島の前に立ち、彼を見下ろすと、敷島は口を開いた。
「…お疲れ様。無事だったようだね」
「…無事なモンですか…!!」
「あぁいう不測の事態はよくあることだ。初めての任務だったのに、こうして帰って来れたのは素晴らしいよ。賞状を与えたいくらいだ」
「…そっちも、追われたみたいですけど、平気そうですね…」
敷島は、何かを言おうか一瞬悩んだ様だったが、すぐに答えた。
「…実はな、私達は追われてない」
「……は?」
敷島は両手をデスクに置いて体の力を抜いてから、詳しく話始めた。
「訓練の最終試験だということを思い出してほしい。
君をあの時突き放したのは、試験の一環だ。不測の事態に臨機応変に対応し、尾行されずに無事ここまで辿り着くこと…
君はそれを、見事にやってのけた」
「じっ…じゃぁ、私があのまま敵に捕まったり、殺されたりしたら、どうするつもりだったんですか!?」
それを聞かれると、敷島はデスクの引き出しから、薄型のノートパソコンを取り出して電源を入れた。
しばらく画面を弄ると、愛華の方に画面を向けた。
そこには、歌舞伎町での一件から、ここに至るまでの愛華の映像が映し出されていた。
街中の防犯カメラをハックしたり、ドローンで撮影したりした物がある。
「っ……!?」
「ずっと見ていたよ。君に何かあったら、修作に会わせる顔が本当に無くなる。
危険な事態になったら、すぐに駆け付けるつもりだった」
「じゃ、じゃあ、ゴミ箱に入るとことか、女の子を助けて、車を奪ったとことかも…?」
「もちろん見ていた。
それにしても、君のカーチェイスでの対処方法は、修作によく似ているな。実に豪快だ。海に車を沈めたのも良い」と半笑いで言い出した。
愛華の思考回路に、ある一つの仮説が思い浮かんだ。
彼女は額に青筋を浮かべながら、叫ぶ様な大声で言う。
「…まさか、修作さんも…夫が死ぬ時も、そうやって見てるだけで、何もしなかったんじゃないでしょうねっ!!?」
それを聞いた敷島は、一瞬で笑顔を消し、真剣な眼差しで愛華を見始めた。
愛華はP320を即座に取り出し、彼の額に銃口を向けた。
「っ__やめなさい天羽!!」暮葉はそう叫びながら、すぐにP320を、腰に掛けたホルスターから取り出して愛華に向け、セーフティーを外して撃鉄を起こした。トリガーに指が掛かっている。
「やめろ暮葉」敷島がそう言うと、暮葉はひとまず、トリガーから指を離すが、何かあった時のために構え続ける。
「答えろ敷島ッ!!!夫が死んだあの日も、見殺しにしたのかッ!!?そうなのかッ!!!?」
愛華の拳銃を握る手が更に締まる。力み過ぎて手が震えだしていた。
愛華に銃を向けられても、敷島は冷静だった。きっと、こういうことになると予想していたのだろう。
ノートパソコンを閉じて、彼女の問いに答える。
「…愛華くん、勘違いしないでくれ。
私は、彼には生きてほしかった…彼は愛弟子だ。君とのこともある。
アイツは辛い人生を送ってきた。ずっと暗い奴として、戦場で死んでいくのかと思っていた。
でも彼は、君と出会ってから、全てが変わった。
君が彼と一緒に居てくれれば、彼は…幸せのまま生涯を終えられるかもしれなかった…それを願っていた…」
愛華の銃を握る力が、次第に弱まっていく。瞳は涙で満たされ、小さな涙が薄っすらと頬を伝っていく。
「頼む…信じてくれ…
私は、彼を見捨てたつもりもないし、そんなこともしなかった…」
…愛華はゆっくりと銃を降ろし、撃鉄とスライドの間に指を掛けて引き金を引き、ゆっくりと撃鉄を戻す。セーフティーを掛け、懐のホルスターに仕舞った。
暮葉も同様の扱いをしてホルスターに仕舞い、彼女に歩み寄った。
「…貴女、ちょっと臭うわよ?シャワー浴びて来なさい」と、落ち着いた口調で言ってきた。
「…話はまだあるから、落ち着いてからまた来なさい」と敷島は言った。
「…失礼しました」
そう言い残して、愛華は静かな足取りで、敷島の部屋を出ていった。
敷島は椅子に深々と座り込み、フーッと息を吐いて天井を見上げた。
「これで彼女も、この世界から離れると思います?」
「…いや、無理そうだな。彼女は修作に似て頑固っぽいし…むしろ火を点けたかもしれん。
やってしまったなぁ…」
自分の行いを反省しながら、敷島は肩の力を抜いた。
* * *
シャワーと着替えを終えた愛華は、再び敷島の部屋に向かった。
敷島のデスクには、何か金色の小さな装飾品と、修作の物だった1911、グロリアのと思われる鍵が入った木製のトレーが置かれていた。
彼女が入室すると、暮葉がそれを持ち、敷島と並んで、愛華の前に立つ。
「試験は合格だ。おめでとう」
「…ありがとうございます」
「正式なメンバーとして迎え入れる」
そう言って敷島は、金色の装飾品を手に取って愛華に見せた。
それは十円玉ほどのサイズをした丸型のバッジだ。表面には、”平和”や”勝利”などの花言葉を持つオリーブが一面に彫られており、手前には、各地の警察機関で警察犬としてよく活躍しているジャーマンシェパードの横顔が浮き上がるように彫られている。
「これは、”PM-9”の正式なメンバーだと示すバッジだ。
…一応聞いておくが…
…本当に、入団するんだね?」
それを聞いて、愛華は冷静に答えた。
「…私は、人を殺しました。沢山の人を敵に回して、警察まで相手にしてきました…
もう、後には退きません」
それを聞いた敷島は、どこか哀しそうに、それでいてどこか誇らしそうにしていた。
「…分かった。
では、受け取ってくれ」
敷島はバッジを、愛華の差し出した両手にそっと置いた。
今度は、左手に1911、右手にグロリアの鍵を手に取る。銃はスライド部分を持ち、持ち手を愛華に向ける。
愛華は右手で1911の持ち手を掴み、左手で鍵を受け取った。
「…ありがとうございます」
「あぁ…ようこそ、PM-9へ」
愛華は二年近く使い続けた修作の部屋を、隅々まで綺麗にして、荷物をまとめて部屋を去った。
グロリアが置かれているガレージに向かい、荷物をトランクに収納して、運転席に座ってエンジンを掛ける。
車体が小刻みに揺れ、RB26DETTエンジンの豪快な重低音のエキゾーストノイズが響き渡る。
エンジンを掛けて少し経つと、オーディオ機器の中に入っていたCDの音楽が流れ始める。柴田恭兵の「RUNNING SHOT」だ。80年代の刑事ドラマで使われた曲で、ドラマの舞台は横浜で日産車が多く活躍していた。グロリアともかなり縁があるモノだ。
ガレージのガラス製の壁と反対側の壁には、業務用の大型エレベーターがあり、ガレージに居る整備員にエレベーターを開けてもらい、グロリアをゆっくりと発進させて中に入る。
中に入ってエレベーターの扉が閉められる。
地下駐車場一階に着くとエレベーターの扉が再び開かれ、グロリアを後退させてエレベーターから出る。
一速に入れ直して出口に向かう。
地下駐車場を出て、かつての自宅であるマンションに向かって行った。
マンションに到着し、グロリアを地下駐車場に停める。降車して荷物を持ち、部屋に向かう。
二年半ぶりに鍵を開け、中に入る。やはり全体的に埃が溜まっている。
自室に荷物を置いてから、物置から掃除道具を取り出してすぐに掃除を始める。
この二年半で体力や俊敏さも倍以上に付いたためか、掃除はすぐに終わり、隅々までピカピカになった。
荷物を整理し、リビングに移って、椅子に座り、改めて部屋の様子を一望する。
綺麗にしても、あまり心が晴れた気がしない。
ふと、自分の両手を広げて見つめる。
ここに居た頃は、人を殺す感触なんて物は知らなかった。今は、この手で人を殺したという実感に染まっている。
虚ろな目で手を見つめ、やがて顔を上げる。修作がいつも座っていた、向かいの席。
疲れているのだろうか…薄っすらと、修作の幻影が見える。いつも愛華に優しく微笑んでいた様子…。
あの笑顔の裏には、どれ程の過酷さを背負っていたのだろう…。少なくとも、今の愛華とは比べ物にならない程多くの負担を受けていただろう。
瞬きを何度かすると、視界が戻って幻影は消える。
視線を彼の仏壇に移す。写真は少し色褪せている様に見える。
席から立ち、仏壇の前に静かに正座する。
「…修作さん。ごめんなさい。
私のために、色々考えてくれていたのに、私…全部裏切っちゃった…
許してほしいとは言わないよ…
でも、お願い…私を信じて…」
そう言って愛華は、両手を合わせて、目を閉じ、静かに祈った。
どうか、安らかに…__。
* * *
訓練を終えて数か月後。MP-9に入ってから丁度二年目になった。
朝から敷島から電話が入り、愛華はすぐに応答する。
仕事のようだ。
電話を終えると、愛華は普段着を脱ぎ、仕事のために用意した服一式をドレッサーから取り出して着替えた。
白い半袖のシャツの上に、予備弾倉とサイレンサーを入れる筒も付いている黒革のショルダーホルスターを装着し、黒いダブルの革ジャンを着こみ、かなりタイトな黒いレザーパンツと黒革のライディングブーツを履く。前に着ていたダブルの革ジャンとは少し違い、肩の装飾が付いており、素材も前より軽く動きやすい物になっている。
ドレッサーの鍵の付いた引き出しから、折り畳みの財布と仕事用のスマホを革ジャンの裏ポケットに入れ、1911と弾倉、45口径の弾丸が入ったケースを取り出す。
弾倉に45口径弾を詰め込み、1911に装填する。予備の弾倉にも弾を込めて、1911と共にホルスターにそれぞれ納める。
準備が終わると、グロリアの鍵を手に取り、黒く滑らかな綺麗な髪を靡かせながら部屋を出る。顔つきも、凛々しさが強まっている。ただ、三年前の様な愛らしさも薄っすらと残っている。
地下駐車場のグロリアに乗り込み、仕事の集合地点へと向かい始めた__。