Ep.23後半
條一郎と広実。
あの日から始まった逃亡生活も、既に半年を迎えていた。
二人が隠れ家として使っているのは、長崎のとある海沿いの、古い二階建ての木造家屋だ。
初めてここにやってきた時は、内外装はボロボロで、隣にある車二台分のガレージも屋根が穴だらけで、住むには厄介な場所だった。
だが條一郎が、この半年近くで多くの場所を直してきた。
外壁は古さは残りつつもそれもまた味のある、程よく整ったものになり、内装は隅々まで綺麗に仕上げつつ、今の時代に適応した明るい雰囲気を作り上げた。
ガレージもほぼ建て替えたと言っていい程見違えている。シンプルでありながらも強固な白いデザインに変わっていた。二人が乗ってきたコルベットもマッチするようになっている。
ある日、條一郎は広実を家に残し、コルベット…ではなく、注目を浴びない地味な車、黒い日産・ティーダに乗り、一人でとある場所に向かった。
佐賀との県境にある、田舎道にある古風なカフェ。客足は少なく、店内は静かだ。
ホットコーヒーを飲みながらゆっくりしていると、会う約束をしていた男が乗る車がカフェの駐車場に停まった。グレーのトヨタ・カローラスポーツだ。
運転席から一人の男が降車する。ボサっとした短い銀色の髪、高級なサングラスの向こうにある目は鋭く、黒い瞳が据えている。シンプルな黒いポロシャツの上から白いブレザーを羽織っており、ブレザーの裾が風で靡いている。
彼はカフェの店内に入り、ゆっくりと、條一郎の席に歩み寄る。
條一郎は、隣に立った彼に言った。
「…久しぶりだな、”尼野”…」
尼野と呼ばれた男は、それを聞いて左手を條一郎の頭に当て、握り締める様に髪を掴む。條一郎は微動だにしない。
「な~にが久しぶりだボケ…。
こっちはな、”死人からの電話”が来て心臓が縮みあがったんだぞ…しかもわざわざ東京からここまで…何時間かかったと思ってんだよ…」
そう言って尼野は條一郎の頭から手を放し、彼の向かいの席にドカッと腰を落ち着かせた。やってきた店員にコーヒーとホットサンドを注文し、條一郎に視線を向ける。
店員が離れると、條一郎は話を始めた。
「…俺が生きてるってことは?」
「誰にも言ってねぇよ…てか、言えるワケねぇだろ…”お上”に知られたら、こっちまで殺される…」
「あぁ…そうだな…」
「今までどこに居た…って聞くのも野暮か。
何の用で電話してきた?死んだふりしてたのにわざわざ俺に…」
「尋ねたいことが色々あってね…俺に友人は少ないし、一番口が堅いのはお前だ…」
「…そうかい」
「PM-9は今どうなってる?」
尼野はその問いに、答えるべきか悩んだ様子を見せた。
「…”お上”の罠に引っ掛かった。今、ほぼ壊滅状態と言っていい…
…”神海駿斗”も…死んだよ…」
その言葉を聞いて、條一郎は目を見開いて驚愕した。
かつて殺しの対象となり、戦いに敗れて、新婚同士という慈悲で生かしてくれた、ある意味恩人である、あの男が…死んだ?と…。
「まさか…そんな…」
「そのまさかだ…俺も最初耳を疑ったよ…PM-9きってのエースが、殺されたなんてよ…。
ただ、連中もただやられただけじゃねぇ。”お上”にも相当ダメージを叩き込んだ。
だから…しばらくPM-9に喧嘩吹っ掛けることもしねぇだろうし、手前探すのも人手なんて割けねぇ…」
「…そうか」
尼野はテーブルに両腕を置き、條一郎に顔を近づけて言う。
「なぁ條一郎…あくまで手前探すのは後回しにしてるだけだ…”お上”はそのうち、手前を見つけ出す…。
悪いことは言わねぇ、かみさんと別れた方が良い…」
「……それはできない。今の俺にとって、彼女は俺の全て__」
「だからこそだ。
かみさんが見せしめで殺される可能性は、はっきり言って無茶苦茶高い…そんな目に遭ってほしくねぇんだよ…ダチとして…」
「…もう遅い」
そう言い残し、條一郎は懐から一万円札を取り出してテーブルに置き、席を立って店を出て行った。
「…バカ野郎が…」
* * *
それから、一年が経ったある日の夜。
何故か夕食はいつもより豪華な品揃えで、二人は向かい合って談笑しながら、穏やかな雰囲気で料理を食べ進めていく。
食事を終えた二人は、食後の温かいお茶を飲んでいた。
すると、広実が條一郎に、あることを明かした。
「アナタ…今日、私がどこに行ってたか分かる?」
「ん?どこ?」
広実は「フフッ…」と笑うと、小さなお腹を優しく摩って答えた。
「”産婦人科”…」
その単語を聞いて、條一郎はキョトンとした。
いや…そんな…まさか…だが、それが本当だとしたら、嬉しくて堪らない。
「まさか…”子供”…!?」
「そう…アナタとの子…」
條一郎は席から立ち、広実の方に回り込んでしゃがみ、彼女のお腹に、そっと手を当てる。
まだまだ、そこに新しい命の存在を物理的に感じ取れるような大きさではない。
だが、伝わってくる…しっかりと、感じようとすると…わかる…。
小さな命が、そこに…宿っている…。
條一郎の顔はほころび、ゆっくりと顔を上げると、広実もまた、にっこりと微笑んでいた。
これから、新しい家族が生まれる…二人から三人の生活になる…。
そう、思っていた。
* * *
広実の妊娠を知ってから8カ月経った。
出産までもうすぐだ。
暖かな朝の日差しを浴びながら、外で洗濯物を干している広実。ベッドから飛び起きて駆け下りてきた條一郎は、勢いよく庭に飛び出す。
「ごめんごめん…!寝過ごした…!後は俺がやる…!」
その様子を見て、広実は微笑んだ。
「も~、これからお父さんになるんだから、しっかりしてよね~。もう洗濯物全部終わるから、朝ご飯食べてて~」
「そんなワケにはいかないよ…君は、お腹の子のためにも休んで…」
その時だった。
どこかから視線を感じる。
「……?」
條一郎は立ち止まって、辺りを見回す。だが、人の姿は見当たらなかった。
「…どうしたの?」
広実が條一郎に声を掛けると、彼はハッと我に返り、広実の方に向き直った。
「い…いや…なんでもない…。
…ほんとに、後は俺がやるから、休んでてくれ…」
「……?」
條一郎は、あの視線の正体が気になりつつも、今の生活を支えるための仕事へと向かった。
街中にある車の整備工場だ。
ティーダに乗って出勤した條一郎だったが、既に出勤している同僚の車が駐車場に停まっている横で、見知らぬ車が一台停まっていることに気づく。黒いハマー・H2だ。
工場の正面は、まるで定休日の様にシャッターなどが閉め切られている。
「…おかしいな…今日出勤日のはずなのに…」
ティーダを店の前に停めて降車し、受付がある事務所の扉を開けて中に入る。
中には誰も居ない。
居るはずの同僚の名前を呼んでも、返事は返ってこない。
隣接している工場に足を踏み入れると、そこに、人が居た。
だが、そこに居た人は、條一郎が会いたくない者達だった。
重々しい雰囲気と、若い女性のくぐもった声が彼を迎え入れる。
一人は整備中の車のボンネットの上に足を組んで座っている男。この男は…”ボギーマン”。
その隣で立っているのは、弟の”ピッグボーイ”だった。
そして彼らの周りに数人の部下である、銃を持った男がおり、何人かは、整備工場の受付を担当している若い女性を、車の陰に連れ込んで、口を塞いで強姦している様子が見えた。
さらに、工場の設備であるリフトに一台の重たいSUVが置かれ、リフトは下に降りているのだが…そのリフトに、整備工場の支給品である共通の作業用ツナギを着た男性達が、血塗れになって挟まれていた。上半身は潰され、明らかに生きていないということが分かる。
この惨状を目の当たりにした條一郎は、次第に、喉の奥から小さな震えた声を発する。
「なっ…なん…で…?いっ…一体どうし…て…?」
愕然と立ち尽くす條一郎に、ボギーマンは車のボンネットから降りてスキップを踏みながら近づく。
「探したよ~條一郎く~ん。
死んだって話聞いたけど、死体がど~こにも無いから、どこかで生きてるかな~って思ってた」
そして、條一郎の耳元で、囁くように言った。
「”任務失敗の責任は取らせる”…”今まで逃げてきた分も加算して”…。
代償は、きっちり支払ってもらう…」
その言葉に、條一郎は額に青筋を浮かべて、怒鳴り声で返した。
「だからって…!!ここの人達を巻き込むなんて…ッ!!!」
「だ~か~ら~こ~そ~、だ。
これが…君がず~~~っと逃げてきた分の、だ・い・しょ・う。なんならこれでもまだ足りないくらいだよ~?」
「は…?」
すると、受付の女性を強姦していた男達は、気が済んだのか立ち上がり、一人がナイフを取り出した。
まさかと思い、條一郎は咄嗟に駆け出そうとした。
「やめろ…ッ!!何する気だ__」
突然、ボギーマンが條一郎の腹に鋭い膝蹴りを喰らわせた。
腹を押さえて倒れこむ條一郎を他所に、ナイフを取り出した男は、強姦されて衰弱しきった女性の首に、勢いよく刃を突き刺した。
女性の首から噴き出した鮮血が、隣に止めてあった車のボディに降り注ぐ。
その様子を倒れながら、見ていることしかできなかった條一郎は、黙り込んだ。
何を発するのも無駄だ。
これ以上、自分のせいで犠牲者が増えることは阻止しなければ。
すると、ボギーマンが懐からスマホを取り出し、ある相手に電話を掛けながら、條一郎の隣でしゃがみこんだ。
そして、スマホを條一郎に差し出す。そのスマホは傷だらけで、まるで誰かから奪い取った様な感じだ。
條一郎は、震える片手で、そのスマホを受け取り、耳に当てる。
聞こえてきた声は、尼野だった。
唸り声が交じり、時折酷く咳き込んでいる。
しかも、ガラスが割れる音が届くなど、明らかに様子のおかしいことが分かる。
《條一…郎…ッ!!逃げろ…ッ!!ガッ…あっ…ぐっ…!!》
その直後、電話の向こうで、一発の銃声が響いてきた。その銃声はサイレンサーで押さえられてはいるが、スピーカーの近くで発砲したのかかなり音が大きく届いてきた。
そして、尼野の声は、二度と聞こえることはなかった。
「あ…尼野…?おい…尼野ッ!!?」
ボギーマンはスマホを持つ條一郎の手を蹴り飛ばし、肩を蹴って彼を仰向けにさせた。
「これで分かっただろ?自分が背負った罪の裁量、その氷山の一角を…
んじゃ、次は…”本命”を攻略するか…」
”本命”…その言葉に、條一郎は、これまで以上の、悪い予感を感じ、それが的中すると仮定した時の恐怖に、酷く怯えた。
「やめろ…頼む…っ!!
妻には手を出さないでくれ__」
また、ボギーマンは條一郎に蹴りを入れた。今度は胸部、それも心臓を狙った様な位置だった。
「もうぜ~んぶ遅いんだよ條一郎君。
君の大切な人は…み~んな、君のせいで死ぬ。
全員死んだのを確認してもらってから、ゆっくりと君を殺す。いいね?」
そう言って、ボギーマンはピッグボーイと部下達に向かって「撤収」と伝え、整備工場を出て行った。
彼らが乗ったハマーが走り去り、辺りが静まり返ると、條一郎は蹴られた胸部を押さえながら、フラフラと立ち上がり、急いで工場を出て、ティーダに乗り込んだ。
早くしないと、広実が危ない__。
* * *
信号を無視し、アクセルを踏み込みながら、自宅へと辿り着いた。
辺りは不気味な程静かだ。見回しても不審な車や人の姿は無い。
間に合った…そうであってほしい。
心の中で必死に願いながら、條一郎は自宅に入った。
そして、リビングに向かった。
ドアを開け、リビングを一望しようとした。
だが、床を視界に捉えると、身体が硬直した。
もう…遅かったのだ。
床には、血だまりを作って倒れている、広実の姿があった。
声も、呼吸も聞こえない、一目で、死んでいると分かる…分かってしまった。
「ひ…ひろ…み…?」
彼女の亡骸の隣で、崩れる様に膝をついて、彼女を抱き上げる。
彼女の腹は、大きく切り裂かれ、腸が零れ落ちていた。
腸だけではない。別の何かも垂れ下がっている。
恐らくこれは、へその緒だろう。
彼女の腹の中は空で、子供の姿は無い。
「あ…ああ…ああああ…」
やがて、條一郎は、涙を流し、彼女を抱きしめながら、絶叫した。
愛した妻が殺された。
生まれるのを楽しみにしていた我が子の姿は無い。
友人も、同僚も、皆殺された。
自分のせいで。
自分が、無力のくせに、逃げて、無関係の人間を巻き込んで、大勢死なせてしまった。
自分が背負った罪の代償が、彼にのし掛かる。
その重さは、彼には耐えがたいものだった。
亡骸を抱き続け、体中が広実の血で染まっていく。
泣き続ける條一郎の背後で、誰かが立っていた。
ボギーマンの部下の一人だ。革の手袋に包まれた右手には、サイレンサー付きのグロックが握られている。
更に彼の後ろにも、武装した男達が立っている。
グロックを持った男が、泣き叫ぶ條一郎に声を掛けた。
「どうだ?これがお前の罪の代償だ。
安心しろ…子供は俺達が面倒をみてやる。
良い具合に育ったら…俺達のペットにして、そのうちどっかの富豪にでも売り渡す。
我が子の未来を…あの世でゆっくり眺めるといい」
男はそう言って、グロックの銃口を、條一郎の頭部に向けた。
その瞬間、條一郎は、広実の亡骸を降ろし、即座に彼の腕に掴みかかる。
男は思わずグロックの引き金を引いたが、弾丸は條一郎を逸れてあらぬ方向に飛んで行く。
怯んだ男からグロックを奪い取り、何の躊躇いもなく、男の額に銃口を向け、引き金を引いた。9mmの弾丸が男の額を突き破る。
それが開戦の合図となった。
待機していた男達が一斉に條一郎に襲い掛かる。
次々と襲い掛かる男達を、條一郎は喉が切れる様な、酷く哀しい雄叫びを上げながら、嬲り殺しにしていく。
顎が砕ける程の強烈なパンチを浴びせ、
窓を突き破って庭の木に貫かれる程力強く投げつけ、
目や口や首や心臓に弾が尽きるまで弾丸を撃ちこみ、
顔の原型が無くなるまで殴り、
肉が裂けて臓器と骨が剥き出しになる程蹴り、
家中が血と脳みそと臓物で染まっていく。
やがて家に居た男達の息の根を止め終えると、條一郎は再び、広実の亡骸の隣に座る。
條一郎は何も喋らない。
涙は枯れきった。
こみ上げる悲しみと怒りは、収まることを知らない。
條一郎は、広実の亡骸の目をそっと閉じさせ、両手を胸の真ん中に置かせて、ゆっくりと静かに立ち上がり、寝室へと向かう。
クローゼットの下の引き出しに入れた、鍵の付いたブリーフケースを力ずくでこじ開け、かつて愛用していたガバメントとその弾倉などを取り出し、血に染まった服のポケットなどに押し込み、同じ引き出しに入れていた、コルベットの鍵も取り出す。
一度ガレージに行き、ガソリンの入ったタンクを持ち出し、家に戻ると、ガソリンを家中に撒き散らす。特に男達のグチャグチャな死体には念入りに降りかける。
タンクが空になると、條一郎はガバメントを取り出して装填し、天井の電球に向かって発砲する。
撒かれたガソリンに火花が降り注ぎ、瞬く間に炎が現れ、ガソリンを辿って家を焼き始める。
家の外に出て、コルベットに乗り込み、全てを燃え尽くそうとする炎を背に、條一郎は走り出した。
今の彼の瞳に、光は無い。
妻や、友人や、同僚の復讐…そして、奪われた我が子を取り返す。
新たに決心した役目を胸に、條一郎は二年と半年以来、久しぶりの関東へと向かい始めた。




