Ep.23前半
世界の本当の闇の部分を知らず、呑気にベッドに横になり眠りに就く人間達により深夜の静寂が漂う、横浜のある入り組んだビル群。
赤茶色の古びた外壁をした四階程の小さなビルの窓にはどれも厚めのカーテンで閉め切られているが、時折、一瞬光が中から照らされる。サイレンサーにより可能な限り抑えられた小さな銃声と共に。
やがてビルの中も静まり返り、一階の正面の出入り口から、一人の男が姿を現す。
グレーの整ったスーツに身を包んだ神海駿斗…天羽修作だ。
左耳に付けたマイク付きのワイヤレスイヤホンのボタンを左手の人差し指で押して、誰かと小声で通信する。
「こちら天羽。ターゲットを始末した。これから帰還する」
そう言いながら、彼は左手の薬指にはめたシンプルなデザインの指輪を煌めかせながら、ここに来るまでに乗ってきた車を停めている場所へと向かって歩き始める。
通信を終えて左手を降ろし、ビル群の外れにある直線道路の路肩に停めた、黒塗りのY31グロリアに歩み寄る。
すると、向かいにある、月明かりによって生まれた、ビルの合間に出来た濃い影の中で、何かが動いていることに気づき、修作は足を止めた。
「……。」
もしやと思って警戒し、修作はスーツの上着の中に右手を入れ、革のホルスターに収められている、先程まで使っていたサイレンサー付きの1911に手を掛ける。
やがて、ビルの合間の暗闇から、一人の男が姿を現した。
白いワイシャツの上に黒いネクタイを締め、黒いスーツと、まるで喪服の様な服装をした、ボサッとした長い後ろ髪と口の周りに添える濃い髭が特徴の、背の高い瘦せ型の日本人だ。
彼の眼には、光が無い。目つきはまるで、獲物を狙う獣の様だ。
そして、彼の右手には、月明かりによって美しい輝きを放つ、シルバーのカスタムガバメントが握られている。
男は足を止め、修作と互いに睨み合う。
やがて、修作が口を開いた。
「…”西門”…”條一郎”…何故ここに居る?」
その問いに、西門條一郎と呼ばれた男は、ゆっくりと口を開き、鋭く低い声音で答えた。
「…聞くまでもないだろ」
「…それも、そうだな…」
一瞬の静寂が訪れると、二人は手に持った銃の銃口を、互いの身体に向けた。
その途端、ほぼ同時に引き金が引かれた。
修作が放った弾丸は西門の後ろにあるビルの角に当たり、西門の放った弾丸はグロリアのルーフに当たった。
西門はガバメントを構えたまま修作に向かって走り出し、修作は迫りくる西門に向けて発砲し続ける。
西門はグロリアの車上に飛び上がり、上から修作を撃ち抜こうと引き金を引く。修作は咄嗟に後ろに飛んで弾を避け、西門に銃を向けつつ、さっきまで歩いていた道に戻っていく。
それを追うように西門は発砲するが、弾丸は修作の後ろにあったビルの壁や窓、電柱に着弾する。
修作はビルの非常用階段を上がっていく。西門をおびき寄せるためだ。
階段を駆け上がりつつ修作は1911の弾倉を交換して弾丸を装填し、五階の辺りで立ち止まり西門を待ち構える。
だが、耳を澄ますと、下から階段を登ってくる足音が聞こえない。
まさかと思い、1911を構えつつ慎重に地上に向かって覗き込み、そこに西門の姿が無いと分かると、視線を横に向けた。
そこには、西門がビルに付いているエアコンの室外機や水道管を伝って登り、修作の背後を取ろうとしていた。そして彼は既に修作よりも少し高い位置に居た。
それに気づいて咄嗟に銃口を西門に向けた修作だったが、西門は素早い動きで修作の居る階段に飛び移り、彼に向かって駆け出し、全身の力を使ってタックルした。
押し出された修作は、西門と共に階段の柵を超え、地上に落下していく。
二人が落下した先には、古びたトタン屋根のカーポートがあり、その中には色褪せた商用バンが駐車されており、修作を台に西門はトタン屋根を突き破り、バンのルーフで着地した。西門は修作とバンからスタッと降りて地上に足を付け、修作は転げ落ちる様にバンから落下し地上で蹲った。
唸り声を上げる修作に、西門はガバメントの銃口を向けて歩み寄ろうとする。
引き金を引こうとしたその時、蹲っている修作の腕と胴体の隙間から、1911の銃口が覗いていることに気づき、咄嗟に横に飛び込んだ。その直後に修作は発砲したが、弾丸は向かいのビルの外壁にめり込んだ。
よろけながらも立ち上がった修作は、一番強い衝撃を受けたと思われる左肩を回す。関節が入ったのか鈍くも何かがはまった音がする。
西門は外壁の陰に身を潜め、ガバメントを構え再び修作の前に現れようとする。
だが修作は西門が思っていた以上に狂気的な行動に出てきた。明らかに西門が待ち構えているのは分かり切っているのにも関わらず、1911を片手で構えたまま彼の前に飛び出し、引き金を引く。西門は一瞬「正気か!?」と言いたげな表情で驚愕したが、すぐさまガバメントの引き金を引いた。
修作の放った弾丸は西門の頬と右腕を掠め、西門の弾丸は修作の右肩を掠め上着の左の脇腹部分を貫通する。
修作は受け身を取りながら地面を転がり、立ち上がると同時に1911の引き金を再び引いた。
だが二発放つとスライドがオープンに固定された。弾が切れた。
西門も修作にガバメントの銃口を向けたが、彼のガバメントもまた弾切れを起こしていた。
二人は予備弾倉と取り出そうとしたが、修作は既に予備を切らしていた。
西門は後ろに向かって修作から距離を広げようと小走りで駆け出しながら、空になったガバメントの弾倉を自重落下で地面に落とし、最後に残った予備弾倉の一本を取り出そうとした。
修作は即座に1911をしまい、後退しようとしている西門に向かって勢いよく駆け出した。
西門に全力でタックルした修作に、西門は為すすべなく突き飛ばされ、ガバメントが手からすり抜け、後方の壁に叩きつけられる。
修作は西門の胸倉を左手で掴み、右手を振り上げて拳を握り締める。直後西門は顔を横に向け、近くに鉄パイプなどの金属の廃材が収納されている縦長の錆びたケースを見つけ、振り降ろされた修作の拳を受け流して彼の顔面に肘打ちをし、彼を弾き飛ばして立ち上がり、ケースに駆け寄って手あたり次第に鉄パイプを取り出す。
鉄パイプを両手で握り、よろけながら立ち上がる修作に向けて振り下ろす。鉄パイプは修作の左肩を掠め、修作は鉄パイプを掴んで引っ張り、西門ごと自分に向かって引き寄せる。
引き寄せられつつも西門は地面を蹴り上げ、修作に真っ先に向かう左脚に力を込める。彼の左脚は修作の脇腹に直撃し、それでもなお修作は握った鉄パイプを離さない。
西門は鉄パイプを握ったまま修作の胴体に両足の底で蹴りを入れ、いよいよ耐えきれなくなった修作は鉄パイプを手放し、そのまま勢い余って地面を転がる。
即座に西門が鉄パイプを振り上げ、再び修作に襲い掛かろうとする。修作は立ち上がる直前に、西門の脚に回し蹴りを喰らわせ、西門を地面に倒れさせる。
立ち上がると西門の手を蹴り飛ばし、鉄パイプを落とさせ、腹部に力強く蹴りを叩き込む。これまでの戦いの疲労と、内臓を突き破る様な鋭い蹴りによる激痛に西門は怯み、その隙に修作は彼の胸倉と片足を掴んで彼を持ち上げ、年季の入ったビルの壁に叩きつけた。
頭から地面に落下した西門。打ちどころが悪かったのか、蹲って立ち上がる様子はない。いよいよ限界が来たのだろう。
「がっ…く…クソッ…!」
修作は息を切らしながら、西門が落とした鉄パイプを拾い上げる。
そして西門の肩を軽く蹴飛ばし、彼を仰向けにさせる。
「はぁ…はぁ…そろそろ、終いにしようぜ…西門ォッ!!」
怒号に近い大声を上げながら、修作は鉄パイプを振り上げ、西門の心臓を目掛けて、鉄パイプを振り下ろそうとした。
その時だった。
倒れこむ西門の左手、それも薬指に、指輪がはめられていることに気が付いた。その位置は、修作も指輪を付けている。既婚者の証だ。
「……!」
そして、西門の表情に視線を移すと、彼は、泣いていた。
何かを必死に詫びる様な、弱々しい声が聞こえてくる…。
「あぁ…クソッ…”広実”…すまん…っ!」
修作は…黙り込んだ。
そして、ゆっくりと鉄パイプを降ろした。
様子がおかしいことに気づいた西門は、修作の方を見つめる。
「…どうした…早く、殺せよ…っ!」
「……お前、結婚してたのか?」
「…?
あぁ…つい、半年前に…」
「…半年か。まだまだ新婚だな…」
そう呟くと、修作は、手に持った鉄パイプを、辺りに投げ捨てた。
「…お前は俺が殺したことにしておいてやる。さっさと逃げろ…」
「…は…?」
死を覚悟していた…いや、悔いはありつつも死を迎え入れようとしていた西門は、思いもよらない修作の行動に唖然とした。
「何故だ…?何故殺さない…?」
その問いに、修作は西門に背を向けながら、ゆっくりと左手を上げて見せた。
自分の薬指にも付けている、結婚指輪を…。
「お互い、新婚同士…悔いは無いようにしないとな。
ただし…今回だけ特別だ…」
…そう言い残し、修作は西門の前から姿を消した。
一人取り残された西門は、身体の痛みが多少和らいで立ち上がることができるようになると、ふらついた足取りで、その場を去っていった…。
* * *
深夜の三時頃。修作はようやく、自宅であるマンションに帰ってきた。
西門との戦闘でできた傷は、ある程度化粧で誤魔化しているが、あまり長持ちはしないだろう。今夜は極力寝ずに、朝になったらすぐに家を出て、本部で本格的な誤魔化しの化粧を施さねば…。
そう考えながら、修作は寝室に向かう。
灯りの消えた寝室の、白いシーツと布団が掛けられたダブルベッドの上では、愛しの妻…愛華が、身体を横に向け、スヤスヤと、穏やかな寝顔で眠っていた。
その様子を見て修作は、西門に襲われながらもなんとか生還して、彼女のもとにまで戻ってこれたことを実感して、静かに安堵の息を吐いた。
スーツの上着を脱いで椅子の背もたれに掛け、ネクタイを緩めてワイシャツの上のボタンをいくつか外しながら、ベッドにゆっくりと腰を落ち着かせる。
愛華を起こさないようにしなければ…。
そう思っていた矢先、愛華の身体がゆっくりと動き、顔を修作の背に向けた。
それに気づいた修作は、彼女の顔を見る。彼女は目を開けていた。眠っていたと思ったが、どうやら違ったようだ。
「ごめん…起こしちゃった?」
「うぅん…ちょっと…ちゃんと寝れなくて…」と、彼女は小さく答える。
修作はゆっくりとベッドに横になり、愛華と向かい合い、片手を彼女の肩に当て、優しく摩る。
「…何かあったのかい?」
「…なんだか…なんだか分らないけど、すっごく不安だったの…
修作さんが、いつも通り帰ってくるのか…何故か…」
…彼女の不安は、外れてはいたものの、一歩間違えれば本当に、帰ってくることが出来なかったかもしれない…それだけ危なかった。
「…大丈夫。こうして帰ってこれた…もう心配いらないよ…」
彼は微笑みながらそう言った。
それを聞いて、愛華は「…うん」と、小さく頷いた。
* * *
同じ頃。西門條一郎は、自身の車である白いトヨタ・ノアを運転し、自宅がある住宅街を走っていた。
尾行が居ないか随時確認し、額から垂れる冷や汗を拭いながら、妻である広実の居る家に向かう。
シンプルなデザインの黒い屋根の二階建ての住宅の前にノアを停車させ、急ぎ足で家に入る。
一階などに侵入者が居ないことを確認して、二階の寝室に上がり、ドアを開ける。
そこには、滑らかなダークブラウンの長い髪をした、やや色白の肌をした、赤い瞳の美人な女性が、ピンク色のパジャマを着て、カーテンを開け窓の外を眺めていた。
彼女が、西門広実…條一郎の妻その人だ。
「広実…」
條一郎は彼女にそう声を掛けると、彼女は振り向いて、彼の姿に驚く。全身傷だらけで、酷く息を切らして、表情は切羽詰まった様な険しい表情だった。
「あ…アナタ、どうしたの…?」
困惑して尋ねる彼女に、條一郎は駆け寄って、彼女の両肩を掴んで言った。
「急なことになってすまない…
今すぐ荷物をまとめて、ここを出よう…!」
「…え?な、なんで__」
「答えてる暇はない…!すぐにここを出ないと、君も危険なんだ…!」
何がどういうことなのか全く理解できない広実は、條一郎の剣幕に押され、クローゼットに小走りで向かっていった。
二人とも必要最低限の荷物だけまとめ、ノアに積み込み、條一郎は広実に「車に乗って待っててくれ…」と言い、一人家に入る。
キッチンに行き、コンロに繋がっているガスのホースを取り外してガスを放出させ、家中のドアを開けて回る。
それを終えると、二階の角にある自身の仕事用の部屋に入り、床に置いたダイヤル式の金庫を素早く解錠して開き、ガバメントの弾倉、弾丸、そして時限式のC4プラスチック爆弾を二つ取り出し、服のポケットやホルスターの弾倉の収納スペースに押し込んで、一階のリビングに向かう。
ガスがリビングにまで行き渡っているのを確認すると、中央のテーブルにC4を設置し、起爆のタイマーを入れる。タイマーは十分に設定されている。
タイマーの起動を確認すると、外に出て玄関の扉を閉め、辺りに誰も居ないことを確認し、ノアの運転席に乗り込み、広実と共に、その場を走り去った。
向かう先は西…目指すは関東よりずっと離れた場所。九州などが無難だろう。
そう考えながら車を走らせていると、タイマーの時間に到達した。
その途端、二人が住んでいた家の方から、激しい爆発音が響き渡り、かなり濃い黒い煙が立ち込めた。
助手席からその様子を見つめていた広実は唖然としていた。
何が起こったのか理解できない広実は、恐る恐ると、條一郎の横顔を見つめた。
「ね…ねぇ…一体どういうことなの…?」
そう尋ねる広実。
條一郎は、これまで彼女に秘密にしていたことを明かすことにした。
「…広実…ずっと秘密にしていたことがある。
俺は…”殺し屋”だ」
広実は黙り込んだ。彼は一体何を言ってるの?…そう考えているのは明らかだ。
「君と出会うずっと前から…俺はある組織に雇われて、何人も人を殺してきた…数えきれないほどに…。
そんなことをして何の意味もない…世界が平和になるわけでも、俺の正義感が鍛えられるわけでもない…ただただ、無意味な殺し合いをして、大金を貰う…それだけの生活だった…。
……でも、君と出会ってから、俺は変わった…。
君と、ずっと居られるように…危険なことは極力避けて、生き延びようとし始めた…。
…だがそれがまずかった。
当然、組織の連中は良い気分はしなかった。アイツらは…これから”大きな事”をやるつもりだった。それには、俺の力が必要不可欠だった…。
断ろうとしたが、連中は…君に手を出そうとした。
『仕事をやり遂げなければ、お前は、妻と共に息の根を止める』と…」
…その話を黙って聞いていた広実は、やがて口を開いた。
「…その仕事に、失敗したの?」
「…あぁ。相手は情けをかけて俺を生かしたが…もし俺が生きてることが、組織にバレたら…君も危ない…。
だから逃げる。ここよりも、ずっと遠くへ…」
それから二人は、会話をすることは無かった。
広実は、こんな突然の告白を受けて、何を想うだろうか…。
二人を乗せたノアは、やがて山中にある、木々に囲まれた一棟のボロボロな小屋の前で停車した。
條一郎はノアのエンジンを切って降車し、小屋の正面にある錆びたシャッターを開ける。
小屋の中には、ボロボロな小屋に置かれていたとは思えない程、丁寧に磨き上げられた美しいワインレッドの塗装とボディラインをした、厳格で巨大な存在感を誇る、1963年式シボレー・カマロ スティングレーが静かに佇んでいた。
運転席に乗り込み、シートの下に隠した鍵を取り出して、エンジンをかける。巨大なV8エンジンが、夜明けの山中に轟音を響かせる。
コルベットをノアの後方に停めて降車し、ノアの隣で立ちすくむ広実に歩み寄る。
「…広実…謝っても、許せることじゃないのは分ってる…。
だが…俺は、君と居たい…君と、これからも生き続けたい…。
…ついてきてくれるか…?」
真剣な眼差しで、彼女の目を見つめる。
広実は…やがて、小さく口を開いて答えた。
「…えぇ…分かったわ…。
私は、條一郎…アナタについていく。
妻として、最後まで…一緒に…」
「…ありがとう…」
條一郎は、そっと、広実を抱きしめた。
その目には、次第に涙が浮かび、頬を伝って落ちていった。
荷物をコルベットに移し、條一郎は小屋の奥に置いていた、ガソリンが入ったタンクを持ち出し、蓋を開け、ノアの車内にガソリンを撒き散らす。
空になったタンクを車内に放り投げ、上着の内ポケットに入れていたジッポライターを取り出して火を点け、ノアの車内に放り投げる。
ノアは車内からあっという間に燃え広がり、やがて車体全体を炎が包み込んだ。
それを見届けると、條一郎はコルベットの運転席に座り、助手席で待っていた広実の顔を見つめる。
彼女は、先程の言葉通り、覚悟を決めたようだ。彼を受け入れ、共に、生きていくことを誓った表情だった。
條一郎はコルベットを発進させ、彼女と共に、どこか遠い場所へと向かった…。




