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Ep.22中盤

今回は澪と陽里とウォーレンの過去編。

 六年前。

 舞薗澪と楠木陽里は当時十歳。

 二人が出会ったのは物心が付く前からだった。家が近所で、両親が公園でよく談笑をして、二人は異性ながらも何も意識することなく、砂場や遊具で共に遊んでいた。

 小学生に上がってから、互いが異性としての意識を持つようになるまではそれほど時間は掛からなかった。

 とはいえ、幼少期から共に遊んだ仲、そうそう関係が崩れることはない。


 当時の陽里は現在より髪は短く、服装もプリントが各所に施された黒いTシャツと赤いチェックスカート、黒のハイソックスを着、当時は赤い淵の眼鏡を掛けていた。彼女の性格には一見合わなそうなデザインの服だが、ある意味ギャップもあって可愛げがある。

 澪は当時から女々しい顔立ちで後ろ髪も少し長めで、性格も現在とそこまで大差はない。紺色のシャツの上からグレーの無地のカーディガンを羽織りジーパンを履いている。

 ある日の放課後、陽里は帰り支度を済ませて真っ赤なランドセルを担ぎ、下校しようとしていた澪を呼び止めた。

「澪くん…」

「どうしたの陽里ちゃん?」

「…今日は、一緒に帰ろ…?」

 彼女は頬を赤らめながら、弱々しい照れた声でそう言う。

 その言葉に、澪の心は彼女への愛おしさで締め付けられた。

「え…あ…うん…いいよ」

 二人は共に学校を出て、家路を歩いていく。

 すると、幼少期からよく遊んでいた公園の前に来ると、陽里は澪の服を引っ張って立ち止まらせた。

「ちょっと…ここ行こ…?」

「…うん?」

 公園の中に入り、辺りを見回す。人気は無く、よく遊んでいた頃よりも遊具の錆や軋みは増している。

 二人はベンチの上にランドセルを置き、共に隣同士でベンチに座る。

 ”肌に優しく触れる小さな風”が、陽里の優しく甘い香りを舞わせ、澪の嗅覚を突き刺す。”相手の匂いに惹かれると、その人が運命の人かもしれないという話”を聞いたことがあるが、子供ながらにして澪はそのことを薄らと期待していた。

 陽里は小恥ずかしそうに顔を俯かせながら、澪の手に小さく指を当てる。やがて彼女の手は澪の手を包み込み、澪も恥ずかしそうにしながらも、彼女のその手の指をそっと絡める。

「…澪くん…今日はありがとう…」

「…どうしたの急に?」

「…今日のお昼休み…クラスの男の子達が、私をからかってきた時…澪くん、男の子達から私を遠ざけてくれたよね…」

 昔の陽里は、気弱な性格がたたって、クラスメイトからあまりいい扱いを受けていなかった。気の強い男子からいじめられ、体育の授業でもチームメイトから邪魔者同然の扱いをされる日々を送っていた。

 そんな時、澪はいつも彼女の助けに入り、彼女を支えていた。

「澪くん…とってもカッコよかった…

 まるで、”王子様”みたい…フフッ…」

「そ、そんなことないよ…!」

 澪は顔を真っ赤にして、彼女から顔を逸らした。

 すると陽里は、澪の肩に静かに頭を載せて、彼の高鳴り続ける心臓の鼓動を感じる。バクバクと発し続ける澪の鼓動が彼女の耳に響き渡る。

 その鼓動を聴いて、より安心感を感じた。


「澪くん…

 大好きだよ…」


 陽里のその言葉に、澪は、彼女の肩をそっと抱いて言った。


「…僕も、陽里ちゃんのことが好き…」



 夕日が沈みきろうとしてきた頃。

 二人はベンチの後ろにあった草木の陰から出てきた。互いに軽く汗をかいて、身体は妙に火照り、服は少し乱れている。

 草木に隠れて何をしていたかは定かではないが、少なくとも言えることは、二人の仲がまた縮まったということだろうか。

 ランドセルを担ぎ、二人で手を繋ぎながら、家路に戻る。

 手前にある陽里の家の近くで、二人は無言で手を離し、陽里はまだ恥ずかしさを残している小さな声で「…また明日ね」と言い残し、自宅へと向かっていった。

 澪は、陽里に告げられたこと、草木の陰でしていたことを、何度も何度も、頭の中で強制的に再生され、心が落ち着ききらないまま、一人自宅へと向かう。



 * * *



 次の日の朝。

 起床してリビングに行った澪は、母の作った朝食を食べながら、父が点けたテレビのニュースを観ていた。

 《__昨夜一時過ぎ、本牧信用金庫に凶器を持った集団が現れ、従業員と警備員の合わせて三名が重軽傷を負い、犯人グループは貸金庫の一部を持ち去り、現在も逃走中とのことです。

 警察は、犯人グループが使用していた”ナンバーが「横浜 33 み 53-76」の黒いセダン車”を捜索しており__》

 (物騒なニュースだな…)と思いながら、壁に掛かっている時計に目を送ると、そろそろ家を出ないといけない時刻になっていた。

 朝食も食べ終えたため、澪は支度をして家を出た。

 学校に向かっていると、陽里の家の前で彼女が立っていた。

 澪に気づいて彼に向いて微笑む。

「おはよう澪くん…!」

「おはよう…」

 澪は昨日のことを思い出し、再び顔を赤らめて、心を落ち着かせるために視線を陽里から逸らそうとした。

 だが陽里は澪に歩み寄り、彼の手を取った。

「一緒に行こう…」

「…うん」

 二人はまた手を繋いで、学校に向かって歩き出した。


 二人の後ろから、一台の白い軽バンが停まっている。一見誰も乗ってない様に見えるが、運転席に誰かが、周りの目から消える様に身を屈めて、二人を…特に陽里の方を見つめていた。



 * * *



 同じ頃。

 横浜市の街の中心部で、煌びやかな銀色のボディをしたメルセデスベンツ・E350クーペが、適度なスピードを保ちつつ、まるで誰かを探してる様に、辺りを走り回っている。

 高品質な革シートが施された運転席に座りハンドルを握っているのは、スパイダー・ウェブ ()()のウォーレン・サンクフォード・クロサワだ。

 耳にワイヤレスのイヤホンマイクを付け、誰かと通話している。

「おはよう」

 《おはようございます、”次期社長”》

「その呼び方やめてよ~、まだ確定してないんだから」とウォーレンは苦笑しながら言う。

 《ほとんど決まってる様なモノじゃないですか》

「それで、昨夜の件に進展は?」

 《え~っとですね…

 犯人グループの運転手が、この辺りで活動している逃がし屋の”戸塚比呂久”三十七歳と判明。所在は不明。

 逃走に使った車は、警察はまだ公には出してませんが、コインパーキングで乗り捨てられていたのを発見しました》

「あらら…」

 それを聞いたウォーレンは、ハザードを焚いてE350を路肩に停め、通話に集中した。

「そうなると探しようがないなぁ…

 主犯はどうしたの?」

 《現在も詳細を掴めず…

 ただ、盗んだ物は判りました。ウォーレンさんの予想してた通りです》

「ほぅ?」

 《通称「”アストラ”」。

 その名に相応しい、夜空に輝く星の様に美しい青い宝石…だそうです》

「いいねぇ、本物だとしたら何億の価値があるだろうね」ウォーレンはニヤニヤと笑いながら、その宝石に胸を躍らせる。

 《とはいえ…何故そこいらの金庫に保管してたんでしょうね?そんな高価な代物》

「”こんな所に保管する様な物じゃないはず”って思わせるための策略でしょ。

 ま、あっさり盗られたってことは、無駄な計画だったってことだね」

 《アナタ、こんな物を手にしようとしてますけど…何のために?》

「う~~~ん…その宝石への興味が捨てきれないとしか言えないなぁ」

 《はぁ…そんな理由ですか》

「そうだよ~。不満かい?」

 《…引き続き、捜索を続けててください》

 通話相手との接続が切られ、ウォーレンはイヤホンマイクを取り外して助手席に放り投げ、E350を再び発進させた。

 一人で車の中に居続け、見つかるか分からない、そもそも何を印にして探せばいいのか分からないまま走り続けていると、ウォーレンはふと思った。

「…話し相手になる助手が欲しいな」



 * * *



 夕方。

 下校した澪と陽里は、また二人で家路を歩いていた。

 今日は寄り道もせず家に帰るつもりだったが、陽里は澪と、少しでも長く一緒に居たいのか、近くの河川敷に立ち寄った。

 沈みゆく夕日が広い河川の水面に浸かり始めている。

 二人は芝生の上で横に並んで座り、沈んでいく夕日を眺めながら、二人きりの時間を過ごしていく。

「えへへっ…なんだか、大人の恋愛をしてるみたい…」

「…うん…」

 陽里は澪の片腕に抱きつき、彼の肩に頬を擦り寄らせて、上目遣いで澪の目を見つめる。

 澪は、髪型も相まってどこか女の子っぽい顔立ちを漂わせていても、凛々しい目つきや骨格で、やはり男の子だと実感させてくる。

 そんな彼の顔が、陽里には愛おしくてたまらなかった。

 しばらくお互い黙り込んでいると、陽里が口を開いた。

「…澪くんは…大人になったら何になりたいの…?」

「僕?僕は…まだ決まってないや。

 自分の得意なことが何かも分かってないし…何がやりたいのかもわかんない…

 …陽里ちゃんは?」

「…私は…

 ”大人になっても、澪くんと一緒に居たい”…それしか分かんない…」

 照れ臭そうにそう告げる陽里を見つめ、澪は、呟く様に言った。

「……僕も…」

 本当に小さな声だったが、間近に居る陽里にはハッキリ聞こえていた。

 陽里は微笑んで、澪の腕をギュッと抱き締めた。



 * * *



 家路に戻り、澪は陽里の家の近くで彼女と別れた。

「じゃあね~」

「うん…」

 軽い言葉を交わしてから背を向けて、澪は家に向かおうとした。


 陽里は澪に背を向け、歩き出そうとしたその時、小さな風が吹いた。

 その風は、妙に不安にさせる、奇妙な物だった。

 そう感じた陽里だったが、その直後、後ろから車の勢いのあるエンジン音が聞こえてきて、音のする方に振り向いた。


 陽里の姿が見えない所にまで歩いていったその時、陽里と別れた辺りの場所から、車の激しいスキール音が響き渡ってきた。

 その音に驚きながら振り向いた時、澪の脳内に嫌な想像が浮かんだ。

 __もしかしたら、陽里ちゃんが轢かれたりしたのか…!?

 そう浮かんだ途端、澪は音のした方に駆け出した。

 距離はまだ離れすぎてはいない。


 だが、陽里と別れた場所を視界に捉えた瞬間に見た光景は、想像からかけ離れていた。

 一台の白い軽バンが、陽里の横で停車しており、運転席のドアと陽里側にあるスライドドアが開きっぱなしになっている。

 そしてそのスライドドアのすぐ手前では、二人の何倍も身長のある男が、陽里を抱え上げていた。

 ボサっとした伸びた髪をし、常時半目の様な細い目つきで、その目の下には濃い隈が浮かんでいる。チラリと見えた顔立ちはごく普通に見えるが、少し肉が付いている様にも見える。

 男は必死に抵抗しようとする陽里の手に掴まれた片腕で、口と鼻に白い布を押し付け、そのまま陽里と共にバンの後部に乗り込もうとしていた。

 澪は何が何だか分からない状態だったが、一つだけ確信していたことがある。


 __陽里ちゃんが危ない!


「陽里ちゃん…!!!」

 澪は衝撃と怒りを抱えた険相な顔で駆け出し、陽里を連れ攫おうとする男に飛び掛かった。

 男は澪に気づき、陽里を抱えたまま、片足で澪を勢いよく蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた澪は、真後ろにある家の古びた塀に叩きつけられる。

 床に転がって咳き込んでいる間に、男はスライドドアを閉め、意識を失ったと思しき陽里をシートに座らせ、運転席に移り、バンを急発進させた。勢いよく発進したことで運転席のドアは勝手に閉まる。

 澪は蹴られた場所を押さえながらも勢いよく立ち上がり、ただひたすら、必死に、死に物狂いで、バンを追いかけた。

 男はルームミラーで澪の姿を捉える。「フンッ」と鼻で嘲笑い、アクセルを踏み込む。マフラーから噴き出る排煙が澪に降りかかり、思わず吸い込んでしまった澪は咳き込む。

 だが、足は緩めない。離れてはいけない。見失うワケにはいかない。


 __陽里ちゃんを、助けなきゃ…!!!


 やがてバンは大通りに行き当たる。信号は赤を示していたが、そんなことはお構いなしに勢いよく曲がる。

 直進しようとした車…ウォーレンが運転するE350が、急ブレーキを掛けてクラクションを流す。

 E350は停車し、バンは走り去っていこうとする。

「あっぶないなぁ~~!!!」

 ウォーレンは眉間に皺を寄せながらそう独り言を言った。


 すると、澪が何も言わずに、助手席のドアを開けてE350の車内に乗り込んできた。


 二つ目の突然の出来事で動揺するウォーレンだったが、バンよりも澪に全ての意識が持っていかれた。

 男の子なのにどこか女の子の様な愛らしい容姿をした彼に、ウォーレンは思わず見惚れ__

「お兄さん…ッ!!!」

 澪の大声でハッと我に返ったウォーレンは、「な、なんだい?」と尋ねる。

「さっきのあの、白い車を追ってッ!!!早くッ!!!」

「え?あ?え?は?わ、わわわわかった」

 予想もしなかった言葉を言われて困惑するウォーレンは、とりあえず彼に従うことにした。

 E350を発進させ、かなり距離が広がっているバンの後を追う。

 澪はここに来るまで全速力だったため、呼吸を整えてから、遥か前方を走るバンを見つめる。そしてナンバープレートを記憶する。黒いプレートで黄色い文字で「横浜 400 た 64-54」だ。

 ウォーレンは未だに状況が把握出来ていない。突然前に現れたバンを、突然乗り込んでは「追って」と頼み込んできた少年に従って、そのバンを追っている。一体全体どうなってるんだ、と。

「…あのバン、一体何?」

 澪は躊躇うことなく、キレ気味な声で話す。

「あの車を運転してる男が、陽里ちゃんを…友達の女の子を連れてったんだ!!」

「…何だって!?」

 更に突然のカミングアウトをされて余計混乱してきたウォーレンだが、それならば追うしかあるまいと、ハンドルを握り直して、バンを追い続ける。

「警察には電話した?」

「まだ…携帯持ってないから…」

 ウォーレンは代わりに電話をしようと、ハンドルを片手に、ジャケットの懐に入れたスマホを取り出そうとした。

 だがその直後、着信が入り、ウォーレンはナビに表示された受話ボタンを押す。

「もしもし!?」

 《ウォーレンさん、戸塚を見つけました》

「こんな時に…それで?」


 《白いバンに乗って走り回っているのを、住宅街にあるコンビニの防犯カメラで発見しました》

 白いバン…そして、近くに住宅街があるということを思い出し、ウォーレンはまさかと思いながら、通話相手に問う。

「…もしかして、ナンバーが黒で、64-54だったりする?」


 《…どうして知ってるんです?》


 ウォーレンは確信した。

 今自分が、助手席に座ってじっとバンを見つめているこの少年に頼まれた追跡対象は、自分も追っている男だと。少年の言う少女が、戸塚という逃がし屋である男にどう関係しているのかは定かではないが。

「……今前に居る」

 《ホントですか!?》

「それもおかしな状況でさ…

 ついさっき初めて会った少年がさ、友達の女の子が攫われて、その車に乗ってるって言って、僕に「追って」って言ったんだ…」

 《……はい?》

 理解できないのも仕方ない。当のウォーレンも、自分の言葉に困惑している。

「とりあえず、バンが目的地に着いたら、また連絡する…」

 《わ、分かりました…》

 通話を切り、ウォーレンは前を見つつ真剣な顔つきで澪に言う。

「…少年、悪いけど警察にはまだ通報できない」

「…なんで?」

「どうやら…僕の追ってる男かもしれないんだ。こっちが知りたいことを知れるまで、警察には言えない…悪いね」

 そう言ってウォーレンは、万が一この少年が警察などに通報しようと車を飛び降りることを防ぐため、ドアに付いている全てのドアの施錠ボタンを押した。

「ッ……!!?」

 異変に気付いてドアノブを握る澪だったが、ドアはびくともしなくなっていた。

「これから暫くは、僕の言うことを聞いてくれ」

 澪は反論しようとしたが、無理矢理乗り込んで頼み込んだのだから、偉そうなことは言えないと感じた。

「…分かった」

 ウォーレンはバンに近づきすぎず、男…恐らく戸塚に気づかれないように、できるだけ距離を置いて尾行し続けた。



 * * *



 夜も深まった頃。

 尾行を続けていると、バンは人気のない道に入って行き、やがて寂れた工業団地に入って行く。

 ウォーレンはこれ以上の尾行はマズいと判断し、道を逸れ、近場にあった廃材置き場に停める。

 エンジンを切り、澪と共に降車し、バンが入って行った団地のエリアに小走りで向かう。

 暫く走り回っていると、一軒の木造の廃屋の手前に、あのバンが停車していた。もう男は陽里を連れて降り、廃屋の中に居る様だ。二階のひび割れた窓から、濃いカーテンから漏れた電気の灯りが薄らと見える。

「ここか…!!」

 澪はすぐに廃屋の中に入ろうとしたが、ウォーレンは彼の肩を掴んで引き留めた。

「丸腰で入るつもりかい?」

「っ…だって、武器なんてないし…!!」

 ウォーレンは辺りを見回す。暗くはあるが月明りのおかげで完全に見えないわけではない。

 ふと廃屋の横を見ると、傷んだ木材などが乱雑に積み重ねられていた。

 音を立てないようにそれに駆け寄り、使えそうな物を探る。

 すると澪は、ある物を手にした。錆びた釘が数本刺さったままの、折れた木材の板だ。そこまで長くはないが、相手を叩くには十分かもしれない。

 それを見て準備オーケーと感じたのか、ウォーレンは澪の背中を軽く押しつつ、廃屋の入り口へと向かう。

 正面の入り口は鍵が掛かっている。ウォーレンならピッキングで開けることができるが、攫われた少女の身に何が起こるか分からないため、ゆっくりはしてられない。

 建物を一周するつもりで、二人で他の入り口を探し回る。

 すると、台所があるであろう場所の曇った小さめのガラス窓が、老朽化で建付けが悪くなっていた。ウォーレンが窓の両脇を掴んで軽く力を入れて引っ張ると、窓を外すことができた。

 ただし、窓の大きさからして、ウォーレンは通れない。

「少年、先に中に入って、君の友達を探してきた方が良い。僕じゃここからは入れない」

「分かった…!」

 ウォーレンは澪を抱え上げ、澪は開かれた窓から廃屋の中に侵入する。

 幸い通り抜けた先には、錆塗れではあるが足場としては最適な高さのキッチンシンクが設置されており、澪は怪我をしたり大きな物音を立てることなく着地できた。

 薄暗い家屋の中を念入りには散策せず、灯りが付いていた二階に、拾った木材を握り締めながら向かっていく。

 ウォーレンは正面の入り口に回り、腰のベルトの金具に隠していた細い針金を取り出し、鍵穴に差し込んでピッキングを行う。


 二階に上がった澪は、そのまま、灯りの発生源であろう部屋に向かう。

 その部屋の襖は閉じ切られていない。


 そして、声が聞こえる。低く不気味な男の声、そして…怯え切った陽里の声…。

「楠木陽里ちゃんか…可愛い名前だね」

「おじさん…!!誰なの…!?」

「俺?俺はね…

 君を迎えに来た王子様だよ!」

 男がそう言うと、力強い足取りで、恐らく陽里に歩み寄っているであろう足音が聞こえてきた。

「ひっ…!!」

「あぁ、可愛い…本当に可愛い…!!正に、俺の”天使”だ…!!」

 澪は襖に身を潜め、中の様子を伺う。


 そこでは、ゴミまみれの汚い部屋の中で、陽里を攫ったであろう男が、積み重なったゴミ袋の上に寝かされている陽里に迫り、彼女の服越しの体を弄っていた。

 陽里は激しい羞恥で赤面し、恐怖で溢れ出る涙を堪えることもできず、掠れた声で悲痛な声を上げる。

「いやっ…やだ…!!やめて…っ!!」


 その状況を完全に捉えた澪に、これまでの人生で経験したことも無い程の強い怒りが沸き上がった。

 木材を握る手により力がかかり、激しく迸る殺意は、陽里に卑猥な手つきで触っている謎の男に向けられた。


「パパ…ママ…!!澪くん…!!誰か、助けて…!!」


 陽里が思わず発したであろうその言葉で、澪は決心した。


 __絶対に、助け出す!!!


 襖の陰から足を出し、無意識に自分の音と気配を殺し、瞳孔が開ききった怒りと殺意に満ちた狂気的な顔で、男の背後に近づく。


 男が嬉々としながら、陽里のスカートの中に手を入れようとしたその瞬間、澪は木材を両手で握って高く掲げ、男の後頭部に目掛けて、勢いよく振り下ろした。


 釘の刺さった木材は男の後頭部に強く打ち付ける。それも、飛び出した釘が男の後頭部の肉を抉り、深い傷を作って血を噴き出させる。

 突然の激痛に男は後頭部を両手で押さえながら、汚れ塗れの汚い畳の上に倒れ込む。

「があ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!!!!」

 悪魔の断末魔の様な重々しい悶絶の声が廃屋一体に響き渡る。

 澪は陽里の手をすぐに掴んで、「逃げようッ!!!」と叫んで彼女を立ち上がらせる。

「み、澪くん…っ!!?」

 澪は陽里の手を引っ張って、大急ぎで部屋を出る。

 そこでは、ピッキングを終えて駆けつけてきたウォーレンが待っていた。

 どうやら、澪のあの攻撃を目撃したのか、驚愕して見開いた目で澪を見つめてくる。

 澪はウォーレンと一度目を合わせるが、ウォーレンがキョトンとしたまま動いたり喋る気配も無いため、陽里を連れて一階へと駆け下り、廃屋を飛び出した。

 次第に耳に届いてきた男の絶叫でハッと我に返ったウォーレンは、ニヤニヤしながら、悶え苦しみ続ける男に歩み寄る。男の周りは血溜まりになっていた。

「戸塚比呂久、そうだな?」

「ぐぁあぁっ……!!!て、テメェは…ッ!!!?スパイダー・ウェブの…ッ!!!?」

「おやおや、知ってるのかい?なら自己紹介は要らないね」

「じ、じゃあ同業者みたいなもんじゃねぇか…!!!た、助けてくれ…ッ!!!!」

「ん~~…?

 ……いや!」

 そう言ってウォーレンは、状況と一切合うことのない屈託な笑みを見せる。

「なっ…!!?」

「幼い少女に手を出す変態ロリコン野郎に、救いの手を差し伸べると思うかい?

 それに…お前みたいな奴と同業者扱いなんて、御免だね…」

 ウォーレンは倒れ込む戸塚の横でしゃがみ、輝きを消した、見つめていると吸い込まれそうな気味の悪い瞳で、彼を見降ろす。

「…「アストラ」はどこだ?誰が持ってる?」

「なっ…何のことだ…ッ!!?」

「昨日本牧信用金庫から奪っただろう?」

「あ…あれは、依頼者(クライアント)が持ってった…ッ!!!」

「…誰?」

「知らねぇよ…ッ!!!名前は聞かない契約だ…ッ!!!!」

 ウォーレンは深々と溜息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、懐のホルスターに収めていた、ベレッタ・M92FS INOXを取り出し、セーフティーを解除し、スライドを引いて装填する。

「っ__!!?」

 戸塚は血まみれの手で後頭部を押さえ続けながら、上半身だけでも無理矢理起こし、窓に向かって後退りをする。

「ま、待ってくれ…ッ!!」

 ウォーレンはベレッタを握った手をゆっくりと上げ、銃口を戸塚の顔に向け、引き金に指を掛ける。撃鉄も既に起きている。

「無関係な二人の子供を巻き込んだ罰、受けておいた方が良いよ」


 ウォーレンが引き金に力を込めようとしたその時、戸塚は突然手を後頭部から離した。手には少しだが噴き出た血が溜まっており、その手をウォーレンに向けて振り払った。

 赤黒い血がウォーレンの顔に降りかかり、ウォーレンは「うわっ!!」と声を上げながら顔を背けて血を避けようとする。

 だがその隙に、戸塚は窓にタックルして外に飛び降りた。

 戸塚が降りた先にはここに来るまでに使っていたバンがあり、ルーフは少し凹んだものの、運転に支障はない。

 すぐに運転席に乗り込み、エンジンを掛けて発進する。

 ウォーレンは窓からベレッタを発砲するが、現役の逃がし屋というだけあってか、弾を避けるのは得意な様で、バンに弾丸は当たることはなかった。

 そのまま戸塚の運転するバンはどこか、暗闇の中へと走り去ってった。

「……。」

 ウォーレンはベレッタのセーフティーを掛けてホルスターに収め、静かにその場から立ち去った。



 * * *



 澪と陽里はその後、最寄りの交番を見つけ、警察に事の全容を明かした。

 二人の証言によって男の容姿がハッキリし、すぐに男と、彼の運転していたバンが手配された。

 男の手配書は翌日の新聞に、少女誘拐犯として記載された。

 バンも県境の山道で乗り捨てられており、車内には大量の血が残っていた。

 採取した血液から身元が判明し、戸塚比呂久ということも分かったが、それ以来目撃情報などが出ることはなかった。



 数日後。

 陽里は両親に守られる様に並びながら、澪と彼の家族に公園で会っていた。

 陽里の父は言う。

「もしまたあの男が現れたら、また陽里を攫うかもしれない…

 私達は、遠くに引っ越そうと思う」


 …だが、その言葉に、陽里は強く反発した。

 手を握る両親の手を振り払い、澪に駆け寄り、彼に抱きついて泣きじゃくりながら言った。

「やだっ…!!澪くんと離れ離れなんてやだ…っ!!

 ずっと一緒がいい…っ!!

 だって、澪くん…私を助けに来てくれたんだもん…っ!!

 絶対に、遠くに行かない…っ!!行きたくない…っ!!

 澪くんと…離れたくない…っ!!!」

 必死にそう訴えかける陽里を目前にして、彼女の両親は引っ越しを止めることにした。


 そして彼女の父は、澪に目線を合わせながら言う。

「澪くん…これからも、陽里と仲良くして…もしまた何かあったら…助けてくれるかい…?」

 陽里の父のその言葉に、堂々とした口調で答えた。

 そしてその言葉と同時に、澪は誓った。


「…はい!僕が、陽里ちゃんを、守ります…っ!!」



 * * *



 それから数日後。

 朝のニュースで、ある事件の続報が報道された。

 《__日前の本牧信用金庫強襲事件で、容疑者とみられる犯行グループの男三人が、昨日神奈川県警によって逮捕されました》

 陽里のことが気がかりで、あまりニュースを詳しく観ないまま朝食を済まして登校の支度をして、澪は家を飛び出した。

 すぐに陽里の家まで向かう。

 家の前に行くと、澪を待っていた陽里が顔を出した。

「おはよう、澪くん…!」

 まるで何事も無かったかの様な、愛らしい穏やかな笑顔を浮かべながら、澪に挨拶してきた。

「おはよう、陽里ちゃん…!」

 二人はまた、あの一件が起きる前よりも堅く手を繋いで、学校へと向かって行った。


 下校中。

 家路を共に歩いていると、あの公園の前の路肩に、一台のベンツSL R107型が静かに佇んでおり、その車にウォーレンが寄りかかって誰かを待っていた。

 二人が彼に気づき駆け寄ると、ウォーレンも気づいて二人の方を向く。

「やぁ二人共」

「お兄さん…この前はありがとう…ございました…!」

 二人は深々とウォーレンにお辞儀をする。

「ははっ、頭を上げて。僕は大したことしてないから」

「大したことしてないって…車を追ってくれたし、家に入るのも手伝ってくれたし…!アナタのお陰で陽里ちゃんを…友達を助けることができたんです…!」

 ウォーレンは真剣な表情で自分を見つめる澪の顔をジッと見つめる。

「……ま、大変だったし、少しは何か、お辞儀以外の対価をくれても良いかもしれないね」

「…対価?」


 するとウォーレンは、澪の前でしゃがみ、彼に目線を合わせて、口角を上げながら告げた。

「君の友達を救う手助けをした対価として、僕の助手にならないか?」

 彼から告げられた内容に、二人はキョトンとして硬直した。

「…じ、助手?」

 そしてウォーレンは楽しげな声音で語り始めた。

「君が僕の車に乗り込んだこと、躊躇することなくあの家に入ったこと、音や気配を殺してあの男に近づき、一発おみまいさせたこと…

 素晴らしいと思ったよ…!!

 君の逞しい勇敢さと、底知れない勇気を見込んで、助手として招待したいんだ…!!」

 そう言いながら、澪の、陽里と繋いでいない手を取って言う。

「どうだい?

 ()()()()として、”陽里(そのこ)の身の安全”も付けよう!」

 澪は彼の言ったその言葉に、心が揺らいだ。

 このお兄さんが何者かは知らないが、この口ぶりだと、陽里の身の安全を確かなモノにできるかもしれないと感じた。

「…それは、本当?」

「あぁ!

 だから、私の隣に立って、私と共に、この世界を渡り歩こうじゃないか!」

 そう言ってウォーレンはニッコリと笑って見せた。

 彼の裏の無さそうな爽やかな笑顔を目の当たりにして、澪は…。


「…分かった。十歳だから、何をさせるのかは分からないけど…

 やるよ、助手…」


 その答えを聞いて、ウォーレンは満面の笑みを浮かべ、胸を躍らせた。

 澪が、ウォーレンもまた悪者側の人間だとハッキリと知ることになるのは、そう遠くない先の話だ。

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