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Ep.3前半

プロローグ後編。

 PM-9の拠点であるビル。

 夜、シャワーを終えた愛華は、黒いスポーツ下着の上に白いシャツだけを着て歩き、ケースの下にある黒いタンスの引き出しを開けた。

 ここに来た時に時間の都合で後回しにされたタンスの中には、何冊かのアルバムと、アルバムに収める前だったであろう写真が入っていた。

 ベッドに置いて、シーツの上で座りながらアルバムを開く。

 この二年近くで、毎日の様にこうしてきた。

 アルバムは年号で分けられており、一番古い二十年程前の物には、幼少期の修作と、どこか彼と顔の特徴などが所々似ている幼い少女と一緒に写っている写真が多い。これが彼の妹なのだろうか。愛華はまだ、彼の妹に会ったことも無ければ、名前も知らない…。

 幼少期の写真はどれも孤児院と思わしき場所で撮られた物だった。あまり笑顔の写真が無い。

 その中に、いつ見ても目に留まってしまう、ある一枚の写真をまた見つけた。

 孤児院ではなく、どこかの教会だろうか。幼少期の修作は、大きく羽を羽ばたいている、長い髪をした白い天使の像を前にし、それをただ見つめている。

 彼は笑顔ではないものの、その瞳には、どの写真よりも強い輝きを持っている。

 この時、彼は何を思っていたのか…それを知る由はどこにも無い。ここがどこかも、誰が撮ったのかも分からないのだから…。

 そして孤児院の頃の写真を見終わると、次のアルバムに移る。ただ、次のアルバムは五年ほど前の物に飛ぶ。その間はこのようなアルバムに貼る様な、まともな写真を撮ったり撮られたりしなかったのだろう。

 そこから先の写真は、どれも愛華や、愛華と修作が写っている物ばかりだった。

 交際中の頃のデートで、彼がオススメした店で食事をした時の物や、夜のベイブリッジを背景に、当時彼が所有していた紺色の日産・シルビアヴァリエッタに軽くよし掛かりながらピースサインなどをしている愛華、横浜の海を一望できる高台で結婚指輪を受け取った直後の物、愛華の故郷の式場で挙げた挙式、新婚旅行でハワイに行き、真っ赤なフォード・マスタングコンバーチブルを借りて走り回り、広大で綺麗な青い空と白い砂浜で、麦わら帽子を被ってニッコリと笑っている水着姿の愛華など…。

 どれも鮮明に、当時の記憶が蘇ってくる。彼の笑顔も、言葉も、動きも…。

 それと同時に、強く胸が締め付けられる。大好きだった彼は、もうこの世に居ないのだから…。

 アルバムを置いて、ベッドに横になって、仰向けで天井を見つめる。灰色の天井は、まるで彼女の心を表している様だった。

 すると、部屋の固定電話が鳴り、愛華は急いでベッドから降りて電話に出た。

「もしもし?」

 《私だ。部屋に来てくれ。大事な話がある》

 電話の相手は敷島だった。


 愛華はすぐに黒いスラックスを履き黒い薄手のパーカーを羽織って部屋を出て、敷島の元に向かった。

 彼の部屋に入ると、敷島と暮葉が待っていた。

 ここに来て二年近くの間…暮葉の容姿はさほど変わっていないが、敷島は白髪や小皺が前より増えている。

「お待たせしました」

 そう言いながら愛華は敷島に歩み寄る。

「うむ。

 早速用件を言おう…

 愛華くん、今度ちょっとした任務がある」

「任務…ですか?」

「あぁ。それで…どうだね?これを最終試験として引き受けてみないか?」

「最終試験?」

「もう二年近くここでずっと訓練を受けている…もう十分前線に出ても良い頃合いだ。

 任務は至って単純。目標(ターゲット)を殺して逃げる、ただそれだけ…」

「…殺しですか」

 愛華はまだ、人を殺したことが無い。その任務を引き受ければ、人殺しと化すのは避けられない…。

「…どうするかね?」

「…分かりました、引き受けます」

 愛華はハッキリとそう答えた。ここで躊躇っていたら、前に進むことはできない。

「…分かった。では依頼者(クライアント)にも伝えておこう」

 そう言いながら敷島は、デスクに入れていた書類の束を取り出して愛華に手渡した。

「目標と計画の詳細だ。決行は明後日夜八時」

「かしこまりました」



 * * *



 当日の夜。場所は東京都・新宿区。

 愛華はグレーのパーカーの上にダブルの革ジャンを着、タイトなジーンズと黒革のブーツを履いている。クールなお姉さんの様なコーデで、顔つきも真剣なのもあってかどこか凛々しい。

 左耳には小さな無線のイヤホンが装着されており、随時敷島達の声が聞こえてくる。

 彼女はパーカーを被りながら、歌舞伎町の街を歩いていた。夜の店の客引きやそれに誘われる人、酒に酔う前や寄った後の人も多く居る。

 レトロな電化製品が店前のガラスの前に展示されており、それを眺めながら時間を潰していると、イヤホンからある通達が届く。真悟の声だ。

 《こちら第一斑。目標が歌舞伎町一番街に入った。

 愛華さん、近くを通りますよ。黒のトヨタ・セルシオです》

 それを聞いて、一番街の入り口方面をチラリと見る。

 黒塗りのトヨタ・クラウン 180系ロイヤルを先頭に、後続を走るトヨタ・セルシオ XF30型が見えた。

 二台はそのまま愛華の横を通過し、愛華は自然な素振りでその場を離れて二台の後を追う。

 繁華街を抜け、二台は一軒のビジネスホテルの前で止まった。愛華は壁の角に身を潜めてその様子を見る。

 セルシオの後部座席から、白いスーツを着た小太りの中年男性が降車し、ホテルに入っていく。

 愛華はパーカーのフードを脱いで、一般人を装いながらホテルの裏側に回る。

 革ジャンのポケットに入れてある小型マイクを取り出してスイッチを入れた。

「こちら第二班。これからホテルに潜入する。今裏手に回ってる」

 《よし、非常階段を使ってホテルに入れ。防犯カメラはこっちで切っておく》と敷島から伝えられた。

 ホテルの裏手にはゴミ捨て場があり、ゴミ箱には大量のゴミ袋が詰め込まれていて蓋が開けられている。生ゴミの臭いがしてあまり近寄りたくはない。

 非常階段を見つけ、客室が置かれ始める二階から侵入する。敵の警備が居ないことを確認してから、三階に通ずる階段を見つけて登り始める。

 《目標は四階の407号室にチェックインした。最低でもあと五分で四階に着く》

 それを聞いた愛華は、部屋に先回りして隠れられるものならそうしたい、と思ったが、恐らく既に警備の人間が張っているのではないかと気づき、この案は捨てた。

 四階に辿り着き、一番手前の部屋は410号室というプレートが貼られていた。左隣は壁、右隣には409号室…。

 壁の陰に身を潜め、右の通路をひっそりと見る。

 やはり護衛が407号室であろう部屋の前に二人ほど立っている。

「敷島さん、既に護衛が二人、部屋の前に居ます…」

 《外にダクトなどの渡るのに使えそうな物は?》

「探してみます…」

 一度三階に戻り、窓を開け辺りを見回す。壁には何もホースなどは掛けられていない。それぞれの窓の上に小庇が設置されているくらいだ。

 下を見ると、ここに来るまでに見つけたあのゴミ捨て場が真下にあることに気づく。

「何もありません…」

 《どうにかして部屋に侵入しろ》と、急に投げやりな命令を出してきた。

 無茶言わないでよ…と愛華は内心焦るが、ここで詰まっていてはどうしようもない。

 念のため、開けた窓を閉め切らずにしておく。

 四階に戻ると、目標が407号室に入るところだった。同行していた護衛は別室へ向かい、先程の二人が部屋の外を護衛している。

 さて、どうしたものか…考えを頭に巡らせていると、

 《こちら第一斑。愛華さん応答してください》と真悟から呼ばれた。

「どうしました?」

 《防犯カメラのハックがバレたようです。早めにケリつけてください》

「なっ…!?」

 遅かれ早かれ、気づかれることではあったが、今の愛華にはあまりにも余裕が無さ過ぎる。

 仕方ない…強硬策でいこう。

 真悟との通信を適当に切り、愛華はパーカーのフードを再び被り、手をポケットの外に出しながら、護衛の二人に歩み寄る。

 二人は愛華に気づいたが、一般人だと思い込んで手を出そうとしてこない。

 彼女が手前の一人の真横に着いた途端、彼女は男の腹に思い切り右の握り拳を喰らわせ、もう一人が声を上げようとした時、その男の顔に飛び蹴りを喰らわせた。

 訓練を始めたばかりの頃とは全く違う、強力なパンチとキックだ。

 蹴りを喰らった男は蹴られた勢いで床に頭を打ち付け、脳震盪を起こしたのか動かなくなった。

 拳を喰らって腹を抑えている男の後頭部を掴み、顔面に膝蹴りを喰らわせる。掴みかかってきた男の左腕を右手で掴み返し、左手で彼の口を押さえつけて声を出せないようにする。掴んだ左腕を締め上げ、肘を蹴り上げて骨を折る。痛みに苦しんでも声を出せない男を、愛華は容赦なく壁に叩きつけた。そして気絶し、男は愛華の手から解放されるとその場に倒れ込んだ。

 407号室のドアが開き、目標の男が何事かという顔で覗いてきた。

 その隙に愛華は目標の顔に蹴りを入れながら、強引に部屋に入り込む。

 目標は床に倒れ込み、愛華は部屋の鍵を掛けてから彼に歩み寄る。

「な、なんだお前!?」

 そう言いながら目標は床にへたり込んだままジリジリと後退する。

 愛華はパーカーのポケットに入れていたP320と対応のサイレンサーを取り出し、サイレンサーを銃口に装着させながら目標に歩み寄る。

 やがて二人はベッドの前まで着き、愛華は片手で銃を持って、目標の頭部に銃口を向けながら「座りなさい」と命じた。

 目標は渋々ベッドに座り、愛華は彼の額に銃口を当てる。

 このまま引き金を引けば、任務は終わり、あとは逃げるだけ…。

 …だが、初めて人を殺すのだ。それを実感すると、手が震えだし、思う様に引き金が引けない。目元が恐怖で歪み、歯を噛みしめながら、目の前の男と手に持つ銃を見つめる。

「な、なぁお嬢さん!何が目的かは知らないが、俺はただここに泊まりに来ただけだ!」

「…知ってる。ここで一泊して、明日朝、埠頭で麻薬カルテルと会って取引することも…」

 そう言いながら愛華は撃鉄を起こして見せる。「本気で撃つぞ」という意思表示だが、当の愛華にはまだ人殺しと化す決意がここに来て定まらなくなっている。

「こっ…殺さないでくれ…!」

 目標の男はついに泣き出し、愛華にそう懇願する。彼が座る白いシーツのベッドは、彼の座っている所だけ黄色い液体に侵食されていく。

 震える人差し指で、引き金に指を掛ける。弾は既に銃身に収まっている。

 撃て…撃て、私…。心の中で何かがそう叫んでくる。

「頼むよ…っ!この取引に失敗したら、俺の人生は破滅だ…!」

「フンッ…生きてるだけでもいいじゃない…

 私の愛した人は、もう帰ってくることは無いんだから…」

 愛華はそう言いながら、目標の額に当てた銃を更に押し付ける。目標の口から「ひぃぃっ!」と声が漏れ出る。


 《愛華くん、撃ちなさい…》


 イヤホンから聞こえてきた敷島の声でハッと我に返った愛華は、目の前の男を睨みつけ、


「ごめんなさい…__!」


 そう言って、引き金を引いた。

 弾はサイレンサーのおかげで音が可能な限り小さく収まり、目標の額から後頭部に弾が貫通し、ベッドの中にめり込んだ。

 頭を撃ち抜かれた目標はそのまま後ろに倒れ込み、ベッドの上で大の字になった。風穴の開いた頭部から、今度は赤黒い液体がシーツを染める。

 愛華は激しい動悸に見舞われ、汗が溢れ出て、呼吸が一気に荒くなる。

 目の前で冷たくなっていく男は、自分が殺した…周りには誰も居ない。誰にも罪を拭うことはできない。これで、彼女は人殺しの一員となった…。

「はぁ…っ!!はっ…!!はぁ…っ!!」

 服越しの心臓を掴みながら、ホテルの家具を背に倒れかかり、目の前の光景を直視し続ける。

 逃げなくちゃ…!

 そう思っても、足が動かない。震えが止まらない。頭の中の混乱が続き、やがて何も考えられず真っ白になる。

 だが、そんなことをしている暇はない。

 部屋のドアがノックされ、愛華は我に返って辺りを見回す。隠れられる場所も無ければ隠れたところですぐに見つかる。

 脱出する他ない。

「ボス!!ボス!!返事してください!!」と、ドアの向こうで男がドアを叩きノブをガチャガチャと回そうとしながら叫んでいる。

「もういい、どけ!!」と、もう一人の男がドアの前に立ったのか、ドアノブの方から激しい音がする。

 ドアノブが壊され、護衛の男達が部屋の中に入っていく。

 部屋の中には、床に倒れ込んだ、血を流す目標…ボスの姿があり、護衛達は動揺した。

 その隙に、愛華が横から飛び出し、血と尿に染まったベッドのシーツを男達に投げつける様に勢いよく被せ、彼らを蹴り飛ばしながら部屋を飛び出した。

「貴様か__」

 通路に居た護衛の一人がそう叫ぼうとした途端、愛華は彼の腹に飛び蹴りを喰らわせ、そのままここに来た方向へと走り出した。407号室から更に右隣の部屋やその方向には、まだまだ敵が居るだろうと踏んだのだ。

 飛び蹴りを喰らった男は上半身だけでも起こし、スーツの下にあるホルスターからS&W・M10を取り出し、彼女に向けて発砲した。

 愛華が階段に辿り着いて曲がると、M10から放たれた弾丸は彼女に当たる事無く、窓ガラスを突き破った。

 サイレンサーも使っていない、本物の銃声がホテル内に響き渡り、他の客やスタッフが慌て始めた。

 愛華は階段を駆け下り、三階に着いた。

 敢えて閉め切らなかった窓から外に飛び出し、小庇に飛び移って身を潜める。

 駆けつけてきた護衛の男が、窓に気づいて顔を出し、辺りを見回す。しかし、真上の小庇に居る愛華には気づかず、「クソッ!」と声を荒げながら、その場を去っていった。

 一旦敵の視界から逃れられた愛華…しかし、今ホテル内に戻ってもすぐに見つかるだけ…。

 下の方を見ると、ゴミ捨て場のあの臭う汚いゴミ箱がある。上手く落下すれば、ゴミ袋の山がクッションになって助かるかもしれないが、気が引ける。

 だが、ここで躊躇っていてはどうしようもない。

 愛華は覚悟を決め、ゴミ箱に目掛けて小庇から飛び降りた。

 身体を丸くしながら落下していき、彼女は運良く、ゴミ箱の中に落ちた。

 落下の勢いでゴミ袋の山に埋もれ、ひたすら藻掻きながら顔を出す。愛華が落ちてきた衝撃で幾つかの袋が裂け、漏れ出たゴミと悪臭が彼女を包み込む。

 口に入ったゴミをペッペッと吐き出しながら、ゴミ箱から這い出ようとする。

 ようやく身体がゴミ箱から出すことができ、そのまま地面に散乱したゴミ袋の上に転がり落ちる。

 ゴミ箱に手を掛けながらユラユラと立ち上がり、身体に付いたゴミを払い落として、その場を駆け足で離れた。

 一番街の方に向かっていると、ホテルの窓から外の様子を見ていた護衛の男の一人が、「居た!!繁華街の方に向かってる!!」と言いながら、ホテルの中に入っていった。



 * * *



 繁華街に戻ってきた愛華。パーカーのフードを深々と被り、革ジャンのポケットに手を入れながら歩いている。

 落ち着いてから気づいたが、目標の射殺直前の敷島からの一言以降、無線の応答がない。どこかでイヤホンを落としたかと思ったが、ちゃんと耳に掛かっている。マイクも銃もパーカーのポケットに押し込んである。

 人気のない路地裏を見つけ、奥の方に入って行きながら無線を呼びかける。

「こちら第二班、天羽愛華…!応答願います…!」

 何度かそう呼びかけると、敷島から応答が来た。

 《愛華くん、無事か?》

「はい…目標は射殺、ホテルからの脱出も成功…今歌舞伎町に居ます…迎えを__」

 《すまない、迎えには行けない》

「…何故です?」

 《防犯カメラのハックがバレたことでこちらも追われている。どうにかして逃げ切って本部まで戻って来い》

「なっ…!?」

 敷島からの通信が切られ、何度応答を願っても、もう誰も返事をしてこなかった。

「う…うそでしょ…?」

 敵の男達はそろそろ近くに居る頃だろう。ここに居続けてはマズい。

 とにかく愛華は足を進めた。どこかで変装のための服を買い、(アシ)を調達しなければ…。

 来た方とは反対側の繁華街に出て、自然な動作で周りを見ながら、敵が居ないか、服屋は無いかと探し回る。

 すると、一台のシルバーのトヨタ・ヴォクシー R70型が、愛華の横を通り過ぎた。その際、助手席に座っていた男が目に入った。ホテルで飛び蹴りを喰らわせたあの男だ。彼の視線も愛華に向いていた様に見える。

 急いで服を変えなければ…。歩幅を進めて辺りを見回すと、店の入り口にも商品の服を並べている古着屋を見つけた。しかし閉店間近の様で、愛華は急いで中に入った。

 閉店の支度をしていた店員が彼女を呼び止め「すみません、今日はもう__」閉店という言葉が出る前に、「お願いします…!すぐに終わらせるので…!」と愛華に言われて、彼女はすぐに店の中で品を探し始める。

 ベージュのコートと黒いキャップを持ってすぐに会計に行き、ジーパンのポケットに入れてあった財布から一万円を取り出してトレーに置き、「お釣りは要りません!」と言いながら、コートを羽織りキャップを被った。

 店員は唖然としながら、彼女の後姿を見送った。


 次は車だ…。そう思いながら、歌舞伎町を抜けて歩いていると、薄暗い路地から、「__やっ、やだ!離して!」という、若い女性の声が小さく聞こえてきた。周りに居る人達は気づいていないのか、気のせいだと思ってスルーしているのか、誰もその路地に近づこうとしなかった。

 愛華はひっそりとその路地に入っていく。進むにつれて聞こえてくる声が大きくなっていく。

「静かにしろ!!」

「やだぁっ…!誰か、助けてぇ…!」

 荒々しい低い声音の男の声と、先程の若い声の女の子が、路地の開けた場所に居り、車も一台停めてあった。

 車は車高が低く、ホイールも大口径のクロム製の、黒塗りのスバル・レガシィB4 BE型だ。ボンネットの形状とデザインからしてターボモデルだろう。その車に寄りかかりながら二人の様子を見ている、チンピラの様な風貌をした男が居る。

 男は女の子に組み付いて服を脱がそうとしていた。女の子は女子高生だろうか。こんな夜中にこの辺りを歩いていた所を捕まえられたのだろう。

 男は女の子の服の胸部を引き千切り、ブラジャーに掴みかかった。

 愛華は近くにあった金属製のポリバケツの蓋を持って、二人に歩み寄る。車によし寄りかかっていた男が愛華に気づき、「何だお前__」と言いかけたその時、愛華は女の子に掴みかかっている男の後頭部に思い切り蓋を叩きつけた。

 男は突然襲い掛かった後頭部の痛みで苦しみ、女の子を手放し頭を抱えて倒れ込んだ。解放された女の子はすぐに起き上がり、誰かは知らないけれど助けてくれた、この女性の陰に隠れた。

 車に寄りかかっていた男は額に青筋を浮かべながら二人に歩み寄ってくる。

「おいお嬢さん、な~に邪魔してくれちゃってるワケ?」

 そう言いながら、ポケットから刃物を取り出した。サバイバルナイフだ。

 男は愛華に向かってナイフを振り上げ、二人に向かって駆けだす。女の子は目を瞑って蹲る。

 愛華は駆け寄ってきた男が振り下ろしてきた腕を即座に掴み、力強く握って、頭を抱えている男の方に向かって叩きつけた。

 叩きつけられた衝撃でナイフを落とし、愛華はそれを拾い上げた。

 チラリと後ろを見て女の子に「逃げて、警察呼んで」とだけ伝えると、女の子は涙目になりながら、その場から急いで離れていった。

 女の子の姿が見えなくなると、愛華はナイフを、チンピラ風の男の太ももに刃を向けて投げつけた。刃が彼の太ももに深々と刺さる。

 激しい痛みが走り悲鳴を上げる男を他所に、先程後頭部を殴られた男が起き上がって「このクソアマぁっ!!」と叫びながら拳を振ってくる。その拳を愛華は左手で受け流し、右手を固く握りしめて彼の顔面に思い切りめり込ませた。男は吹き飛び、レガシィの側面に叩きつけられた。

 愛華はチンピラ風の男の前にしゃがんで、胸倉を掴んで顔を見合わせた。

「そこの車の鍵、持ってる?」

「あっ…あぁっ…!こ、殺さないでくれ…!!」

「殺さないから、鍵寄越しなさい」

 愛華がそう言うと、男は激しく震える手でポケットからレガシィの鍵を取り出し、愛華はそれを強引に奪い取って立ち上がり、レガシィに歩み寄る。

 叩きつけれらた男を車から引き剝がし、愛華はレガシィに乗り込み、エンジンを掛けて勢いよくアクセルを踏み込んで発進させた。

 痛みで動けない男達の元に、ほどなくして、女の子の通報を受けて駆けつけてきた警察官達がやってきた。先程の歌舞伎町でのホテルの一件でこの辺りに警官が集まっているのだろう。



 * * *



 チンピラ達から奪い取ったレガシィを運転しながら、愛華は横浜方面へと向かっていた。

 あとはこのまま逃げ切って、無事に本部に辿り着ければいいのだが、そんなに都合よく事が運ぶと思えない。

 東京の街を走っていくと、どこも混んでいて中々進むことができない。

 信号待ちをしている最中に無線の応答を試すが、やはり誰も出ない。

 信号が変わって前に向き直り、レガシィを発進させた。

 街を抜け、海沿いの道路を走る。交通量も少なく、敵の車が現れればすぐに気づくことができるだろう。

 真っ黒い海に鮮やかな三日月が反射している様子を横に、愛華はレガシィのアクセルを踏み込み続ける。


 すると、反対車線から一台の車がやってきた。黒いトヨタ・クラウン…ホテルに向かったあの個体だ。

 運転手が見え、こちらを見た。声は聞こえないが、口元の動きから「居たぞ!」と言っている様に見えた。

 すれ違った後、案の定そのクラウンはUターンして、レガシィの後ろから迫ってくる。

 愛華はパーカーのポケットから、サイレンサーが付いたままのP320を取り出し、セーフティーを解除してスライドを軽く動かし、銃身に弾が入っていることを確認する。それを終えると左手に銃を持ち、右手でハンドルを握る。

 クラウンはレガシィの真後ろに着き、そのままリアバンパーを突いてきた。強い衝撃が愛華に伝わってくる。

 レガシィのアクセルを踏み込むと、ターボエンジンが唸りを上げて猛加速する。

 だがクラウンも負けじと加速し、レガシィの運転席側で並走する。ボディをぶつけ合い、激しい火花が散る。

 少し先の交差点には、先程街で見かけたあのシルバーのヴォクシーも到着していた。二台が通りすぎると後を追ってきて、レガシィの助手席側に着いて体当たりをしてくる。

 レガシィのドアミラーが左右共に破損して落下し、ドアのガラスに亀裂が生じ始める。

 愛華は運転席の窓を肘で破り、銃を右手に持ち替えて、クラウンの助手席の男に向けて発砲する。弾丸はクラウンの窓を貫通して男の左肩に着弾する。

 クラウンが少しレガシィから離れ、体当たりの助走をつけると踏んだ愛華は、フットブレーキを思い切り踏み込んだ。一気に減速して二台の後ろに着く。クラウンはレガシィへの体当たりに失敗して味方のヴォクシーに激しく衝突した。

 ヴォクシーのリアゲートが開かれ、AK-47の中国製コピー品を持った男が一人姿を現し、レガシィに向けて発砲した。弾が当たらない様に蛇行するが、幾つもの弾丸がレガシィのボンネットやバンパーに着弾する。

 愛華はレガシィをヴォクシーの真後ろに着かせ、銃弾を真正面から受けながらも一気にアクセルを踏み込む。

 AKを撃っていた男が驚いて、後部座席に移ろうとするが、レガシィがリアバンパーを勢いよく突き、衝撃で男が浮き上がって転がり、ヴォクシーから落下してレガシィのボンネットに滑り込んだ。彼は懐からリボルバーを取り出す、が、愛華はレガシィのハンドルを勢いよく左右に振り、男は耐えることができずそのままコンクリートの地面に転げ落ちた。

 レガシィは再び加速する。ヴォクシーの右のリアフェンダーに近づくと、愛華はハンドルを思い切って左に切る。スピードがかなり出てる上に、軽量で全高の高いヴォクシーはあっという間にスピンして横向きになり、レガシィに側面を突かれ、愛華はアクセルを踏み込む。ヴォクシーのタイヤ四輪全てから濃い白煙が巻き上がり、焼けたゴムの臭いが香ってくる。

 交差点が近づき、二台は歩道の方に向かっていく。突然愛華はレガシィのブレーキを踏み込んだ。押し出される勢いを残したままヴォクシーは真横に滑っていき、そのまま歩道の段差と接触して、信号機を薙ぎ倒しながら宙を舞い、盛大に回転して地面に叩きつけられる。全てのガラスとランプが割れ、破片の雨の中をレガシィは突っ切った。

 大破したヴォクシーはガードレールと接触して停止し、生き残った血まみれの男達が車内から這い出た。

 残るはクラウンのみ。

 だが、クラウンの後に着きながら走っていくと、道の奥で赤い光が幾つも見え、回転している様に見える。あれはパトカーだ。

 交差点を封鎖して検問をしていた。ホテルでの一件のために設置されたのだろう。

 クラウンは減速しようとするが、レガシィはクラウンの真横に着く。そのままアクセルを踏み込んでクラウンを押し出す。

 検問所の警察官が二台に気づき、状況から見ておかしいと判断し、「おい!!パトカーで塞げ!!急げ!!」と他の警官達に要請する。

 二台のパトカーが更に道を塞ぐ。

 だが愛華はアクセルを緩めることなく、クラウンを押し出しながら突き進む。

 そのままクラウンを先頭にして検問所を突破し、道を塞ぐ二台のパトカーも弾き飛ばした。クラウンのフロントは盛大に大破し、パトカーもサスペンションが折れてタイヤがあらぬ方向に曲がって、もう走れない。

 クラウンの車内ではエアバッグが作動して、運転手は前が見えず、突っ込まれた衝撃で頭を強く打ったのか意識が朦朧としている。

 検問所を通りすぎると、レガシィはクラウンの横に移る。

 前が見えないクラウンの運転手は、前方で右折待ちで止まっている車に気づかず、そのまま突っ込んで乗り上げ、横転してルーフを地面に付けながら、火花を散らして滑っていく。

 愛華はアクセルを緩めることなく、そのまま横浜へと向かって行った。

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