Ep.2後半
次は更に数階下にある、道場の様な部屋だ。三つほど同じ様な部屋があり、三人は真ん中の部屋に入る。
木の床に足を踏み入れ、暮葉はまた壁に沿って腕を組みながら立つ。
敷島はスーツのネクタイを緩め、ワイシャツの一番上のボタンを外すだけだ。
「ここでご指導してくださるのに、着替えたりはしないんですね…」
「我々が現場でやる戦闘というモノはな、動きにくい服の時でも全裸の時でも始まってしまうものだ」
敷島はそう答えながら、愛華と共に部屋の中央に移る。
お互い向かい合って、愛華は深呼吸をして、敷島に言う。
「…お願いします」
「よし…
まずは愛華くん、君の身体能力を見させてくれ。
私に殴ってこい」
そう言われた愛華は、右の拳を握りしめ、両足をしっかりと踏み込んで、身体をくねらせて思い切り拳を振る。
しかし敷島はサッと交わし、愛華は左の拳も振る。だが今度は右手で受け止められた上左手を掴まれ、勢いよく引っ張られる。
「わぁっ!?」
驚く愛華を容赦なく床に叩きつけた。背中から一瞬息が詰まる程強い衝撃が走る。
「かはっ…!!」
起き上がろうとする愛華に敷島は追い打ちを掛ける様に蹴りを入れて彼女を弾き飛ばした。
「遅い!!何もかもが…そんなんじゃ殺される前に遊ばれる余裕もある。君は美人だし、スタイルもそれなりに良いしな?」
そう言いながら愛華の両肩に掴みかかり、無理矢理立ち上がらせ、横に倒す様に叩きつけた。
愛華は先程銃を撃った慣れない反動によって生じた痛みがジワジワと再発し、非常に苦しそうだ。
フラフラと立ち上がり、再び敷島に立ち向かう。
両腕と背中の痛みに耐えながら、彼に向けて走り出し、固く握りしめた右の拳を振る…が、敷島はまた颯爽と避けて彼女に足を引っかけ、倒れそうになった彼女を左腕一本で抱え、そうと思えば思い切り持ち上げ、目の前に叩きつけた。
どうにかしてすぐに立ち上がろうとする彼女の腹を容赦なく踏みつける。もはや基礎的な訓練ではない、完全にリンチだ。
「うぐっ…ぁっ…!!」
「顔を傷めつけないだけマシだと思え…
本物の敵は、女でも子供でも、容赦なく襲い掛かってくる!」そう言いながら彼は踏みつける足に更に力を込める。
愛華は彼の足を掴んで持ち上げようとするがビクともしない。
やがて足がどかれ、愛華は体の節々から感じる痛みに苦しみながら立ち上がる。
だがそれもつかの間。敷島は愛華の腹に向けて重い回し蹴りを喰らわせた。
弾き飛ばされた愛華は壁に叩きつけられ、苦しみ藻掻く声を上げながらその場で蹲った。
敷島は深いため息を吐きながら、彼女を冷酷な眼差しで見つめた。
「…こんなんじゃいつまで経っても成長できないな」
そう吐き捨てて、ワイシャツのボタンをまた閉じてネクタイを締め直し、部屋を出ていった。その後ろを暮葉が付いていく。
愛華は部屋に一人残され、ひたすら強い痛みに苦しんだ。
自身の部屋に戻ろうとする敷島に、暮葉は後ろから声を掛けた。
「ちょっとやりすぎじゃないですか?成長させる気あります?」
そう聞くと、敷島は立ち止まって、彼女に振り向いて答えた。
「…成長させる気なんてない」
「…では何故訓練を受けさせるんです?」
「最初からこの世界の過酷さを叩きつけておけば、すぐにこの世界に進むことを諦めるだろう」
「…だとしても、派手すぎません?」
「あれで良いんだ…こんな世界に居て良い人間じゃないんだから…」
そう言って、敷島はまた足を進めた。
* * *
愛華は一人、修作の部屋に壁を伝いながら向かい、シャワー室で汗や汚れなどを流してから、薄手の普段着を着てベッドに横になった。
非常に疲れた上に、まだかなりあちこちが痛む。
正直、敷島の考えは読めている。彼は”最初から強く当たって、私にここから逃げてもらい”のだろう…。
だが、そんな程度で折れる程、彼女は甘くなかった。
少しの疲れを落としてからベッドを降り、床で腕立てや腹筋などの筋トレを始める。普段から筋トレはしないためそんなに長くは続かないが、やる気は十分以上に残っている。
絶対に挫けない…!修作はもっと辛いことを受けてきただろう…そんなことに比べれば、自分が受けた今日の仕打ちは、大した程度じゃない…!
諦めるワケにはいかない…!
お昼時。
修作の部屋に置かれている白い固定電話が鳴り、軽いストレッチをしていた愛華は中断して電話に出た。敷島からだ。
《…先程伝え忘れていたが、十一時から食堂が開く。昼食を取りなさい》と言ってきた。
電話を切ろうとしたその時、
「敷島さん」
《…何だ?》
「午後もご指導していただけますか?」
《…君は、ハッキリいって才能が無い。指導しても無駄__》
「してもらえるのかしないのかだけ教えてください」と愛華は突き放す様に言った。
《……君がしたいのならしよう。十四時に射撃場に来い》そう言って敷島は電話を切った。
愛華は汗を香りのするウェットティッシュで拭いてから、外に出ても良さげな服を着てから食堂に向かった。食堂は敷島の部屋より上の階にある。
見た目はごく普通の社員食堂の様だ。ただ少し遅めに来たためか、そこまで人は居ない。
ここは食券制で、金は取られないようだ。給料天引きなのだろうか?
愛華は日替わり定食を発券して食堂の人に渡すと、すぐに用意されてトレーごと受け取る。
まだ誰も座っていない席に着いて、中央に置いてある割り箸を手に取って綺麗に割り、手を合わせて「いただきます…」と言って食べ始めた。今日の日替わり定食は焼鮭と漬物がメインのものだ。
少し食べ進めていると、「隣、良いですか?」と、最近聞いたことのある声が聞こえてきた。声のした方を向くと、そこにはカレーを持っている真悟が立っていた。
「あぁ…どうぞ」というと、「では、失礼します」と真悟は愛華と向かいの席に座った。
彼はどことなく嬉しそうだ。
「僕、”真部真悟”っていいます!ここに来てまだ一年ちょっとのド新人ですけど、よろしくお願いします!」
「え、えぇ…」今日来たばかりの愛華よりも長いのだから、君の方がここでは先輩だろうと思った。
「修作さんには、よくお世話になってました…」
それを聞くと、愛華は箸を止めて真悟に目線を移した。
「修作さん、よくアナタのことを話してました…とても楽しそうに」そう言いながらスプーンでカレーをよそう。
「昔からあの人のことを知ってる人達は、皆あの人を”暗い奴”って敬遠してたみたいですけど、アナタと出会ってから柔らかくなっていって、笑顔も増えて、親しみやすくなったって…」
「…そう」
「…敷島さんの指導、キツかったでしょう?」
「はい…まぁ…」
「でもあの人、根は良い人ですから…」
「それは分かってます。きっとキツく当たってた理由も…」
「…修作さんと同じですね。勘が良い…」そう言いながら彼はカレーを福神漬けを混ぜながら食べ始めた。
食べ終わって一旦部屋に戻ろうとした時、道中でとある部屋を見つけた。ガレージの様だ。
ガラス張りの壁の向こうで、何台かの車が置かれており、その一台に目が留まった。
部屋に入り、その車に歩み寄る。妖しい程美しい黒いボディに、磨き抜かれたメッキのドアミラーが付いている、全体的に角ばった古めかしいデザインだ。
車に興味の浅い愛華だが、妙にその車に惹かれる様な気がした。
ドアノブを引くと、鍵は開いており、ドアを開けた。
その車の車内から、どこか懐かしい香りがする…この香りは、よく修作から漂っていたモノだ。
運転席に座り、ドアを閉め、静かに車内を見回す。香りの件もあって、そこはかとない安心を感じる。
すると…
「日産・グロリア Y31型。95年式のクラシックSVをベースに、スクラップ予定だったスカイラインGT-RのRB26DETTエンジンと、6速のレース向けのマニュアルトランスミッションに換装」と敷島が語り始めた。
敷島と暮葉がいつの間にかガレージに入り、愛華の座る車の隣に立っていた。
「サスもマフラーも高性能な物に替え、ここにある同クラスの物より優れた防弾ボディと防弾ガラス、車体やドアやフェンダーの中には超強化フレーム…」
敷島は助手席側に周り、ドアを開け、助手席側のダッシュボードを開ける。ここは普通に車検証などが入っているのだが…。
「ダッシュボードは二段階になっていて__」一度ダッシュボードを閉めると、取っ手の中の先に小さな突起があるそれを押して手前に引くと、取っ手が伸ばされ、それを回転させると、もう一つのダッシュボードが開かれる。
そこには、予備の拳銃や携帯電話が隠されていた。
「ここに銃や携帯が隠されている」そう言ってもう一つのダッシュボードも閉めた。
「後部座席の下も、一見なんとも無い様に見えるが、ダッシュボード同様違う方法で、隠した引き出しがあってそこにはライフルが隠されている」
彼は助手席に座り、運転席と助手席のシートの間にある木目パネルのとあるボタンを押すと、ラジオのある部分が回転し、銀色のトグルスイッチや赤い押しボタン、樹脂コーティングされた360度回転できるスティックなどがはめ込まれたパネルが出現する。敷島はそれを一個ずつ指差しをしながら説明する。
「このスイッチを入れると、ナンバープレートが回転して違う物に替えることができる。
他にも、ここを押すと、フェンダー内やトランクに隠された5.56mmの機銃が姿を現し、このスティックで向きを変え、赤いボタンで発射する。
ちなみに、ここに入っているリモコンでも同様の操作ができる」と言いながら、グローブボックスを開けた。パネルと同色、似たスイッチなどが付いているリモコンを取り出した。
「なんか…ボンドカーみたいですね」
「スパイだからな」
そう言いながら敷島は降車し、愛華も降りる。
「これは、修作が仕事で愛用していた車だ…」
そんな気がしていた。それを聞いて納得できて安心する。
「まぁ、君には当分縁は無いがな。
訓練を終え、正式なメンバーになったら、この車も、彼の1911も、明け渡す…」
「…分かりました」
敷島は「それじゃ、十四時に射撃場で」と言い残して、暮葉と共にガレージを後にした。
愛華は残って、グロリアのボディを、痕が残らないようにそっと手を添えた。この車で、修作はどれほど大変な仕事をしてきたのだろうか…そう考えると、この車から離れる気が起きなかったが、次の訓練に備えるため、車から離れて自室に向かった。
* * *
それから一週間…。
愛華は敷島の指導の下、PM-9での人並レベルになるための訓練を続けた。
拳銃の基本的な使い方を覚え、武道では最低限の防御方法などを教わり、地下駐車場の空いた階をジムカーナ場に見立ててドライビングのレッスンを受ける。
どれも敷島は愛華に対して厳しく当たってくる。
時には無理難題を押し付けてくることもあった。まだまともに車を制御できる腕前ではないのに、壁スレスレにドリフトしてみろとか、片手で銃口の大きい拳銃を撃たせようとしてきたり…。
愛華は心身共にボロボロになっている。敷島はそう感じていた。
道場での訓練中、飛び掛かってきた愛華の胸倉を掴んで、思い切り床に叩きつけた。
「うぅ…」
辛そうな声を上げる愛華を見下しながら、敷島は言った。
「一週間経ってもこの程度じゃ、もう無理だな。前線に出たら真っ先に死ぬ。
やはり君は、この世界にふさわしくない…」
そう言いながらネクタイを締め、愛華を背にして、暮葉の方に向かって歩いていこうとする。
だが、愛華は立ち上がった。荒い息を切らしながら、溢れる汗を腕で拭き取り、敷島の方を見る。
「まだ…!まだ、いけます…!!」
叫ぶ様に声を上げる愛華。敷島は足を止め、ゆっくりと愛華の方に振り向いた。
その表情は、どこか悲しい目をしていた。
「まだやれます…!!ご指導お願いします…!!」
愛華の真剣な眼差しをいつまでも向けられると、敷島はうなだれて、ゆっくりとその場に崩れ落ち、愛華に向かって跪く様に蹲った。
「敷島さん…!?大丈夫ですか!?」
愛華はそう言って彼の元に駆け寄る。暮葉も歩み寄ってくるが、どこか落ち着いていた。
「何で…」と、蹲った彼から声がする。
「…敷島さん?」
「何でお前ら夫婦は…そんなに諦めが悪いんだよ…っ!!
わざわざキツく当たって、追い出そうとしてんのに…っ!!
お前らの身を案じて言ってるのに、どいつもこいつも聞き流して、突っ走りやがって…っ!!」
震える声で叫ぶ敷島の背を、愛華は優しく摩った。
「…愛華さん…すまない…もう修作に会わせる顔が無い…」
「…良いんです。敷島さんが、どうしても私に離れてもらいたいのは、分かってましたから…
お願いします。指導、続けてください…」
敷島はゆっくりと起き上がり、溢れ出る涙を人差し指と親指で拭ってから立ち上がった。
「…一から教え直す。まずは、退屈だろうが銃や車の機構などの説明だ」
「…はい!」愛華はここに来てやっと笑顔を見せた。
傍で見聞きしていた暮葉は「あ~ぁ、折れちゃった」と敷島を憐れむ様に見つめていた。
* * *
それから、いくつもの季節が流れ、二年が経とうとする秋。
愛華の射撃や武術、運転の腕は、PM-9の人並みを超えていた。
地下駐車場と数階のフロアを利用した大掛かりな訓練では、FN・SCAR-Lを巧みに使いながら、ペイント弾を発射して、敵役として動く先輩の兵達の急所を撃ち抜き、街中で停められているという想定で置かれた車を鍵無しでエンジンを掛け、あらゆる技術を駆使してゴール地点へ向かう。
その様子を、各所に設置した監視カメラで敷島と暮葉は見ていた。
「指導し続けた私が言うのもなんだが…
素晴らしいな…”修作を思い出す”…」
「この二年近く、ひたすらここで訓練しましたからね…成長速度も早い…」
すると、敷島のスマホに着信が入った。
「もしもし…あぁ、あの件ですか…
……もしよろしければ、今私の下に居る訓練生を派遣しても、よろしいですか?」