Ep.2前半
更新頻度向上のために前半と後半を分けました。
人気の少ないとある公園の駐車場。小降りの雪が薄っすらとつもり、灰色のコンクリートが白みがかっている。
輝きを失いどこかくすんで見える白のデイズの運転席で、愛華はスマホでどこかに電話をしようとしていた。
助手席には、修作の遺書であろう手紙が入っていた封筒と、彼が隠していた書類やパスポートが入れられているベージュのトートバッグが置かれている。
スマホのボタンを押し、修作が手紙で”困ったことや、このマンションを離れる時は、この人に相談して。”という名目で書かれていた電話番号に掛ける。
耳に当て、発信音を聞きながら待っていると、しばらくしてから相手が電話に出た。
《もしもし…》
聞き覚えのある声だった。
「その声…”敷島さん”、ですね?」
葬式に来ていた、修作の上司だ。電話越しで「フッ」と鼻で笑う声が聞こえた。
《よく気づいたね、愛華さん》
「お久しぶりです…夫の葬儀以来ですね」
《あぁ…
…さて、この番号に繋いだってことは…彼の遺書を見つけたんだね》
「…知ってたんですか?」
《彼は昔から用心深くて、用意周到だった。いつ何があっても良いように、事前に書いておいたんだろう…》
「…そうだったんですね」
《それで、遺書の通りなら、今君は、私に頼まないといけないくらいの危機的状況に陥っている、ということでよろしいかな?》
「そうですね…
”聞きたいこと”が山ほどあります…」
《…聞きたいこと?》
愛華はトートバッグから、修作が隠していたパスポートの一つを取り出す。日本語の物だ。中を開いて、名前を読み上げる。
「”高岡 充希”という方、ご存じですか?」
電話越しの敷島の声がしなくなった。少ししてから、また声が流れ始める。
《…いや、知らないな》
その答えに、愛華は若干の苛立ちが沸き、少し声の力を強めて言った。
「とぼけないでください。夫が隠していたパスポートの一つ、それも写真は夫で間違いない物でした。アナタ、何か知ってるんでしょう?」
スピーカーから、敷島のため息が薄っすらと聞こえてくる。やがて諦めたのか、再び話に戻ってきた。
《…あぁ。彼が使っていた偽名だ。
愛華さん、何故彼が隠していた物を見つけたんです?》
「鍵を見つけて手当たり次第に使ったら箱を見つけて、電子ロックをあっさり解除できたので」
《あのバカ…》と明後日の方に向けて小声で吐いたであろう言葉も愛華の耳に届いた。
《…愛華さん、失礼ですが、それらの物や、持っているなら書類も…全て私が引き取らせてもらう__》
「隠蔽するつもりですか?」
《企業秘密ですから…》
「なら、今すぐ最寄りの新聞社にでも送っておきます。それじゃ…」脅迫まがいの言葉を吐き捨てて電話を切ろうとした。
《あぁ!分かった!分かった!》
敷島の勢いよく焦る声が届き、愛華はスマホをまた耳に当てた。
「はい?」
《…何が望みです?》
「詳しいことを全部話してください。
…夫の死に関わってる、そうでしょう?」
《…今から住所を言う。そこに来てくれ》
「…わかりました」
愛華はデイズのエンジンを掛け、ナビが起動し目的地の検索で、敷島が言う住所を入力した。
入力が終わると電話が切られ、愛華はデイズを発進させた。
* * *
出発して数十分後。
敷島から指定された住所の場所に辿り着いた。
赤いレンガ造りのレトロな雰囲気をしている小さな店だ。入口の上に設置されている明るめの木目調の看板には『軽食&喫茶 ジューンベリー』という店名が彫られている。
隣にある小さな駐車場にデイズを停めて降車し、店に入ろうとする。
しかしドアに掛けられている札は『CLOSED』と書かれているのがぶら下がっている。
「あれ…?ここだよね…?」
疑問に思って辺りを見回していると、ドアの鍵が開かれた。
ドアが小さく開けられ、一人の男性が顔を少し出して愛華を見る。ボサッとした金色の髪、濃く細いサングラスを掛けた、やや顔つきが強面な中年の男性だ。白いワイシャツの上に黒いベストとエプロンを着用している。この店の店員だろうか。
「あ…どうも…」愛華は男に軽く会釈してそう言う。
「…天羽愛華さん?」
「えっ…?は、はい…」
「敷島さんがお待ちです。どうぞ中へ」そう言って男はドアを全開にして、愛華を店内に招き入れた。
「し、失礼します…」
愛華が店内に入ると、男はドアを閉め、再び鍵を掛けた。
店内も、昭和レトロな懐かし気のする落ち着いた見た目をしている。
辺りを見回すと、壁際の奥の席に、二人の男女が横に並んで座っているのが見えた。
黒いスーツを着た敷島と、ベージュのスーツを着ている暮葉だ。
窓側に座っている暮葉は、落ち着いた様子で佇みながらホットのブラックコーヒーを飲んでいるが、隣に座っている敷島は、先程の愛華との通話もあってか、妙に落ち着きがない。コーヒーも飲み干しており、小さく左足で貧乏ゆすりをし、愛華が視界に入るまでチラチラと辺りを見ていた。
愛華がその席に歩み寄ると、敷島は気づいて彼女の方を見る。暮葉もコーヒーカップをテーブルに置いて彼女を見た。
「どうも…敷島さん、夜凪さん」
「こんにちは、愛華さん…どうぞ、座って」敷島はそう言って向かいの席に座るよう促す。
愛華はトートバッグを隣に置いて、二人と向かい合うようにして座った。
先程の男がお冷の入ったコップを持ってきて愛華の前に置いて、そのまま厨房に戻っていった。
敷島は「フーッ」と息を吐きながら軽く身なりを整えてから、愛華と話を始めた。
「それで…まずは、何から話せば良いかな?」
「まず、修作さんのことを話してください。”本当の彼”や、”私と出会う前のこと”を…」
「…彼の本名は”神海駿斗”」
「しんかい…はやと?」
「物心付いた頃から、妹と二人、孤児院で育ち、六歳の頃ある一家に引き取られた。それ以来妹とも長い間離れ離れ、引き取り先とも折り合いが悪く家出して、十六まで街の大悪党のもとで下宿しながら不良をやっていた。
当時私の上司だった男が、彼の才能に目を付け、我々の組織に入団させた」
「組織…?」
「君の様な一般人には、ごく普通の証券会社を装っているが、中身はまるで別物…
我々は、”世界の平穏を保つため秘密裡に活動する、九つの国に拠点を置く諜報機関”…いわば、”スパイ”だ。
正式名は、『特務諜報機関 ピース・メーカー-9』、通称『PM-9』。駿斗…いや、修作と我々はその組織の”日本支部”に所属している」
「スパイ…?PM-9…?」
「急に言われて理解できるモノではないのは重々承知している。住んでる世界が違うし、完全に違法だ。
盗み、脅迫、挙句は殺人…
だが我々は、法で裁けない悪人を処罰するのが目的だ。
修作も、殺してきた連中は皆悪人だ。罪の無い人や一般人を傷つけることは無かった…」
敷島はその話を終えると、コーヒーを飲もうとカップを手に取った。しかし飲み切ったことを忘れていたのか、「あぁ…」といった感じでカップを戻した。
「彼のこと、ついでに我々のことも話した。他に聞きたいことは?」
愛華には一番重要な話が残っている。
「…夫の死を、詳しく教えてください」
「…一年前、とある外国の組織が、日本に拠点を設置するために入国してきた。
我々は連中の滞在を許可しない。拠点を構えられると色々厄介だったからな…
それで、どうにか潰そうと必死になっていた。仮拠点を特定するまでに、多くの同朋が犠牲になった…仮拠点に突撃する時も…
その突撃作戦に、修作も加わっていた。彼女も、私も…」
暮葉は嫌なことを思い出してしまったのか、二人から目線を話して顔を下向きにした。
「仮拠点で連中を抑えるハズだったが、突撃した半分以上の同朋が命を落とし、挙句には、修作は”敵のボス”に首を斬られて死んだ…」
最後の言葉を聞いた時、愛華は目を見開いた。
やっと、修作の死の真相が判明した…。
「…その組織は、今どうなってるんです?」
「残念ながら、これ以上のことに関しては話せない」
「…何故です?ここまで話して__」
「ここから先は重要案件だ。本来ならここまで話したことも、部外者への口外は認められない。
ましてや愛華さん、私は修作から頼まれごとをしている…”自分が消えたら、愛華を守ってほしい”と…」
「っ……!」
「だから愛華さん…最低限のことは話したし彼の死の真相も明かした…これ以上関わるんじゃない。
彼の最後の望みは、君が我々の世界に干渉することなく、新しい幸せな人生を送ってもらうことだ…
その願いを、無碍にさせないでくれ…」
…愛華は黙り込んだ。それも当然だろう。ここまで聞いてきた、修作と彼の所属する組織の本来の姿を耳にした。到底現実の話とは思えない。
暮葉がまたカップを手にしてコーヒーを飲もうとした時、愛華は再び口を開いた。
「敷島さん…」
「…なんです?」
「……私を、アナタの組織に入れてもらえますか?」
その一言を聞いた二人は驚愕した。
暮葉は口に含んでいたコーヒーを吹き出し、勢いよくカップを置いて、愛華に向かって飛び掛かるようにして言った。
「ちょっ…アナタ何言ってるの!?今までの話聞いて__」
焦りで大きくなる声を上げる暮葉の前に、敷島の手が阻んだ。そうすると、暮葉は一旦冷静になり席に戻る。
「…愛華さん、自分が何を言ってるのか分かってるか?」
「えぇ…分かってます…
夫も、周りの人も、悪いことをしながら悪い人達を倒す…それでも、世界を救うために、ずっと頑張ってきたんでしょう…?
私なんかが入っても、役に立たないかもしれない…
でも…このまま何もしないで、アナタ達の世界から目を逸らしながら生きていくなんて嫌です…!
彼の死の、本当の真実を知りたい…!!
それに、夫がやり残したことや、彼の意志を継ぎたい…!!
まだその時の敵が残ってるなら、夫の死を償わせてから、全てを忘れて生きていきたい…!!」
愛華の熱意に押され、敷島は言葉を飲みつつ、右肘をテーブルに置いて、右手で額を抑えて考え込んだ。
「君等夫婦はなんで…」
そうブツブツと何か呟くのが聞こえるが、最後までハッキリとは聞き取れなかった。
敷島は顔を上げ、愛華にまた面と向かって言った。
「本当に、組織に入りたいか?」
「はい…!」
「犯罪に手を出す、ましてや殺人までしたら…世界を見る目が変わる。”君と出会う前の修作”の様に…」
「それでも、私はやりたいです…!」
二人共目を見つめ合う。激情に満ちた愛華の眼を見つめていると、敷島は心の中で何かが折れたのか、どこか辛そうな顔つきをして、身体の力を抜いて、席の背もたれによし掛かった。
「…仕方ない。認めよう」
それを聞いた暮葉は青ざめて驚いた。
「正気ですか…!?こんな素人を、こんな感情任せな人間を__」
「これからみっちり指導していく。二年後には”我々の基準での人並み”くらいには鍛え上げられるだろう」
「しかしっ…!」
敷島は暮葉の言葉を遮って、愛華に向かってまた口を開いた。
「愛華さん、これから暫く、私の下で訓練を受けてもらう。準備ができたら、また電話しなさい」
「なら今すぐに」そう言って愛華は席を動かず、彼を見つめたままだ。
敷島は電話越しでもしていた「フッ」という鼻で笑う声を上げてから、店員の男を呼び出した。
「ジンジャーエール二つ、シャンパングラスで。頼むよ」その注文を受けた店員はまた厨房に戻っていった。
「あの…私の分は?」と暮葉がこれまでのことを含めて不満げな態度で敷島に聞く。
「君はコーヒーを飲んでる最中だろう?」と返すと、暮葉は若干頬を膨らませながら席に向き直った。
少し経つと、店員がシャンパングラスに注がれた二人分のジンジャーエールを運んできて、敷島と愛華の前に置いた。
「車で来てるだろうから、シャンパンの代わりだ」
そう言って敷島はグラスを持つ。それに続いて愛華もグラスを持ち、暮葉も嫌々コーヒーカップを手に持った。
「偉大なる優秀な男が愛した、”天使”の入団を祝して。乾杯」
敷島がそう言うと、三人はグラスやカップを「コツンッ」と当ててから、中の飲み物をそれぞれ飲み干した。
次の日の朝。
愛華は敷島達と別れた後、部屋に戻って支度をした。恐らく、当分ここには戻って来ないから…。
最低限の服や貴重品を詰めた紺色のボストンバッグ一つを担いで、玄関に向かう前に、修作との思い出の詰まった部屋を見回す。
どこか一つを見ただけで、彼と過ごした記憶がフラッシュバックする。
「…いってきます」
誰も居ない部屋にそう言って、部屋を出て鍵を掛けた。
鍵を管理人に預けて、地下駐車場に行きバッグをデイズのトランクに入れて、運転席に座ってデイズを発進させた。
* * *
一時間と少し経った頃。
愛華は昨日帰る時に敷島から指定された建物に着いた。高層ビル群の中に立つ一本のビル。灰色の壁が立ちはだかり、どのビルよりも重々しい雰囲気を醸し出している。高さは周りにあるビルより少し高めで、奥行きもある。
実はこの建物、前にも一度来たことがある。結婚前、修作が忘れ物をして彼女が届けに来た時入ったこともあった。
ビルの駐車場は、ここもマンションと同じく地下にあるのだが、その広さはマンションのモノよりも何倍にも広く、階数もある。
かなり下の方の階にデイズを停めて、荷物を持ってメインの建物に入る。
最寄りの入り口から入ると、すぐに黒服のガードマンが二人ほどやってきた。その二人も見覚えがある。
彼らはひっそりと「本当に来た…」「大丈夫かよ…」と小声で話している。
二人は愛華に歩み寄り、「ようこそ。お久しぶりです、天羽愛華さん」と言ってきた。
「敷島さんに呼ばれてきました…」
「お話は伺っております。どうぞこちらへ」
男の一人がそう言って先に進んでいき、愛華はそれに続いて歩く。
外の見えないエレベーターに入り、何十階も先にある上階へと向かっていく。
目的の階数に着くと、男達が先導して通路を進む。
通路はとても近未来的なデザインをしている。ガラス張りの壁の向こうで、何人かの職員が作業をしている。ただ、予想していた程人数は多くない。
「…思ってたより、人少ないですね」と愛華がボソッと言うと、
「一年前の件で、かなりの人員が命を落としてしまったので…」と答える。
要らないことを言ってしまった…彼らもきっと、親しい仲間を失ったであろうに…。
しばらく二人の先導で進んでいくと、近未来的な通路と共に設置されていてもさほど違和感を感じないような、濃い木目のドアの前に着き、男の一人がノックをして「入れ」と中から敷島の声が聞こえると、ドアを開け愛華を招き入れた。
愛華が部屋に入ると、男達はドアを閉めてその場を去った。
部屋はここまで見てきた近未来的な見た目とは裏腹に、古風でシンプルな見た目をしていた。棚に置かれている本や飾りなどは綺麗に整理されている。
横浜全体を見下ろせる程大きく厚い、ハメごろしのガラス窓にはライトグリーンのブラインドが下ろされており、紺のネクタイを締めた白いワイシャツを着、グレーのスラックスを履いている敷島がそれを背に立っていた。
その隣には、昨日と似た様な恰好の暮葉が静かに佇んでいる。
「ようこそ、愛華さん」敷島が、ほんの僅かな微笑みを向けてそう言った。
愛華は真剣な眼差しで敷島を見つめる。ここに来るまでに、覚悟は完全に済ませてきた様だ。
「…早速だが、この施設の案内をしよう。荷物も置いて、着替えてもらう。
暮葉も来い」
「え?あ、はい」暮葉は同行するつもりが無かったのか急な呼び出しで軽く驚いてから、すぐに冷静を取り戻して敷島を追う。
部屋を出て敷島の後を付いていき、一つ下の階に階段で降り、ある一室の前に辿り着く。銀色のドアノブが付いているだけで模様も何もない真っ白なドアの前に立ってドアを開け、愛華を先に入れて部屋に入る。
中はシンプルな白い部屋で、やや広めだ。部屋の右側には、ベッドやドレッサー、本棚やデスクトップパソコンに換装機能付き洗濯機など、あらゆる家具や家電は一通り揃えられている上、シャワールームとトイレも設置されている。
ただ、ここが寝室なのかとは思えない。
部屋の左側には、車が二台、黒く長い三段ほどの木製のタンスの上に、黒いフレームに大きなガラス張りのショーケースが置かれている。手前にある車はごく普通のハッチバック、もう一台は新しめなスポーツカーだ。
敷島は愛華の前に出て、この部屋の紹介をする。
「ここは、”かつて修作の部屋だった場所”だ。あの車も、ケースの中身も」
「修作さんの…?」
「訓練を受けてる間は、この部屋で寝泊まりしなさい。
まずは荷物を置き、シャワー室でドレッサーに入ってる服に着替えたまえ。あぁ後、髪も束ねておいた方が良い」
そう言われて、とりあえずベッドの上にバッグを置き、横にある明るい木目のドレッサーを開いた。中には新品のトレーニング向けの白いシャツと黒いスパッツ、白いスポーツシューズなどが入っており、それらを持ってシャワールームに入って着替える。
着替えが終わると、再び敷島の隣につく。
「では、詳しく話していこう」
そう言って敷島は、手前にあるハッチバックの前に歩み寄って足を止めた。
ホワイトパールの日産・ティーダだ。
「この車は、修作が仕事でも使っていた。「地味な車だが、街中でも田舎でも馴染むことが出来る優れたデザインだ、乗り心地も良い」、と言っていたよ」
それを聞きながら愛華は車を見回す。一見、本当にごく普通の車だが、車内をのぞき込むと、シンプルな黒い内装に濃い木目のインパネをしていて、程良い大人な渋さを感じさせる。だがそれとは裏腹に、渋さとはあまりマッチしない様に見える革張りのシフトノブが目に入る。6速のマニュアルトランスミッション車の様だ。まぁ、車に疎い愛華が見てもそんなに変には思わないが…。
「次にこれだ。アイツのお気に入りの一つ」
敷島はそう言って、次の車の前に移動する。愛華が隣に立つとまた話を再開する。
レクサス・LFAだ。こちらもホワイトパールのボディカラーをしているが、隣にあるティーダよりも、ボディに磨きがかかっている。
「4.8LのV10エンジンを搭載したスーパーカーだ。しかもこれは、更にパワーアップされた”ニュルブルクリンクパッケージ”。
この車のエンジンサウンドは素晴らしく、『天使の咆哮』と称された。
最高の車だ…」
そう話す敷島はどこか楽しそうだったが、車に疎い愛華にはその言葉に詰まった想いは届きそうになかった。
「これが、修作さんのお気に入り…?」
「アイツは”天使”という存在に妙に固執していた…理由は、よく分かってないがね」
そう話しながら、今度はタンスとショーケースの前に立つ。
上にあるケースの中には、高級な時計や拳銃が置かれている。
「これも彼の趣味ですか?」
「あぁ…ロレックス・デイトナのブラックダイヤルに、タグホイヤー・カレラ クロノグラフ、ブルガリ・ディアゴノ クロノグラフ…特にこのブルガリのは良いぞ。「ヒート」でアル・パチーノも付けていた」
敷島はショーケースの中に飾られているディアゴノを指さしながら笑顔で紹介する。愛華は時計に興味がなく「はぁ…」という声しか出なかった。
「ここの銃も凄いぞぉ?
S&W・M29。44マグナムを撃てる。ダーティー・ハリーも使ってた。それに、一時期は世界最強の拳銃として名高かったS&W・M500に、彼がカスタムしたFN・ブローニングハイパワー…」
「…ここにあるのがどれくらいの価値があるのか、よく分かりませんけど…
修作さんはお金持ちだったんですね」
「我々みたいなリスクの大きい仕事なら、報酬も多い。ただストレスも多いから、良い物を買って、使ったり眺めたり…」
すると、「敷島さん、そろそろ終わりにしません?」と暮葉が冷ややかな目で彼を見ながら言った。自分が付けている腕時計を見せて針を指さす。修作のコレクションについて長々と話しすぎてしまったようだ。
「おっと、もうそんな時間か…
最後に言っておくと、彼はここのコレクションを大事にしていた。
だが…君と出会ってからは、君を優先にしてたけどね。だからコレクションの管理と手入れはほぼ私が代わりに引き受けていた」
それを聞いた愛華は、どこか嬉しそうに口元が緩んだ。こんなに高級で、マニアも涎が垂れる様なコレクションより、自分を優先していたと言われれば、それもそうかもしれない。
「さぁ、次に行こう」と敷島が促して、部屋を出ようとする。
そういえば、まだタンスの中を見ていない…が、まぁまた後で見に行こうと思って、そのまま敷島の後に付いていった。
* * *
更に数階下にある、大きな部屋に案内された。
そこは射撃場だった。既に何人かの者が射撃の練習をしていた。
愛華がやってくると、それに気づいて何人かは驚いた顔をする。まだ全員には愛華のことが伝わってないのだろう。
「修作の嫁さんじゃん…」「どうしてここに…?」と話す声が聞こえてくる。
奥の方のレーンに着くと、誰かがイヤーマフを装着しながら待っていた。愛華と同年代であろう、短い黒髪をした若い男性で、どことなく童顔で少年の様な顔つきをしている。
「”真悟”、”アイツの銃”と、”オススメの品”を持ってこい」と男に言うと、彼は「分かりました!」と元気よく返事して、裏の物置に行く。
敷島はレーンごとの壁に掛けられている黒いイヤーマフを愛華に手渡し装着させる。
暮葉もイヤーマフを付けつつ、二人から距離を置いて壁を背に寄りかかりながら腕を組んで見守る。
少し経つと、真悟よ飛ばれた男が幾つかの銃や、それぞれに対応する弾丸と弾倉を金属のトレーに置きながら運んできた。それを敷島が受け取り、レーンの台に置く。
真悟は暮葉と同じく壁に沿って立ち二人を見る。
「いきなり銃ですか…」
愛華が不安げな表情でそう聞く。
「あれこれ小難しい説明をするより、実際に触ってみた方が手っ取り早い。
さぁ、これを…」
そう言って敷島は、トレーに置かれたある一丁の拳銃を、スライド部分を握って取り上げ、愛華に持ち出側を向けながら手渡した。
古風でシンプルな拳銃だ。青味がかった黒い銃で、持ち手のパネルはこげ茶色。かなり使い込まれているのか、小傷があちこちに存在している。
「”アイツ”の…”修作の愛用していた銃だ”…」
それを聞いて、愛華は手渡された銃を見つめた。
「これが…?」
「”スプリングフィールド・アーモリー 1911”。既存のM1911という拳銃を更にカスタマイズし、そして更に、”修作がカスタムした”。
…アイツの死体の隣に、コイツも落ちてた」
「……。」
「発信機が付けられてないか確認するために一度オーバーホールしてあるから、整備は万全だ」
そう言いながら、1911に対応している弾倉と弾丸を手に持って愛華に見せる。
「まず、弾丸を弾倉に込める。こうだ」と愛華に見せながら説明する。
弾込めが終わると愛華に手渡し、1911に装着させる。
愛華が弾倉をカチッと音が鳴るまで差し込んでいる間、敷島は一緒にトレーに置かれていた別の銃の弾倉と弾丸を手に取って弾を込めてから、9mm口径弾対応の黒いSIG SAUER・P320を手に取り、持っていた弾倉を差し込む。
「スライドを引いて、弾を銃身に装填する」そう言いながら、持っている銃でやり方を愛華に見せ、愛華はそれを真似て1911のスライドを引く。引き終わって戻すと、一発の弾丸が銃身に収まり、撃鉄が起きる。
「これでいつでも撃てる。構えはこうだ」と、壁に置かれているボタンを押して、レーンの奥にある人型の的を出現させて、それに銃口を向ける。
「スライドの手前に指などを置かないようにしろ」と言いながら、両腕を均等に前に出し、足を少し開いてしっかりと踏み込み、両手でしっかりと銃を握り、腰を据えて、腕に力を込める。
引き金が引かれると、「バァンッ!!」と激しい音と共に、火花と煙を発しながら弾丸が飛び出す。スライドから排出された空薬莢が微量の白煙を撒きながら床に落下する。
9mm口径の弾丸は人型の的の、心臓の部分に着弾し、的は自動的に倒れた。
初めて本物の銃が目の前で発砲される様子を目前にした愛華は、覚悟をしていてもやはり唖然とした。こういう物を、修作達は常日頃から扱っていたと考えると、身の毛がよだつ…。
愛華も彼の様に構えて、新しく出た的に狙いを定める。
「拳銃は奥の凸と手前の凹の部分で狙いを定める」そう言って敷島は愛華の後ろに立って彼女と同じ目線になる場所までしゃがんで、愛華がどんな風に狙いを定めているか観察する。特にこれといって指摘する部分も無い。さっきの軽い説明で理解したのだろうか。
「う、撃ちます…!」
「あぁ、撃ってみろ」
敷島がそう言うと、少し間を置いてから、愛華は1911の引き金を引いた。
銃の反動が腕を伝って全身に響き渡る。それは少し経つと痛みに変わり出す。
まだ扱いに慣れておらず弾は明後日の方向に向かっていく…と思われたが、1911から放たれた45口径の弾丸は、見事的の胸部に着弾して倒れた。
「あ、当たった…?」
初めて撃ったのに当たったことに驚く愛華。後方で見物していた暮葉と真悟も「ウソでしょ…?」といった感じで唖然としている。
が、その一方で敷島はさほど驚いていない様子だった。
「その銃は、修作が”バカでも扱えるように調整した”。君が弾を的に当てられたのもそのおかげだ」
敷島は冷たげにそう言いながら、愛華から1911を取り上げ、自分が持っていたP320を愛華に手渡す。
「うちが全メンバーに支給している9mm口径の銃だ。ま、修作は持ってるだけで滅多に使わなかったが…
とりあえず、撃ってみろ。さっきと同じ様に」
そう言われて愛華は、1911と同じ撃ち方で的を狙い、引き金を引く。弾の口径は違うはずだが反動の強さは非常に近かった。
だが今度は、弾は的に当たらず、弾痕まみれの奥の壁に着弾した。
「あ、あれ…?」
「修作の銃は、その銃より口径が大きく、本来なら反動も強くなるが、アイツは反動を抑えるカスタムをして、標準の9mm口径の銃と同等のモノになるようにした。銃身のライフリングもアイツが調整した」
「そうなんですね…」
「…銃を置け。次に行くぞ」
そう言って敷島は1911を置いてイヤーマフを壁に戻し、真悟に向かって「片付けを頼む」と伝えて射撃場を後にしようとした。
「え!?もう行くんですか!?」
「基礎的なことをさっさと終わらせる。さぁ、来い」