男姉ちゃん侍、桜宮ハル
▽
「……」
「……」
とある西洋風の街の大通りにて、二人の人物が向かい合っていた。互いに殺気を飛ばして一触即発の雰囲気。周りに集まったギャラリーも固唾を吞んで見守る。
西側に立つのは体躯が2メートルは超えるかというほどの大男だ。縦に長いだけでなく、筋肉も発達していて横幅も広い。その勇ましさはまるで大岩のようだ。その巨体に重厚感のある甲冑を纏い、日の光が表面で反射してキラリと光っている。かなりの防御力と重量を感じるそれは、見ただけで相当な名匠によるものだと分かる。手にしているのはドラゴンの牙のように巨大な刃を持った大剣。鋭く砥がれたその刃を男が振るえば、山すらも容易く切ってしまうことが容易に想像できる。
一方で東側に立っているのは対照的に細身の人物だ。キメ細かく美しい青髪のウルフカットに白い肌、細い手足にきゅっとくびれた腰など一見すると絶世の美女のようだが性別は男だ。身体のラインが浮き出るくらいぴっちりとした、黒のタンクトップとホットパンツ型のインナー。その上からチャイナドレスのような形の上着を着ている。その上からさらに白いコートを羽織り、足には灰色のニーハイソックスを着用している。
スラリとした長身でスタイルもいい。どこかのモデル事務所にでも所属していそうな美人だが、男である。
大男がその威圧感ある見た目に似合い過ぎる大剣を構えているのに対し、青髪の人物が持つ得物は刀。腰に差した刀の鯉口に指を添え、静かに目を閉じて立っている。大男の殺気を真正面から浴びているにも関わらず、まるで深い森林の中にいるかのように穏やかで落ち着いている。極めて自然体でそのまま空気に溶け込んでしまいそうだ。
「……かあっ!!」
緊張した空気を食い破るように、大男が大剣を振りかぶって突撃してきた。ただ大きな剣を振り上げて相手に肉薄するシンプルな動き。だがそんな動きも一流の戦士が行えば回避不能の必殺の一撃となる。実際に周りで様子を見ていた野次馬達は大男の動きがまったく見えていなかった。瞬きをした一瞬にいつの間にか大男が移動していたという認識だ。
当然相対していた青髪の男も微動だにしていない。彼も反応できていないようだ。
十分に接近した大男の大剣が、青髪の男の脳天目掛けて振り下ろされる。後1秒もしない内に青髪の男は叩き斬られるだろう。
大剣の刃が当たるその瞬間___
「…………」
閉じられていた青髪の男の瞼が開き、金色の瞳が露わになった。
__ヒュッ……
一瞬だけ小さく風が鳴った。その音を聞いた次の瞬間には大男と青髪の男の位置が入れ替わっていた。大男が東側に、青髪の男が西側になっていて今度は互いに背を向けた状態で立っている。青髪の男の立ち姿はあまり変わっていないが、大男は大剣を振り下ろした格好だ。
…いや、よく見ると青髪の男の刀はすでに抜かれ、今納刀している最中のようだ。白銀の刃がゆっくり鞘へ納められていき、チン、と聞き心地の良い金属音がした。
__ドズゥンッ……
その瞬間、大男が持っている大剣の刃が根元からスッパリ斬られ、地面に落ちた。その切り口はまるで豆腐でも切ったかのように一切の凹凸がなく滑らかで、とても鉄の塊を斬った後のように思えない。大男もその切り口を目を見開いて見ている。
「……まいった」
「「「うおおぉぉぉぉっ!!」」」
大男が小さく、はっきりと負けを認めると周りから大歓声が巻き起こる。
「すげぇ! ギルドランク1位に勝ちやがった!」
「さすが”剣狂”のハルだぜ!」
「いつ見てもわけ分からんな。何であんな細い剣で斬れるんだ?」
「おい、もうあいつに敵う奴なんていないんじゃないか?」
「ギルドのトップ狩人にも勝っちまったからなぁ。今負けたラルドだって大陸一の剣士だって言われてた男だ。文句なしで最強だろうな」
たった今負けた男の名はラルド。生まれ持った体格をたゆまぬ努力によって鍛え上げ、国どころか大陸で名を知らぬ者はいない剣客に昇りつめた男だ。そんなラルドを青髪の男、ハルが破ったことで民衆は興奮しているようだ。
そんな民衆に見守られながらラルドとハルは握手を交わす。
「……完敗だ。俺も剣には自信があるつもりだったが君にはまったく届かなかった。まだまだ鍛錬が必要らしい」
「いえ、あれほど大きな剣を構えながら先程のスピードで迫ってくる貴方には目を見張りました。反応が少しでも遅れていたら今頃私はミンチになっていましたよ」
「ふっ、あれほどあっさりと斬り捨てておきながらよく言う。良ければまた手合わせを願いたい。次は俺ももっと腕を磨いておこう」
「はい、是非。楽しみにしていますね。それでは」
ラルドと再戦の約束を交わし、ハルはその場を後にした。最強の剣士を倒してこの街に用が無くなったハルは、そのまま街の正門から出ていく。まだ見ぬ強敵を求めるかのように。
△
▼
さて大陸で最強と謳われる剣豪を倒し、あらゆる剣士の頂点に立ったハル。その足取りはひどく落ち着いていていつも通りだ。道行く人達にニコリと笑顔を浮かべて挨拶をし、その美しい顔と性別詐欺な身体で時折誰かの性癖を歪ませる。
どこから見てもちょっと美人な流浪人だ。とてもついさっき世界一の剣士になった者には見えない。
しばらく街と街を繋ぐ平原の道を歩いていたハルは、ふと気まぐれを起こして森へと続く小道にそれた。狩人などがモンスターを狩るために森へ入っていく時使う道で、一般人は利用しない道だ。
森の奥深くへどんどん進んでいき、やがて木と川に囲まれてまったく生き物の気配がしない場所へ辿り着いた。川のほとりにある手頃な大きさの石を見つけると、腰かけて一息つく。
そして、ふぅ~、と息を吐いて呟いた。
「……まいった。やることがないな」
最強の剣士になったというのにあまりにも覇気のない発言。これを先程の剣豪ラルドが見たら助走をつけて殴り掛かることだろう。
ハルがこのような発言をしたのには訳がある。聞いてほしい。
まずこの如何にもファンタジー! というような世界。人も街も動物も生きていて生命の息吹を感じられ、本物のファンタジー世界のように思えるだろう。しかし、ここはプレイヤーがアバターに憑依して探検するVRMMO、つまりゲームの世界なのだ。
『ワタシノセカイ』。日本国内限定でリリースされている超本格ファンタジー体感ゲームだ。
超高度な物理演算ソフトと、その性能を遺憾なく発揮させる驚異のマシンパワーを持つサーバが実現したその世界は、まるで本物の異世界に来たかのような感覚をプレイヤーに与える。人も動物も、プログラムが造り出したNPCとは思えないほど感情豊かに動き、それぞれの人生を生き、その様子は現実世界と遜色ない。まるで神によって世界がもう一つ創造されたのかと疑うほどのクオリティなのだ。設定一つとっても歴史から文化から緻密に描かれており、その世界の人々が生きてきた証がしっかり感じられる。
始めプレイヤーは年齢とユーザ名を登録する。するとリアリティを高めるために実際の年齢と同じにアバターが作成されるので、後は好きな見た目にカスタマイズしてプレイ開始だ。プレイヤーは広大なファンタジー世界で特に課題を与えられることはなく、自由に行動できる。
例えば、あるプレイヤーは魔法を極める道を選び、書物を読んで大学に通って研究室に所属して、何年もの間呪文と魔力について研究を重ねて最高威力の魔法が放てる術式理論を完成させた。
またあるプレイヤーは権力を得る道を選び、長い年月をかけて人と人との繋がりを作っていって一国の王として君臨した。
またあるプレイヤーは現実世界では決して行えない犯罪を楽しむことを選び、隠密や暗殺のスキルを覚え、人々を苦しませて大犯罪者として歴史に名を残した。
考え得ることは何でもできてしまうこのゲーム。どのような道に進むかはすべてプレイヤーの手に委ねられていた。
そんな中でハルが魅了されたのが剣術、刀を振ることだった。
刀を抜き、振り、敵を斬る。そのシンプルながらも奥深い、真剣勝負という命のやり取りにハルはどっぷりハマってしまったのだ。
ハルがこのゲームを始めたのは小さな子供だった頃。それから約十数年、ハルはずっと剣を振り続けてきた。残念ながら師と呼べる者はいなかったので我流である。アニメや漫画、テレビなどで見た剣の形を見よう見まねで学び、そこから実践を通じて徐々に自分の形に昇華していった。
始めはとても弱かった。低級モンスターにすらやられてボコボコにされてしまった。それでもハルは刀を離すことなく修業を続け、強くなっていった。日がな一日中刀を振り続けているため、その腕はメキメキと上達していった。やがて一流狩人数人がかりで立ち向かうような上級モンスターを一刀両断できるようになり、国を相手に単身で戦を仕掛けるような強さを手に入れ、ついには大陸最強の剣豪を倒して正真正銘、最強の剣客にまでなった。すべてハルの十数年の努力の成果である。
しかしだからこそ困ったことになった。最強にまで昇りつめたハルにはもう戦う相手がいないのだ。剣の鍛錬はこれからも続けるとしても、その腕を競い合う相手がいないのでは張り合いが出ない。とはいえ今の自分以上の腕の持ち主がいるのかと聞かれると心当たりがない。
八方塞がりだった。目指すべき場所がない。やることがないとはそういうことなのだ。
「どうするか…。…行ってみるしかないかなぁ、オンライン」
…とは言ったものの、手がまったくないわけではない。ハル自身がその方法をできるならとりたくないだけで。
それがハルが空を見上げながらぼそっと口にしたオンラインモードである。
『ワタシノセカイ』はインターネットを通じて日本中のプレイヤーと交流する”オンラインモード”と、一人でファンタジー世界を冒険していく”オフラインモード”に分かれている。オンラインモードではMMOらしく全国のプレイヤーが同じ世界に降り立って、仲間になったり敵として戦ったり様々な遊び方をすることができる。一方オフラインモードでのプレイヤーは一人だけ。NPCを相手に話しかけたり、時に戦ったり殺したり、一人でじっくりとファンタジー世界を見て回ることができる。
世界のクオリティや規模は二つのモードで変わらない。違いは自分以外のプレイヤーがいるかどうかだ。だから一般的にはオフラインモードで自分の技術をみっちり磨き、オンラインモードで他プレイヤーを相手に各々の技術を腕試しするというのが一般的な遊び方だ。
ハルはそこそここのゲームのヘビーユーザーだが、やってきたのはオフラインモードのみでオンラインモードはまったくの手つかずだった。
「……はぁ、気が乗らないなぁ」
その理由はいたって単純。この男、人と話をするのが苦手なのだ。
オフラインモードのNPC達は気が楽だ。現実の人間と変わらない反応をする彼らだが、その背景にリアルな人間はいない。現実には何ら関係がないと理解できる分肩の力を抜いて接することができる。一方でオンラインへ行くと当然ながらNPCではない人とのやり取りをしなければならない。見た目や仕草はNPCと変わらなくても同じ日本に住んでいる人間だ。何かと気を遣ってしまうし気疲れもする。それが面倒で仕方ないのだ。
ハルは懐からピンク色に淡く輝くひし形の宝石を取り出す。『ワタシノセカイ』のユーザーがシステム関係の操作をするためのデバイスだ。プレイヤーはこの宝石を使ってゲームへのログインやログアウトをしたり、オンライン・オフラインのモード切り替えを行ったりする。
ハルがぐっと宝石を握ると、フォンッ、と宝石から光が放出され、空間上に操作画面を映し出した。表示されたメニュー画面から”MODE SELECT”を選択し、”CONNECT ONLINE”へカーソルを合わせる。
「…………」
正直言って気は乗らない。ハルはひたすら剣が振れればそれでいいのであって、不特定多数の人間と交流する気などさらさらない。だけどこのまま戦う相手がいなくなってしまった世界に居続けるのはもっと嫌だった。今まで刀一筋で生きてきたハルには今更他の道へ進むこともできない。
オンラインの世界に行けばまだ見ぬプレイヤーがごろごろいる。その中にはハルと同等かそれ以上に剣を極めた猛者もいるかもしれない。そうすればまだまだ満足いく戦いができるし、もっと強くなれる可能性だってある。
「……よしっ」
短い逡巡の末、ハルは決定ボタンを押した。
すると、パアァッ、とハルの身体が淡く輝き始め、やがて光の粒子となってバラバラに分解された。その粒子一つ一つはキラキラ輝きながら空へと昇っていき、ハルの存在がこの世界から消える。オンラインの世界へ移動したのだ。
………しかし、この日、桜宮ハルの名前が『ワタシノセカイ』のオンライン管理データベースに載ることはなかった。当然オフラインの世界にもいない。彼は電子の世界で行方不明になってしまったのである…。
作中の宝石のイメージは、MGSVに登場する情報端末(iDOROID)です。