This is the tune of our catch, played by the picture of Nobody.
1分9秒。
この美しい白いアルバムの締めくくりは鈴のような音になっている。
この曲は赤い鳥居が連なるような世界からの遊び誘われる乱数で構成されている。
実際に深夜の神社で1人、石段に座って聞いてみた。するとここが隠り世であるかのように、重ね彩られた。
あたかもここだけ切り取れば、この音色は「祝音」を示し、ひび割れそうな天空からの鐘の音とも取れる。「旅立ち」への誘い。
この方が本アルバム発表後に都知事に書いた「お手紙」には「未来のために」という「お願い」が記されている。
既に旧友は旅立ち、ご自身の体調からもほぼ「死」を目の前にして差し出した「手紙」は「お願い」。そして「疑問」。何故わからないのか、と。
この方の主義主張は「怒り」が色濃く現れている。その方の下手をしたら最期になりかねない「政治主張」は「お願い」だった。
深夜の神社でスケッチを聴きながら読んだこの手紙は、印象を変えさせた。響き渡る「風鈴のような音色」は未来からの祝音であるかのように風合いを変えた。
この方の「願い」。
それは「未来」があること。
だからこそ、この音色は異質であり、だからこそ、この曲は大変短いが「生きている」のであろう。