楽流れ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
命はえてして、「楽」な方へ流されるものである。
え、いやなんとなく名言っぽいことをいってみたくなりまして。別に偉人の言葉とかじゃなくてですよ。
実際、我々も「楽」を求めること限りなしじゃないですか。ややもすると、さぼって、なまけて、押し付けて。自分にかかる労苦、責任を逃れようとする。
元をたどれば命の保護ですね。苦しいこと、危ないことへ首を突っ込むと、たとえ死なずに済んだとしても身体へダメージを負い、今後の生活に支障をきたしてしまう。
ヘタをすると、種にとっての大きな使命である「子孫を残す」という働きさえこなせなくなり、役割としては落第点に落ち込む可能性も。だからこそ、楽な方にいって長生きしたい気持ちが働くんですよね。
そして、その「楽」を求める気持ちにつけこむのが、「罠」です。
いかにも見た目は極楽のように装い、いざ取り込んだら地獄の底へずんずん導く。古来の「あげて落とす」パターンですよね。
だから、楽ばかりでなく、苦を耐え忍ぶ経験も必要。このような罠たちにかかり、今後を台無しにしないために。競争、策謀がまかり通る社会じゃ、苦痛も嫌悪も必要悪かもしれません。
この「罠」と「楽」について、最近、ある昔話を聞いたんです。耳に入れてみませんか?
むかしむかし。ある山近くの草庵に、ひっそり暮らすご隠居さんがおりました。
若いころより、たびたび辛酸をなめて現実に疲れたご老人は、後事を託せるめどがつくや、すぐさま引継ぎをして、ここへ引きこもったそうです。幼少の頃よりの趣味に打ち込むために。
それは昆虫をはじめとする、生き物の採集でした。ご老人には長く付き合いのある好事家がおり、その人が収集するものの中には虫も含まれていたんです。
珍しい虫は、金に糸目をつけずに求める熱中ぶりで、その年は「さいかち」、すなわちカブトムシを求めていたそうなんです。
老人は虫を捕まえる時は、いつも手製の蜜を用いていたとか。
現役時代にも、仕事の休みや合間を縫って研究するほどの力の入れっぷりで、この隠居時代にはすでに、多くの虫に適応した蜜づくりを完成させていたといいます。
ご老人はアタリをつけた木々に、カブトムシ用に調整をほどこした蜜を塗り付けていきました。
これまでの経験から、一日、二日で結果が出るとは思っていません。「果報は寝て待て」だと、用意を終えたのち、さっさと床へ入ってしまいました。
翌早朝。
まだ陽がのぼり切らないうちに目を覚ました老人は、小さな提灯の明かりを手に、件の木々の元へ向かってみたんです。
そこには、塗った個所を埋めつくさんばかりに、密集したカブトムシたちの姿がありました。まるで敷物のように、間をきっちりと埋めて、広がるカブトムシたちの野、野、野。
おそらくすべての木から集めたならば、100匹を超える大収穫となったでしょう。しかし、ご老人はこの光景に、良い顔をしなかったそうです。
――たかが一回で、これほどまでに都合よく釣れたりするものか。こいつは何者かの仕込みではないか? ヘタに飛びつくのは危ない。
これまで何度も陥れられ、媚びや悪意に敏感になっていたご老人は、都合のよい展開はすべて疑ってかかるようにしていました。
もしあと数日、同じような状況が続くならば検討しよう。そう考えた老人は、目の前に広がる黄金の虫たちに手を出さず、一日中観察に終始したのだそうです。
翌日。老人が目覚めた時には、カブトムシたちの姿はそこにありませんでした。
しかし、もぬけの殻になっていたのではありません。
幹より落ち、仰向けに転がった無数のカブトムシ。その近くに立って彼らを見下ろし、ときどき首をかがめるようにして、腹を突っついていくのはカラスたちでした。
これもまた数十羽が身を寄せ合い、争うように自らの腹を満たしていたといいます。
老人が矢をつがえ、のしのしと近づいていっても、一羽として去る様子を見せず。ありつけるものがなくなったカラスも、ひょこひょこと土の上を行き来して、所在なげそうにしていたのです。
大金は消えてしまいましたが、老人の興味は尽きません。なぜにカラスたちがここまで集まり、カブトを漁っているのか。
単にありつけたごちそうに夢中になっているのか。あるいは別の理由が……。
そう考える老人は、カラスもあえて追い払わず、その日を過ごしたそうなんです。
次の日は、家の外へ出るより前に、大きな羽ばたきの音が耳に入りました。
草庵の窓から、そっと木々の方を見てみると、羽を広げたオオタカたちが舞い降りるところでした。
彼らは逃げ散ろうとするカラスたちをときにつかみ、ときにぶつかったりしながら、次々と仕留めていき、その場で食事にかかっていくのです。
カラスより大きい彼らは、十羽近くがまとまって、やはりこの場から去らないまま、カラスたちをその場で、口にしていくのです。
この異様な事態に、老人は息を飲みました。ここは山のふもとに近い場所であり、タカたちがここまでの低きに、姿を見せることはほとんどなかったからです。
老人は自らが招いたこととはいえ、ことの運びに恐れを抱き始めました。
蜜がカブトムシを、カブトムシがカラスを、カラスがオオタカを招いたのです。そうなれば次にやってくるのは……。
ご老人はその日一日をかけて、窓以外の部分の草庵の穴をしっかり塞ぎ、一晩を明かしました。
そうして翌日。地の揺れと喉からのうなりが、床板を伝って横たわる背を揺らしていきます。正直、その気配はご老人の想像にあるうち、最も出くわしたくない生き物たちでしたが、そうっと、そうっと窓を開き、様子を確かめます。
地に落ちたオオタカたちの肉をむさぼり食うもの。
それはクマとオオカミたちでした。やはり何匹も集い、我先にとタカたちの身体へ爪や牙を立てていくのです。
もはや、人が入っていけるような手合いではありません。彼らを刺激しないよう、ご老人は家の中で、ひっそりと過ごすよりありませんでした。
その奇妙な数日間が過ぎたとき、ようやく樹に集うものはいなくなります。
胸をなで下ろし、久しぶりに山へ繰り出した老人ですが、どうしたことか、まったく生き物を目にしなかったそうです。
あのエサにたかっていたものたちはもちろん、ミミズやダンゴムシといった、土あるところに彼らあるような、小さい生き物さえもです。
動物たちの巣穴は残っていました。しかし、やはり中にはことごとく、生き物の気配がないのです。
彼らはどこへ……。
考えを巡らせるご老人の足元が、ふと揺れました。
地震か? と思う間にますます強さを増していく揺れに、ご老人はうずくまってしまいます。しかし、事態はどんどん悪い状況へ。
ご老人の座り込む地面に、刀で切りつけたような溝が浮かんだのです。よもやと、ご老人が身をかわすや、その溝を中心に地面が分かたれてしまったのです。
地割れ。それも溝はどこまでも続き、山そのものが大きく割れていったのです。
帰りかけなのが幸いしました。老人は急いで草庵へ戻り、振り返ったときには、ほんの数刻前まで、どっしりと、こんもりと構えていた山が、大きく入った溝から二つに分かれ、崩れていくところだったのです。
数えきれない木々を転がし、やがて広大な平地へ姿を変えてしまったその山が、気象の力を借りずして自ら形を崩したなど、ご老人以外の誰も信じなかったとか。
沈む舟からは、ネズミが逃げ出す、という言葉があります。
ご老人が目にした、カブトムシをはじめとする多くの生き物たちも、山という難を逃れ、「楽」を求めた結果、あそこへ行きついたのかもしれませんね。