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カリカリカリカリ……。周りで忙しなく紙の上を走るシャーペンの音。だけど僕のは、走るというより踊ってる感じだ……。カリカリ、コツ、コツ、コツ、カリ……。
つまり、答えが出てこないからペン先が迷って止まったりしている、というわけ。他の奴らは、正確に音を刻む。すごいよ、こいつら。
ずらりと机が並ぶ教室で、白い紙にひたむきに向かう三十名程の高校三年生。
一応僕も含むこの教室の奴らは入学金・授業料全額免除の特待生でこの高校へ入った。ここ選抜クラスは定期テストで満点を取ることを至上とし、先生たちにとことん追い込まれる。
選抜クラスは寮で個室を与えられる。全員寮で生活。寮費もいらない。他のクラスの奴も希望すれば寮に入れるが二人部屋。
特権階級だと揶揄される僕たち選抜組だけど、引き換えにしたものは、失ったものは多い気がする。入学前の合格者説明会できちんと説明を受けて納得して来たつもりだけど、想像を遥かに越えていた。
所詮は高校生。部活動は禁止と言われても、寮や学校生活でワクワクやドキドキがあるのだろうと思っていた。みんなでわいわい飯食ったり風呂入ったり、女子とは別棟だけど甘酸っぱい出会いを期待したり。
実際は分刻みで生活時間を区切られた、軍隊みたいなところだった。七限の授業が終わって寮へ帰って、夕飯を食べて風呂行って、少しの自由時間のあと自習という名の補習めいたものが二時間あってその後少し自由時間あって就寝。……選抜クラスだけ。ほとんど楽しいことがない。我ながらよく今日までもったものだと思う。
一年生の頃は何でこんな高校生活なんだと反発したりホームシックにかかったりしたけど、慣れとは恐ろしいもので三年生になる頃には当たり前の生活になっていた。
あまりに縛られると妙な連帯感も生まれる。選抜クラスの中で退学者が出ないようみんなで支え合ってきた。クラス全員で卒業するのがお前たちの課題でもあると最初に言われたというのもあるけど。
とはいえ、ウチの高校は選抜クラス以外も進学校として名を馳せている。のだけど、その割には校則は結構緩い。髪型も制服の着方もこれと言ったルールはない。アクセサリー類はダメだけど、女子ならスカートを長くしようが短くしようが何も言われない。そこは自己責任でと。思うに案外冷たい。何か起こった場合、学校側は関知しないということだ。学校の名誉を傷つけるようなことをやらかせば即退学。救済や執行猶予はない。徹底的にクールに学校側は接してくる。義務教育ではないのだと。
そうなると自然、普通の格好になっていくから不思議なものだ。一年の頃は男も女も派手な奴が多いのだけどだんだん制服も普通の着こなしになっていく。
選抜組に至っては最初から頭を金髪にする奴もスカートを短くする奴もいない。……そんなことにかまけてる時間がないのだ。やってみたいと思っても。
そんな選抜組の中で僕の成績は一番下。何とかやってこれたクチだ。満点を取ることが至上かつ当たり前とした中で国語だけがいつも取れず再試を繰り返している。一番下と言え、実はこのクラスでは順位はつかない。百点以外は0点と同じだから。全教科百点取れない奴はクラスの一番下というか、ただ、百点取れない奴、という認識。三十人中三十番目ということになるけど、正確には二十九番。僕のような子がもう一人いるからだ。つまりいつも百点を取れない人が二人いるということ。
そして今、授業終了、テスト終了のチャイムが鳴った。まさに国語だったのだけど。
「戸田君、どうだった?」
「……迷うんだけどいつも最後は満点取れたつもりで終えるんだよね、僕的には」
僕と二十九番の同志である(なんて言ったら怒るかもしれないけど)上広さんが机にやってきた。この人は世界史がダメなのだ。僕は世界史は好きな方だからなんでと思うけど、上広さんからしたらこいつはなんで国語で満点が取れないのか、と思ってることだろう。とにかく全教科百点取れない常連である僕と上広さんは自然とよく話すようになった。このクラスの試験結果はクラス内で全員開示されるから誰がどの教科で百点取れなかったのかみんな知ってる。他の奴らだって、最初からずっと全教科百点取れているわけではなかった。二年の二学期になってようやく安定して出せるようになった。そんなにテストは甘くない。だけど、僕と上広さんは三年の今日にいたるまで一度も全教科満点を取れていないのでお前ら大丈夫かと心配されている。大丈夫かと言いつつ、脱落して俺らの顔に泥を塗るなよっていうのが見え隠れしてる奴もいるにはいる。あいつとあいつだけどまあ名前は伏せておこう。
「お互い今回は全部取れるといいよね……。一度くらい、ひれ伏せ愚民ども、って言いたいじゃん」
「……そ、そう?」
愚民はこのクラスにはいないだろうし。一度全教科満点取ったぐらいで他の奴らがひれ伏すわけもなく。努力をねぎらってくれたとしても。
上広さんはちょっと変わった女子だ。今のセリフもそうだけど、厨二臭いと言うか、異世界ラノベが好きらしくて常々、転移したいと言っている。黒魔法を駆使して魔王を倒し、自分がそこに収まるのが夢なんだそうだ。夢、うん。前にそう言ってた。
「こらこら、夢はでっかく持とうよ! 夢は明日へのモチベーション! 起こり得ないことも起こるよ、きっと」
「……そうだね」
ポジティブなことは悪くない。僕もそこはそう思う。さすがにひれ伏せ愚民とは思わないけど。
「かおりんー、あんた国語どうだったー?」
「もちろんできたよー、なこちーは?」
上広さんは他の女子から声をかけられてその子の方へぱたぱたと行ってしまい、なこちーこと牧野さんとわいわいと答え合わせをし始めた。
その一週間後、朝のSHRで配られた、クラス全員分が載っている中間テスト結果一覧で僕のところを見れば。
やっぱり国語だけが満点を取れていなかった。
放課後、僕は進路指導の佐城先生に呼ばれた。呼ばれた理由は聞かずともわかる中間テストの結果についてだ。全教科満点を取れていたら呼ばれることはない。それを知っているのは一学期末に続いて二度目だからだ。三年生になると進路に関わってくる。学校側だってできれば全員、と考えているはずだ。
一回目の時に佐城先生に大丈夫かと言われて大丈夫ですと返事して。そして今回も取れなかった。
「戸田君」
佐城先生の眼鏡の銀フレームは冷たい感じを演出するのにひどく有効だった。目も細くてどこを見ているのかよくわからないし、いやに背筋が伸びていて姿勢がいい。要するになんだか怖い。親しく話せる要素が僕から見ればちっともない。
「はい」
だから憂鬱で、快活に喋る気にもなれず。そもそもが良いことで呼ばれているわけでもないし。僕の視線は終始佐城先生のネクタイの結び目にロックオンされていた。上げることも下げることもできない。
「呼ばれた理由はわかっていますね」
「……はい、多分」
「あなたは今回の中間テストに向けて何か対策をしましたか?」
「試験範囲はワークを中心に五回はさらったつもりです。それから書店で問題集を購入して解きました」
「それだけですか?」
それだけ?
他に一体何を。
「クラスの生徒に解答のコツや問題のヤマを訊いてみなかったのですか?」
「え?」
「あなたはできない教科に関してはそこまでやるべきです。他の教科については今の勉強のままでいいでしょう。しかし国語に関していえば、今のままでは取れない、そうなればやり方を変えなければあなたは永久に満点など取れません」
「満点が取れないのは僕の勉強不足だからで」
「不足ではありません、やり方が悪いのです」
「……」
確かにワークをやったからといって同じ問題がテストで出るわけではない。暗記で済めば話は簡単なのだけど、そうでないから僕は満点が取れない。
「僕は……人として何か欠落しているのでしょうか」
「戸田君は何を言っているのですか?」
「英数や理科ならまだしも、国語、母国の言葉の教科です。本来持つべき日本人の感情なりを理解できてないとするならば僕は人として欠陥があ」
「戸田君」
佐城先生に遮られた。
「はい」
「私はそんなことは言ってません。今話しているのは、国語で満点を取る方法です」
「……はい」
同じことだろう。
「取れない教科が出てきた時、他の生徒たちは早い時期にやり方を変えるという結論に達し実行しているはずです。だから三年生になって取れないということはない」
なのに僕はずっと取れないまま、やり方を変えないまま今日まで来たってことか。バカの一つ覚えみたいに。
「まあ。あなたがとても真面目な生徒だということだけはわかりました。期末テストで国語が満点取れることを祈っています」
そう結ばれて進路指導室での話は終わった。
今回は、いや、いつも国語は注意して勉強しているつもりなのだけど。
試験一週間前になればみんなだって更に一生懸命勉強する、手を抜いてる奴はいない。そんな余裕は誰にもないのだ。
そんな時に人を頼って、ヤマなんて訊けるだろうか。
期末までひと月ちょっと。日々の予習復習は欠かせないから案外試験勉強は直前から始めることになる。これは僕だけの話ではなくみんなだ。
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