95話―ドレイクとの商談
「いや、本当に悪かった。さっきの奴、フランクは新入りでな。まだ教育し足りなかったんだ」
「いいよいいよ、実際に攻撃されたわけじゃないし。だから、そんなに謝んなくて大丈夫だよ?」
フランクへの制裁が行われてから十数分後。酒場にはコリンとアニエス、ドレイクの三人だけが残っていた。
他の者たちは、酒場の従業員も含めて全員外に出ている。彼らが行っている『商談』の邪魔をしてしまわないように。
「まあ、驚きはしたのう。何せ、いきなりあんな過激なことをしでかすのじゃからな。わしらは荒事慣れしてるからいいものの、そうでない者には刺激が強すぎる」
「いやー、一度船長モードに入ると周りが見えなくなっちまうんだ。悪かったよ。……で、話は変わるが。あんたら、オレを探してたんだって? 誉れ高いギアトルク家の若頭と、公国の姫が何の用なんだい?」
ひたすら平謝りした後、ドレイクは本題に入る。コリンたちが何故、海賊である自分を探していたのか。それを知りたいらしい。
「うむ、わしらはとある事情で早急にヤサカに向かいたいのじゃ。しかし、かの国に行くためには船滅ぼしの三角海域を越えねばならぬ。そこで、そなたの力を借りたいと思ったのじゃよ」
「ヤサカねぇ。オレもたまに立ち寄るが、あそこはいい国だ。メシも美味いしオンナも最高……っと、今はんなこたどうでもいいか。いいぜ、あんたらをヤサカに連れてってやる」
「わあっ、やったねししょー! これでボクたちも」
「たーだーし! 慈善事業じゃあねえからな、キッチリ船賃は貰うぜ?」
頼みを引き受けてもらい、大喜びするアニエスだったが……そうそう旨い話はない。ニヤリと笑いながら、ドレイクは指で丸を作る。
「え、お金取るの……」
「たりめーよ、そこだきゃあ一国の姫が相手だろうと妥協はしねえ。嫌だってーなら、雑用係としてコキ使わせてもらうがどうする?」
そこら辺の棚から適当に飲み物を拝借し、ドレイクはコリンたちに渡す。ドレイクが席に戻った後、コリンはしばらく考え込む。
……この時、アシュリーかエステルがいればコリンに適切なアドバイスが出来ただろう。この手の交渉をコリンが行うのは、今回がはじめて。
すなわち、料金交渉における相場や駆け引きというものを全く理解していないのだ。
「ふーむ、これまでの依頼の報酬と、わし自身の蓄えも合わせれば……よし。ドレイク殿、こうしよう。まず前金で金貨五百枚を渡す」
「ぶーーー!!! おいおい、ちょっと待て。今なんつったよ? オレの聞き間違いか? とんでもない金額が聞こえた気がしたぞ?」
コリンの示した金額に、ドレイクは思わず飲んでいたラム酒を吹き出してしまう。結果、アニエスが被弾することとなった。
「エ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛!! か、顔にお酒がああああああ!!」
参考までに、こうした船乗りたちとの交渉における本来の相場は金貨数枚程度なのが一般的だ。なのだが、コリンはそれを知らない。
とりあえず初手で高い金額を提示しておけば相手は断らないだろうという、行き当たりばったりな考えによる提案なのである。
「ぬ? 少なかったかのう? なららもうちっと」
「いやいやいやいやいや、違うって。高すぎるんだよその値段! 相場の百倍近くあるぞ!? 相手がオレじゃなかったら、そのままボッタくられてるぜ、ボウズ」
不思議そうに首を傾げ、さらに前金を吊り上げようとするコリンをドレイクが制止する。本来なら、料金を吊り上げるのは彼の方なのだ。
が、今回ばかりはそうすることはしなかった。というより、出来るわけがなかった。星騎士の末裔として、あまりにも良心が痛むからだ。
「なんじゃ、ならそれをはよう言わぬか。思わず前金を金貨八百にするところだったぞよ」
「……フ。くふふ、はははははは!!! ボウズ、オレはお前を気に入ったぜ! いや全く、面白い奴だよ。よし、ならこうしよう。前金で金貨二枚、ヤサカに無事着いたら一枚の計三枚。これでどうだ?」
「なんじゃ、そんな程度でよいのか?」
「友情価格ってやつだ。本来なら、前金で金貨十五枚は貰うとこだがよ。気に入った相手は割引してやることにしてんのよ、オレは」
多少のアクシデントはあったものの、無事商談はまとまった。明日の朝、ドレイクの所有する海賊船でヤサカに連れて行ってくれるという。
「他の船なら、ヤサカまで四、五日かかるが。オレの船、マリンアドベンチャー号なら二日で行けるぜ。あんたらはドーンと構えて、優雅な船旅を楽しんでくれや」
「おお、済まんのうドレイク殿。なにとぞ、よろしく頼みまする」
「よ、よろしくね……うう、目が痛い……」
「大船に乗ったつもりでいていいぜ。さて、早速準備してくる。ここの代金はオレがツケとくから、気にしなくていい。じゃ、明日港の六番ドックに来てくれ。そこで待ってるから。じゃあな!」
一気にラム酒を飲み干し、ドレイクは酒場を出る。外に待機していた部下たちに声をかけ、港に停泊している船に向かっていった。
少し遅れてコリンたちも酒場の外に向かい、アシュリーたちを探す。十分ほど経った頃、無事にアシュリーたちと合流出来た。
「ぶはははははは!! そりゃ傑作だ。海賊相手に金貨五百枚払おうなンて奴、そうそういねえぜ。ドレイクのオッサンが気に入るわけだな、こりゃ」
「金貨五百枚……ヤサカなら、それだけあれば八年くらいは遊んで暮らせるな。英雄とは、資金力も並大抵ではないということか……いやはや、お見それしました」
合流した後、コリンから話を聞く。アシュリーは一連の流れに爆笑し、ツバキはコリンの財力に感心し舌を巻いている。
「むう、アシュリーまで大笑いしおって。ま、よい。これで安心してヤサカへ行けるからのう。さ、今日はもう宿を取って休もうぞ。明日は早いからの」
「ええ、そうしましょう。一刻も早く、ヤサカに戻り――!」
「む? ツバキ殿、どうなされた?」
「いえ、誰かに見られているような気配を感じましたが……とうやら、拙者の勘違いだったらしい。さ、宿に行くとしよう」
会話をしている途中、ツバキは建物と建物の隙間に視線を送る。が、その先には何もいない。何でもないとコリンに答え、宿を目指して歩いていった。
◇―――――――――――――――――――――◇
「お、あの蟹かんざしの奴気付いたな。オレ様が覗き見してるのを。こりゃ、もう少し慎重に動いた方がよさそうだな」
ヤサカの西にある、険しい山の奥。深い森に隠されたヴァスラ教団の基地に、最高幹部の一人――オラクル・トラッドがいた。
横向きにした札のようなものを目に貼り付け、コリンたちを見ていたようだ。もう見るものはないとばかりに、剥がした札を投げ捨てる。
「オラクル・トラッド、刺客の船を差し向けますか?」
「あー、やめとけやめとけ。相手はあのアルマー海賊団だ、下手に水軍を送っても返り討ちにされるのが目に見えてらぁ。それより……」
「それより?」
「こっちに乗り込ませてから、辻斬ってやりゃあいいのさ。なあ、そうだろ? 用心棒の先生サンよ」
オラクル・トラッドは部下にそう答えつつ、部屋の隅で刀を研いでいる人物に声をかける。声をかけられた人物は、手入れをする手を止めた。
稲妻のようにジグザグしている刀身をうっとりと眺めながら、トラッドの言葉に頷く。そして、ゾッとするほど冷たい声で話し出す。
「そうとも。全て某に任せておればよい。かの英雄の魂も、我が妖刀の餌食にしてやろう。仮に、それが叶わなかったとて奴らに勝ち目はない」
そこまで言うと、謎の剣豪は懐から試験管のようなものを取り出す。中は、琥珀色をした不気味な液体で満たされていた。
「この大地の者らは、対抗する手段を持たぬ。闇霊たる、某にな。フフ、クフフ、クヒャハハハハハ!!」
「ああ、頼りにしてるぜぇ? その無敵の力をよ。フフフ、ハーッハハハハハ!!」
基地の一室に、オラクル・トラッドたちの笑い声が響く。その様子を、トラッドの部下が静かに見つめている。
「……では、私はこれにて失礼します。総本山の方に、例のものを届けねばなりませんので」
「おう、失くすんじゃねえぞ。女神の復活に必要なんだぜ、【琥珀色の神魂玉】は。割ったりしたらタダじゃ済まねえからな」
「こ、心得ております。では失礼……」
脅しをかけられた部下は、おっかなびっくり部屋を去る。遠い異国の地にも、ヴァスラ教団の根が張り巡らされていたのだ。




