92話―山羊と蟹が出会った
七日後。コリンたちはのんびりと依頼をこなしながら日々を過ごしていた。最近は教団の活動もなく、不穏な話が入ってこない。
……ゼビオン帝国がある大陸の中では、だが。
「ふう、今日も皇女殿下とのお茶会したのう。ここ最近、毎日のように呼ばれるわい。まあ、楽しいからいいのじゃが……」
その日も、恒例行事となったゼビオン皇族とのお茶会を終えたコリンが冒険者ギルドに戻るべく大通りを歩いていた。
女の影が増えたからか、エレナのスキンシップも日々過激なものになりつつある……が、コリンはいまいち気付いていない。
「さぁて、おうちに帰ったら何をするかのー。久しぶりにマリアベルに本でも読んで……む? これは……財布かのう? 誰ぞ、落としていったようじゃな」
てくてく通りを歩いていると、端っこの方に何かが落ちているのを見つけた。拾ってみると、財布のようだ。
憲兵に届けようと、コリンは左に曲がり詰め所を目指す。すると……。
「うう……無事帝都に到着したはいいが、財布を落としてしまった。これでは、父上に申し訳が立たぬ……」
数メートル先にある広場のベンチに、見たことのない格好をした若者が座っていた。すっかり意気消沈しており、負のオーラが漂っている。
「もし、どうなされたのじゃ? そんな浮かない顔をして」
「おお、少年。実は、情けないことに財布を落としてしまって。これでは、今日の宿も探せない」
「むむ……もしかして、これがそうかのう? 先ほど、落ちているのを拾ったのじゃが」
「! それは誠か! 失礼、その財布を拝見しても?」
「よいぞよ。はい、どうぞじゃ」
着物を着た若者に、コリンはさっき拾った財布を見せる。財布の裏に、デフォルメされた蟹の刺繍が施されているのを見て若者は安堵する。
「ああ、これだ! この蟹の刺繍、拙者の財布に間違いない! よかった……これで、腹を切って詫びずに済む。かたじけない、少年。助かった」
「いや、よかったよかった。中身は見ておらぬが、重さ的に盗まれてはなさそうじゃったぞよ」
「本当にありがとう、しょうね……ん? その顔……貴殿、もしやギアトルク家の末裔、コーネリアス殿ではないか?」
「む? 左様、わしがそうじゃよ?」
心から安堵した若者は、ようやくコリンの正体に気付いた。すると、花が咲いたような笑みを浮かべ喜びをあらわにする。
「おお、そうであったか! なんという幸運……これはまさに、我が祖先のお導きだ。ありがたや、ありがたや」
「……のう、そろそろ聞いてもいいかの? そなた、名をなんと言うのじゃ?」
勝手に一人で盛り上がる若者に、コリンは名前を尋ねる。若者はハッとした表情を浮かべ、ベンチから立ち上がり一礼した。
「申し訳ない、まだ名乗っていなかった。拙者の名はツバキ。大陸風に名乗れば、ツバキ・コウサカ。十二星騎士の一人、『巨蟹星』ムサシ・コウサカの血を引く末裔。お見知りおきを、コーネリアス殿」
「なんと! そなた、星騎士の末裔じゃったのか! うむうむ、よろしくのう。……ところで、この国では見ない格好じゃが、ツバキ殿はどこから来たのじゃ?」
「拙者は、海を隔てた遠い島国ヤサカから来ました。コーネリアス殿、あなたに助力を請うために」
◇―――――――――――――――――――――◇
数分後、二人は近くにあったドーナツ屋さんに入り話をする。以前ウィンター領で食べ、すっかり魅了されたお店だ。
「ふむ、辻斬りによる連続殺人未遂か……。何やら、海の向こうでも物騒なことが起きておるようじゃな」
「ええ。夜な夜な、都の各地で罪のない者たちが斬られているのです。みな、命に別状はないのだが……死んだように眠ったまま、目を覚まさないのだ」
チョコレートドーナツを食べながら、コリンはツバキの話に耳を傾ける。沈痛な面持ちで語るツバキに、同情の念を覚えていた。
「岡っ引きや同心たちが、毎晩懸命に下手人を捕らえようと苦心している。だが、未だ下手人の正体は分からぬまま。怯え苦しむ民を救えないことが、拙者は辛い」
「故に、わしの力を欲しているというわけじゃな? あい分かった。わしとしても、そのような状況を見て見ぬフリは出来ぬ。協力させてもらおうぞ」
「! それは誠か! かたじけない……本当に、かたじけない。国で待つ父らも、みな喜ぶ。ありがとう、コーネリアス殿」
教団が裏で暗躍しているのか、ただの頭のイカれた快楽殺人鬼なのか現時点では分からない。だが、だからといって見捨てるつもりはなかった。
誰が相手であろうと、罪の無い者たちをいたずらに苦しめる者は決して許さない。父、フリードから受け継いだ正義の心が、コリンの中で燃えている。
「今すぐ出発、とはいかぬが。今日じゅうには仲間にこのことを伝えて、明日すぐ出発出来るように手配しておくでな。安心してくだされ、ツバキ殿」
「そこまでしていただけるとは。外の国の者たちにも、人情に溢れるご仁がいるのだな……拙者、感動してしまった……」
「わわわ!? く、口から泡が!」
頼もしいコリンに感激し、ツバキはホロリと涙をこぼす。……のと同時に、口からはぷくぷくと泡が立ちテーブルにこぼれる。
蟹座の星騎士なだけあって、そうした能力を持ち合わせているようだ。ツバキは懐から布巾を取り出し、こぼれ落ちた泡を拭き取る。
「や、失礼。幼い頃から、感情が昂ると泡が出てしまう癖がありまして。ご容赦を」
「いや、気にすることはない。ちと驚いただけじゃ。それにしても、中々に凄い特技じゃのう」
「拙者の一族は、みなこうして泡を吐くことが出来ましてな。つるつるよく滑るので、敵の足止めをしたり洗濯物の汚れを落とすのに使っておりまする」
「……本当に便利じゃのう、その泡」
すっかり打ち解けた二人は、ドーナツを食べ紅茶を楽しむ。数分後、明日の約束をして二人は別れた。
冒険者ギルドに戻ったコリンはアシュリーたちを捕まえ、早速ツバキのことを話す。
「ヤサカで辻斬りねぇ。コリン、お前はどう思う?」
「まだ断定は出来ぬが、教団が関わっている可能性は十分ある。もし関わっているならば、おそらく奴らの目的は……」
コリンは、グレイ=ノーザス二重帝国で知った教団の真の目的を思い出す。邪神復活に必要な、六つの宝玉。そのうち四つは、すでに敵の手中にある。
残り二つのうち、片方がヤサカにあるのであれば。辻斬り事件の裏にどんな思惑があるのか、ある程度推察することが可能だ。
「何にせよ、事情を知ったからには捨て置けん。わしらの手で、ヤサカに平和を取り戻さねばのう」
「うん! 任せておいてよししょー。今度はししょーと一緒に、大活躍しちゃうもんね!」
「アタイだって手ぇ貸すぜ。ただ、ヤサカに行くってなると船を手配しねえといけないな。飛竜便じゃあ、海は越えられないからよ」
やる気をみなぎらせるコリンとアニエスに、アシュリーがそう語る。タフな飛竜でも、客車を引いて海を越えることは不可能だ。
「船の手配、のう。まあ、それはおいおい考えることにしようぞ。まずは明日の出発に備えて、荷物を整理せねばならん」
「はーい! よーし、早速はじめよー!」
アルソブラ城に戻り、コリンたちは旅の支度を整える。海の向こうの地にある、新たな出会いと戦いの予兆を感じながら。
◇―――――――――――――――――――――◇
「……うう、すっかり帰りが遅くなっちまった。急いで帰らねえと、辻斬りに会ったら事だ」
その日の夜、ヤサカの田舎町。提灯を掲げた男が、急ぎ足で帰路に着いていた。帰りが遅くなってしまったことを、後悔しながら。
「そこの角を曲がりゃ、あとは真っ直ぐ進むだけ」
「……てけ」
「!? だ、誰だ!? そこに誰かいるのか!?」
月明かりに照らされた夜道を小走りに進んでいた、その時りどこからともなく、不気味な声が男の元に届く。男はビクリと身体を震わせ、周囲を見渡す。
「……てけ。置いてけぇ……」
「な、何をだ? 財布か? 提灯か? おいらの何が欲しいんだ!?」
ぬるい風が吹き、男のうなじを撫でる。ガクガク震えながら、男は闇の中にいるのだろう声の主に向かって叫ぶ。
そして、その直後。
「置いてけ。お前の、魂を! 置いてけぇぇぇ!!」
「ヒッ……う、あがぁっ!」
獣の唸り声のような叫びが響いたそのすぐ後。男の身体を、稲妻のようなジグザグの刀身を持つ刀が背後から貫いた。
声を出すことも出来ず、男は口から血を吐く。自分の中のナニかが、刀に吸われていくのを感じながら男の意識が途切れる。
「ふふふ。これで今宵もまた一人。魂を喰らってやったわ。素晴らしい、実に素晴らしいぞこの妖刀は」
歓喜に満ちた声の後、哀れな犠牲者の身体から刀が引き抜かれる。魂を吸い取られた男の身体は、深い眠りに着いたまま地面に倒れた。
「もっとだ。もっと魂を吸え、妖刀『雷光血鳥』よ。そうすれば……クク、クフフ。クハハハハハハ!!」
月明かりの下、狂気に満ちた笑い声がいつまでも響き渡っていた。




