87話―紅の仮面舞踏会
「あらあら、そんなことがあったの。こーちゃんたちの話を聞いてると、ハラハラドキドキしてきちゃうわ」
「はは、本当にな。強くたくましくなったんだな……感無量だよ、うん」
庭園にある小さなテラスで、夫婦はコリンたちがこれまでにしてきた冒険の物語を聞いた。多くの人々との出会いと別れ、教団との戦い。
身振り手振りを交えてそれらを語るコリンや、仲間たちを見ながらフェルメアとフリードは笑う。コリンが心から信頼出来る仲間を得られたことを、喜んでいるのだ。
「うむ。辛いことや悲しいこともあったが、アシュリーたちがいてくれたから乗り越えられたのじゃ。みな、わしのかけがえのない仲間たちじゃよ」
「コリン……へへっ、そこまで言われると照れるぜ。なぁ、みんな」
「うんうん! 嬉しすぎて涙がぶわーだよ! えへ」
「せやなぁ。なんだかんだ言って、ウチらのこと認めてくれてるんは嬉しいわ」
和やかな雰囲気の中、突如時計の音が城から聞こえてくる。いよいよ、ラーカの時間がやって来たのだ。フェルメアたちは立ち上がり、城へ向かう。
「さあ、いよいよラーカが始まるわよ。その前に、みんなにはコレを渡しておくわ」
「これは……バタフライマスクかしら~?」
城に戻る途中、フェルメアは懐から蝶の形をした深紅のマスクを取り出してコリンたちに渡す。それを受け取ったカトリーヌは、首を傾げる。
「ええ、そうよ。ラーカは各魔戒王ごとに、全く違う内容の宴になるの。私のところは、他の王からはこう呼ばれているわ。『紅の仮面舞踏会』とね」
暗域に存在する十三人――現在は一人欠けて十二人だが――の魔戒王たちは、それぞれの派閥に属する配下を労うため趣向を凝らしたラーカを行う。
その中でも、フェルメアが主催するラーカは最もミステリアスでファンタスティックだ。参加者全員が紅のマスクを身に付け、パートナーと踊るのだ。
身分や主義主張の違いを忘れ、互いに笑い合いながら一夜の幻想を舞う。ある種の理想郷を、女王は自らの宴の中に作り出したのである。
「わあ、なんだか楽しそうだね! よいしょっと。ねえねえししょー、似合う似合う?」
「雌虫さん、向きが上下反対です。それでは他の方々に笑われますよ」
「ぷぷっ、アニエスはんはこんな時までおマヌケやな。とりあえず、ウチも付けよ」
フェルメアから貰ったマスクを身に付け、一行は城に入る。ラーカの舞台となる広大なダンスホールは、大勢の招待客で賑わっている、が。
「コリン、コリン。床、透けてる。下、人いっぱい。これ、どうなってる?」
「このホールは一階と二階に別れていてね。一階は一般の闇の眷属や称号を持たない男爵や女爵、伯爵用の下座ホール。俺たちのいる二階ホールが、大魔公専用の上座ホールなのさ」
ホールの床は半透明になっており、そこから下の階が見える。フリードの説明によれば、客の安全のために二つにホールを分けているのだという。
「大魔公の持つ魔力は強大だ。充てられただけで体調を崩しちまう奴が出るくらいにな。ちなみに、床はマジックミラーになってて下から覗かれることはない。そこは安心してくれ」
「よかったー。ボクのおパンツを見ていいのはししょーだ……すいませんでした」
冗談混じりにそんなことを言うアニエスだったが、フェルメアに睨まれ即座に土下座する。次に言えば、命はない。そんな迫力があった。
そんなことをしている間に、上座ホールには続々と大魔公たちが集まってくる。その中には、コリンの馴染みの者たちも多い。
「ご機嫌麗しゅう、我が君。そして若君様。今宵、こうしてお会い出来たこと心より嬉しく思います」
「いらっしゃい、ヴェルダンディーちゃん。今日はラーカを楽しんでいってね」
「こんばんは、ヴェル師匠。こちらこそ、お会い出来て嬉しく思いますのじゃ!」
荘厳なクラシック音楽が流れ、ついに宴が始まる。最初に声をかけてきたのは、ランタン頭の紳士ことヴェルダンディーだ。
コリンたち親子に深々とお辞儀をし、ラーカに招いてもらったことを感謝する。彼もまた、顔(?)の前面にマスクを張り付けていた。
「よう、元気そうだなヴェルダンディー。相変わらず物腰丁寧だなぁ」
「フリード様も、壮健で何よりでごさいます。我輩は紳士ですからな、誰に対してもこのように」
「ハッハッハッ! こんな愉快なラーカの夜だってのに、そういう堅ッ苦しいのはナシにしようぜ。もっとパーッと騒ごうじゃねえの!」
フリードとヴェルダンディーが会話をしている最中、一つの影が彼らの頭上を舞う。すぐ側に降り立ったのは、半人半馬の身体を持つ妙齢の女だ。
マリスとは違い、馬の胴体の背には鳥のような立派な翼が生えている。彼女もまた、フェルメアの配下たる大魔公の一人にして、コリンの師だ。
「マリス、似てる。親近感、凄い。友達なりたい」
「お? アンタ、馬タイプの獣人だね? 香水で誤魔化してても、匂いで分かるよ。アタシは大魔公プリマシウス。よろしくな! ついでに、久しぶりだねコリ坊!」
嬉しそうに耳をパタパタさせるマリスに、女――プリマシウスはそう声をかけ、ついでにコリンにも挨拶をする。
「久しぶりですじゃ、プリマ師匠! ん? その左目……眼帯はしておりませんのか?」
「ああ、千年も着けてて飽きちまってね。知り合いに義眼を作ってもらったのさ。どうだい、似合うだろ?」
「はい、とても似合っております!」
コリンに誉められ、プリマシウスは嬉しそうにニコニコ笑う。が、その直後ハッとした表情を浮かべた。
「ふふ、そうかい。ありがとよ。……っと、フェルメア様たちに挨拶してねえや。忘れるとこだ」
「こら、プリマシウス卿! 主君への挨拶は、目通りしたらすぐにしなさいといつも言って……」
「あー、うるせぇのが始まりやがった。フェルメア様、フリード様、また後で正式に挨拶しますんで。それじゃ!」
「待ちなさい! 我輩の話はまだ始まったばかりですぞ!」
礼儀作法にうるさいヴェルダンディーに無礼を咎められ、プリマシウスはスタコラサッサと逃げ出した。それを追う紳士を目で追い、アシュリーは呟く。
「やれやれ、こっちはこっちで個性豊かな連中がいるンだな……」
「うむ。みな一癖も二癖もあるが、いい者たちばかりじゃよ。ん、料理が運ばれてきたのう。みな、踊る前の腹ごしらえじゃ。ご飯を食べようぞ!」
「マリス、賛成。ご飯、食べる。コリン、あーんさせ」
「それは……私の役目よ。ね?」
「……はい」
どこからともなく、様々な料理が乗せられたテーブルが降りてくる。以前のようにコリンに食事を食べさせようとするマリスだったが、フェルメアに阻まれることとなった。
「コリンくんのお母様って~、結構怖いのね~」
「単に過保護なだけじゃよ。わしの出自が出自じゃからの……む、あれは! わしの大好物、オオヨロイブリの照り焼きではないか! 早速食べねばなるまい!」
カトリーヌとの会話もそこそこに、コリンはテーブルの方へすっ飛んでいった。花より団子、大好物を前に止まれないのだ。
立食形式のため、各々が好きな料理を皿に盛り食べ始める。その間、フェルメアとフリードは挨拶に来た貴族たちと謁見していた。
「すげぇなぁ、お偉いさんたちがみんな頭下げてら。やっぱ、コリンって親まですげぇんだな」
「そうだ。よく分かっているではないか、大地より来る客よ」
「うおっ!? あ、アンタ誰だ? いつの間にアタイの後ろに!?」
サンダーバードの手羽先を食べていたアシュリーの背後に、いつの間にか闇の眷属の女が立っていた。エメラルドグリーンのドレスが、紫の肌を艶かしく見せている。例によって、紅のマスクを身に付けていた。
「おっと、失礼。まだ名を名乗っていなかった。余はアーシア。アーシア・ディ・バルバトリア。偉大なる魔戒王、フェルメア様にお仕えする大魔公だ。お見知りおきを、我が弟子の仲間よ」
「へえー、おねーさんもししょーのししょーさんなんだ」
女――アーシアが名乗ると、アニエスが会話に混ざってくる。遠くの方で曲芸食いをしているコリンを見ながら、アーシアは頷く。
「ふふ、そうさ。とはいえ、ごく短い間だけだったけれどね。いろいろとやることが多かったから」
「そーなんだ。ねえねえ、おねーさんは何やってたの? ボク、気になるなあ」
「なに、たいしたことじゃない。身の程をわきまえぬ暗愚な王を、始末するために動いていただけのこと。その甲斐あって、こうして若君が爵位を授けられることになった。喜ばしいことだ」
気品に溢れる笑みを見せた後、アーシアはハッとする。何か重要なことを思い出したらしく、一礼してその場を離れた。
「おっと、失礼。大切なサプライズの準備があるのを忘れていた。また後で会おう。じゃあね、二人とも」
「うん、ばいばーい」
「じゃーなー!」
急ぎ足でホールを出ていくアーシアを、アニエスたちが見送る。その少し後、彼女たちは知ることになる。フェルメアたちが用意した、とんでもないサプライズの正体を。




