85話―宴の前準備
三日後、ラーカ当日の正午。マリアベルによる地獄のレッスンを乗り越え、アシュリーたちはどこに出しても恥ずかしくない闇の淑女になった。
「た、耐えきったぞ……。地獄みてぇっつうか、地獄そのものなこの三日をよ……」
「もうアカン……ウチ、このまま昇天してしまいそうや。オトン、オカン、先立つ不幸を許してぇや……」
「まったく、情けないですね。あの程度のシゴきで音をあげるとは。まあ、目標は達成したのでよしとしておきましょうか」
アルソブラ城の談話室で、力尽きてぐったり倒れているアシュリーたちを見下ろしつつ、マリアベルは呆れたようにそう言う。
もっとも、顔には嗜虐心を満足するまで満たすことが出来た喜びの笑みが広がっているため本心から呆れているわけではない。
どちらかと言うと、まだまだ遊び足りないのにおもちゃを片付ける時間が来てしまった幼子のような心境
だと言う方が正しいだろう。
「おめー、相変わらずイイ性格してンな……。後で覚えとけよ、コノヤロー」
「三日後、百倍。これ、草原の掟。やられたら、やり返す。マリス、決めた」
圧倒的上から目線で物を言うマリアベルに対し、アシュリーとマリスは静かにリベンジを決意する。特にマリスの方は、馬耳が逆立つほど怒っていた。
一方、カトリーヌとアニエスは一言も声を出せないほどに疲れきってしまっていた。うつ伏せに寝転がり、マグロのようにぴくりともしない。
「マリアベルよ、調きょ……レッスンは終わったかの?」
「待てぇや、今ちょいと不穏な言葉言いかけへんかったか? コリンはん」
「ソンナコトナイゾヨー。エステルノキキマチガイジャヨー」
そこにやってきたコリンは、思わずサディスティックな一言を漏らす。エステルに咎められるも、下手くそな口笛と言い訳で誤魔化した。
「ま、そんなことよりじゃ。みな、よう頑張ったのう。ここからの『仕上げ』は、わしが担当させてもらうぞい」
「えー……まだ何かやるの、ししょー」
「アニエス……おぬし、大丈夫か? 今にも天に召されてしまいそうなほど声がか細いぞよ?」
コリンの発言に対し、アニエスは突っ伏したまま顔だけ上げて答える。今にも死にそうなほどに頬は痩せこけ、ぷるぷる震えている。
まるで、生まれたての子鹿のようだ。
「お坊っちゃま、ラーカ開催まであまり時間がありません。ちゃちゃっと済ませてしまいましょう。その方が手間もかかりません」
「うむ、そうじゃな。では、失礼して。それ、ぷしゅーっとな」
「うおっ!? ちょ、何しやが……あれ? あれだけ疲れて鉛みたいに身体が重くなってたのに、いきなり軽くなったぞ?」
「疲れ、消えた。マリス、元気。たくさん、走れる」
紫色の液体で満たされた香水を懐から取り出し、コリンはアシュリーたちに吹き掛ける。すると、彼女たちを支配していた疲労がシャッキリポンと消えてなくなった。
「あら~、ほんとね~。コリンくん、一体何をしたのかしら?」
「わしら闇の眷属が用いる、疲労回復効果のある香水をかけたのじゃよ。どうじゃ、スッキリ爽快じゃろ?」
「そうね~、確かに身体が軽くなったわ~」
「それに加えて、みなの匂いを誤魔化し、暗域に満ちる闇の瘴気への耐性を付与する目的もある。現地に着いて即死、では取り返しがつかぬからの」
談話室の床から立ち上がり、カトリーヌはコリンに尋ねる。すると、そんな答えが返ってきた。大地の民にとって、闇の瘴気は命を脅かす猛毒となる。
闇の眷属にとっては空気のようなものでも、アシュリーたちが何の対策も無しに吸い込めば死は避けられない。そうした事態を防ぐための処置なのだ。
「ねえ、ししょー。匂いを誤魔化すって言うけどさ。……もしかして、ボクたちそんなに臭うの?」
「そういうわけではありませんよ、雌虫さん。単純に、我々闇の眷属はあなたたち大地の民の匂いに敏感なのですよ。もし、正体がバレたら……」
「バレたら?」
「ディナーの一品として食卓に並ぶことになります」
「思ってたより物騒だこれーーー!?」
マリアベルの放った一言に、アニエスは仰天してしまう。一方、アシュリーとエステルはいつものサディストジョークかと考える。
が、コリンもマジな表情をして頷いているため、マリアベルの言っていることが本当のことなのだと理解した。というより、させられた。
「マリス、食べられる? マリス、美味しくない」
「なに、香水の効果が切れなければ問題はないわい。そうビクビクすることはないぞよ。」
「なら、安心。でも、コリンなら、食べられる、ばっちこい」
「いや、わしは人肉は食わぬわ!」
そんなアホな会話をしつつ、一同はラーカに向けて最後の準備を進める。夕方には出発しないと、宴に間に合わないのだ。
マリアベルの分身たちがサポートし、コリンたちはせっせと身だしなみを整える。礼服やドレスを身に付け、化粧を行う。
「やれやれ、やっと終わった。顔じゅういじり回されてしんどかったぜ……」
「ですが、その甲斐あって格別な仕上がりになりました。元から素材は良いですからね、これで一流の貴族令嬢の仲間入りです」
二時間後、最初にリビングに戻ってきたのはアシュリーだ。彼女のイメージカラーでもある、炎のように鮮やかな赤色のドレスを身に付けている。
「お、もう戻ってるんか。ウチらは今終わったところや。どや、似合ってるやろ?」
「あらあら~、お化粧したシュリも素敵ね~。うふふふ~」
少しして、エステルとカトリーヌが戻ってくる。エステルはライトブラウン、カトリーヌは青色のドレスを着ていた。
二人とも背中が大きく開いており、大胆に肌を露出させている。マリアベル曰く、二人にはこのタイプのドレスが似合うとのことだった。
「お二人は特に肌ツヤがいいですからね。我々闇の眷属は、自分の優れた部分を強く顕示することを是としています。きっと、お二人ともすぐ人気者になれましょう」
「ま、誉められるんは悪い気せぇへんな。さて、あとはマリスはんたちだけ……お、来おっぶふぅ!」
「わーっはっはっはっ! みんなー、おっまたせー!」
三番目に戻ってきたのは、アニエスだった。が、彼女の格好を見たエステルたちは、盛大に吹き出してしまう。
なにせ、鎧とドレスが一体化した戦闘用のドレスアーマー……それも、やたら露出度の高いものを着ているのだから無理もない。
「ぶっははははははは!! お、おま、なんつーカッコしてンだよ! ケッサクだぜこりゃ、ひーひー」
「アニエス、ちゃん……ぷっ、ふふっ。さ、流石にその格好は……ぷふっ、くふふ……。ちょ、ちょ~っとまずいんじゃないかし……ふっ、ふふ、ふふふふふ!」
「あっひゃひゃひゃひゃひゃ!! こらアカン、ギャグセンスありすぎやで! こ、こんな……ぶふっ、あははははは!!」
これまで正統派なドレス姿が続いていただけあって、インパクトはかなりのものだったようだ。マリアベルを除き、みんな爆笑している。
「……わたくしは止めたのですがね。本人がどうしてもこれがいいと、巌として譲らなかったもので。まあ、こういう装いでも問題はありませんが……」
「えー、なんで? ちょーかっこいいじゃん、これ。ししょーだって絶対気に入るよ!」
どうやら、アニエスの服装センスは壊滅的だったらしい。とはいえ、今から化粧直ししている時間もないため、このまま押し通すことが決まった。
「さて、最後はマリ虫さんですね。さ、入りなさい。いつまでも外にいては、お披露目が出来ませんよ」
「うう……マリス、恥ずかしい。ヒラヒラ、いっぱい。着る、はじめて……」
ひとしきり笑った後、二人のマリアベルに両脇を固められたマリスが引きずられてきた。草原での暮らししか知らない彼女に、ドレスは未知との遭遇だったらしい。
ベールで覆われた顔を真っ赤にして、うつむきながら突っ立っている。若草色のドレスの尾てい骨付近からにょっきり出た馬しっぽが、落ち着きなく揺れていた。
「あらあら、でもすっごく似合ってるわよ~。マリスちゃんも、これでお姫様の仲間入りね~。うふふふ」
「だな。いつも質素なカッコしてるから、こうやって正装してると見違えるな!」
「この格好で素顔を晒すのは恥ずかしいとのことなので、魔法のベールで顔を覆っています。親しい相手以外には顔が見えないので、安心でしょう」
「むむむ……納得いかない、ボクの時はみんな大笑いしたのに……」
口々に誉められ、マリスは茹でタコのように顔を赤くする。一方、アニエスは不満げに頬を膨らませぶーぶー文句を垂れていた。
これで女性陣は勢揃いし、後はコリンを残すのみ。少しして、リビングの扉が開く。そして……。
「みな、待たせたのう。わしの方も、ようやく支度が終わっ……た……」
漆黒のタキシードとシルクハットで身を固め、バッチリ化粧をして意気揚々とリビングに入ってきたコリン。が、アシュリーたちを見て固まってしまう。
「お? どうしたんや、コリンはん。マリスはんみたいに固まってもうてるで?」
「あら~……もしかして、わたしたち似合ってなかったかしら~?」
「いや……逆、じゃよ。その……みんな、綺麗でな……。ちと、見とれて……しもうたわ……」
真っ赤になった顔をシルクハットで隠しつつ、コリンは顔を背ける。とてもレアな表情を見て、カトリーヌたちはニヤニヤしはじめた。
「あらあら~、ならも~っとコリンくんに見てもらわなくちゃ~。わたしたちのコト、たっくさんね~」
「そうそう、感想がほしいよなぁー? 張り切っておめかししたンだからよぉ」
「見てみて、ししょー! ボクのセクシーでプリティーな姿、網膜にバッチリ焼き付けちゃって!」
「ま、待つのじゃ! そんな一斉に寄ら……あああーーー!!」
カトリーヌたちに囲まれ、コリンはもみくちゃにされる。その様子を、マリアベルはしばし見つめた後自分も混ざっていくのであった。




