57話―心のカサブタ
薬草を塗った包帯をコリンの頭に巻きながら、マリスは次の言葉を待つ。少しして、コリンはぽつぽつ話し出す。過去の出来事を。
話が外に漏れないよう、防音用の結界でテントを包みながらコリンは語る。
「……わしが六歳の時にのう。たった一度だけ、城を脱走して街に行ったことがあるのじゃ。外の世界を知りたくて、な」
「マリスも、昔やった。こっそり集落、出る。すぐ見つかる。ゲンコツ食らった」
「ふふ、どの世界の子どもも、みな似たようなことを考えるのじゃな。さて、話を戻そうかの。当時、わしは同世代の友だちが欲しくてな、街をさ迷っていたんじゃ」
来る日も来る日も、城での勉強や稽古の日々。そんな日常に、心のどこかで嫌気が差していたのだとコリンは口にする。
特別な血筋を持つが故に、外の世界と断絶された場所で家族や従者、師たる者たち以外と触れ合うことが許されない生活。
それがどれだけ退屈なものなのかを察するのは、マリスにも簡単なことだった。
「とはいえ、一度も来たことがない街のどこに子どもの集まる場所があるかなぞ分かるわけもない。一時間くらい町をさ迷って、ようやく見つけたんじゃよ。子どもたちが遊んでいる広場をな」
「そこで、何かあった。違う?」
マリスが尋ねると、コリンは一旦沈黙する。自身の両手をジッと見つめ、ぼうっとしていた。不思議そうに首を傾げるマリスに、コリンは語りかける。
「……闇の眷属はのう。ヒトの形をしている者のほとんどは、紫色の肌をしておるのじゃ。鮮やかで、艶かしいアメジストのような肌を」
「でも、コリン違う。マリスたち、同じ。……そっか、つまり、そういうこと?」
「察しがいいのう、マリス殿は。そうじゃ、肌の色が違う……そんな些細な理由で、わしは除け者にされたのじゃよ」
そう語るコリンの脳裏に、当時浴びせられた心ない言葉の数々がよみがえる。
――なんだおまえ、へんなやつ。あっちいけ!
――パパがいってたぞ、はだの色がむらさきじゃないやつは『直系』じゃなくて『非直系』のクズだって。よーするに、お前はクズだ!
――いっしょにあそぼうだって? やーだよ、おまえみたいなへんなのとだれがあそぶもんか! あ、でもマトあてのマトくらいにはしてやってもいいな!
――みんなー、あいつにいしなげちゃえ! かおにあたったらいちまんてんだぞー!
「……気配で、分かる。コリン、とてもつらいこと、言われた。凄く、傷付いて、たくさん、泣いた。違う?」
「うむ。ショックで泣きじゃくりながら裏道を駆け抜けて……気付いたら、城のリビングにおったわ。マリアベルに抱かれて、わんわん泣いたのう、あの時は」
今度は左の頬に包帯を縦に巻きながら、マリスは唇を噛む。コリンの受けた仕打ちは、子ども故の無邪気さで済むものでは到底ない。
コリンを除け者にし、あまつさえ虐げようとした子どもたち。彼らへの底無しの悪意に怒りがたぎり、ついつい包帯を縛る手に力がこもってしまう。
「うぐっ! マリス殿、ちとキツいぞよ……」
「ごめん。力、入れすぎた。反省。でも、その子どもたち、許せない。マリス、そこにいたらゲンコツ落とす。十発くらい」
「後から知ったことなのじゃが、わしをいじめた者たちは特に差別意識の強い家柄の者たちでのう。しばらくして、どこかへ引っ越ししていったわ」
どこか含みを持たせた言い回しで、マリスは気付いた。事件に気付いたコリンの両親が、子どもたちを家族ごと『消した』のだと。
だが、これっぽっちも同情することはなかった。理不尽に他を虐げる者は、より強い理不尽に倒される。それを知っていたからだ。
「じゃがのう、わしはその一件で理解したよ。正当な理由も無しに虐げられ、除け者にされるのは悲しいことじゃとな」
「……そう。マリスも、分かる」
「じゃから、わしは決して理由なく他者を虐げたり除け者にしたりせん。この国の問題も同じじゃ。不当な理由で、草原に暮らす獣人たちが虐げられることがないようにわしは全力を尽くす。そう決めたのじゃよ」
心に深い傷を追ったことで、逆にコリンは強くなった。踏まれれば踏まれるほど、強くたくましく育つ麦のように。
悲しい過去をバネに、折れることも腐ることもなく『成長』したのだ。そんな少年を、マリスは後ろから愛おしそうに抱き締める。
「……やっぱり、コリン選ぶ、よかった。コリン、揺るぎない正義、持ってる。でも、一人で頑張る、ダメ。コリン、仲間いる。たくさん、いる。だから、つらい時、苦しい時……マリスたち、頼ってほしい」
「マリス、殿……」
「殿、いらない。マリスって、呼んで」
マリスは器用にコリンの身体を反転させ、ジッと見つめ合う。聖母のような微笑みを浮かべるマリスを見て、コリンは顔を赤くする。
「コリン、照れてる。かわいい」
「なっ……て、照れてなどおらぬわ! そ、ほう! 傷が出来たからの、身体が火照っておるだけじゃ、うむ!」
「誤魔化す、いらない。マリスに、甘える。いっぱいいっぱい、甘える。コリン、まだ子どもだから」
「し、しかし……よいのかのう。わしは、もう一人立ちしたのに……誰かに、甘えるなんて」
コリンの中には、葛藤があった。重大な使命を背負い、父の故郷へとやって来た自分が他者に甘えていいのだろうか、と。
そんな彼の頭を撫でながら、マリスは愛情に満ちた視線を送る。おそるおそる身体を預けようとした、その時。
「……オフタリサン、リュミゾクチョーガヨンデルヨ。ホラ、ハヤクソトニデテネ」
「ぬおおおお!? あ、アニエス!? いつからわしの隣に!? というか、そのおぞましい表情はなんじゃ!?」
いつの間にか、外にいるはずのアニエスがコリンの横で正座していた。血走った目を見開き、ギリギリと歯軋りしながら。
凄まじいラブのオーラに当てられ、修羅へと墜ちてしまったようだ。もはや言語なのかすらも分からない、怨嗟の呟きが口から漏れている。
「テキガジョウホウヲゼンブハイタヨ。ホラ、キキニイクヨ」
「ん。マリスも行く。コリン、抱っこしながら」
「アァン? チョウシノッテルンジャネーデスヨ、コラァ。【自主規制】ノナカニ【掲載禁止ワード】ヲブチコンダロカテメー」
「マリス、異国の言葉、分からない」
「や、やめるのじゃマリス! 煽ってはならん!」
怒りと嫉妬とその他もろもろの感情が混ざり合い、アニエスのキャラが完全に崩壊してしまっていた。よせばいいのに、マリスはドヤ顔で挑発する。
結果、火に油どころか大量の引火物質をブチ込むこととなった。怒りのスーパー阿修羅エルフと化したアニエスは、ニチャア……と笑う。
「ボク、オマエコロス。オマエ、ゾウモツブチマケル。シニサラセオラァァー!」
「笑止。マリス、負けない。お前、返り討ち。これじょうし」
「さっさとこっちに来な! バカ娘どもー!」
「へぶっ!」
「アバッ!」
いつまでもコリンたちが出てこないのに痺れを切らし、リュミがテントに入ってきた。マリスとアニエスにゲンコツを叩き込み、外に引きずっていく。
「た、助かった……ちびるかと思うたわ……」
間一髪で修羅場を回避したコリンは、少し遅れて外に出る。アニエスとマリスは、頭に大きなたんこぶを作り地面に転がされていた。
そんな二人をスルーし、コリンはのそのそ歩く。テントの前の焚き火の側で縛られたまま座るリーファルが、コリンを見つけ話し出す。
「やれやれ、ようやく揃ったか。いいか、よく聞け。チーター部族の長、エゼンケの正体はヴァスラ教団の幹部……オラクル・アムラだ。奴は穏健派の部族を一掃し、草原の支配を企んでいる」
「ほう、なるほど。これでいろいろと合点がいった。やはり、教団が一枚噛んでおったか」
「ホント、迷惑な奴らやで。あっちこっちの国を、どれだけ引っ掻き回せば気が済むんやろなあ」
呆れたように話すエステルに、コリンとリュミは頷く。そんな彼らを見て、リーファルは呟きを漏らす。
「我が部族の存続と発展のためにオラクル・アムラに協力したが……間違った選択だったよ。奴は、次にチーター部族を差し向けるだろう。気をつけろ、小さな戦士よ」
「うむ、心に留めておこうぞ。もう、知っておる情報はないな?」
「他の情報は、メモ書きにして酋長に渡してある。それを読むといい。……これで私の役目は終わった。後は……潔く死ぬのみ。さあ、私を殺せ酋長よ。約束通りにな」
事前の約束通りに情報を話したリーファルは、コウモリ部族の存続と引き換えに己の命をリュミに差し出す。リュミは頷き、手を伸ばす。
「約束は違えない。リュミ・ガルダの名において、コウモリ部族に手を出さないことを誓う。だから……さよならだ、リーファル族長」
リュミはリーファルのこめかみに指を当て、風の弾丸を放つ。頭部を貫かれたリーファルは、絶命し崩れ落ちる。
それを見たコリンとエステルは、静かに黙祷を捧げた。




