39話―スレイブ・ゼロの行方
深い森のどこかにある、巌厄党の拠点。その中枢部にて、スレイブ・ゼロは夢を見ていた。遥か遠い、幼い日の夢を。
『うえぇぇぇぇぇん、いたいよぉぉぉ』
『まったくもう、はしるとあぶないよっていったのに。ほら、おねえちゃんにおひざをみせてみな』
木漏れ日が降り注ぐ中庭に、二人の少女がいた。お揃いに伸ばした銀色の髪が美しい、瓜二つの顔をした双子……幼き日のアニエスとテレジアだ。
『だって、だって……これ、おねえちゃんにみせたかったんだもん』
『わあ、きれいなおはな。ありがとう、アニエス。でも、はしるときはちゃんとあしもともみないとね。それっ、ひーる!』
転んで膝を擦りむいたアニエスは、泣きじゃくりながらそっと手を差し出す。姉にあげるために摘んだ、綺麗な花がそこにあった。
テレジアはお礼と注意の言葉をかけた後、治癒の魔法で妹の膝を治した。痛みがすっかり消え、アニエスは泣き止んだ。
『おねえちゃん、ありがとう』
『ふふ、いもうとをまもるのはおねえちゃんのやくめだからね。ほら、おんぶしてあげる。おかあさまにも、そのおはなをみせてあげよう?』
『うん! おねえちゃん、だーいすき!』
おんぶしてくれる姉に、アニエスは満面の笑顔を振り撒く。テレジアも笑顔を浮かべ、双子の姉妹は仲良く城の中に戻っていく――その場面で、目が覚めた。
(……何ダ、今ノハ。コレハ、私ノ……カツテノ、記憶ナノカ?)
「頭領、スレイブ・ゼロが目を覚ましました。まだ半覚醒状態という感じですが、如何します?」
「強制的に目覚めさせろ。頭に電流を流せ」
「ハッ、かしこまりました」
「ウ、グウッ!」
まどろみの中にいたスレイブ・ゼロは魔術師の放った電撃を流され、強制的に意識を覚醒させられる。その結果、ようやく今の状況を認識出来た。
無数のチューブで手足を拘束され、うつ伏せの状態で空中に吊り下げられていた。彼女の目の前には、三人の人物がいる。
スレイブ・ゼロを目覚めさせたエルフの魔術師、巌厄党の首領ラマダント、そしてヴァスラ教団最高幹部オラクル・ロルヴァだ。
「わざわざ来ていただき申し訳ない、オラクル・ロルヴァ。助力感謝する」
「気にしないどいてー。ほら、ウチはアレだしー。いちれんたくしょーってヤツぅ? ケラケラ」
「……アニ、エス。オ前ニ、会イタイ」
ラマダントたちが話をしていると、スレイブ・ゼロがポツリと呟く。割れた仮面から覗く右目に、じわりと涙が溜まる。
「む、まずいな。記憶が戻りはじめている……。オラクル・ロルヴァ、早速処置を頼む」
「はいはーい、おまかせー。ウチの神託魔術、【シェイク・脳ズ・ハッピー】でバッチリ揺らしちゃうから」
懐から新しい仮面を取り出し、ロルヴァは破損したソレと交換しようとする。その際、記憶と自我が戻りつつスレイブ・ゼロは身体をよじらせ抵抗を試みる。
「ヤメ、ろ。離せ、私ニ触るな!」
「おーよしよし、こわくなーいこわくなーい。ほぉーら、またきもちよーく揺らしてあげるからさぁ。アンタの脳ミソを、徹底的にね! もう二度と、記憶がよみがえらないように!」
「やめ……う、アアアアアアア!!」
スレイブ・ゼロの抵抗をものともせず、ロルヴァは仮面を取り替え魔力を流し込む。すると、仮面とスレイブ・ゼロの脳が共鳴し、振動を始める。
脳を激しく揺さぶられる耐えがたい激痛の中、思い出しはじめていた過去の記憶がどんどん消えていく。その隙間を埋めるように、声が響いた。
――アニエスを殺せ。オーレイン本家の血を根絶やしにしろ、と。
「嫌、だ……! 忘れたく、ない……! おとう、さま……アニ、エス……たすけ、て」
「ムダだよーん、助けなんてきーませーん。あ、じゃあ助けが来たって幻覚見せてあげよっか? その方が絶望も強いだろーしねー! アッハハハハハ!!」
声を枯らして悲痛な叫びをあげるスレイブ・ゼロを前に、ロルヴァは不快な甲高い声で大笑いする。完全に心が折れたスレイブ・ゼロは、再び記憶を失う。
「これでおっけー。試しに声かけてみ? ちゃーんと記憶消えてるから」
「分かった。スレイブ・ゼロ、聞こえているか? お前は、一体何者だ?」
「……私ハ、頭領ラマダント様ノ忠実ナ僕。コノ国ニ災イヲモタラス、眠レル奴隷デス」
「うむ、問題なさそうだ。感謝する、オラクル・ロルヴァ。礼を用意した、受け取ってくれ。おい、連れてこい」
「ハッ!」
ラマダントが指示を出すと、待機していた魔術師が別室に移動する。しばらくして、両手に枷を嵌められ猿ぐつわをされたエルフの少年を連れてきた。
「おっほー、こりゃまたカワイイ子じゃないのー。いいねいいね、これは壊しがいがあるねー」
「数日前に襲撃したラザの村に住んでいた子でね、目の前で両親と兄を殺してやった時の顔が実に最高だったよ。きっと、気に入ってくれるだろう」
「えっへっへっ、それじゃ貰ってくわー。さ、おねーさんと一緒に行こうねぇ。ぼうや?」
「むう、むうううう!」
これから自身に訪れるだろう絶望の未来を悟ったエルフの少年は暴れるも、ロルヴァに担がれ退路を絶たれた。
ロルヴァが去った後、ラマダントはスレイブ・ゼロの拘束を解き新たな指令を下す。今度こそ、アニエスを抹殺するために。
「スレイブ・ゼロよ。三日後、全党員と教団の戦士を率いワルダラ城を襲撃しろ。兄上や邪魔な異国の連中もろとも、アニエスを消せ」
「カシコマリマシタ、頭領」
ヴァスラ教団と巌厄党が手を組み、コリンたちに牙を剥こうとしていた。
◇―――――――――――――――――――――◇
「うむ、今日の修行はこれくらいで終わりにしてよかろう。お疲れさまじゃ、アニエス」
「はあ、はあ、はあ……。あ、あざーすししょー……。ぜえ、ぜえ」
その日の夕方、コリンとアニエスは修行を終え休憩していた。ハードな訓練を課され、アニエスは完全にダウンしてしまったようだ。
「なんじゃ、だらしないのう。目隠しと耳栓をした状態でディザスター・ランスを避けられるようになるまで無限ノックしただけでヘバるとは」
「む、ムリだよう……。体力が、もたなぁい……」
苛烈なスパルタ指導を受け、完全にグロッキー状態になったアニエスは立ち上がるだけの気力も出せないらしい。
コリンは水筒を差し出しつつ、一番弟子の頭を撫でる。
「やれやれ、まあ仕方あるまい。今日はよう頑張ったのう、ご褒美をあげねばなるまい」
「ご褒美!? なになに、何をくれるの?」
「もう元気になったか。現金な奴じゃのう……」
ご褒美と聞いて、アニエスは即座に復活してきた。調子の良さに呆れつつ、コリンは先程ラマダントから与えられたイヤリングを取り出す。
「このイヤリングに、特殊な防御魔法を組み込んで強化してやろう。ついでに、お揃いのネックレスも作ろうぞ。まあ、完成は明日以降になるがの」
「ホント!? わーいわーい、ししょーからのプレゼントだー!」
コリンの真意に気付くこともなく、アニエスは無邪気に喜ぶ。その時、修練場にワルドリッターの副官、ベルシがやって来た。
「アニエス様、コリン様。死体の検分が終わりました、申し訳ありませんが研究棟の方にお越しいただけませんか?」
「ん、分かった。では行こうかの。アニエス、このイヤリングはしばらく預かるぞよ」
「はーい! 楽しみにしてるね、ししょー」
ベルシと共に研究棟に向かいながら、コリンはイヤリングを調べる。魔力を流した結果、自身の予想が当たったことを知る。
(ふむ、やはりな。耳に着けた瞬間、遅効性の毒が体内に注射されるようになっておる。恐らく、アニエスを暗殺するつもりだったのじゃろう。油断も隙も無いものよ、全く)
イヤリングを懐にしまい、コリンは考える。ラマダントが何故、姪であるアニエスに毒入りのイヤリングを贈ったのかを。
(やはり、巌厄党なる組織と繋がっておるのか? そうでなくてはかようなものを贈る理由もあるまい。まあ、とりあえずはマリアベルに解毒を……)
「ししょー? どうしたのさ、さっきからブツブツ呟いて」
「ん、明日の訓練メニューをどうするか考えておったのじゃよ。明日からはもっとハードになるでな、覚悟しておくがよいぞ」
「うえー、お手柔らかに頼むよー」
アニエスに声をかけられ、コリンは一旦考えるのを止めた。イヤリングはマリアベルに任せ、今は死体から記憶を抜き出せるか試さなければならない。
(待っておれ、闇の中で暗躍する者どもよ。わしが関わったからには、もう好き放題出来ぬということを嫌というほど思い知らせてくれるわい)
心の中でそう呟きつつ、コリンは廊下を歩いていった。




