242話─忍び寄る可能性の邪悪
翌日の夕方。コリンはマリアベルに手伝ってもらいながら、とある書類を作成していた。丸一日がかりで書き上げたのは……。
「記載漏れ無し、誤字脱字無し、と。禁書閲覧理由も申し分なし……これなら審査も通るじゃろうて」
「ええ、しかしこれだけ書かないといけないとは。イゼア=ネデールはもう夕方になっていますね」
フォルネシア機構に納められている、禁忌書物の閲覧許可の手続きに必要な書類だった。総枚数、なんと百八十枚にのぼる。
禁忌書庫に立ち入るにあたっての様々な誓約や、何故禁書閲覧したいのかについての記述……その他諸々について書かねばならないのだ。
「むう……疲れてしもうたし、機構に行くのは明日にするか。今から行っても、閉館までに間に合うか分からんしのう」
「そうですね、ではお夕飯にしましょう。今日はお坊ちゃまの好きなお魚ですよ」
「おお、それは楽しみじゃ!」
以前の時間軸で存在を知った、アブソリュート・ジェムという宝石について調べる予定でいたが、疲れが勝ったコリンは明日に回すことにした。
晩ご飯を食べよう、とマリアベルと共に食堂に行こうとしたその時。突如、リビングの真ん中に丸い盾が現れる。門のように開き、そこから……。
「やっほー、こんばんは。遊びに来ちゃった!」
「リオ……何故そなたは毎回毎回食事時にやって来るのじゃ? なんぞ、ご飯タイムを察知するレーダーでもあるのかえ?」
「やれやれ、ではもう一人分お食事を増やしましょうか。では、支度をして参ります」
私服姿のリオが、界門の盾からひょっこり顔を出してくる。ヴァスラサックの死後、神々とコリンの父、フリードの間に交わされていた約定は破棄された。
邪神が完全に滅びたことで、フリードが考えを改めたのだ。その結果、コリンは少しずつ神々と交流するようになった。リオとはもう、三年の付き合いになる。
「えへへー、僕も分かんないや。でも、いつもいいタイミングなのはいいことだね! うん!」
「言うておくが、おかわりは三杯までじゃぞ。また備蓄の食料を食い尽くされてはたまらんからな」
「えー! そんな殺生な!」
「アホう、食わせてやるだけありがたいと思わんか!」
最初はコリンの方が警戒していたが、リオ特有の人懐っこさと愛想の良さで、二人はあっという間に友達になった。
たまにアゼルも交え、三人で遊びに行くこともしばしばだ。今日もまた、いつものようにリオがアルソブラ城に遊びに来る。
以前の時間軸では考えられなかった、平和な日常。その尊さを噛み締め、それはそれとして若干怠惰な日々をコリンたちは送っていた。
「ちぇー。けちんぼなんだか……ん? この書類は…コリンくん、禁書が読みたいの?」
「ん、ちと調べたいことがあってのう。もしかしたら、ソナタも知っておるかもしれん。アブソリュート・ジェムという言葉に聞き覚えは」
「どこで知ったの? それ。事と次第によっては、面倒なことになるよ」
コリンがアブソリュート・ジェムについて質問をした瞬間。それまで人懐っこい笑みを浮かべていたリオが、声色を変える。
「あの宝石は、神々しか存在を知らないトップシークレットのはず。誰かが秘密を漏らした……?」
「いや待て、違うのじゃよ。まずはわしの話を聞いとくれ。な?」
リオの全身から冷気が放出され、リビングの気温が一気に下がる。すぐ側まで迫ってきている死の予感に冷や汗を流しつつ、コリンは説明を行う。
歴史を変える前の時間軸で、平行世界のリオを見たこと。彼が七つの宝玉を持っており、それをアブソリュート・ジェムと呼んでいたこと等々。
「そっか、そういうことならまあ問題ないかな? でも、別の世界の僕ってそんな悪い子になってるんだぁ……なんかショック」
「子などという年齢ではなかったぞ、あれは。そなたが順当に成長すればこうなるじゃろうなという感じであったぞい」
「ふぅーん……。ねぇ、読みたい禁書ってさ。アブソリュート・ジェム関連のやつだよね?」
話を聞き終えたリオは、豹変させていた態度を元に戻す。平行世界の自分のワルっぷりにショックを受けた後、コリンに問いかける。
「ん? まあ、そうじゃな。色々調べようと思うておったんじゃよ」
「残念だけど、フォルネシア機構にはアブソリュート・ジェム関連の本はないよ。アレは神々の持つ秘密の中で一番大切なものだからね。グラン=ファルダの方にしかないんだ」
「なんと!? ええい、ではこの書類は書き損ということか! ぬおお、わしの一日が……」
衝撃の事実を知らされ、今度はコリンがショックを受ける。ガックリと崩れ落ちるコリンを見て、思わずリオは吹き出してしまう。
「おのれ、他人事だと思って……」
「あはは、ごめんごめん。お詫びに、僕が口利きしてあげる。こう見えても、創世六神に顔が利くからね。神々と親睦を深めるチャンスにもなると思うし」
「本当かえ!? うむうむ、やはり持つべき者は友じゃな。わしはそなたに出会えてよかったと心から思うぞよ」
「もー、調子いいんだから。ま、それはお互い様か! あっはっはっはっ!」
「わっはっはっはっ!」
コリンとリオは、互いに顔を見合わせ大笑いした。食堂からその様子を見ていたいたマリアベルは、微笑みを浮かべる。
二人がいがみ合うことなく、無事仲良くなれたことを嬉しく思っているのだ。何せ、彼女の主君フェルメアは神々との融和政策を採っている。
その息子たるコリンが、ファルダ神族でも有数の実力者とこうして肩を並べていることが嬉しいのだ。だが……そんなコリンたちも、すぐに知ることになる。
新たなる脅威が、もうすぐそこまで迫ってきていることを。
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「あーあ、暇だなぁ。ししょーでも遊びに来ないかなぁ。誰も泥棒なんてしに来ないよ、こんな神殿。警備なんていらないって、もう」
『こらこら、そんなこと言っちゃダメだよアニエス。もしもの時はいつ来るか分からない。それは、以前の歴史で嫌というほど味わったろう?』
「う……それを言われると弱いなぁ、ボク」
船滅ぼしの三角海域の海底、かつて闇の眷属たちの隠れ里があった場所に大きな神殿が建てられていた。
新たな時間軸では、コリンの助けを得てレテリアを含めた闇の眷属たちが無事暗域に戻ることが出来た。そして……。
ヴァスラサックの遺体を、未来永劫葬るための神殿が里の跡地に建てられた。各国から集められた兵士たちが、遺体を邪悪な者から守っている。
『まあ、そんなに警戒することもないさ。アニエスの言うことも一理ある。こんな海の底にまでやって来るような物好き、そうはいないよ』
「だよねぇ。あーあ、早く交代の時間来ないかなー」
星騎士たちも持ち回りで警備を担当することになっており、この日はアニエスとテレジアが兵士たちと共に神殿の哨戒に当たっていた。
荒れ狂う嵐の海を超え、海の底にまで盗みを働きに来るような泥棒などそうはいない……はずだった。今日この日までは。
「アニエス様、テレジア様! 大変、大変です!」
「ん? どったの、そんな慌てて」
「邪神の遺体が無くなっているんです! つい先ほど、棺の中を確認したら綺麗さっぱり消えていたんです!」
『何だって!? アニエス、確認しに行くよ!』
「うん、分かった!」
だが、一人の兵士の報告によって双子の楽観的な予想は外れることになった。報告に来た兵士と共に、神殿の奥へと向かう。
一方、遺体を奪った下手人はと言うと……。
「ククク、簡単な仕事だったな。ワレの手にかかれば、遺体の一つや二つ盗み出すなど造作もないことよ」
自身の居城の地下室に、エイヴィアスがいた。床に描かれた魔法陣の中央には、盗み出したヴァスラサックの遺体が鎮座している。
邪神の遺体を贄にすることで、エイヴィアスは平行世界に繋がる門を開こうとしているのだ。ヴァスラサックの代わりとなる存在を呼び寄せるために。
「ワレはまだ野望を諦めぬ。さあ、来たれ! 平行世界からの使者よ! ワレのしもべとして、その力を──!? な、何だこの気配は。扉の向こうに……誰がいるのだ?」
門を作り出し、自身の望みに合致する存在を呼び出そうとするエイヴィアス。ヴァスラサックよりも強くて、それでいて邪悪な神。
そんな都合のいい存在も、平行世界にならば存在している。だが……門が繋がった直後、エイヴィアスは本能で悟った。
今、門の向こうにいる者を呼んではいけないと。だが……門を消すよりも早く、無理矢理こじ開けられてしまった。
「やあ、待ってたよ。ようやく呼んでくれたね、私を。待ちくたびれたよ、ふふふ」
「お、お前は……お前は何者だ?」
「私か? 私はリオ。リオ・インフィニクス。神と魔を超越した、絶対にして無限の力を持つ者さ」
門の向こうから現れた青年に、エイヴィアスは問いかける。ニコリと微笑みながら……平行世界からやって来たリオは、そう答えた。




